Daily Oregraph: トラック・システムの話
歴史の本なんぞを開くのは何十年ぶりだが、トムスン先生はなかなかの文章家で、まことにおもしろい。お上のお墨付き検定教科書ではこうはいくまい(笑)。
やはり19世紀の小説を集中的に読んでから歴史を勉強するのは効果的で、ははあ、穀物法とはこういうものだったのか、というふうに、すんなり頭に入ってくる(そのまま抜ける可能性もあるけれど)。
だれもが知っているように、小説には歴史資料としての価値もある。実際『19世紀のイギリス』でも、当時の労働者の悲惨な状況を説明するために、トムスン先生は、ベンジャミン・ディズレイリ(Benjamin Disraeli, 1804-1881)の小説『シビル(Sybil)』(1845年)から、かなり長い文章を引用している。
大急ぎでやっつけたから、まずいところも多々あろうかとは思うが、温かいおおらかな気持で(笑)お読みいただければ幸いである。
ディグズ氏のトミー・ショップ(売店)が店を開けた。芝居のかかった劇場の平土間へ向かうように、押し合いへし合い、先を争い、引っぱり合い、金切り声を上げながら、人々は殺到した。身を守る手すりで隔てた高い席では、大旦那のディグズ氏が、澄ました顔をしてものやわらかな微笑を浮かべ、ペンを耳にはさんで、「まあ落ち着いて、お静かに」と、窮屈な思いをしている客たちに向かって、甘ったるい声で呼びかけるのであった。
難攻不落の要塞ほど頑丈なカウンターの向こうには、その息子である人気者の若旦那ジョウゼフが控えている。この醜い小男は、いばりくさったいやしい根性の持ち主で、その顔には腹黒い意地の悪さが露骨にあらわれていた。そのちぢれのない脂じみた黒い髪、平べったい鼻、ざらざらした赤ら顔、突き出た歯を見れば、父親のおとなしい間のびした顔とはえらいちがいで、まさに羊の皮をかぶった狼そのものであった。
最初の五分間、若旦那は客に向かって悪態をつくばかりで、ときどきカウンターから身を乗り出して、先頭の女たちをぴしゃりと打ったり、娘っこの髪を引っぱったりしていた。
「騒ぐんじゃねえぞ。そっちへ行ってこてんぱんにしてやるからな。なんだと、このあま、耳がねえのか。なんていったんだ? 上等の紅茶をいくらほしいんだって?」とジョウゼフはいった。
「あたしゃ、いりませんよ」
「おめえに上等の紅茶なんて用はねえよ。三オンスも買ってみな、空っけつになっちまうさ。四の五の抜かしたら、叩きのめしてやるぞ。そこのひょろっとしたねえちゃん、だれだか知らねえが、そこから前へ出たら、次の勘定日まで外へ出られねえように傷をつけちまうぞ。くそったれめ、連中を黙らせてやるぜ」というと、ジョウゼフはヤード尺をつかんでカウンターから身を乗り出し、右や左を打つのであった。
「あっ、なにをするんだい!」とひとりの女が叫んだ。「うちの赤ん坊の目が飛び出たじゃないか」
うめき声に近いかすかな声が聞こえた。「どこの赤ん坊がケガをしたって?」と若旦那のジョウゼフは声をやわらげてたずねた。
「あたしの子ですよ」と憤慨した声が答えた。「メアリ・チャーチよ」
「ほう、メアリ・チャーチかい!」と、この悪意に満ちた鬼のような男はいった。「そんならメアリ・チャーチに上等の葛粉(傷の治療に使われた)を半ポンドも当ててやるさ。ガキにはそいつが一番効くんだ。ここを幼年学校とかんちがいして、くそガキどもを連れてくるおめえにもいい薬になるだろうしな」
この場面はけっしておおげさに誇張したものではなく、ディズレイリはほとんど自分の見たままを書いたのだという。このように歴史家も尊重するのだから、文学の威力をバカにしてはいけない。
トミー・ショップ(tommy-shop)というのは、トラック・システム(truck system 現物給与制)の労働者向け売店のことである。この制度では、労働者は現金の代わりに現物または物品引換券を支給されるのだが、トミー・ショップでの購入が前提となる。
もともと低賃金のうえに、ささいなことで難癖をつけられて罰金を徴収され、やっと手にしたわずかの収入も、そっくり売店で回収されるのだから、悪辣にして非人道的な搾取システムというほかない。トラック・システムがやがて違法となったのも当然であろう。
ところでディズレイリは二度も首相を務めた保守党の大物である。こういう小説を書くほどだから、保守派といえども労働者の窮状に対する理解があり、どこぞの国の総理大臣とは人間の格がちがう。まして大阪のカブ頭氏などとは、比較するのも失礼というものだろう。
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