July 05, 2025

Daily Oregraph: 5月25日 八戸-旅の終わり

5月25日

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 13時30分八戸駅到着。ここはもともと尻内駅だったのが2002年に八戸駅となり、それと同時にそれまでの八戸駅が本八戸駅に改名されたという経緯がある。

 2011年の東北新幹線延伸に伴い駅舎はずいぶん立派になったけれど、

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駅前通りにはビルが林立しているわけではなく、ちょっと拍子抜けの感がある。小雨模様だったので歩こうという意欲が失せ、結局確かめはしなかったけれど、この通りをしばらく前進すれば繁華街があるのだろうと思った。

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 この日は夕方に本八戸駅北口でA君と待ち合せる約束だったから、まだずいぶん時間はあったが、とりあえず14時半頃に約束の場所にやって来た。

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 やって来たのはいいが、相変らず小雨は降っているし、付近にはビジネスホテルが数軒ぽつんぽつんと建っているだけで、格別気分を引き立てるような景色でもない。この道の先には確実に繁華街があるとわかってはいても、歩く気力は湧いてこなかった。

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 こちらは南口。かつての八戸駅だから相当栄えていたはずだが、駅前の景色にその面影はない。

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 しかし一軒の古い旅館が目を引いた。大横綱大鵬やマラソンの円谷選手が「泊ったらしい」というのは、他人事みたいで奇妙な文句である。

 長期滞在歓迎というのは、いわゆる商人宿(ビジネスホテルの先駆?)というやつだと思うが、昔はたいていの町にこういう宿があったと記憶している。寅さんが泊まるならこういう旅館がふさわしいかもしれない。

 歩かない以上時間のつぶしようがないから、前日に八戸に入っていたA君に電話して、これからどうするか相談した。すると早朝有名な日曜日のなんとか朝市へ出かけた彼も、雨にたたられてさっぱり成果がなかったらしく、やはり時間を持て余していたので、予定を早めて車で駅まで迎えに来てくれることになった。

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 八戸には何度か訪れて土地勘のあるA君が時間つぶしの場所として選んだのはここ、八食センターである。ぼくは知らなかったのだが、東北地方ではかなり有名な施設らしく、まあ入ってごらんとA君はいう。

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 店内は外見からは想像もできぬほど広く、へえ、これはたしかに一見の価値はあるなと感心した。釧路の和商市場の何倍もの規模である。漁港らしく水産物もあれば、

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各種土産物、

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青果、

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そして揚げ物などの惣菜はもちろん、パン屋、さまざまな食堂などがずらりと並んで、さながら一種のワンダーランドである。雨の日に時間を過ごすにはもってこいの場所だと思った。

 それにしてもフェリーの出港は22時だから、どうしたって時間を持て余すことになり、結局17時頃には早々とフェリーターミナルに到着。ターミナルのレストランで夕食をすませ、残りの時間をなんとか消化して乗船を待った。

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 この日のフェリーの部屋。二等だからさすがに窓はないものの、完全個室というのは立派である。苫小牧までの所要時間はわずかに8時間なので、申し分のない部屋といえるだろう。航海中はひどく揺れたが、神薬(?)アネロンが威力を発揮してまったく船酔いはしなかった。

 今回の旅は最初に左親指に深手を負ったり(もう一月半以上たっているのにまだ完治していない)、何日か雨に悩まされたりで、あまりついていなかった。しかし懸案も無事解決できたし、秋田と弘前のお城や蟹田の観瀾山も見物できたし、おらが旅はまずまずの目出度さであったといえるだろう。

 仙台に着いてから八戸まではA君とは完全に別行動だったが、それでよかったと思う。やはり一人旅は気をつかうこともつかわれることもなく気楽である。みなさまもよくご存じのとおり、よほど気心の知れた相手であっても、毎日朝から晩まで顔を突き合わせていると、感情の微妙な食いちがいが生じがちになるものだ。

 ただし食事のときは相手がいたほうがいいような気がする。「孤独のグルメ」はドラマとしてはおもしろいけれど、実際はどうだろうか? 一人で飯を食うとき、たいていの場合、人は心の声など発する間もなく、黙ってさっさと食べ終わるのではないだろうか。

 ひょっとしたらぼくが変人なのかもしれないが、旅先で土地の名物をぜひ味わいたいと思ったことはついぞない。なんとか麺やなんとか丼などといった簡便な料理ならともかく、たとえばきりたんぽ鍋やらしょっつる鍋などの鍋物を一人で注文したっておもしろくもなんともないだろう。

 あれは「やあ、こいつはうまいなあ」といったり、「うん、いけるね」と相槌を打ちながら食べるところに妙味があるのだから、ひとり黙々と鍋をつつくなど、ぼくはまっぴらごめんだ。やはり旅先では駅ソバがいいね(笑)。

 だとすれば、一人旅の行き先に友人の住む土地を選び、夕食を共にしてしばし歓談し、それ以上の迷惑をかけぬうちにその地を去るというのが理想的といえるかもしれない。そんな機会があれば、足腰が立たなくなる前にまた旅に出たいものである。

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July 01, 2025

Daily Oregraph: 5月25日 野辺地無情

5月25日

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 この日の目的地は八戸なので青い森鉄道のお世話になる。この鉄道路線はもと東北本線の一部であった。

 八戸までの運賃は2,320円なのだが、この日はワンデーパス(2,100円也)を利用することができた。終点の目時(めとき)までの間を乗り降り自由だからたいへんお得である。ホームで列車の到着を待っていた運転士さんにお聞きしたら、土日祝日などに発行されるのだそうだ。この切符は自動改札機を通らないから、改札時は駅員さんに提出して確認していただく。

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 10時46分発に乗車。

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 この列車には女性の車掌さんが乗っていた。途中で雨が降り出してきた。

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 八戸からは22時00分発のシルバーフェリーに乗る予定だったから時間はたっぷりあるので、11時30分野辺地で途中下車した。初めての土地だったので、歩いて港を見物するつもりだったのである。野辺地駅からはむつ市までのJR大湊線が接続している。

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 野辺地駅駅舎。割と最近手を入れた駅舎らしく、内部は明るく清潔であった。

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 駅前通り。小雨が降っている。たいした降りではないけれど、やや強い風に吹かれた雨粒が斜めにビシビシと顔に当たるのには閉口した。これはどうも散歩どころではない。盛岡もそうだったが、徒歩旅行者が雨に降られてはやりきれない。

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 そこで駅に隣接する観光物産PRセンターを見物して少し時間をつぶした。大きな石灯籠は野辺地港のシンボルである江戸時代に建てられた常夜燈のレプリカ。

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 ふたたび駅舎内に戻ってゆったりとした待合室に入ると、

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ありがたいことに「駅そば パクパク」というお店があったので、天ぷらそばの大盛りを注文した。この旅では弘前駅以来二度目の駅ソバである。

 旅に出たら少なくとも一度は駅ソバというのは、ぼくにとっては憲法第九条第三項みたいなものだから、必ず食べる。駅ソバはうまいのまずいのとヤボな批評をすべき対象ではなく、草枕旅にしあれば駅ソバを食ふのは、日本人の大切な心得といっていいと思う。異論は認めたくない(笑)。

 雨にたたられて港までの散歩をあきらめたのは残念だったが、駅ソバを食ってやや元気を取り戻し、予定を早めて12時44分発の列車で八戸へ向かった。

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June 25, 2025

Daily Oregraph: 5月24日 観瀾山にて

5月24日

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 山のふもとには神社があって、石段を上ればあるいはそのままてっぺんまで行けるのかもしれないけれど、無駄足を踏んで体力を消耗したくはなかったので、鳥居の左に見える舗装道路をたどることにした。

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 案内図によれば、この先にある駐車場からまっすぐ展望台方面へ至る道がある。自動車さえあればなんの苦労もないのだが、徒歩旅行者にはちょっとしんどそうだ。

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 しかし見よ。上の写真の場所の少し手前に「至 展望台」の道標が立っているではないか。幸いまだ草深い時期ではなかったからみつけたものの、もしこれを見落としていたら、ひどく遠回りをしてエネルギーを浪費したはずである。

 ところがこの近道、石段の幅がおそろしく狭く、見るからに歩きにくそうであった。最近できたものでないことは明らかで、たぶん太宰一行もわざわざ遠回りはせずに、この細い近道を登ったのではないかと思う。

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 案の定この細道は歩きにくかった。足を滑らせないように気をつけながら登るのだが、いくら低いとはいえ山は山である。なにしろ去年あたりからめっきり膝のバネが弱っているから、やっとの思いで最後の一段を踏みしめると、こんな景色が出迎えてくれた。付近には句碑のたぐいが点在している。

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 すぐ左(北)にはちいさな社があった。ふもとの神社との関係はわからない。さらに左へ進むと木造の展望台らしき建物があったけれど、結局景色は十分堪能できたから、この日は立ち寄らなかった。

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 方向を右(南)に取って歩くとすぐ、正面にゴロンとした岩と、その右手前に縦長の石碑が見えてくる。

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 「観瀾山」の石碑。大正12年7月26日にこの山に登って観瀾山と名づけた久邇宮邦久の書である。陸奥湾を見下ろす山にふさわしく、「瀾」は波の意。

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 この岩が太宰治文学碑。『正義と微笑』からの引用文が刻まれている。

  かれは
  人を喜ばせるのが
  何よりも
  好きであった!

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 こちらが碑の裏面。表裏両面ともに佐藤春夫の書である。

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 文学碑は崖っぷちにあって、眺めはすこぶる良好、蟹田の町を一望できる。

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 さきほど入口前を通りかかった、むつ湾フェリー乗り場とトップマストと称するフェリー案内所を兼ねた施設。ちょうどフェリーが接岸中だったので、下山後立ち寄ってみることにした。

 ぼくには文学碑めぐりの趣味はないけれど、これもなにかの縁である。せっかく来たのだから、石碑の裏側に置かれていた古い木製のベンチに腰かけて、景色を味わいながらしばし休憩した。あたりには人っ子ひとりいない。

 あいにくの天気ではあったが、暑からず寒からず、虫に悩まされることもなく、観瀾山見物の目的を無事達成できたのだから、まずはめでたし。

 いつのまにか時刻は12時半を回っていた。

 私たちは桜花の下の芝生にあぐらをかいて坐つて、重箱をひろげた。これは、やはり、N君の奥さんのお料理である。他に、蟹とシヤコが、大きい竹の籠に一ぱい。それから、ビール。

 ぼくは手ぶらだから蟹もなければビールもない。よろしい、山を下りて何か食うとしよう。

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June 22, 2025

Daily Oregraph: 5月24日 青森~蟹田 観瀾山へ

5月24日

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 11時01分青森発津軽線蟹田行き改札。あとでわかったのだが、左に見える女性は青い森鉄道の車掌さんである。

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 これが蟹田行き普通列車。このたび思ひ立ち外の浜一見と心ざして、この列車に乗ろうとするところ。

 一つ前の写真に見える表示板からもわかるように、津軽線は2022年8月の大雨災害以降蟹田から先は運休中であり、この線自体いつ廃線になるかしれないので、今のうちにぜひ乗っておきたかったのである。

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 この列車も車窓からの風景を撮りにくい座席である。

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 そこで編み出したのがモンドリアン風写法(?)。ただし車内が混雑しているときにはこの手は使えない。

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 定刻の11時38分に蟹田駅着。列車はそのまま青森行きとなって12時10分の発車まで駅に待機する。

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 駅舎に入ると「蟹田ってのは風の町だね」というせりふが旅人を出迎える。うすうすお察しのとおり、こういうキザな文句の似合う人物といえば……

 その(観瀾山かんらんざんへ行く)前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田つてのは、風の町だね。」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である。そよとの風も無い。(太宰治 『津軽』-以下引用文はすべて同書より)

 このときから蟹田は蟹の町であるとともに「風の町」となった。住民のみなさまもすっかり気に入ったらしく、あちこちで「風の町」ということばを見かけるのである。

 この日はあいにくの曇り空だったが、ほとんど風はなかった。風がなくとも風の町と思わせるのは、さすが太宰というべきか。

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 駅舎は新しく清潔だ。れっきとした有人駅でみどりの窓口もある。

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 駅舎と駅前通り。まっすぐ(東に)進むと、すぐに国道280号線に突き当たり、写真では左が北で三厩方向、右が南で青森市は29キロ先である。

 津軽半島の東海岸は、昔から外ヶ浜と呼ばれて船舶の往来の繁盛だつたところである。(中略)さうして蟹田町は、その外ヶ浜に於いて最も大きい部落なのだ。青森市からバスで、後潟、蓬田を通り、約一時間半、とは言つてもまあ二時間ちかくで、この町に到着する。所謂、外ヶ浜の中央部である。戸数は一千に近く、人口は五千をはるかに越えてゐる様子である。

 かつての蟹田町は現在外ヶ浜町の一部となっているけれど、外ヶ浜の中心地たる地位はゆるがず、外ヶ浜町役場の本庁は蟹田地区にある。

 外ヶ浜町の人口だが、ぼくがネットでざっと調べたかぎりでは、昭和35年には18,259人であったものが平成12年には9,170人と半減し、平成27年には6,198人(うち蟹田地区は2,978人)とさらに減少している。外ヶ浜町の2024年5月1日時点の推計人口は4,541人、という記述もあるから恐るべき減り方で、津軽線の今後について心配になるのも当然だと思う。しかもこの人口減は、ほかの地方の住人にとってもとても他人事ではないのである。

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 駅前には「駅前市場 ウェル蟹」なる施設がある。ここには帰りがけに寄ってみた。

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 さて国道280号線に出て北へ向かい、この日の目的地観瀾山をめざそう。

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 少し進むと「観瀾山公園 1km」という標識がある。正面に見える緑の丘がそれらしい。しゃれた写真スタジオがあるのは、この町がただの田舎町ではないあかしのように思えた。

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 やがて橋が見えてきた。橋の手前にあるマツオスーパーは、このあたりでは名の知れたお店らしいので、帰りに入ってみることにする。

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 蟹田橋。親柱は蟹の爪を模したかたちである。「世界文化遺産 大平山元遺跡」という看板が少し気になるけれど、9キロも先なのでは徒歩だと無理だから、見なかったことにしよう(笑)。

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 蟹田橋から蟹田川上流を見る。

 蟹田地方には、蟹田川といふ水量ゆたかな温和な川がゆるゆると流れてゐて、その流域に田畑が広く展開してゐるのである。

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 蟹田川河口。曇り空のせいもあってか、実にさびしい風景である。

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 橋を渡ってしばらく進むとむつ湾フェリー乗り場入口にさしかかる。ここも帰りに寄ってみよう。

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 このあたりから西に一本脇道に入ると、観瀾山は目前である。

 観瀾山。私はれいのむらさきのジヤンパーを着て、緑色のゲートルをつけて出掛けたのであるが、そのやうなものものしい身支度をする必要は全然なかつた。その山は、蟹田の町はづれにあつて、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。

 太宰は数人の友人たちとともに観瀾山で花見をしたのだが、この日ぼくは単身この小山に登った。

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June 19, 2025

Daily Oregraph: 5月23日 青森市 善知鳥神社

5月23日

 八甲田山丸の見学を終えて観光ガイドマップを見たら、善知鳥神社と奥州街道終点の碑というのが目にとまった。「善知鳥(うとう)」とはまた奇妙な名だなと思ったけれど、たいした距離ではないので見物することにした。

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 一見ずいぶん新しい神社のようだが、

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由緒書きを読むと古社である。善知鳥中納言安方という人物が実在したかどうかは不明だが(名前が「うとう-やすかた」とはどうも怪しい?)、翌日訪れる予定の「外ヶ浜」鎮護の神というところに興味をひかれた。

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 謡曲善知鳥之旧蹟。旅に出るとおのれの無知さ加減を思い知らされることが多い。へえ、謡曲「善知鳥」ねえ。謡曲「善知鳥」も善知鳥神社も知らずにジジイになってしまったとは……

 そこで帰宅後手元の謡曲集(本棚にあるところだけは立派(笑))を開いてみると……

 舞台に現れたのは、バチ当たりの観光客ではなく、旅の坊さん。

 われいまだ陸奥(みちのく)外の浜を見ず候ふほどに、このたび思ひ立ち外の浜一見と心ざして候。

 途中越中立山の霊場巡りを終えて山を下ると、ひとりの翁が現れて僧を引き留め、「外の浜へ行かれたら、昨秋亡くなった猟師の妻子の宿をたずね、証拠の品としてお渡しするこの衣の袖を見せて、供養をするようお伝えください」と頼むのであった。

 つまりこの翁はその猟師の霊であって、陸奥へ旅立つ僧を、泣く泣く見送りて、行く方知らずなりにけり……というわけで姿はどこかに消えてしまった。

 すると次の場面ではいつの間にか旅僧は外の浜に到着しており(これぞかかるふしぎなることこそ候はねである)、土地の者が教えてくれた猟師の家に着き、わけを話して幽霊から預かった衣の袖を妻に手渡すと、たしかにそれは亡き夫のものにちがいない。

 僧と妻とが供養をはじめると幽霊が出現して、陸奥の外の浜なる呼子鳥鳴くなる声はうとうやすかたと歌う。ここで「うとう」が登場するわけである。うとう(善知鳥)は、広辞苑によれば「チドリ目ウミスズメ科の海鳥。大きさはハトぐらい」とのこと。

 「うとうやすかた」も広辞苑にあり、「陸奥国外ヶ浜にいたという鳥。親が「うとう」と呼べば、子が「やすかた」と答えるという。うとう」と説明されている。つまりこの鳥は「うとう」または「うとうやすかた」と呼ばれる。

 生前殺生を重ねた猟師はかつて「うとう」の習性を利用し、親のふりをして「うとう」と呼び「やすかた」と答えた子をみつけて殺した報いを受け、冥土では化鳥と変じた善知鳥に苦しめられるつらさに耐えかねて、

 安き隙(ひま)なき身の苦しみを、助けて賜べや御僧、助けて賜べや御僧と、言ふかと思へば失せにけり。

 ……というのが謡曲「善知鳥」のあらすじである。

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 同じく境内にあった菅江真澄歌碑に見える一対の鳥が善知鳥らしい。親子なのだろうか。

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 さて奥州街道終点の碑を探してみたけれど、どこにも見当たらない。お守りなどを売っている巫女さんにお聞きしたら、境内にはありません、すぐ外にあります、という。

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 なるほど塀際に碑は立っていた。奥州街道終点記念の碑とある。石材の選択を誤ったか、表面の反射によって読みにくいのが難点だと思う。

 奥州街道は正式には江戸から白河までらしく、その延長としてここを終点とするか、外ヶ浜沿いに現在の国道280号線を通って三厩までつづくとするかは意見の分かれるところかもしれない。

 いずれにしても翌日蟹田へ行く予定だったから、外ヶ浜ゆかりの善知鳥神社へ立ち寄ったのもなにかの縁なのだろう。

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June 17, 2025

Daily Oregraph: 5月23日 八甲田丸見学

5月23日

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 八甲田丸船尾と可動橋。ここから船内に列車を入れたのだろう。

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 船体は(当然ながら)多数のロープでがっちり係留されている。もちろん実際に使われるロープの数は運行時にはずっと少ないはずだ。

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 乗船口。ぼくは青森側についてはよく記憶していないが、函館で乗船するときには、乗客が荷物をかかえて長い通路を駆けていたことをよく憶えている。当時は乗客が多かったから、だれもが寝場所を確保しようと必死だったのである。

 船内では床に順路の線が引かれている。以下、順路に沿ってざっとご紹介したい。

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 人形を使用した展示は独創的なもので、青森港付近で呼び売りしていた女性たちや、連絡船を利用して商売していた担ぎ屋のおばちゃんたちなど、かつて(たぶん戦後から昭和30年代あたり)の主な乗客層がよくわかる。

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 昔の時刻表や運賃表などが展示されていた。ちょっと記憶をくすぐられるものがある。

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 人形による展示はたくさんあったけれど、これなどは傑作だと思う。担ぎ屋のおばちゃんと闇米を取り締まる警官らしい。実によく出来ている。

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 ほとんどの人形は顔の色つやもよく、元気に満ちているのだが、船長室の人物だけは心労のせいかションボリしている(笑)。おやおや、キャプテン、どうなさいましたか?

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 乗船名簿はたしかに書いたはずだが、すっかり記憶が薄れている。

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 ブリッジに立つ航海士も人形である(一瞬ぎょっとした)。

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 順路に従うと、ブリッジを出てファンネルへ向かう。ファンネルのてっぺんが展望台になっているのだ。

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 ファンネルの中を通って展望台に至る。ファンネルの内部はなかなか見る機会がないから、これだけでも入場料を払う価値は十分にあると思う。

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 展望台からは津軽半島(たぶん)まで見渡すことができる。

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 展望台を降りると、ふたたび船内に入ってエレベータで下に降り、まずは船尾。ここで可動橋のレールと接続して列車を引き入れる。写真には撮らなかったが、本物の車両もいくつか展示されているから、列車オタクの方には興味深いだろう。

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 エンジンルーム。

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 エンジンコントロールルーム。一部省略したところもあるが、これで一通り見学を終えたことになる。

 展示はよく整えられていて感心したけれど、ただひとつ残念だったのは、かつて利用したカーペット敷きの雑魚寝部屋を見られなかったことである。

 混んでいるときはその雑魚寝部屋にもぐりこむことさえできず、船内をうろうろしていたことを思い出す。ぼくが連絡船のお世話になったのはだいたい昭和40年代の半ばだったが、まだ担ぎ屋さんとおぼしき人々がいて、混雑時には通路に新聞紙を敷いて坐っていた。

 うまくスペースを確保できてごろ寝しながら、夢うつつに方言を聞いていると、まるで異国の船に乗っているような気分になったものである。

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 この八甲田丸もいつまで公開されるのかはわからない。船体も劣化するだろうし、維持費もばかにはならない。乗船券大人一人510円也。見どころが多く、がっかりすることはないので、ぜひ見学して船体維持にご協力いただきたいと願う。

 なお函館港では十和田丸(2025-08-10 訂正:正しくは摩周丸)を見学できるはずなのでぜひ行ってみたいが、函館はある意味東京よりも遠い(笑)。

 次回は奥州街道終点の地を見物する。

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June 15, 2025

Daily Oregraph: 5月23日 弘前市~青森市

5月23日

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 チェックアウトをすませて、弘前のちょっと煤けた通りをしばらく散歩しているうちに、

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こんな場所を通りかかったのだが、うっかり「太宰治まなびの家」の表示を見落としていた。彼の下宿先だったのだろうが、どんな建物なのか見ておけばよかった。

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 ぶらつきながら駅に向かい、青森までの切符を買った。背景に見えるのは「なんとかにゃん」というご当地キャラらしい。

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 11時39分発の奥羽本線青森行き普通列車。

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 車窓から見る岩木山はやはり美しい。津軽の人々が自慢するのはもっともである。座席からではうまく撮れないので、立ち上がってドアの窓から撮影した。

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 12時27分定刻に青森駅着。駅を出るとすぐ見えるのはかつての国鉄青函連絡船八甲田丸。当時はいちいち船名まで記憶していなかったけれど、ぼくも一度は乗ったことがあるはずだ。

 この船を見学するのが青森まで来た目的のひとつであった。ホテルのチェックインまでにはまだ大分間があるので、昼食も取らずにこのあとすぐ八甲田丸へ向かった。なかなか見どころの多い船なので、次回は内部を少し詳しくご紹介したい。

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June 12, 2025

Daily Oregraph: 5月22日 弘前公園

5月22日

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 弘前城外濠。

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 堂々たる構えの追手門から公園に入る。

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 門をくぐってすぐのところに弘前城植物園があったので、窓口で3施設共通券(弘前城・弘前城植物園・藤田記念庭園 520円也)を買って入園した。

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 園内には薬用植物園や湿性植物園などテーマ別の植物園があるほか、このように市民が自由に使える広場もあって、特別植物に興味はなくともゆっくり散歩を楽しめる。

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 中濠の向うは辰巳櫓。辰巳櫓をこのアングルから眺めるには植物園に入らねばならない。

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 園内に喫煙所があるのは意外であった。ぼくが入ったときには職員の方お一人と、二人のおばさまが一服していた。「ここで煙草を吸えるとは思っていませんでしたよ」とぼくがいうと、一同破顔一笑。別に法を犯してもいないのに人間扱いされぬ虐げられた人々のみが知る笑いである。

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 さて弘前城天守閣である。いかにも……といった写真だけれど、近距離からこのように歪曲を抑えて撮るのは、実はなかなかむずかしいのである。この公園には絶妙の高さから天守を撮影できるように特別のステージが組まれており、おおいに感心した。

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 せっかく共通入場券を買ったのだから天守閣の中へ入ってみた。各階をむすぶ階段はおそろしく傾斜が急で踏み段の幅も狭い。いざ戦になったときには、あわただしく上り下りするのが大変だろうと思った。

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 こちらが最上階。実用一点張りで余計な装飾はない。西向きの窓からは、頂上を雲におおわれた岩木山が見えた。

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 天守閣を出て西の方岩木山を望む。実に姿の美しい山である。

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 その後しばらく園内を歩き回り、休憩所でソフトクリームを食った。なあんだ、なんていってはいけない。ぼくがソフトクリームを食べるのは、せいぜい年に一二度、ちょっとした事件(笑)といってもいいからだ。

 すでに1万6千歩近く歩いて疲れたし、ソフトクリームも食べたし、このあと藤田記念庭園は遠慮してホテルに戻り休養。一人で酒を飲むつもりなどなかったから歓楽街には繰り出さず、結局模範旅行者として一日を終えることになった。

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June 09, 2025

Daily Oregraph: 5月22日 矢巾~盛岡~弘前

5月22日

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 矢幅駅からはわずか十数分、08:38に盛岡駅に到着。これから弘前へ向かう。

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 盛岡駅西口23番乗り場に到着した盛岡~弘前間の高速バス「ヨーデル号」。どうして「ヨーデル」なのかはわからないが、この区間は高速バスを利用するのがもっとも合理的だと思う。

 鉄道を利用するとしたら、新青森までは新幹線、そこから普通列車に乗り換えて弘前まで所用時間2時間13分(新青森での待ち時間を含む)、運賃合計は6,910円となる(「乗換案内」による)。一方ヨーデル号は所用時間2時間13分(途中一度のトイレ休憩を含む)、運賃3,400円だから勝負あったである。

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 ヨーデル号の車内。三列シートではないけれど、ごらんのとおり車内はガラガラだったので、ゆったりと坐ることができた。

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 バスの車窓からやっと岩手山を拝むことができた。

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 そして水田風景。

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 11時半ころ弘前駅到着。この町もずいぶん昔に一度訪れたことはあるのだが、町の景色は断片的にしか記憶に残っていないから、はじめて歩くのとほとんど変わらない。

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 駅のすぐ前に無人販売所があったのには少々驚いた。当然のごとくリンゴも並んでいたが、産地にもかかわらず5個で千円とは結構なお値段である。リンゴはいつの間にか高級品になってしまったらしい。

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 駅前通りを西へホテルに向かう。少し青空が見えてきた。

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 途中寄り道をしながら歩いていると、こういう西洋風建築が目についた。弘前にはしゃれた建物が多いらしいけれど、徒歩ではあちこち回れないから、残念ながらほんのいくつかを見かけただけに終わってしまった。

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 おいおいほんとかよ、今どきこんな建物が残っているのかと驚いたのが中央弘前駅である。ぼくは格調高い西洋建築よりもこういうのが好みだから(笑)、おおいに感心したのである。今となっては、駅舎の中を見物しなかったことが悔やまれる。

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 うろうろしていると、やっと今夜のホテルが見えてきた。このあたりの商店街はもちろん昔のままではないにちがいないけれど、全体にちょっと煤けた感じがする。「煤けた」というのはけなしているのではなく、ぼく好みだとほめているのである(笑)。半世紀前の京都の町並みは、駅前から河原町をまっすぐ北上すると、しばらくの間はこの数倍も煤けていたと記憶している。

 この日のホテルは駅から少し離れているが、弘前公園はすぐ近くだったし、さいわい天気も回復しつつあったから、午後は公園内を散歩することにした。

 観光客らしくお城見物をしたご報告は次回にて。

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June 07, 2025

Daily Oregraph: 5月20~21日 大曲~盛岡~矢巾

5月20日

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 新幹線の車窓から、たっぷり水をたたえた水田風景をながめているうちに、

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盛岡駅に到着。この町には半世紀以上以前に一度訪れたことがあるけれど、記憶はもうすっかり薄れてしまった。これほど立派な都会だったとは……

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 駅前で循環バス「でんでんむし」を発見し、バス停の時刻表を撮影しておいた。翌日は豪雨にたたられたから、今思えばこの日盛岡の町を歩いておくべきであった。

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 まずはホテルに落ち着くつもりで、盛岡駅から東北本線の三駅目である矢幅駅に向かった。駅舎は地方駅としては堂々たるものである。駅名は「矢幅」だが、この町の正式な表記は矢巾町。

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 これが駅前通り。勝手にさびれた田舎町を想像しているとビックリすることうけあいで、むしろ地方のからっとした新興都市といった印象を受けるだろう。

 なんとこの町は昭和50年以降人口が増えつづけて、令和2年には約28,000人に達し、令和3年以降微減したとはいえ、令和6年で27,133人だという。地方の人口がどんどん減少しつつあるのにこの勢いを保っているのは、盛岡市に近いことと、岩手医大のキャンパスと付属病院があるせいだろうか。

 特に理由もなくふらりとやってきた旅行者のいうことだから的外れかもしれないが、たいへん文化度の高い町という印象を受けた。

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 たとえば駅舎内にあるこの町設(と思われる)インフォメーションセンター。たまたま女子高校生に占領されていたので中に入いるのは遠慮しておいたが、いかにも余裕の感じられるしゃれた施設である。(写真は掲載しないが)駅前ではギターの弾き語りをしている男性もいた。

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 ちょっと買い物があったので駅から遠からぬショッピングセンターに行ってみたら、またビックリ。相当の規模の書店、すばらしい品ぞろえの酒類専門店をはじめとして、大型スーパーなどが完備している。釧路でいえば、釧路町にちょっと似た感じである。

5月21日

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 21日朝の矢幅駅前。雨の激しさがおわかりいただけるだろうか。

 実はこの日午前中いっぱいかけて盛岡市内を見物し、午後は矢巾に戻って岩手医大のあたりまで散歩するつもりだったのだが、恐ろしい土砂降りのため計画が狂ったことは、すでに記事にしたとおりである。

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