Daily Oregraph: 大川町あちこち その2
本日の最高気温は24.3度。曇りのち晴れ。
さて本日は物好きにも大川町をもう一度歩いて、前回撮り忘れた場所などを撮影してきたので、まずは前回の記事に追加すべき写真を掲載したい。略図の右半分の区域については次回の記事にまとめる予定である。
なにごともバランスが大事だから、前回こちら側を撮っておかなかったのは、やはり手抜かりであった。
それにしても相変わらず天気が冴えなかったのは残念だ。色がくすんで景色が陰気くさく見えてしまう。それでも釧路の涼しさはありがたい。一時間ほど歩き回っても、うっすら汗ばむほどですむのだから。30度を超す猛暑の中だったら、どこかでバッタリ倒れていたにちがいない。
前回はボンヤリして素通りしてしまったので、通りの向い側から撮影した。よく見ればお店の構えはそのまま残っているので、気づいてしかるべきだったのだが、看板が取り外されていたため、凡眼の悲しさ(笑)、うかうか通り過ぎてしまったのである。
大川町2番地と3番地との間の短い道路には入舟臨港通という立派な名前がついていたのだが、これまた前回は見落としていた。
入舟臨港通東側と橋南幹線通が接する角地には、2000年当時「水産物検査所」の金庫が置かれた木造家屋があった(前回記事をご参照)。現在単管パイプで仕切られている空地がそうである。
金庫の上には丸めた鉄網が置かれているし、玄関の向こうには雑多なものが見えるから、ただの民家とは考えにくく、ふしぎに思っていた。その後昭和30(1955)年当時の市街案内図によって、ここには「若松古物店」が存在していたとわかり、たぶんここはそのお店だろうと推測したことは前回申し上げた通りである。
ラスカベツさんが前回の記事にお寄せくださったコメントに「今は空き地になっていますが若松雑品屋さんだった所です」とあったことで、推測の正しさは証明された。最近「雑品屋さん」という言葉はほとんど聞かなくなったけれど、昔はふつうに使われていたからなつかしい響きがある。
なんでも昔のほうがいい、などというつもりは毛頭ないが、こうして味のある木造建築が絶滅しつつあり、釧路に限らず町の景色がノッペリしていく一方なのは、正直残念でならない。
この景色も残しておこうとシャッターを切った。
これもラスカベツさんの情報だが、「つたや旅館は今の向かい側にありました」とのこと。つまり写真 4 と同じ並びにあったらしいが、昭和30年の市街案内図を見れば、このへんにはほかにも旅館や商店がいくつかあったことがわかる。それなりににぎわっていたのだろう。
今は半分眠ったようになっている南大通も、かつては多くの商店が軒を連ねており、そのにぎわいはぼくもボンヤリと記憶している。人の短い一生のうちにこれほどの激変が起こるのだから、万物流転とは哲学書を読まなくたって自然とわかるものだ。
この建物は地図によっては「中小企業協同組合」などと表示されているが、前回見落としていたので(失礼)、本日確認した次第である。大川町 1-13。
もちろんすべてを網羅したわけではないが、これであなたもこの辺で迷子になることはないだろうから、おおいに散歩していただきたいと思う。
次回はいよいよ略図の右半分(大川町4~7番地)である。








Comments
いやー素晴らしい展開ですね。
何もない広大な大地であっても、人間がそこに一本の柱を建てることによって、初めてそこが記号化され、人間の生活の場や、思い出の残る『土地』に変わっていく……。
清家清のパクリ(笑) 「違いのわかる男」のこんなふうなCMありましたね。
わたしの生まれ育った町の昔の写真がこのブログのように盛り上がり語られたらエモくて泣くことでしょう(笑)
Posted by: 相州蟻鍛 | August 27, 2026 10:42
いやー素晴らしいの一言です
まさか自分のルーツ大川町だけで
こんな詳しく解き明かすブログなんて
世界中どこ探しても薄氷堂さんだけです笑
>写真1
大好きな通りです
旧図書館で勉強して夜にここを通り帰宅してました
理容店側はあまりに寂しすぎるので笑
>写真2
普段行かない店も
なくなるとなんだか寂しくなる
それだけこの場所から明かりが消えるわけですから。。
>写真3
こ写真 5こからの眺め開けててお気に入りです
夜になると対岸のパコホテルの屋上露店風呂から
大量の湯気がもくもくと幻想的でした
「入舟臨港通」ですか、そんな立派な名前だったんですね
>写真4
ここがあの金庫の場所ですか
いやー寂しいもんですね。。
「雑品屋さん」初めて聞いた言葉です
小さな町のホーマックみたいのがたくさんあったんだね
>写真5
なんともつたや旅館が味があります
当時の大川町を見続けてるのはきっとここくらいですね
下にいるカラスがここは俺の縄張りだと言わんばかりに
薄氷堂さんの前にいるのがなんか可愛いですね
>写真6
住んでた当時はなんか缶詰工場かなんかかなと
魚組だったんですね
今回も素晴らしかったです
毎回わかりやすくて見ていて楽しいし
写真を拝見するたびに望郷しています
右半分(大川町4~7番地)も
楽しみに待ってます( ^^)
Posted by: QuantumBerry | August 27, 2026 19:22
>写真3
「こ写真5こから」→「ここから」笑
Posted by: QuantumBerry | August 27, 2026 19:24
お疲れ様です写真5のつたや旅館は15、6年前頃くらいに今の所に移転したように記憶しています。小生にとっては大川町でも新しい建物です。写真3の路面の所は今は空き地ですが元々は鋳掛け(いかけ)屋さんだったです。この大川町の通りはもともとは根室、網走に通じる幹線道路だった思います。今と違って橋も2本しか無かったのですからこの道を通るしかない。
Posted by: ラスカベツ | August 27, 2026 19:25
>相州蟻鍛さん
いわゆる「バズる」とは無縁のしょうもない写真から、思わぬ方向に話が広がっていくのは実に愉快ですね。大川町の生き証人のようなラスカベツさんのおかげで、いろいろなことがわかりました。ありがたいことです。
ぼくもむやみに昔をなつかしがるわけではないのですが、記録して残せるものは残しておきたいと考えております。
わずか数十年前の町並みであっても、いったん失われてしまえば、邪馬台国同様に(笑)考古学の対象になってしまいますが、写真を残してさえおけば、地面を掘り返さなくてもすむわけですから。
Posted by: 薄氷堂 | August 27, 2026 22:38
>QuantumBerry さん
超ローカルな話題こそマイナーなブログに向いているのかもしれませんね。
>「雑品屋さん」初めて聞いた言葉です
いまでしたら廃品回収業に相当するんでしょうね。ぼくが子どものころは「雑品屋」という言葉は日常的に使われていました。
> 右半分(大川町4~7番地)も楽しみに待ってます( ^^)
ご期待にそえるかどうかはわかりませんが、まだ続きますよ。この際ですから、久寿里橋通の城山側についても触れるつもりです。
Posted by: 薄氷堂 | August 27, 2026 22:39
>ラスカベツさん
ご協力まことにありがとうございます。おかげさまでとても助かりました。
> 写真3の路面の所は今は空き地ですが元々は鋳掛け(いかけ)屋さんだったです
昭和30年の市街案内図では個人名になっている部分でしょうか?
なお「鋳掛屋」という言葉もほとんど死語になってしまいましたが、昔は家々を回って鍋の穴などをふさいでくれる職人さんのいたことを思い出します。
Posted by: 薄氷堂 | August 27, 2026 22:40
> 昭和30年の市街案内図では個人名になっている部分でしょうか?
k ~瀬さんです。そのあたりは祖父がこの地にやってきた時(大正か昭和のはじめ頃)借家として住んだと聞いていました。その後家は移っても鋳掛屋さんと付き合いはあったそうです。
Posted by: ラスカベツ | August 28, 2026 11:46
>ラスカベツさん
どうもありがとうございます。たしかに地図にはそのお名前で載っていました。
ほんとうによく記憶しておられますね!
Posted by: 薄氷堂 | August 29, 2026 23:03