Daily Oregraph: 動画時代の写真機 (3)
本日(7月3日)の最高気温は16.2度。曇りのち晴れのち曇り。
近くまで行ったついでに、春採湖畔のミヤマニガウリに挨拶してきた。今年も元気に活躍しはじめているのはなによりであった。
さてせっかくの機会なのでこれまでに自分の撮った動画ファイルを見直してみた。
試し撮りしてすぐに削除したものを除いて、現在ハードディスクに残っているのは、2006年から2021年までの16年間にわずか24本だから、一年あたり1.5本とは、ほとんど撮っていないにも等しいと思う。
撮影時間は4秒(!)から5分3秒まで、1本平均約1分30秒という短さである。どれもつまらなくて、断然多いのが船舶荷役風景という通好み(?)の内容である。下の写真はその一例である(2013年11月12日網走港にて)。
こんな動画を見せられて喜ぶ人はめったにいまいと思う。もちろんなにがしかの記録的価値はあるから、百年後にどこかの大学の先生が欲しがるかもしれないけれど(?)。
ではどうしてこんな結果になったのだろうか?
ひとつにはぼくがたとえばお祭りなどイベントの混雑が苦手だからだけれど、当時のコンデジの動画機能では、雑踏の中ではブレにブレて満足な撮影ができなかったことも理由に挙げられるかと思う。
しかし一番の理由は、ぼくには動画撮影の才能がまるでないことだと思う。どう撮っていいのかわからないのである。ただ動いている画面を見せられたって退屈するばかりで、やはり起承転結をそなえた構成は必要だろう。それには当然編集作業がともなうから、動画を扱うアプリも必要なら、その操作も勉強しなくてはならない。作業には時間もかかるだろう。
撮りたいと思う題材もなければ、撮ろうとする熱意もなく、撮影の技量もないのではお話にならない。とはいえ動画自体は嫌いじゃないから、人様の撮った作品はありがたく拝見しているわけで、最近は腕のいい方が多くて感心している。
動画を撮る方が増えたおかげで、カメラの性格も明らかに変わってきた。高級な一眼カメラを使えば、アマチュアでも才能さえあれば高画質の「映画」を撮ることだって可能なのだから驚きである。ただしスチル写真のようにまぐれで(笑)そこそこの作品ができてしまうことはめったにないような気がする。総合的な構成力が要求されるからだ。
なにはともあれ、表現の可能性が拡大されるのはいいことだと思う。政治の世界ではろくなことがないだけに、せめて映像の分野ではやる気のある若者(もちろん爺さん婆さんでもいいけれど)が活躍されんことを祈っている。たとえ高価な機材は買えなくとも、普及品を駆使してアッと驚くような作品を見せてほしいと思う。
このたび過去の動画を見直してつくづく自分の才能のなさに嫌気がさしたし、もはや船舶荷役を撮る機会もなくなったので、ぼくはおとなしく散歩写真を撮りつづけることにした。動画ファンよ、がんばれ。
【追記】大事なことを書き忘れていた。動画撮影というのは、あたりまえの話だが、一定の時間連続して撮りつづけなければならない。たとえば散歩の場合で考えると、気分次第でシャッターを切ったり切らなかったりするのとちがって、足元に気を配りつつ長時間集中しなくてはならないから、とても散歩を楽しむどころではない。そんな苦労をしてまで撮りたくはないのである。


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