Daily Oregraph: 5月24日 観瀾山にて
5月24日
山のふもとには神社があって、石段を上ればあるいはそのままてっぺんまで行けるのかもしれないけれど、無駄足を踏んで体力を消耗したくはなかったので、鳥居の左に見える舗装道路をたどることにした。
案内図によれば、この先にある駐車場からまっすぐ展望台方面へ至る道がある。自動車さえあればなんの苦労もないのだが、徒歩旅行者にはちょっとしんどそうだ。
しかし見よ。上の写真の場所の少し手前に「至 展望台」の道標が立っているではないか。幸いまだ草深い時期ではなかったからみつけたものの、もしこれを見落としていたら、ひどく遠回りをしてエネルギーを浪費したはずである。
ところがこの近道、石段の幅がおそろしく狭く、見るからに歩きにくそうであった。最近できたものでないことは明らかで、たぶん太宰一行もわざわざ遠回りはせずに、この細い近道を登ったのではないかと思う。
案の定この細道は歩きにくかった。足を滑らせないように気をつけながら登るのだが、いくら低いとはいえ山は山である。なにしろ去年あたりからめっきり膝のバネが弱っているから、やっとの思いで最後の一段を踏みしめると、こんな景色が出迎えてくれた。付近には句碑のたぐいが点在している。
すぐ左(北)にはちいさな社があった。ふもとの神社との関係はわからない。さらに左へ進むと木造の展望台らしき建物があったけれど、結局景色は十分堪能できたから、この日は立ち寄らなかった。
方向を右(南)に取って歩くとすぐ、正面にゴロンとした岩と、その右手前に縦長の石碑が見えてくる。
「観瀾山」の石碑。大正12年7月26日にこの山に登って観瀾山と名づけた久邇宮邦久の書である。陸奥湾を見下ろす山にふさわしく、「瀾」は波の意。
この岩が太宰治文学碑。『正義と微笑』からの引用文が刻まれている。
かれは
人を喜ばせるのが
何よりも
好きであった!
文学碑は崖っぷちにあって、眺めはすこぶる良好、蟹田の町を一望できる。
さきほど入口前を通りかかった、むつ湾フェリー乗り場とトップマストと称するフェリー案内所を兼ねた施設。ちょうどフェリーが接岸中だったので、下山後立ち寄ってみることにした。
ぼくには文学碑めぐりの趣味はないけれど、これもなにかの縁である。せっかく来たのだから、石碑の裏側に置かれていた古い木製のベンチに腰かけて、景色を味わいながらしばし休憩した。あたりには人っ子ひとりいない。
あいにくの天気ではあったが、暑からず寒からず、虫に悩まされることもなく、観瀾山見物の目的を無事達成できたのだから、まずはめでたし。
いつのまにか時刻は12時半を回っていた。
私たちは桜花の下の芝生にあぐらをかいて坐つて、重箱をひろげた。これは、やはり、N君の奥さんのお料理である。他に、蟹とシヤコが、大きい竹の籠に一ぱい。それから、ビール。
ぼくは手ぶらだから蟹もなければビールもない。よろしい、山を下りて何か食うとしよう。
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