Daily Oregraph: 5月23日 青森市 善知鳥神社
5月23日
八甲田山丸の見学を終えて観光ガイドマップを見たら、善知鳥神社と奥州街道終点の碑というのが目にとまった。「善知鳥(うとう)」とはまた奇妙な名だなと思ったけれど、たいした距離ではないので見物することにした。
由緒書きを読むと古社である。善知鳥中納言安方という人物が実在したかどうかは不明だが(名前が「うとう-やすかた」とはどうも怪しい?)、翌日訪れる予定の「外ヶ浜」鎮護の神というところに興味をひかれた。
謡曲善知鳥之旧蹟。旅に出るとおのれの無知さ加減を思い知らされることが多い。へえ、謡曲「善知鳥」ねえ。謡曲「善知鳥」も善知鳥神社も知らずにジジイになってしまったとは……
そこで帰宅後手元の謡曲集(本棚にあるところだけは立派(笑))を開いてみると……
舞台に現れたのは、バチ当たりの観光客ではなく、旅の坊さん。
われいまだ陸奥(みちのく)外の浜を見ず候ふほどに、このたび思ひ立ち外の浜一見と心ざして候。
途中越中立山の霊場巡りを終えて山を下ると、ひとりの翁が現れて僧を引き留め、「外の浜へ行かれたら、昨秋亡くなった猟師の妻子の宿をたずね、証拠の品としてお渡しするこの衣の袖を見せて、供養をするようお伝えください」と頼むのであった。
つまりこの翁はその猟師の霊であって、陸奥へ旅立つ僧を、泣く泣く見送りて、行く方知らずなりにけり……というわけで姿はどこかに消えてしまった。
すると次の場面ではいつの間にか旅僧は外の浜に到着しており(これぞかかるふしぎなることこそ候はねである)、土地の者が教えてくれた猟師の家に着き、わけを話して幽霊から預かった衣の袖を妻に手渡すと、たしかにそれは亡き夫のものにちがいない。
僧と妻とが供養をはじめると幽霊が出現して、陸奥の外の浜なる呼子鳥鳴くなる声はうとうやすかたと歌う。ここで「うとう」が登場するわけである。うとう(善知鳥)は、広辞苑によれば「チドリ目ウミスズメ科の海鳥。大きさはハトぐらい」とのこと。
「うとうやすかた」も広辞苑にあり、「陸奥国外ヶ浜にいたという鳥。親が「うとう」と呼べば、子が「やすかた」と答えるという。うとう」と説明されている。つまりこの鳥は「うとう」または「うとうやすかた」と呼ばれる。
生前殺生を重ねた猟師はかつて「うとう」の習性を利用し、親のふりをして「うとう」と呼び「やすかた」と答えた子をみつけて殺した報いを受け、冥土では化鳥と変じた善知鳥に苦しめられるつらさに耐えかねて、
安き隙(ひま)なき身の苦しみを、助けて賜べや御僧、助けて賜べや御僧と、言ふかと思へば失せにけり。
……というのが謡曲「善知鳥」のあらすじである。
同じく境内にあった菅江真澄歌碑に見える一対の鳥が善知鳥らしい。親子なのだろうか。
さて奥州街道終点の碑を探してみたけれど、どこにも見当たらない。お守りなどを売っている巫女さんにお聞きしたら、境内にはありません、すぐ外にあります、という。
なるほど塀際に碑は立っていた。奥州街道終点記念の碑とある。石材の選択を誤ったか、表面の反射によって読みにくいのが難点だと思う。
奥州街道は正式には江戸から白河までらしく、その延長としてここを終点とするか、外ヶ浜沿いに現在の国道280号線を通って三厩までつづくとするかは意見の分かれるところかもしれない。
いずれにしても翌日蟹田へ行く予定だったから、外ヶ浜ゆかりの善知鳥神社へ立ち寄ったのもなにかの縁なのだろう。
Comments
善知鳥中納言安方…允恭天皇の時代に中納言というのが怪しいですねえ。まあ、それはともかくとして祭神の御三方は宗像三女神で、海の守り神ですから、外ケ浜の方もしっかりと守っているんでしょうね。
Posted by: 三友亭主人 | June 22, 2025 08:28
>三友亭さん
人々に漁猟と耕作を教える中納言様とは、いったいどんなお公家さんなのでしょうか? 庭で青菜でも栽培していたんでしょうかね(笑)。
Posted by: 薄氷堂 | June 22, 2025 12:58