Daily Oregraph: 5月24日 青森~蟹田 観瀾山へ
11時01分青森発津軽線蟹田行き改札。あとでわかったのだが、左に見える女性は青い森鉄道の車掌さんである。
これが蟹田行き普通列車。このたび思ひ立ち外の浜一見と心ざして、この列車に乗ろうとするところ。
一つ前の写真に見える表示板からもわかるように、津軽線は2022年8月の大雨災害以降蟹田から先は運休中であり、この線自体いつ廃線になるかしれないので、今のうちにぜひ乗っておきたかったのである。
そこで編み出したのがモンドリアン風写法(?)。ただし車内が混雑しているときにはこの手は使えない。
定刻の11時38分に蟹田駅着。列車はそのまま青森行きとなって12時10分の発車まで駅に待機する。
駅舎に入ると「蟹田ってのは風の町だね」というせりふが旅人を出迎える。うすうすお察しのとおり、こういうキザな文句の似合う人物といえば……
その(観瀾山かんらんざんへ行く)前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田つてのは、風の町だね。」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である。そよとの風も無い。(太宰治 『津軽』-以下引用文はすべて同書より)
このときから蟹田は蟹の町であるとともに「風の町」となった。住民のみなさまもすっかり気に入ったらしく、あちこちで「風の町」ということばを見かけるのである。
この日はあいにくの曇り空だったが、ほとんど風はなかった。風がなくとも風の町と思わせるのは、さすが太宰というべきか。
駅舎は新しく清潔だ。れっきとした有人駅でみどりの窓口もある。
駅舎と駅前通り。まっすぐ(東に)進むと、すぐに国道280号線に突き当たり、写真では左が北で三厩方向、右が南で青森市は29キロ先である。
津軽半島の東海岸は、昔から外ヶ浜と呼ばれて船舶の往来の繁盛だつたところである。(中略)さうして蟹田町は、その外ヶ浜に於いて最も大きい部落なのだ。青森市からバスで、後潟、蓬田を通り、約一時間半、とは言つてもまあ二時間ちかくで、この町に到着する。所謂、外ヶ浜の中央部である。戸数は一千に近く、人口は五千をはるかに越えてゐる様子である。
かつての蟹田町は現在外ヶ浜町の一部となっているけれど、外ヶ浜の中心地たる地位はゆるがず、外ヶ浜町役場の本庁は蟹田地区にある。
外ヶ浜町の人口だが、ぼくがネットでざっと調べたかぎりでは、昭和35年には18,259人であったものが平成12年には9,170人と半減し、平成27年には6,198人(うち蟹田地区は2,978人)とさらに減少している。外ヶ浜町の2024年5月1日時点の推計人口は4,541人、という記述もあるから恐るべき減り方で、津軽線の今後について心配になるのも当然だと思う。しかもこの人口減は、ほかの地方の住人にとってもとても他人事ではないのである。
駅前には「駅前市場 ウェル蟹」なる施設がある。ここには帰りがけに寄ってみた。
さて国道280号線に出て北へ向かい、この日の目的地観瀾山をめざそう。
少し進むと「観瀾山公園 1km」という標識がある。正面に見える緑の丘がそれらしい。しゃれた写真スタジオがあるのは、この町がただの田舎町ではないあかしのように思えた。
やがて橋が見えてきた。橋の手前にあるマツオスーパーは、このあたりでは名の知れたお店らしいので、帰りに入ってみることにする。
蟹田橋。親柱は蟹の爪を模したかたちである。「世界文化遺産 大平山元遺跡」という看板が少し気になるけれど、9キロも先なのでは徒歩だと無理だから、見なかったことにしよう(笑)。
蟹田地方には、蟹田川といふ水量ゆたかな温和な川がゆるゆると流れてゐて、その流域に田畑が広く展開してゐるのである。
蟹田川河口。曇り空のせいもあってか、実にさびしい風景である。
橋を渡ってしばらく進むとむつ湾フェリー乗り場入口にさしかかる。ここも帰りに寄ってみよう。
観瀾山。私はれいのむらさきのジヤンパーを着て、緑色のゲートルをつけて出掛けたのであるが、そのやうなものものしい身支度をする必要は全然なかつた。その山は、蟹田の町はづれにあつて、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。
太宰は数人の友人たちとともに観瀾山で花見をしたのだが、この日ぼくは単身この小山に登った。
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