Daily Oregraph: 5月23日 八甲田丸見学
5月23日
船体は(当然ながら)多数のロープでがっちり係留されている。もちろん実際に使われるロープの数は運行時にはずっと少ないはずだ。
乗船口。ぼくは青森側についてはよく記憶していないが、函館で乗船するときには、乗客が荷物をかかえて長い通路を駆けていたことをよく憶えている。当時は乗客が多かったから、だれもが寝場所を確保しようと必死だったのである。
船内では床に順路の線が引かれている。以下、順路に沿ってざっとご紹介したい。
人形を使用した展示は独創的なもので、青森港付近で呼び売りしていた女性たちや、連絡船を利用して商売していた担ぎ屋のおばちゃんたちなど、かつて(たぶん戦後から昭和30年代あたり)の主な乗客層がよくわかる。
昔の時刻表や運賃表などが展示されていた。ちょっと記憶をくすぐられるものがある。
人形による展示はたくさんあったけれど、これなどは傑作だと思う。担ぎ屋のおばちゃんと闇米を取り締まる警官らしい。実によく出来ている。
ほとんどの人形は顔の色つやもよく、元気に満ちているのだが、船長室の人物だけは心労のせいかションボリしている(笑)。おやおや、キャプテン、どうなさいましたか?
乗船名簿はたしかに書いたはずだが、すっかり記憶が薄れている。
順路に従うと、ブリッジを出てファンネルへ向かう。ファンネルのてっぺんが展望台になっているのだ。
ファンネルの中を通って展望台に至る。ファンネルの内部はなかなか見る機会がないから、これだけでも入場料を払う価値は十分にあると思う。
展望台を降りると、ふたたび船内に入ってエレベータで下に降り、まずは船尾。ここで可動橋のレールと接続して列車を引き入れる。写真には撮らなかったが、本物の車両もいくつか展示されているから、列車オタクの方には興味深いだろう。
エンジンコントロールルーム。一部省略したところもあるが、これで一通り見学を終えたことになる。
展示はよく整えられていて感心したけれど、ただひとつ残念だったのは、かつて利用したカーペット敷きの雑魚寝部屋を見られなかったことである。
混んでいるときはその雑魚寝部屋にもぐりこむことさえできず、船内をうろうろしていたことを思い出す。ぼくが連絡船のお世話になったのはだいたい昭和40年代の半ばだったが、まだ担ぎ屋さんとおぼしき人々がいて、混雑時には通路に新聞紙を敷いて坐っていた。
うまくスペースを確保できてごろ寝しながら、夢うつつに方言を聞いていると、まるで異国の船に乗っているような気分になったものである。
この八甲田丸もいつまで公開されるのかはわからない。船体も劣化するだろうし、維持費もばかにはならない。乗船券大人一人510円也。見どころが多く、がっかりすることはないので、ぜひ見学して船体維持にご協力いただきたいと願う。
なお函館港では十和田丸を見学できるはずなのでぜひ行ってみたいが、函館はある意味東京よりも遠い(笑)。
次回は奥州街道終点の地を見物する。
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