京都足棒日記 ふしぎいなり編 (3)
よく山道は下りに気をつけよという。膝を痛めやすいからだろう。
若い頃はそんなバカなと鼻で笑っていたのだが、このたびは予想外に下りに時間がかかったのには愕然とした。かつてはタッタッタッと軽やかに駆け下りることができたのに(ベートーヴェンの交響曲第8番第2楽章冒頭を想起されたい)、なんということだ!
それでも登りよりずっと楽なことはいうまでもなく、途中店先をながめる余裕もできたのはなによりであった。
ところでお稲荷さんといえば、どうしてキツネなんだろうか? 少し長いけれど、『京都の旅 第1集』(松本清張・樋口清之 共著 光文社文庫)から引用してみよう。
元明天皇の和銅四年(七一一年)に、賀茂氏の出身の賀茂の伊呂具(いろぐ)という者に秦公(はたのきみ)の姓を与えて、山城の秦氏をおさめさせた。
この伊呂具が、あるとき、餅をつくって的にし、矢を射たところ、餅は白い鳥になって飛び立ち、それがいまの稲荷山にとどまって、そこに稲がはえたので、ここを稲成り(いねなり)と呼び、稲成りの神をここにまつらせたのが、いまの稲荷神社のはじまりと伝えている(『山城国風土記』 逸文)。
(中略)稲荷の社は、祭神としてはウガノミタマノカミなどをまつっている。そして食物は御饌(みけ、みけつ)ともいわれた。この神は食物神、すなわちミケツの神であるが、ミケツ→ケツ→キツ→キツネと音から転じて、稲荷は狐だと思われるようになる。そこへ仏教のもってきた印度の稲の神が、頭に狐のかんむりをのせた陀枳尼天(だきにてん)であった偶然から、いよいよ稲荷は狐の姿をした神であると、つよく信じられたらしい。
つまり最初にキツネありき、というわけではなかったらしく、キツネは神様に昇格して得をしたことになる。
登りとは別の道を下った証拠写真。正面がいま下ってきた道で、左手が清瀧社へ向う道である。
この写真の登場人物はいずれもリュックを背負っている。なるほど低い山だと甘く見ず、ちゃんと準備しておくに越したことはない。先達はあらまほしきものなり、である。
ふたたび四ツ辻へ。登るにも下るにも、ここは格好の休憩場所である。ぼくも一服。
朝よりも人出が多いようだ。レンタル着物カップルはもちろんお山には登らずに戻るところであろう。それが賢明だな(笑)。
ちょうど12時を回ったところだったから、うまそうな焼だんごにも心ひかれたけれど、行列を見て退散した。
帰りの電車を待つホームから。
踏切を渡る参拝客の数にはビックリ。しかも人種のるつぼである。
結局この日はぐったり疲れて部屋に戻ったのだが、大体の地理さえ飲みこめば、二度目はさほど苦労せずに山頂まで登れるような気がしないでもない。
いつ果てるともしれない石段が疲労を誘うわけで、ここまで来ればあと一息という見当さえつけば、気持に余裕ができる。握り飯とお茶の用意があればピクニック気分だろう。
ぼくはたぶんもう二度と登らないと思うが、あなたも地図とリュックを用意してぜひ挑戦してはいかが? ただし真夏にはおすすめできない(笑)。
Comments
ここも一度は行ってみたいと思っている場所なんですが・・・
他にも京都にはいってみたいなと思いつつ、いつかきっと行ける・・・って感じで、まだ行っていない場所がたくさんあります。
中途半端なんですよね、京都と奈良は。
ゆっくり見ようと思えばどこかにとまったほうがいいし、かといって、この距離で止まるのももったいないし・・・
Posted by: 三友亭主人 | April 14, 2017 22:54
>三友亭さん
このたびは地理不案内のため、山を登るのに精一杯でしたが、詳しい地図を見ると、途中見所がいくつもあるようです。
一日かけてゆっくり歩く値打ちはあるかもしれませんね。
> ゆっくり見ようと思えばどこかにとまったほうがいいし
それはよくわかります。ベースキャンプあればこそ、あちこち回れるわけです。
京都~奈良、あるいは大阪~京都または奈良もそうですが、日帰りの連続ではとても余裕がなく、やはり宿は必要ですね。
となれば、それなりにお金がかかりますから、ちょっとつらいものがあります。三条大橋下の河原に筵を敷いて旅枕というのもありかと……(笑)
Posted by: 薄氷堂 | April 14, 2017 23:17