Daily Oregraph: 彼岸散歩
彼岸である。ぼくは戒名も墓も一切不要と考える不信心者ではあるが、足の弱った母の名代として寺へ行ってきた。慣習とはげに恐ろしきものなるかな。
風が冷たいのも道理である。港町岸壁の水面には、またしても川の氷が流れこんでいた。
港町から南新埠頭へ向う道路は、今なお昭和の空気が漂っており、ぼくのお気に入りである。景色の好みに関していえば、ぼくは保守本流なのかもしれない。
この道路から港町を見るとこんなぐあい。雌阿寒連峰が小屋の右手に見える。
こんな小屋に独り暮らしして、朝な夕な雌阿寒を眺めるのも悪くはないなあ。いかなる人の住み給ふぞと、戸をトントン叩いてみたら、やがてボロボロの衣をまとった白髪の翁が現れ、
-いかにこの屋の内へ案内申し候。
という。案内申すもなにも、入ったらすぐに壁に突き当たりそうな小屋なのだが、親切はありがたい。
-そもいかなる人ぞ。
と問うても、笑って答えない。手招きして小屋へ入っていくのである。
いわれるままに小屋の内をのぞくと、腐れかかった畳の上には、寝袋や焼酎の壜や、哲学書や仏典にまじってエロ本などが散乱し、テーブル代りの段ボール箱の上には、食べかけのマルちゃん赤いきつねがうっすらと湯気を立てている。
どんな素性の人か判断しかね、ポカンと口を開けて見ていると、うす汚れたコップが差し出されたのには驚いた。にごり酒である。
酒飲みというのは反射的にコップに口をつけるものだ。ちょっと酸味があって、甘酒から甘味を抜いたような感じである。
ああ、昔の酒とはこんなものだったのだろうか……とウットリして翁のいるべき方向を見れば、ふしぎや、忽然とその姿は消えており、小屋の中にはただ漁網やロープが積まれているばかり。
ぼくは膝を打った。そうか、ちょうど彼岸だから、鴨長明さんの幽霊が出現して、ぼくの不信心をとがめたのであろう。こりゃあ一本取られたわい。
それにしても赤いきつねとは……(笑)
Comments
>ぼくは保守本流なのかもしれない。
私なんかそれよりもはるか前の時代にあこがれて大和に出てきあしたからね、その意味では超保守。
けれども、かつての保守本流は、今の時代では相対的にその位置が左の方に移動してきた感がありますよね。
ある右翼思想家が、
自分自身の考えは何にも変わっていないと思うのだが、ふと周りを見回すと、世間が随分と右に行ってしまった。
・・・なんておっしゃった方がいらっしゃるのを思い出しました。
そうそう天皇陛下がしていらっしゃること、おっしゃっていらっしゃることを一般人がしていると、あるいは言っていると・・・一部の人は、確実に「サヨク」と言われそうですもんね。
Posted by: 三友亭主人 | March 19, 2017 08:13
>三友亭さん
いま保守を名乗っている人々が、実は利権にまみれており、旧来の価値をことごとく暴力的に破壊しているのだから笑わせます。
たとえば若者を非正規労働者として働かせ、将来への希望を奪った結果、自分が食うだけで精一杯だから、とても親の面倒まで見切れない状況に追いやっておきながら、いけしゃあしゃあと親孝行などの道徳を説くのは如何?
連中が隠れ蓑として使うのが愛国心なのだから罪は重く、必ずや仏罰が下るでありましょう。お坊さんたちはお布施の勘定ばかりしていないで、今こそ護摩を焚いて朝敵(笑)を呪うべきかと……
Posted by: 薄氷堂 | March 19, 2017 10:36