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November 20, 2014

Kyotorogy 2014: 大垣ワンダーランド (2)

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 -あの看板がそうかい?

 御首(みくび)神社とはまたものすごい名である。

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 ガラガラに空いた駐車場に車を停めて鳥居をくぐる。境内は決して広大とはいえないが、そこそこの規模である。

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 拝殿はなかなかの風格で、木製の格子の落ち着いた色合いといい、全体にシンプルな美しさが漂っている。「御首」というギョッとするような名とはいささか不調和な感じさえする。

 車中麦穂亭から大体の説明は受けていたが、由来書きを読んでみよう。

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 一族の内紛に勝利した将門はやがて関東一円を支配し、新皇を名乗って下総国猿島郡を都としたため、天慶三年(940年)平貞盛・藤原秀郷の連合軍に敗れて、同地で斬首されたというのが天慶の乱のあらすじである。

 将門の首が京都から関東に向けて飛行したというのは、むろん途方もない法螺話にちがいない。しかし菅原道真にまつわる優雅な飛梅の話とはちがって、ザンバラ髪の武者の首が空を飛ぶという空想には凄みがある。

 首の飛行したのが昼夜いずれであったのかは不明だけれど、ぼくは断然夜空を選びたい。すさまじい形相をした首が火球のような光を放って、低空を高速で通過する。それを見た人々はビックリ仰天して腰を抜かしたにちがいない。

 それにしても、なぜ美濃国南宮神社(大社)の神様が「異変を知り」将門の首を射落としたのか、どうもよくわからない。だが飛行中の首に向かって矢(麦穂亭にいわせれば対空ミサイル)を放った神様が、朝廷の支配下にあって国防に従事していたことは確かである。神社の果たしてきた役割のひとつがうかがわれる好例だと思う。

 -へえ、矢の通った道だから矢道町か。話がうまく出来すぎているなあ。

 -矢道町て、ほんまにあるんやて。

 南宮大社から御首神社までは直線距離にして約5キロ。いかに大力の神様だって地上では力学の法則に従わざるをえないのだから、矢の射程距離を考えれば、いくらなんでも無茶な話だ。

 もちろん理工系出身の麦穂亭はそんな話を信じてはいないのだが、ほんまに矢道町がある以上、将門の首がこの神社の近くに落下したのは史実にちがいないといわんばかりの口ぶりである。

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 -ねえ、あれはなんだろうなあ?

 -さあ。

 この神社には何度もお参りしているはずの麦穂亭も気づかなかったらしく、首をかしげている。
 
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 これらは飛んでいるところを射落とされた人々の帽子ではなく、

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 う~む、つまり首上に関するもの一切にご利益があるらしい。だから学業成就もかなえられるというのだが、一代の英雄将門といえども、学問においてはとても天神さんにはかなうまい。

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 この神社の絵馬がまたすごい。帽子といいインパクトのある絵馬といい、なんだか大垣という町が好きになってきた(笑)。

 しかし同時に頭が混乱して、日本の神様の正体がだんだんわからなくなってくる。境内を散歩してありがたがっているうちはいいけれど、二十一世紀の市民としては、用心もまた必要であろう。

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 美濃国特産のさざれ石。これが君が代にいうさざれ石なのかどうかはぼくにはわからないけれど、とにかくさざれ石であるらしい。

 さざれ石はいいとしても、愚かな指導者のもとでの一億一心がいかに悲惨な結果を招いたか、それだけは忘れてはなるまいと思う。

 さて予想以上に強く印象に残った御首神社であったが、矢を放った神様の神社にもお参りせねばこの話は完結しないと、車に戻った麦穂亭は頑固に主張した。そこで南宮大社へ向かうことになるのだが、途中で立ち寄ったのがまた風変わりなお寺であった。

 次回へつづく。

【付記】 10月11日に京都の護王神社を訪れたぼくはアッと驚いた。

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 なんと日本一のさざれ石。やはり美濃国産である。発見者のお名前も御首神社の碑文に同じ。美濃恐るべし。

 護王神社の石碑に埋め込まれた金属板は反射して読み取りにくいので、ちょっと加工してみた。ご参考までに。

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