Kyotorogy 2014: 人と車と自転車と
本日は狭い道路が迷路のように入り組んだ京都の道路事情について、ちょっとだけごらんいただきたいと思う。
この写真は2014年10月14日に北区大宮で撮影したものだが、このあたりは道路の幅にも余裕があった。以下の写真はほとんど西陣界隈で撮影したものである。
こんな狭い道を車が通れるものかどうか、軽四でギリギリか?(2014年10月2日撮影)
こういう場面で俄然機動力を発揮するのが自転車である。(2014年10月2日撮影)
この標示では、自転車が飛び出すから歩行者は注意せよというのか、歩行者の飛び出しに自転車は注意せよというのか、ちょっとわかりにくい。しかしわざわざ足の置き場まで指定されているからには、たぶん前者であろう。(2014年10月2日撮影)
大路小路を問わず、とにかく自転車が目立つ。(堀川通り。2014年10月2日撮影)
スーパーの前はおばちゃんたちの自転車だらけだ。北海道のライフスタイルとのちがいを痛感させられる光景である。(2014年9月29日撮影)
自転車の運転ぶりがまたすごい。縦横無尽、傍若無人、バス停に近づくバスの前を必死にこぐ人もいれば、一瞬の隙をうかがってすばやく大通りを斜めに渡ったり、曲芸のようなマネをする人もいる。
ほとゝぎす平安城を筋違(すぢかひ)に 蕪村
適切かどうかはともかく(笑)、ついそんな句を連想してしまった。
しかも若者ばかりではなく、いい年をしたおばちゃんまでが特攻隊まがいの運転をするのだからたまげてしまった。背後からチリリンとベルを鳴らして、歩行者すれすれに通過していく人もいる。
「おのれ無礼者め、道交法違反なるぞ!」と一喝してやりたくなるほどで、歩く身にしてみればうっとうしいことこの上もないけれど、よく考えてみれば、だれも守らないし守れもしない法律なんぞに意味はないのかもしれない。
それでは狭苦しい路地裏における自動車の運命やいかに?
「×この先道路狭し」というのだが、結局車の通行は可能なりや否や。たぶん通れないことはないけれど……という掲示なのであろう。(2014年9月28日撮影)
「車の通り抜け困難」とは、軽四ならぎりぎり通行可能だが、3ナンバーなんかで入ってくるな、という警告であろうか。(2014年9月26日撮影)
ついに出た「自動車の通行不可能」。だから入るなといったじゃないの。上手にバックして戻ってね。(2014年9月26日撮影)
「軽四 通行止」というからには、過去に軽四で通行した猛者がいたはずである。この道幅では、あきらかに道路をふさいでしまうから、迷惑この上もないにちがいない。
爆発した怒りは住民以外の侵入者全体にも向けられ、ただではおかぬという決意がみなぎっている。この先道路はどうなっているのかな、とおおいに興味を感じたのだが、さすがに遠慮せざるをえなかった。(2014年9月28日撮影)
結論。こういう地域で車を走らせる度胸はぼくにはない。
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