September 14, 2014
September 13, 2014
Daily Oregraph: 水難除け
昨日撮影した一枚。だれかが水に飛び込んだわけではないからご安心いただきたい。
この光景を目にして連想したのが、David Copperfield に登場する caul である(発音は call に同じ)。
主人公は caul をつけて生まれたのだが、それを 15ギニーで売るという広告を新聞に出した、てなことが書かれている。はてな、なんでそんなものが売れるのだろう。ランダムハウス英和第 2版を調べると、
大網膜:時に新生児(胎児)の頭部を覆っている羊膜の一部。▶幸運の印と考えられる。
しかしこの定義ではいささか不十分で、ピンと来ない。リーダーズ英和辞典の定義のほうがすぐれている。
コール《出産時に時々胎児の頭をおおっている羊膜の一部; 昔は幸福をもたらすものとされ, 水難除けのお守りとした》.
この「水難除け」というのがポイントで、実際 David のコールは15ギニーでは売れなかったが、のちにある老婦人が 5シリングで入手し、「彼女はけっして溺死することなく、92歳になってめでたくベッドで大往生した」とある。
昔の英国では妙なものをお守りにしたものだが、たぶん胎児が羊水の中にプカプカ浮かびながら発育するところから水難除けとされたのであろう。この手の話は南方熊楠先生の十八番だろうからから、もしどこかで言及しているのをみつけたらご報告するつもりである。
ところで女難除けはぼくには不要だけれど(笑)、酒難除けのお守りはないものだろうか?
September 11, 2014
September 10, 2014
Daily Oregraph: 人を見たさに
明日からはディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』に取りかかることに決め、本日は休養日とした。え、いつも休養日じゃないかって? これはどうも恐れ入りました。
そこで、先日札幌市内をふらふら歩きながら手当たり次第にシャッターを切った写真を何枚か並べてお茶を濁すことにしよう。しょうもない写真なのは重々承知しているけれど、傑作をものにしようなどという邪念がないのは、もはや達人の心境といっていい(笑)。
最近この手の写真が撮りにくくなった。なるべく顔がわからないように撮らないと、どこから苦情が来るか知れないからだ。日本もケチな国になったものである。
だからなるべく顔がはっきり写らないようにしたつもりである。しかし不幸にして顔が判別できるものについては、目にはすべてボカシをかけておいた。すべて白黒に変換して、コントラストをうんと強め、ノイズを加えたのもそのためだ。
この漫画(壁画?)にはビックリしたよ。
おねえさんが見入っているのはスマホだろうか。最近こういう光景を目にすることが多い。
どうしてむやみにこんな写真を撮りたくなるかというと、釧路ではふだん街にこれほどの人が歩いていないからである。
活気のない釧路といえども、もちろんイベントでもあればわんさと人は集まるが、松竹大船調ファンのぼくとしては、非日常というのはおもしろくない。
人混みのきらいな男が人を見たさにときどき大都会へ行きたくなるというのは、いかなる心理の働きなりや、頭のいい方にお教えいただきたいものである。
September 09, 2014
Daily Oregraph: 食いつけないご馳走
-なんだい、これは?
-見りゃわかるだろ、ケーキだよ。
-だれが食うんだ?
-おれが食うに決まってるさ。
-ふん、君くらいケーキの似合わない男もめずらしいけどな。
というわけで、『アンナ・カレーニナ』を読み終えた記念にケーキを食べたのだが、
-へえ、で、感想は?
-なにしろ大長編だからね、腹が一杯になってしまった。胃袋に血が集中して、考えがまとまらないよ。おまけに最後は大演説で終わるしさ。
トルストイは若い頃は酒色にふけり、傲慢で鼻持ちならぬ男だったらしい。無類の女好きで、モームなどは作品を高く評価しつつも、彼を「好色漢」とまでいっている。実際農奴の細君に手を出して私生児をもうけ、夫人との間には子供が13人もいたというから、精力絶倫であったことはたしかである。
いったん失った信仰を取り戻して独自の思想に至り、非戦論などを唱えてからは一種の聖者として熱心な読者に崇拝されたらしい。わが白樺派などもその口であろう。しかし仲よきことは美しき哉とはいかず、あまりにも風変わりな理想に取りつかれた挙句、細君とは不仲になるし、やることなすことうまくいかず、晩年はずいぶん苦労したという。
作品はさすがに白樺派の寝ぼけた小説などとはスケールがちがう。多数の登場人物の性格をみごとに書き分け、千頁を越す大長編を一気に読ませる手際はとても凡手の及ぶところではない。聖者あるいは道徳家かどうかは別にしても、大作家であることはまちがいないと思う。
-でもなあ、ふだんお茶漬けサラサラですませている人種にしてみれば、いきなり食いつけないご馳走を目の前にしてとまどう気分になることもたしかだね。
-そりゃあ、消化不良だな。第一君には精力がなさすぎる。
-うん、おれはケーキをひとつ食うのもやっとだからなあ。
September 07, 2014
Daily Oregraph: 裏庭画報 ナナカマドの実
まだ真っ赤に熟してはいないが、ナナカマドの実が色づいてきた。
ナナカマドの実などはかじったって苦いばかりで、たいしてありがたみはないようだが、冬になって雪の上にぽつりと赤い実が落ちているのを見ると、ハッとするくらい目にしみるものだ。万緑叢中紅一点とはまたちがった趣があって、いとあはれなり。
こちらはサヤエンドウ。もうほとんど枯れているのだが、ツルの先端にはまだいくつか白い花がついている。花すなわち実だから、今日も小さいのを六つほど収穫した。敢闘賞を贈りたいくらいである。
しぶといのはサヤエンドウだけではない。ぼくだって捨てたものではないのだ。確実に白髪が増える一方で、髪の毛の先端はしぶとく成長し続けている。床屋へ行くだけの正当なる理由があるのだからえらい。
『アンナ・カレーニナ』は残すところ115頁。サヤエンドウに負けずがんばらねばなるまい。
September 03, 2014
Daily Oregraph: 橋を渡る
とうとう九月である。昨日は幣舞橋を歩いて渡った。18時20分で気温が19度とは、釧路にしては暖かいといえる。季節の変わり目には、去りゆく季節が案外しぶとく抵抗するものだ。
しかし確実に日が短くなってきた。この日の日没は17時57分である。
橋の上には港の夕景を撮影している人々がいた。ここからの景色はなかなか絵になりにくいけれど、日没後の空の色がみごとだったから、撮りたくなる気持ちはよくわかる。
この時間に橋を渡るからには……サンマや肉などを焼きながら、友人と一杯。どこぞのブログで拝見した白州のオンザロックなんぞを味わいつつ、他愛のない会話を楽しんだ。
千鳥足で幣舞橋を渡って帰ると、やけに大きい上弦の月が浮かんでいた。
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