Daily Oregraph: Kyoto 2012 消えたもの残るもの
風邪の引きかけだろうか、鼻水垂之助になったので、今日も簡単にすませて早く寝ることにしたい。
2002年9月18日。河原町通りの丸善前付近。
2012年12月7日。京都丸善が閉店したあとにできたカラオケ屋がこちら。滄桑の変ということばがあるけれど、これはなんと呼べばいいのやら。
しかし嘆くには及ばない。ほんの少しだけ北の BAL にジュンク堂書店が入り、丸善前に代わる新しい待ち合わせ場所としての役割を果たしている。京都最大を名乗るだけあって、たっぷり半日は店内で時間をつぶせそうだ。
2002年9月19日。北野下の森協同組合商店街。
今回は時間の都合により行けなかったのだが、当社京都通信員によると、この写真の左半分は残っているけれど、右半分は姿を消して駐車場に化けてしまったらしい。
これが消滅した右半分。いまとなっては貴重な写真である(たぶん(笑))。できれば来年にもわが目で確かめたいものだ。
京都だろうが奈良だろうが、古都だろうが田舎町だろうが、容赦なく変化の波は押し寄せるものである。しかししぶとく残っているものもないわけではない。
2002年9月23日。今小路通御前西入。北野の天神さん近くである。
2012年12月7日。同上。
なつかしい友と再会したような気分である。アサヒビールの看板は、あっぱれ応仁の乱以来無傷で残っていた。
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Comments
>京都だろうが奈良だろうが、古都だろうが田舎町だろうが、容赦なく変化の波は押し寄せるものである
数年前、昭和中期辺りまでの奈良の映像と、最近の奈良の映像を並べたものを掲載した本が出版されました。中には昭和中期の方のものの方が私にはなじみがあるような画像もあったりして・・・自分の古さを感じてしまいます。
Posted by: 三友亭主人 | December 13, 2012 22:49
>アサヒビールの看板は、あっぱれ応仁の乱以来無傷で残っていた。
ああ、あれですね。
京都の古老が「京都は前の戦さでみんな焼かれてしもぅて、古いタテモンは残ぉ〜てあらしまへん。」というので、若い学生が
「あれ?京都は戦災には合わなかったはずですが??」ってツッコむと、
「何言うますのん。応仁の乱ですがな!」嘘のようなホントの話です。
Posted by: アナログ熊さん | December 14, 2012 08:12
最後の行の訂正
×「何言うますのん。」
◯「何言うてますのん。」
京都弁は職業によって全然違ってきますので、完全再現はもう無理!
Posted by: アナログ熊さん | December 14, 2012 08:20
うーーーーむ・・・・丸善か?ジャンカラか?と聞かれたら、やっぱり丸善に手を挙げますけど・・・
関西はジュンク堂が強いですねぇ。
BALも長生き~!確か70年代の終わりくらいにBALビルで買い物をした記憶があります。
京都くんだりまで行って、東京のブランド洋服買ってた昔があったのでした。だははは
最後の酒屋画像は、瓦屋根頑張れ!って感じですねぇ。
Posted by: りら | December 14, 2012 08:26
>三友亭さん
> 昭和中期の方のものの方が私にはなじみがある
なるほど。じゃあ、ぼくなんかほぼ昭和中期製ですから、三友亭さんの好みにピッタンコかもしれませんね(笑)。
Posted by: 薄氷堂 | December 14, 2012 21:09
>アナログ熊さん
いくらなんでも応仁の乱当時にアサヒビールがあったとは思えませんが……(笑)
> 京都弁は職業によって全然違ってきますので、完全再現はもう無理!
京都弁はマネできませんね。マネしてもすぐにボロがでます。
だからぼくがスピードラーニングを信用しないのにはちゃんと理由があるんです。いくら聞いたって、聞くだけでは話せまへん。
Posted by: 薄氷堂 | December 14, 2012 21:15
>りらさん
朝日会館も健在でしたよ。外壁は手直しされていましたが。
ジュンク堂のほかに大垣書店という立派な本屋さんもありました。荷物になるので、京都では本を一冊しか買いませんでしたけど。
> 最後の酒屋画像は、瓦屋根頑張れ!って感じですねぇ。
しっかりパラボラアンテナが……(笑)
Posted by: 薄氷堂 | December 14, 2012 21:20