Daily Oregraph: The Discovery of the Truth
冴えない天気であった。新しいノコギリを買いに出かけた途中で、むりやり撮ったのが今日の一日一枚。太い枝を払うのに、オモチャのように小さいノコギリを酷使したため、ヘナヘナになってしまったのである。
さて The Discovery of the Truth というのは、The Moonstone 第二部の表題である。この作品は推理小説にふさわしく、pipe とはなんぞや? という、まことに手数のかかる問題をぼくたちに提供してくれた。
いよいよその真実が明らかになるときがきたのである。
以前祇園精舎の鐘はゴーンというヤボな音ではなく、澄み切った音色であることをお教えくださった読者の方が、またしても pipe について貴重な情報をお寄せくださったのだ。まことにありがたいことである。
一見急須のフタを外したようなかたちだけれど、これがルーマニアのパイプの全体像である。メールでお教えいただいたたサイトは、料理研究家小暮剛さんの海外出張日誌で、それによると、小暮さんはルーマニアの酒場でこのパイプをごらんになったという。
実物の写真は「ルーマニア:美味しい果実酒との出会い編」という項目に掲載されている。サイズは手のひらにスッポリおさまるほど小さいものだ。もちろんかたちにはバリエーションがありそうだけれど、なるほどこれなら原作の pipe にどんぴしゃりである。
思うに昔々はヨーロッパ中で広く使われていたものが、いつしか廃れて一般には使われなくなったのだろう。それが現代のルーマニアに残っているというのは興味深いことである。日本でも地方の旧家には昔の食器が残っていたりするから、イギリスあたりでも、探せばあちこちにあるのかもしれない。
しかし英米の辞書に記載されていない以上、19世紀、いやもっと以前から飲み物用の pipe が一般的に使われていなかったことはまちがいない。OED では19世紀は現代扱いだから、廃れたのはかなり古い時期のはずだ。問題の場面が田舎の漁村であることには意味があると思う。BBCのドラマでこれが使われていなかったのは、小道具の倉庫に見あたらなかったせいかもしれない。
そういえば急須型の銚子の口から直接酒を飲んだり、ヤカンの口から水をラッパ飲みするシーンを、映画で見た記憶がある。あれも pipe の仲間と考えられないこともない。もっと早く気づくべきであった。
メールをくださったOさんにあらためて感謝しつつ、今夜も一杯……グラスでね。
なお問題の原文はせいぜい中学校程度の英語である。それでもわからないものはわからないのだから、外国語をなめてはいけない。スピードラーニングとは無縁の世界もあるのですよ。
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Comments
いやあ、やっとたどり着きましたね。
おめでとうございます。
これもまた、薄氷堂さんのたゆまぬ探究心の引き寄せた結果。
誠に恐れ入ります・・・
しかしまあ、言葉とは難しいもので、これが外国語ならずともちょいと古い言葉になってしまうと、なにがなんだか皆目見当がつかないってこともしばしば。
でも、そこに疑問を持つ能力がないと、そこを追い求める楽しみに気が付かないんですよね。
Posted by: 三友亭主人 | November 18, 2012 21:06
>三友亭さん
ありがとうございます。でも今回のお手柄は、あくまでもメールでお教えくださったOさんのものです。
まさか日本人の方がルーマニアでパイプに出会ったとは……もっぱら Google UK を頼りにしていたぼくが浅はかでした。
よくネット検索で調べるのは安易だ、ということがいわれますけれど、ものによってはそうとも言い切れません。恐ろしく手間のかかることだってありますから。
> 外国語ならずともちょいと古い言葉になってしまうと、なにがなんだか皆目見当がつかない
ほんとうですよね。現代語だけをたよりに古文を読んだら、白を黒というほどの、とんだまちがいをしかねませんから、かえって現代日本語に近い一種の外国語だと考えて臨んだほうがいいかもしれません。
外国語にせよ母国語にせよ、ことばとは奥が深いものですね。
Posted by: 薄氷堂 | November 18, 2012 23:23
これですものねぇ・・・・小説の翻訳は本当に難しいことだと思います。
その地の生活習慣をよく知らないと引っかかることがあるのですよね。
パイプで物を飲むなど、一体誰が考えるか?ですわ。
「言葉」そのものもそうですけど、ちょっとした生活の習慣などの違い、価値観などの違いも大きいですよねぇ。
Posted by: りら | November 19, 2012 15:21
>りらさん
おっしゃるとおり、生活習慣が難物でして、こればっかりはにわか勉強ではどうにもならぬところです。
そうかといって、かりに19世紀のイギリスにアジア人が乗り込んだとしても、南方熊楠さんほどの度胸がないかぎり(笑)、いやな思いをするのが関の山でしょうしねえ。
Posted by: 薄氷堂 | November 19, 2012 20:36