July 07, 2025

Daily Oregraph: 裏庭画報 雑草の夏

 本日の最高気温は25.4度。晴れたり曇ったり。

 しばらく放置していた裏庭は雑草がはびこってえらいことになっていたので、先日から草むしりをはじめたのだが、

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ごらんのとおりのありさまである。

 ベニイタドリが最大勢力なのは毎年のことだが、今年はハタザオキキョウが恐ろしく増えた。ハタザオキキョウをわざわざ植える人がいるらしいけれど、ぼくとしてはおすすめできない。繁殖力が尋常ではないからだ。

 わが裏庭には数年前だろうか、いつの間にか勝手に根付いたと思ったら、むやみに増えて始末に負えなくなってしまった。上の写真ではそれほどでもないように見えるかもしれないが、ここはまだ少ないほうで、全体では優にこの数倍はあるのだからたまらない。

 茎は太目だし背も高い。花を見る分には「まあ、きれい」とおっしゃるかもしれないが、こいつがまとまって生えているところは暴力的で、恐怖を感じるほどである。(ベニイタドリもそうだが)このたちの悪い雑草を育てるなど酔狂にもほどがあるというものだ。

 昨日今日とベニイタドリとともに相当数切り倒したけれど、まだ半分以上も残っている。う~む、どうしてくれようか。

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July 05, 2025

Daily Oregraph: 5月25日 八戸-旅の終わり

5月25日

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 13時30分八戸駅到着。ここはもともと尻内駅だったのが2002年に八戸駅となり、それと同時にそれまでの八戸駅が本八戸駅に改名されたという経緯がある。

 2011年の東北新幹線延伸に伴い駅舎はずいぶん立派になったけれど、

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駅前通りにはビルが林立しているわけではなく、ちょっと拍子抜けの感がある。小雨模様だったので歩こうという意欲が失せ、結局確かめはしなかったけれど、この通りをしばらく前進すれば繁華街があるのだろうと思った。

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 この日は夕方に本八戸駅北口でA君と待ち合せる約束だったから、まだずいぶん時間はあったが、とりあえず14時半頃に約束の場所にやって来た。

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 やって来たのはいいが、相変らず小雨は降っているし、付近にはビジネスホテルが数軒ぽつんぽつんと建っているだけで、格別気分を引き立てるような景色でもない。この道の先には確実に繁華街があるとわかってはいても、歩く気力は湧いてこなかった。

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 こちらは南口。かつての八戸駅だから相当栄えていたはずだが、駅前の景色にその面影はない。

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 しかし一軒の古い旅館が目を引いた。大横綱大鵬やマラソンの円谷選手が「泊ったらしい」というのは、他人事みたいで奇妙な文句である。

 長期滞在歓迎というのは、いわゆる商人宿(ビジネスホテルの先駆?)というやつだと思うが、昔はたいていの町にこういう宿があったと記憶している。寅さんが泊まるならこういう旅館がふさわしいかもしれない。

 歩かない以上時間のつぶしようがないから、前日に八戸に入っていたA君に電話して、これからどうするか相談した。すると早朝有名な日曜日のなんとか朝市へ出かけた彼も、雨にたたられてさっぱり成果がなかったらしく、やはり時間を持て余していたので、予定を早めて車で駅まで迎えに来てくれることになった。

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 八戸には何度か訪れて土地勘のあるA君が時間つぶしの場所として選んだのはここ、八食センターである。ぼくは知らなかったのだが、東北地方ではかなり有名な施設らしく、まあ入ってごらんとA君はいう。

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 店内は外見からは想像もできぬほど広く、へえ、これはたしかに一見の価値はあるなと感心した。釧路の和商市場の何倍もの規模である。漁港らしく水産物もあれば、

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各種土産物、

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青果、

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そして揚げ物などの惣菜はもちろん、パン屋、さまざまな食堂などがずらりと並んで、さながら一種のワンダーランドである。雨の日に時間を過ごすにはもってこいの場所だと思った。

 それにしてもフェリーの出港は22時だから、どうしたって時間を持て余すことになり、結局17時頃には早々とフェリーターミナルに到着。ターミナルのレストランで夕食をすませ、残りの時間をなんとか消化して乗船を待った。

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 この日のフェリーの部屋。二等だからさすがに窓はないものの、完全個室というのは立派である。苫小牧までの所要時間はわずかに8時間なので、申し分のない部屋といえるだろう。航海中はひどく揺れたが、神薬(?)アネロンが威力を発揮してまったく船酔いはしなかった。

 今回の旅は最初に左親指に深手を負ったり(もう一月半以上たっているのにまだ完治していない)、何日か雨に悩まされたりで、あまりついていなかった。しかし懸案も無事解決できたし、秋田と弘前のお城や蟹田の観瀾山も見物できたし、おらが旅はまずまずの目出度さであったといえるだろう。

 仙台に着いてから八戸まではA君とは完全に別行動だったが、それでよかったと思う。やはり一人旅は気をつかうこともつかわれることもなく気楽である。みなさまもよくご存じのとおり、よほど気心の知れた相手であっても、毎日朝から晩まで顔を突き合わせていると、感情の微妙な食いちがいが生じがちになるものだ。

 ただし食事のときは相手がいたほうがいいような気がする。「孤独のグルメ」はドラマとしてはおもしろいけれど、実際はどうだろうか? 一人で飯を食うとき、たいていの場合、人は心の声など発する間もなく、黙ってさっさと食べ終わるのではないだろうか。

 ひょっとしたらぼくが変人なのかもしれないが、旅先で土地の名物をぜひ味わいたいと思ったことはついぞない。なんとか麺やなんとか丼などといった簡便な料理ならともかく、たとえばきりたんぽ鍋やらしょっつる鍋などの鍋物を一人で注文したっておもしろくもなんともないだろう。

 あれは「やあ、こいつはうまいなあ」といったり、「うん、いけるね」と相槌を打ちながら食べるところに妙味があるのだから、ひとり黙々と鍋をつつくなど、ぼくはまっぴらごめんだ。やはり旅先では駅ソバがいいね(笑)。

 だとすれば、一人旅の行き先に友人の住む土地を選び、夕食を共にしてしばし歓談し、それ以上の迷惑をかけぬうちにその地を去るというのが理想的といえるかもしれない。そんな機会があれば、足腰が立たなくなる前にまた旅に出たいものである。

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July 02, 2025

お知らせ: 2011年5月以前の写真を削除しました

 ココログ(無料)の残り容量が少なくなってまいりましたので、2011年5月以前の写真をすべて削除いたしました。記事本文はそのまま残しておきますが、写真の部分は空欄となりますので、お見苦しい点はどうかご容赦ください。

 月々追加料金を支払えば容量を確保できますし、それほどの負担にはならないのですが、当ブログにそこまでするほどの価値はないと思いますので、今後も残り容量に注意しながら適宜古い写真を削除する予定です(それでも常に過去十年以上の記事は画像つきで残る計算になります)。

 ローカルかつマイナーなブログではありますが、今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。

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July 01, 2025

Daily Oregraph: 5月25日 野辺地無情

5月25日

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 この日の目的地は八戸なので青い森鉄道のお世話になる。この鉄道路線はもと東北本線の一部であった。

 八戸までの運賃は2,320円なのだが、この日はワンデーパス(2,100円也)を利用することができた。終点の目時(めとき)までの間を乗り降り自由だからたいへんお得である。ホームで列車の到着を待っていた運転士さんにお聞きしたら、土日祝日などに発行されるのだそうだ。この切符は自動改札機を通らないから、改札時は駅員さんに提出して確認していただく。

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 10時46分発に乗車。

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 この列車には女性の車掌さんが乗っていた。途中で雨が降り出してきた。

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 八戸からは22時00分発のシルバーフェリーに乗る予定だったから時間はたっぷりあるので、11時30分野辺地で途中下車した。初めての土地だったので、歩いて港を見物するつもりだったのである。野辺地駅からはむつ市までのJR大湊線が接続している。

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 野辺地駅駅舎。割と最近手を入れた駅舎らしく、内部は明るく清潔であった。

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 駅前通り。小雨が降っている。たいした降りではないけれど、やや強い風に吹かれた雨粒が斜めにビシビシと顔に当たるのには閉口した。これはどうも散歩どころではない。盛岡もそうだったが、徒歩旅行者が雨に降られてはやりきれない。

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 そこで駅に隣接する観光物産PRセンターを見物して少し時間をつぶした。大きな石灯籠は野辺地港のシンボルである江戸時代に建てられた常夜燈のレプリカ。

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 ふたたび駅舎内に戻ってゆったりとした待合室に入ると、

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ありがたいことに「駅そば パクパク」というお店があったので、天ぷらそばの大盛りを注文した。この旅では弘前駅以来二度目の駅ソバである。

 旅に出たら少なくとも一度は駅ソバというのは、ぼくにとっては憲法第九条第三項みたいなものだから、必ず食べる。駅ソバはうまいのまずいのとヤボな批評をすべき対象ではなく、草枕旅にしあれば駅ソバを食ふのは、日本人の大切な心得といっていいと思う。異論は認めたくない(笑)。

 雨にたたられて港までの散歩をあきらめたのは残念だったが、駅ソバを食ってやや元気を取り戻し、予定を早めて12時44分発の列車で八戸へ向かった。

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June 27, 2025

Daily Oregraph: 5月24日 風の町の昼飯

5月24日

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 コンパクトなフェリーがあんぐり口を開けて停まっていた。もともとフェリーとはこちらの岸から向う岸まで乗客を運ぶ渡し舟なのだし、脇野沢までは所要時間わずかに一時間だから、このサイズでも十分なのである。

 時間に余裕があればこのフェリーに乗ってみるのもおもしろいけれど、脇野沢からは交通の便があまりよくないから、徒歩旅行者向けではないと思う。

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 さあ飯にありつけるぞと期待して、フェリー案内所のあるトップマストへ向かう。「風のまち」交流プラザとある。ここの二階に中華料理店があるという情報を仕入れていたので、久しぶりにこってりしたものでも食べようと思ったら……なんと、本日休業。

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 となれば、駅前のウェル蟹へ行くことしか思いつかなかったので、ふたたび蟹田橋を渡ると、マツオスーパーが待っていた。

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 このスーパーはそう広くはない。しかも内部を仕切って、半分をだれでも利用できる休憩スペースに充てている。思い切った試みである。

 ほんの申し訳程度の買い物をしてから休憩所へ行ってみた。

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 本棚にずらりと並んだ文庫本は、新しそうなのもあれば古本もあり、(確かめはしなかったが)たぶん売り物ではなく、利用者が寄贈したものではないかと思う。町中のしゃれた小図書館といった趣がある。

 入口近くに飾ってあるねぶた風の女性キャラの下にも「風乃まち」とあるのは、やはり太宰に敬意を表しているのだろう。

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「ちょっとお借りしますよ」とレジのおねえさんにお断りしてテーブルと椅子を使わせていただいた。

 青森駅を出発してからまったく飲み食いしていなかったので、アップルジュースが実にうまかった。数年前だったら迷わずビールにしたはずだが、今のぼくは飲んべえの太宰とはちがう。

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 ウェル蟹に着いたのは13時半ちかく。ここは市場とはいってもごく小規模なものだけれど、食堂があるのはありがたい。さすがに腹が減った。

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 煮干しラーメンは知っているが、「焼干し」ラーメンというのは初耳なので注文してみた。

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 焼干しのご利益なのだろうか、スープはこくがあってなかなかうまかった。釧路ラーメンとはちがって、ちょっと甘味がある。

 まだスープを吸っていないからわかりにくいけれど、ナルトの上に麩が見える。釧路ではラーメンに麩を入れる店はほとんどないので、旅先で見かけるたびにおやと思うのである。

 そういえばこの旅で食べた料理の写真を載せるのはこれが初めてだ。近頃では多くの人がさかんにご馳走の写真を撮って、映えるの映えないのとにぎやかだから、いまさらラーメンや丼物の写真など新味もないので、ぼくはよほど記憶に残った食い物以外は撮らなくなったのである。

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 結局風の町では蟹を食わずに麺を食い、14時14分発の青森行き普通列車で蟹田を後にした。窓外に波を見るのだから観瀾車だね。

 さて明日は青森県で過ごす最後の日である。

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June 25, 2025

Daily Oregraph: 5月24日 観瀾山にて

5月24日

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 山のふもとには神社があって、石段を上ればあるいはそのままてっぺんまで行けるのかもしれないけれど、無駄足を踏んで体力を消耗したくはなかったので、鳥居の左に見える舗装道路をたどることにした。

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 案内図によれば、この先にある駐車場からまっすぐ展望台方面へ至る道がある。自動車さえあればなんの苦労もないのだが、徒歩旅行者にはちょっとしんどそうだ。

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 しかし見よ。上の写真の場所の少し手前に「至 展望台」の道標が立っているではないか。幸いまだ草深い時期ではなかったからみつけたものの、もしこれを見落としていたら、ひどく遠回りをしてエネルギーを浪費したはずである。

 ところがこの近道、石段の幅がおそろしく狭く、見るからに歩きにくそうであった。最近できたものでないことは明らかで、たぶん太宰一行もわざわざ遠回りはせずに、この細い近道を登ったのではないかと思う。

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 案の定この細道は歩きにくかった。足を滑らせないように気をつけながら登るのだが、いくら低いとはいえ山は山である。なにしろ去年あたりからめっきり膝のバネが弱っているから、やっとの思いで最後の一段を踏みしめると、こんな景色が出迎えてくれた。付近には句碑のたぐいが点在している。

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 すぐ左(北)にはちいさな社があった。ふもとの神社との関係はわからない。さらに左へ進むと木造の展望台らしき建物があったけれど、結局景色は十分堪能できたから、この日は立ち寄らなかった。

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 方向を右(南)に取って歩くとすぐ、正面にゴロンとした岩と、その右手前に縦長の石碑が見えてくる。

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 「観瀾山」の石碑。大正12年7月26日にこの山に登って観瀾山と名づけた久邇宮邦久の書である。陸奥湾を見下ろす山にふさわしく、「瀾」は波の意。

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 この岩が太宰治文学碑。『正義と微笑』からの引用文が刻まれている。

  かれは
  人を喜ばせるのが
  何よりも
  好きであった!

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 こちらが碑の裏面。表裏両面ともに佐藤春夫の書である。

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 文学碑は崖っぷちにあって、眺めはすこぶる良好、蟹田の町を一望できる。

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 さきほど入口前を通りかかった、むつ湾フェリー乗り場とトップマストと称するフェリー案内所を兼ねた施設。ちょうどフェリーが接岸中だったので、下山後立ち寄ってみることにした。

 ぼくには文学碑めぐりの趣味はないけれど、これもなにかの縁である。せっかく来たのだから、石碑の裏側に置かれていた古い木製のベンチに腰かけて、景色を味わいながらしばし休憩した。あたりには人っ子ひとりいない。

 あいにくの天気ではあったが、暑からず寒からず、虫に悩まされることもなく、観瀾山見物の目的を無事達成できたのだから、まずはめでたし。

 いつのまにか時刻は12時半を回っていた。

 私たちは桜花の下の芝生にあぐらをかいて坐つて、重箱をひろげた。これは、やはり、N君の奥さんのお料理である。他に、蟹とシヤコが、大きい竹の籠に一ぱい。それから、ビール。

 ぼくは手ぶらだから蟹もなければビールもない。よろしい、山を下りて何か食うとしよう。

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June 22, 2025

Daily Oregraph: 5月24日 青森~蟹田 観瀾山へ

5月24日

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 11時01分青森発津軽線蟹田行き改札。あとでわかったのだが、左に見える女性は青い森鉄道の車掌さんである。

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 これが蟹田行き普通列車。このたび思ひ立ち外の浜一見と心ざして、この列車に乗ろうとするところ。

 一つ前の写真に見える表示板からもわかるように、津軽線は2022年8月の大雨災害以降蟹田から先は運休中であり、この線自体いつ廃線になるかしれないので、今のうちにぜひ乗っておきたかったのである。

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 この列車も車窓からの風景を撮りにくい座席である。

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 そこで編み出したのがモンドリアン風写法(?)。ただし車内が混雑しているときにはこの手は使えない。

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 定刻の11時38分に蟹田駅着。列車はそのまま青森行きとなって12時10分の発車まで駅に待機する。

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 駅舎に入ると「蟹田ってのは風の町だね」というせりふが旅人を出迎える。うすうすお察しのとおり、こういうキザな文句の似合う人物といえば……

 その(観瀾山かんらんざんへ行く)前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田つてのは、風の町だね。」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしてゐたものだが、けふの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑ふかのやうな、おだやかな上天気である。そよとの風も無い。(太宰治 『津軽』-以下引用文はすべて同書より)

 このときから蟹田は蟹の町であるとともに「風の町」となった。住民のみなさまもすっかり気に入ったらしく、あちこちで「風の町」ということばを見かけるのである。

 この日はあいにくの曇り空だったが、ほとんど風はなかった。風がなくとも風の町と思わせるのは、さすが太宰というべきか。

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 駅舎は新しく清潔だ。れっきとした有人駅でみどりの窓口もある。

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 駅舎と駅前通り。まっすぐ(東に)進むと、すぐに国道280号線に突き当たり、写真では左が北で三厩方向、右が南で青森市は29キロ先である。

 津軽半島の東海岸は、昔から外ヶ浜と呼ばれて船舶の往来の繁盛だつたところである。(中略)さうして蟹田町は、その外ヶ浜に於いて最も大きい部落なのだ。青森市からバスで、後潟、蓬田を通り、約一時間半、とは言つてもまあ二時間ちかくで、この町に到着する。所謂、外ヶ浜の中央部である。戸数は一千に近く、人口は五千をはるかに越えてゐる様子である。

 かつての蟹田町は現在外ヶ浜町の一部となっているけれど、外ヶ浜の中心地たる地位はゆるがず、外ヶ浜町役場の本庁は蟹田地区にある。

 外ヶ浜町の人口だが、ぼくがネットでざっと調べたかぎりでは、昭和35年には18,259人であったものが平成12年には9,170人と半減し、平成27年には6,198人(うち蟹田地区は2,978人)とさらに減少している。外ヶ浜町の2024年5月1日時点の推計人口は4,541人、という記述もあるから恐るべき減り方で、津軽線の今後について心配になるのも当然だと思う。しかもこの人口減は、ほかの地方の住人にとってもとても他人事ではないのである。

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 駅前には「駅前市場 ウェル蟹」なる施設がある。ここには帰りがけに寄ってみた。

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 さて国道280号線に出て北へ向かい、この日の目的地観瀾山をめざそう。

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 少し進むと「観瀾山公園 1km」という標識がある。正面に見える緑の丘がそれらしい。しゃれた写真スタジオがあるのは、この町がただの田舎町ではないあかしのように思えた。

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 やがて橋が見えてきた。橋の手前にあるマツオスーパーは、このあたりでは名の知れたお店らしいので、帰りに入ってみることにする。

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 蟹田橋。親柱は蟹の爪を模したかたちである。「世界文化遺産 大平山元遺跡」という看板が少し気になるけれど、9キロも先なのでは徒歩だと無理だから、見なかったことにしよう(笑)。

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 蟹田橋から蟹田川上流を見る。

 蟹田地方には、蟹田川といふ水量ゆたかな温和な川がゆるゆると流れてゐて、その流域に田畑が広く展開してゐるのである。

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 蟹田川河口。曇り空のせいもあってか、実にさびしい風景である。

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 橋を渡ってしばらく進むとむつ湾フェリー乗り場入口にさしかかる。ここも帰りに寄ってみよう。

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 このあたりから西に一本脇道に入ると、観瀾山は目前である。

 観瀾山。私はれいのむらさきのジヤンパーを着て、緑色のゲートルをつけて出掛けたのであるが、そのやうなものものしい身支度をする必要は全然なかつた。その山は、蟹田の町はづれにあつて、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。

 太宰は数人の友人たちとともに観瀾山で花見をしたのだが、この日ぼくは単身この小山に登った。

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