October 10, 2019

Daily Oregraph: をかしきこと

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 神奈川県のAさんが、ありがたいことに、今年もどっさり落花生を送ってくださった。こいつの塩茹でをモグモグやりながら、今この記事を書いている。

 さて相変らず色気のない論文と格闘して疲れたから、中川@やたナビさんのツイッターに紹介されていた『宇治拾遺物語』中の「河原院での宇多天皇と源融の幽霊とのバトル」(笑)をさっそく拝読した(どうもありがとうございます)。なにしろぼくは、河原院跡に二度も足を運んだほどの、奇人源融ファンなのである。

 ちょっとだけ勝手に引用させていただくと、(融の左大臣は)「陸奥(みちのく)の塩釜(しほがま)の形(かた)を作りて、潮(うしほ)を汲み寄せて、塩を焼かせなど、さまざまのをかしきことを尽して住み給ひける」というのだが、問題は「をかしき」である。

 驚くなかれ、三千人もの人足を使って塩を焼いたというから、話半分としたって、当時の人々から見ても尋常のふるまいではあるまい。まさか「趣がある」などという人がいたとは思われず、21世紀のぼくと同じく「ヘンテコな」と思ったにちがいない。一筋縄ではいかない京都人のことだから、当時どんな陰口を叩いたものか、想像するだけでおかしくなってくる。

 そんな変人だから、天皇さんに向っても傍若無人のふるまいをするのかというと……二人のバトルについては、中川さんの校訂本文をぜひお読みいただきたいと思う。もうからないお仕事をコツコツとつづけておられる中川さんもまた、奇人というべきであろう……というのは、もちろんほめているのである。鴨川のほとりで塩を焼くよりは、千倍も世のためになるのだから。

【10月14日 追記】

 六条河原院跡については、現地案内板の写真を掲載した2014年の記事をご参照いただきたいと思う。また案内板にも記されている「本塩竈町」については2017年の記事をごらんいただきたい。

 なお京都見物の機会があったら、ぜひ河原院跡を訪れていただきたいものである。特に観光客だらけの名所にうんざりされた方にはおすすめである。

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August 17, 2019

Daily Oregraph: こんな日には冬の怪談を

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 台風一過、ひさびさに暑い一日であった。といっても最高気温26.4度だから、散歩できないほどではない。

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 相生坂下のミヤマニガウリの実はかなり成長した。花は径数ミリという小さなものである。成熟すると実は自然に割れて、種がポロリと落ちる仕組みになっている。

 さて夏だから怪談のひとつも……というわけではないけれど、ディケンズの『クリスマスツリー』(1850)という小品の中にこんな話があったのでご紹介しよう。題名からわかるとおり、かの国では冬、特にクリスマスのあたりが怪談のシーズンなのである。

 某氏のある友人、とは諸君もたいていご存じの人物だが、若いころ大学在学中に親友とこんな約束をした。もし肉体を離れた霊魂が地上に戻ることがあるなら、二人のうち先に死んだほうがもう一人の前に現れようというのだ。時がたつうちに、彼はその約束を忘れてしまった。二人の若者はそれぞれまったく別の道を選んで人生を歩んだのである。しかしずいぶん歳月の流れたある日、かの人物はヨークシアムーアズのとある宿で一夜を過ごし、ふとベッドから目をやると、月光を浴びて窓辺の机にもたれ、ジッと自分を見つめている姿があって、それこそは大学時代の友人なのであった! 粛然として問いかけると、亡霊はささやくような声ながらはっきりと答えた。「近寄ってはいけない。ぼくは死んでいる。約束を果たしに来たのだ。ぼくは異界から来たけれど、その秘密を漏らすわけにはいかない!」そういうとその姿は薄れはじめ、月の光に溶けこむようにして消えていった。

 はてな、この話はどこかで読んだおぼえがある。せっかくだからこちらもあわせてお読みいただきたいと思う。後半はちょっとちがうけれど、前半はまるで同じだし、全体としては瓜二つといっていい。

 成立の順序からいえば、ディケンズがブルーム氏の話を脚色したようにも思えるが、死者の霊が生前の約束を守って友人の前に出現するというのは、幽霊話のひとつのパターンなのかも知れない。雨月物語の『菊花の約(ちぎり)』も、結局は同じ趣向である。

 ついでだから幽霊を見たという経験談のひとつもしたいところだが、あいにく一度もお目にかかったことはない。すでにこの世を去った友人は何人かいるけれど、先に死んだほうが化けて出るなどというバカな約束を交さなかったからだろう。

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July 15, 2019

Daily Oregraph: ヴァセックの塔

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 『オトランド城』にはガッカリさせられたから、こいつ(『ヴァセック (Vathek)』もどうせたいしたことはあるまいと予想していたら、とんでもない、レベルが段ちがいに上の傑作だったから驚いた。

 作者のウィリアム・ベックフォード(William Beckford, 1760-1844)はたいへん多才な人物で、短期間ながらモーツァルトに直接音楽を教わったこともあるらしい(詳しいことはウィキペディアでもご参照いただきたい)。

 『ヴァセック』は1782年にフランス語で(上の画像は1787年フランス語版)、1786年にサミュエル・ヘンリ(Samuel Henley, 1740-1815)の英訳が出版された。

 あらすじは省略するが、アラビア趣味満点の幻想的な作品である。やはりホラ話にはちがいないけれど、スケールは壮大で、舞台は地上、天上、地獄にまたがり、30メートルの兜が子供だましだとすれば、こちらは少なくとも大人だましといっていいだろう。文章も流麗だし(ぼくごときがいうのもなんだけど、割と苦労なく読めたからそうにちがいない(笑))、話の運び方がうまいから、有無をいわせず読ませてしまうのは作者の力量だと思う。

 もちろんあちこち変なところはあるけれど(笑)、ここはこういう世界なのだから文句をいうのはヤボだと納得させてしまうところが、「超自然的事物の取入れ方」のうまさだろう。素人が考えても、後世に大きく影響を与えたとすれば『ヴァセック』のほうにちがいない。

 さて小説の楽しみ方にはいろいろある。21世紀の読者としては、奇怪な超自然的現象に驚いているだけでは物足りないから、ちょっとだけ算数を応用してみた。

 見栄を張りたがる権力者の常として、主人公ヴァセックはばか高い塔を建てるのだが、階段にして 1,500 段だとある。夢のないリアリストとしては当然計算してみたが、一段の高さ15センチとして、塔の高さは225メートルになる。ぼくが真っ先に連想したのは伏見稲荷だ(笑)。稲荷山は標高233メートルだから、ほぼ同じ高さである

 ヴァセックは身分の高いカリフだが、昔はエレベータなどないから、天文を観測したりするためには、毎日のように歩いて塔のてっぺんまで上らなくてはいけない。ベックフォード氏は幻想怪奇趣味の小説家だけれど、ここでは魔法は登場せず、ヴァセックには自分の足で一歩一歩階段を上らせるのである。なにか恨みでもあったのだろうか。

 いいですか、諸君、1,500段ですぞ! 伏見稲荷のてっぺんを制覇したぼくが断言するけれど、塔の頂上にたどり着いたときはヘトヘトになって、天文観測どころの話ではなく、ヴァセック君、床に座りこんでしまったにちがいない。

 明日からはこのペンギン・ブックに収録されている最後の作品『フランケンシュタイン』に取りかかる。ハリウッド映画のモンスターがちらついて困るけれど、この作品はれっきとしたゴシック・ノベルなのである。

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July 08, 2019

Daily Oregraph: ゴシック・ホラ話

 ある日突然空から巨大な兜が降ってきたら、たいていの人はビックリする。「一体どうして?」という疑問はさておき、その兜が下にいた人間を直撃して殺してしまったとしたら、ふつうは恐怖するにちがいない。

 しかしその兜が「これまで人の作ったどの兜より百倍も大きい」といったらどうだろうか?

 「アッハッハ、そんなばかな」と大笑いするに決まっている。仮に兜の長径を約30センチとすると、その百倍は30メートルにもなるから、人を圧死させるどころか、中庭はほとんど兜に占領されてしまい、建物にも相当の被害があったと考えなくてはならない。過ぎたるはなんとやら、「冗談もほどほどにしろよ」と叱られてもしかたがないだろう。

 しかしそんな事件の起こるのがオトラント城(The Castle of Otranto)なのである。この城ではほかにもいろいろの怪異が見られ、もちろん幽霊も出現する。しかし……ちっとも怖くないのだからおかしい(笑)。

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 MDCCLXV(1765)年に出版された『オトラント城』は、舞台を十字軍時代のイタリアに設定した、いわゆるゴシック・ノベルの草分けとされる存在(異論もあるらしいが)である。作者はインテリ貴族のホレス・ウォルポールで、画像に見るとおり、初版はイタリア語からの翻訳と称し、作者の名を伏せている。

 30メートルの兜が降ってくるくらいだから、ストーリーの進行にも無理が目立つ。城主の家来があまりにもバカで話が一向に先へ進まなかったり、一刻を争う場面で「さあ、早くお逃げなさい」といわれているのに、逃げるどころかくどくどと話を始めたり、読んでいてイライラすることが多い。

 だからたぶんいろいろ欠点を指摘されたんだろうと思うが、作者も黙ってはいない。第二版の序文では、ヴォルテールに喧嘩を売りながら(笑)、深刻な場面に滑稽味があったっていいじゃないか、ハムレットだって墓掘り人夫が登場するじゃないか、などと自己弁護に努めている。

 どう好意的に見たって、とても傑作と呼べる小説ではないと思う。ゴシック・ホラーだろうと期待して読んだら、肩すかしを食うことまちがいなしである。しかしゴシック・法螺話だと思って読めば、多少の面白味はあるかも知れない。

 さてどうしてこんな古物を読んだのかというと、これまた昔読みかけて放り出したうちの一冊だというのが主な理由である。しかもこのペーパーバックは40年以上も前に買ったもので、長年本棚にしまいこんでいるうちに、すっかり乾燥してしまい、(ペーパーバックのお粗末な造本をご存じの方ならうなずいてくださると思うが)数十年後に本を開いてみると、

 その刹那、バリバリという大音響とともに書物はまっ二つに裂け、ために大地は揺れ動いたのであった……つまり、本自体がゴシック・ホラーと化してしまったのである。

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 最初に二つに割れるだけなら木工用ボンドで補修すればいいのだが、読んでいるうちにあちこち紙がまとまってバラバラと抜けそうになる。すでに何度木工用ボンドの世話になったことだろうか。

 最近の「すごいですね、ニッポン」番組にはうんざりさせられるけれど、製本技術については日本をほめてやっていいと思う。特に文庫本のレベルは高い。

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 写真は昭和14年9月発行の岩波文庫『草枕』である。なんと80年もたっているのに、しっかりしたもので、紙を引っぱってもビクともしない。最近は英米のペーパーバック並みに背をノリで固めただけの粗製本もあるようだが、妙なところは真似しないで欲しいものだ。

 さて実はこのペンギン・ブックにはあと二篇ゴシック・ノベルが収録されている。少し気は重いけれど、最後までつき合うしかないだろう。

【付記】せっかくなので、齋藤勇先生の『イギリス文学史』から、

 その(School of Terror の)鼻祖と見られるのは、The Castle of Otranto, a Gothic Story (1765) の作者 Horace Walpole (1717-97) である。彼は超自然的事物の取入れ方が幼稚粗笨であるけれども、元来空想に耽ることが好きで理性偏重に飽きたイギリス人の要求に合ったので、爾後半世紀間イギリスにおける彼の影響は大なるものである。

 つまり「幼稚粗笨」ではあったけれども、後世に大きな刺激を与えたということなのだろう。しかし、齋藤先生、どんなお顔をしてこの作品をお読みになったのであろうか(笑)。

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June 17, 2019

Daily Oregraph: Money Talks (最終回)

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 「話せばわかる」とはよくいわれることばである。暴力をふるわなければ警察は出動しないのだから、労働者側はあくまでも平和的に交渉すべきだ……当然そういう意見も出てくるだろう。穏当な意見である。実際に、

 ストの参加者たちは、リーダーや新聞の助言に従って、平和的に闘いを進めていた。目立った暴力沙汰は起こらなかったのである。(第44章 以下同様)

 しかし一日ごとに運行される電車の数は増え、会社側からはストは無力だとする声明が次々と発せられる。これに怒った労働者たちは、結局平和的なやりかたをつづけていては会社を利するだけで、いずれすべての電車が運行されれば、自分たちは見捨てられると考え、ついにスト4日目には実力行動に打って出る。

 突然彼らは燃え上がった。一週間というもの激動と緊張とがつづいた。電車は襲撃され、乗務員たちは襲われ、警官は組みつかれ、レールは引きはがされ、銃声が轟き、とうとう路上では乱闘や暴動が頻発し、町はミリシアに包囲されるに至った。

 とまあ、大変な事態になったわけだが、そんなこととはつゆ知らず、電車の運転技術を仕込まれていたにわか運転手は、いよいよ電車を出発させることになった。電車には護衛の警官二名が同乗する。

 あぶなっかしい運転で街角を曲がると、ひとりの少年が「スキャブ! (Scab!)」と罵声を浴びせる。スキャブというのは、スト不参加者やストによって生じた欠員を埋める労働者のことをいう。ようするに「スト破り」という意味だが、語感としては「ブタ野郎」あたりが近いんじゃないかと思う。

 次の角では六人ほどの男達がヤジを浴びせる。さらに三四丁ほど進むと、線路に置き石があって電車を止めると、スト参加者やそのシンパの集団が説得をはじめる。

 「あんた、電車を降りなよ」と一人がもの柔らかにいった。「あんただって人様のおまんまを取り上げたかないだろう?」

 そこに同乗の警官が割って入って、言い合いがはじまり、ちょっとした騒ぎになる。

 「どかんか!」と警官は叫んで、警棒を振り回した。「脳天に一発くらわすぞ。どけ!」

 そしてほんとうに一発食わすと、だれかが警官に拳固をお見舞いする。幸い大事には至らず、置き石を片づけていると、群衆からは「貧乏人から仕事を奪うスキャブ野郎め!」などと、さまざまな罵声が浴びせられる。

 置き石を片づけ終って電車を発車させようと、

 二人の警官が運転手のとなりに乗り込み、車掌がベルを鳴らすと、ドスンドスンと音を立てて電車の窓や乗降口から大小の石が飛び込んできた。石のひとつはぎりぎりのところでハーストウッド(運転手)の頭をかすめた。もうひとつの石は背後の窓を粉々に割った。

 こんなことが一日中つづくのだからたまらない。さらに描写はつづき、一気に読ませるところなのだが、途中そっくり省略して、車庫に戻る寸前では群衆が押し寄せ、運転手は引きずり降ろされ、警官との間でなぐる蹴るの乱闘になる。かくして大混乱のうちにこの日は暮れる。

 さてもうお気づきのとおり、ストを打つのも貧乏人なら、スト破りして電車を動かすのも貧乏人、そしてストを鎮圧する現場の警官も(貧乏人とはいえないとしても)しょせんは安月給取りにすぎない。

 「貧乏は自己責任だ」などといって涼しい顔をしている連中は、けっして現場に姿を現わしはしない。現場では、三者とも目の前のわかりやすい相手を敵とみなして互いに傷つけ合っているわけだ。つまり損をするのは貧乏人ばかりである。

 しょせん昔の小説中の話じゃないか、というのはあたらないだろう。現在では貧乏が底上げされたというだけで、基本的にはたいして変っていないのだから、よく現実を見たほうがいい。さまざまな手を用いて、生活保護受給者をののしらせ、けっして贅沢などしていない大多数の年金受給者を憎ませ、堅気に暮している在日朝鮮・韓国人たちのありもしない在日特権を非難させようとする。つまり貧乏人を分断することで得をするのは誰なのか、お互いよく考えたほうがいいんじゃないかと思う。

 おっと、いつの間にかドライサー先生の調子が伝染してしまったらしいけれど、ちょっと立ち止まって、「あれはほんとうかしら?」と、なにごとも一度は疑ってみる人がひとりでも増えてくれるとうれしいのだが……

【付記】本日の写真は、(たぶん)運動会の練習風景。記事の内容とはまったく調和しないけど、不協和音にも味がある(?)。

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June 15, 2019

Daily Oregraph: Money Talks (3)

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 実はこの小説、ストのドキュメンタリではないので仕方がないけれど、結末がどうなったかまでは書いていない。それを承知でお読みいただきたいと思う。

 さてストライキが始まると、会社側も黙ってはいない。電車を運行させようとするのだが、これは一種のいくさなのだから、それは当然だろう。しかし人員がいなくては電車は走らないので、会社側はまずこう通告する。

 職場放棄した諸君のうちには心ならずもストに参加した者もいるだろうから、いついつまでに申し出て当方の条件を呑めば復職を認め、身分も保証する。しかしこれに応じない者は解雇し、その欠員を新たに採用して補充するから承知のこと。

、その一方では新聞広告を出して、運転手経験のある人材を募集するのだが、おいそれと必要数の経験者がみつかるわけはない。実際には素人をごく短期間で訓練し、にわか運転手に仕立て上げて電車を走らせるという無茶な芸当をする。

 前回も書いたように、貧乏人にも等級があって、広告に応募するのは職がなくて食いつめた連中、つまりほとんどが下級貧乏人である。どうかすると内心ではストライキに同情していたりして、好んでスト破りしようとは考えてもいないのだが、文無しだからそんなことをいう余裕などないというわけだ。

 ここから先はぼくの感想をまじえていることをお断りしたうえで……

 会社側には資金がある。当然宣伝力もある。秩序の名の下に、警察も味方してくれる。やがてはミリシア(militia 民間人による武装組織)も動員される。つまり最終的にはお国が面倒をみてくれるということだ(ここは大事なポイントだろう)。

 一方のストライキ側は、消耗戦になれば資金が枯渇する。もしマスコミがデマや大本営発表を大量に垂れ流せば、資金不足の彼らは宣伝力においても圧倒的に不利である。市民の支持や協力が得られなければ、たちまち孤立する。負ければ首になって一家が路頭に迷う。警察やミリシアが相手では戦力的にとても勝ち目はない。なにしろ秩序の本家である国を敵に回すのだから絶体絶命である。それを承知の上でストに入ったのはよくよくのことだと考えなければならない。

 とまあ、緊迫した情勢になったわけだが、ストの結末がわからないのはいかにもじれったい。それなら歴史の勉強をすればいい……ことは承知しているけれど、う~ん、今度はアメリカ近現代史かいな(笑)。

 ろくに知りもせずにえらそうな顔をしてこれ以上書くわけにはいかないから、次回(最終回)は、スト破り要員のにわか運転手が電車を走らせる場面をざっと見ることにしたい。

【付記】今日は写真を撮っていないので、苦しまぎれに2002年の9月に撮った嵐電の写真を加工して掲載した。鳴滝のあたりだと思う。なおあたりまえのことながら、記事中のストライキと京福さんとは何の関係もないから念のため。

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June 09, 2019

Daily Oregraph: Money Talks (2)

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 町工場の女工さんの時給が300円という試算は、いくらなんでもひどすぎる……とは、ぼくも思う。しかも住宅手当はもちろん、交通費も支給されないのである。実家から通うか、共同で間借りでもしないないかぎり、とてもまともな生活はできないだろうし、まさか……といいたいところだが、いま労働問題の文献を読む余裕はないから、もう少しその前提のまま進めよう。

 さて当時ニューヨークの路面電車乗務員(運転手と車掌)の賃金は一日2ドルであったらしい。ところがトリッパー(tripper)という、いまでいう「非正規」雇用の労働者を、会社は雇いはじめた。ワントリップいくら、つまり乗務回数に応じて賃金が支払われるからトリッパーである。

 彼らはラッシュアワーの時間帯にのみ乗務し、それが過ぎると仕事はない。報酬はワントリップあたりわずか25セント。

 天気がよくても悪くても、朝には車庫に来て、仕事をもらえるまで待機しなくてはいけない。そうして待たされても、もらえる仕事は一日平均2乗務である。つまり50セントもらって3時間ちょっと仕事をする。待機時間はカウントされない。(第43章)

 なんと一日たったの50セントだから、一週6日働いたとしても週給3ドルに過ぎない。これではとても食べていけないから、たいていはあとの半日なにか別の半端仕事をしていたのだろう(しかしラッシュアワーが朝夕の二回であることを考えると、それも疑問である)。

 まったくひどい待遇だが、このトリッパーの出現によって、正規職員の生活がおびやかされる事態になった。労働時間は一日10時間から12時間、はては14時間にもなったという。

 このままでは、遠からずして一日2ドルの正規の仕事はほとんどなくなることを恐れた彼らは、トリッパーシステムを廃止して、労働時間を一日10時間に戻し、賃金を25セントアップすることを要求してストに突入した。

 一日10時間も働いて2ドルの賃金とすれば、土曜半ドンなしでまるまる6日勤務するとしても週給12ドル。1ドル2,700円説を適用すれば32,400円、一ヶ月あたり約13万円になる。たとえ1ドルにもっと価値があったとしても、ぎりぎり生活するのがやっとの低賃金であったことはまちがいないだろう。

 正規乗務員が怒るのももっともな話だ。しかも彼らの生活を脅かすトリッパーが、どうやって生きていたのか不思議なほどの超低賃金であったことには唖然とするしかない。つまり問題なのは、貧乏人と超貧乏人との間の格差であり、貧乏人が分断されたことである。

 最近の日本国の情けないありさまを知るわれわれにとって、120年前のこの小説の世界はけっして他人事ではないと思うのだが、いかがであろうか?

 せっかくだから、次回は路面電車ストライキの様子について、少しだけ詳しく見ていこう。

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June 07, 2019

Daily Oregraph: Money Talks (1)

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 アメリカ自然主義(ナチュラリズム)文学の祖セオドア・ドライサー(Theodore Dreiser)の処女作は、1900年出版の『シスター・キャリー(Sister Carrie)』である。シスターといっても修道女ではなく家族内での愛称で、なんといったらいいか、花子さんを「花子ねえ(ちゃん)」と呼ぶようなものらしい。

 お説教くさいナレーションの目立つドラマみたいなところがやや難点だけれど、一種独特の迫力があって、なかなか読ませる小説である(岩波文庫に翻訳あり)。本筋は本筋として、この作品はまた「お金をめぐる小説」でもある。

 一々記録していないから詳細は省くとして、たとえば田舎町からシカゴに出てきたキャリーが女工としてはじめてもらった週給は4.5ドルである。4.5ドル? さて現在の日本円に換算してどれだけの価値があったのか……というのが大いに気になるところだ。

 土曜日(たぶん半ドン)に給料をもらったのだから、平日勤務09時~17時として、一週40.5時間(キャリーの働いた町工場では昼休みは30分のみ)。時間当たり11.1セントという計算になる。当時最低賃金法などなかったはずだから、相当に低賃金だったと推定して、時給300円とすれば、週給12,150円である。ところがこの計算だと1ドル=2,700円にもなる。いくらなんでもそれは高すぎのようだし、ほんとうだろうか? (当時の労働条件については調べていないので、おおざっぱな話であることをご承知おきいただきたい)

 ほかに手がかりになりそうなのは、高級ではないがこじゃれたレストランで「サーロインステーキのキノコ添え」が1.25ドル。ちょっと判断がむずかしいけれど、女にいいところを見せようとして注文するとしたら、3,375円というのはありそうな価格のような気がする。

 途中省略して、物語最後の方にはドヤ街最低の安宿一泊12セントとある。上の比率で計算すると、一泊なんと324円! たしか大阪の簡易宿泊所で一泊500円というのがあるらしい。ニューヨークのバウアリー地区に当時それよりも安い宿泊所があったと仮定すれば、ぼくのあてずっぽうも案外デタラメとはいえないようだ。まず1ドル2,500円を下ることはないだろうし、3,000円くらいだった可能性さえあると思う。

 キャリーはその後女優への道を歩み、週給十数ドルからスタートし、やがて持ち前の美貌と才能を発揮して週給150ドル以上(やはり上の比率で計算すると40万円以上)へと出世する。

 だから君もキャリーのようにがんばればいいのだ、などと竹中平蔵氏みたいなことをいってはいけない。そんな粗雑な神経では、自然主義小説のパイオニアになれるはずがないのだから(笑)。

 今日のところは週給4.5ドルでは、とても1.25ドルのサーロインステーキは口に入らないという事実を噛みしめるにとどめ、次回はこの小説からもうひとつだけ、ニューヨーク市路面電車労働者のストについてご紹介したいと思う(しまった、メモを取っておけばよかった!)。

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May 10, 2019

Daily Oregraph: 古本物語

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 本日古本屋で拾ったのはこれである。えらい先生の著書ゆえぼくも存在を知ってはいたが、学生時代は筋金入りの怠けものだったから、もちろん読んでいるはずもなく、罪滅ぼしになろうかと、神社にお賽銭を上げるつもりで(笑)300円を支払った次第。

 この手の古本を買うと気になるのが持主である。定価1.600円といえば安価だと思うかもしれないけれど、昭和40年発行だから、結構なお値段と考えたほうがいい。今ならまず五千円は下るまい(立派な造りの大著だからもっと高価ではないか)。ふつうのサラリーマンなら、当時買おうか買うまいかちょっと迷う額であったはずだ。

 まず英語の先生あたりが候補に浮ぶけれど、奥付に押してある赤いスタンプを見ると、「釧(路)□□字」という文字が読み取れる。

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 そして、これ。そう、図書館である。では、どこの図書館だろうか? なお「大正堂」という書店をぼくは記憶していないが、Google で検索すると「釧路市詳図 (大正堂書店): 1932」というのがヒットするので、少なくともかつて釧路市内に存在したことはまちがいない。

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 本文をぱらぱらめくっていたら「釧赤看学」の文字を発見。奥付に見える「字」と組合わせると「赤十字」であろうと推測できる。してみれば「釧路赤十字看護学校」だろうか?

 検索してみると「釧路赤十字看護専門学校」はヒットするのだが、どうも詳しい情報が見当たらない。関連する項目を探してみると、ウィキペディアの「日本赤十字北海道看護大学」(1999年に北見に設置)の項目が参考になった。以下同項目から引用する(太字は薄氷堂)。

 北海道における日本赤十字社の救護看護師養成は、1894年(明治27年)に始まる。これまで旭川(1923年開設)、北見(1939年)、伊達(1944年)、釧路(1966年)、浦河(1990年)にそれぞれ赤十字看護専門学校が開校され、看護師を養成していた。 当初、釧路市に開校の打診があったが、綿貫釧路市長が財源がないことを理由に独断で拒否、結果的に立地の機会を喪失した。

 1999年の日本赤十字北海道看護大学開学に伴い、北見、旭川、釧路の赤十字看護専門学校がそれぞれ統廃合され、現在は伊達と浦河の2校で看護師養成が行われている。

 つまり釧路赤十字看護専門学校は1966(昭和41年)に設置され1999(平成11年)に閉校になったらしい。ぼくの買った本には「廃」の字のスタンプが押してあるから、閉校になったときに図書館の蔵書を処分したにちがいない。

 ついでにご紹介すると、Google の検索結果にこういうのがあった。

 釧路赤十字看護専門学校同窓会は、今後、同窓会の維持が困難になるため2010年11月6日(土)の同窓会総会で承認を得、解散いたしました。

 母校を失うというのは悲しいことだ。ホロリとさせられる話である。

 さてこれで出所はわかった。看護専門学校では英語も教えていたのだろう。斎藤先生の文学史は(失礼ながら)若い学生諸君の手に負えるような書物ではないから、たぶん英語担当の先生が図書館の予算を使って、ご自分の欲しい本を注文されたのだろうと思う。

 いや、それを悪くいっているのではない。お金の使い途としてはまちがっていないからである。図書館にはまともな本がなければならない。大きな大学の図書館ではなく、地方都市のささやかな学校図書館の本棚に斎藤勇の『イギリス文学史』が置かれていることは誇っていいと、ぼくは思う。学生のだれかがそれを開いて、「ああ、こんな世界もあるのだ」と知り、「私たちの学校にはこういう本だってあるのだ」と思うだけでも、図書館予算1,600円分の価値は十分にある。

 その立派な本をわずか300円の叩き売りで買ったぼくは、先ほど少しだけ読んでみたのだが、名著だと思う。文章はけっしてえらそうな学者風ではなく、明快でまことに読みやすく、通りいっぺんの解説調とは無縁だし、静かな情熱さえ感じられる。

 本は増やしたいどころか、どんどん捨ててしまいたいのだが、つい…… これもなにかの縁というやつか。

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March 09, 2019

Daily Oregraph: 氷ゆるむ

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 本日の春採湖。氷は少しゆるんできたようだが、春はまだ遠い。

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 昨日古本屋で拾った鏡花『日本橋』の初版復刻本から。装幀は小村雪岱。色っぽいご婦人が登場するだけに、殺風景な春採湖の眺めとは大ちがいである。

 パラパラめくっていると、ギョッとした。

 「真個(ほんとう)に貴下(あなた)、そんなぢや情婦(いろ)は出来ない。口説くのは下拙(へた)だし、お金子(かね)は無ささうだし、

 おいおい、それはおれのことかい(笑)。

 いったい鏡花の小説は文章が独特だから読みにくいし、筋もわかりにくいものが多いけれど、そんなことはどうでもいい。不世出の天才ゆえになんでもゆるされるのである。

 たとえば、

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 もはや筋がどうの、意味がどうのとヤボなことをいってる場合じゃない(笑)。あだな声、下駄の音、留木(香木)の匂い。朧を透かした霞の姿とははっきりわかりかねるけれど、いきなり暗がりに女が幽霊のように出現した情景を、極上の酒を舌で転がすように味わえばいいのである。

 少なくとも……国会で繰り返されるやりとりよりは一万倍も上等の日本語だから、すさんだ心の安定を取り戻す妙薬にはちがいない。

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