May 27, 2017

Daily Oregraph: 遠ざかる過去

 今日は雨。こう毎日天気が悪いと散歩もできないし、気が滅入っていけない。

 そこで古い写真のファイルをあれこれ見ていたら……あ、やっぱり! 写真は撮っておくべきものである。

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 4月18日掲載の記事には掲載しなかったが、これは天使突抜という町名のもととなった五條天神社の写真である。

 はてな、ここにはどうも一度来たような気がする。しかしいつだっただろうか? それともいわゆるデジャヴュというやつだろうか。

 帰宅してからも、それが妙に気になっていたのである。

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 あった、あった、ありましたよ。2002年9月18日。まさに五條天神である。画面右端の門からちらりと見えるのが松原通り。

 このときは天使突抜の場所を知らなかったから、たぶん松原京極をふらふら歩いているうちにみつけたのだと思う。

 記憶の底にはぼんやり残っていたけれど、写真がみつからなければ確認できなかった。15年ほど前といえば、記憶力の程度を判断するには、なかなか微妙な過去である。

 最近固有名詞がなかなか出てこないし、水飴を引き延ばすように過去がどんどん遠ざかっていくような気がする。記憶の赤方偏移だろうか(笑)。

 なんだか心配になってきた……

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May 19, 2017

Daily Oregraph: 京都足棒日記 神社巡り編 (4)

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 3月28日。いわずと知れた八坂神社である。

 京都足棒日記もいよいよ最終回だから、このにぎやかな神社が最後にふさわしいかもしれない。

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 ここは立地的条件に恵まれているから、いつ来ても人だらけである。だからちょっと迷ったのだが、まあ、たまにはいいか。

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 八坂さんは神社界の大企業だから、ぼくなんかがお賽銭を上げる必要はあるまいと判断し、横目でちらりと見ただけ(笑)。

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 境内にある美御前社(うつくしごぜんしゃ)。道理でレンタル着物おねえさんたちが集まるわけだ。

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 桜が咲いていなくとも、そこそこ人は集まるものだ。もう少し気温が上がれば、ビールが飛ぶように売れるにちがいない。

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 たいして見物もせぬまま八坂神社をあとにして、このあと祇園界隈をブラブラしたけれど、写真は割愛する。

 四条河原町まではとにかく人出が多い。多すぎていやになる。人の好みはさまざまだが、やはり京都のおもしろさは路地散歩にあるとぼくは思う。

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 3月29日。上賀茂神社。

 この日は六条河原院跡まで歩き、ちょうど河原町五条のバス停に上賀茂神社行きのバスが来たので、ついフラフラと乗ってしまったのである。かつてのホームグラウンドの引力とは恐ろしいものだ。

 たいへん有名な神社だが、八坂神社よりはぐっと落ち着いた雰囲気である。

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 ホームグラウンドとはけっして誇張ではなく、まさにこの写真の芝生で仲間とソフトボールをして叱られたのである。いまや世界遺産だから、そんなバチあたりな真似をしたらしょっぴかれるかもしれない。

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 境内にある片岡社。ここはご祭神賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母君である玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祀っている。

 縁結び-子授け-家内安全と、順序よくかなえてくださるありがたいお社。絵馬の数を見ても、多くの女性の信仰を集めていることがわかる。

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 来るたびにすばらしいと思うのが、境内を流れる御手洗川(みたらしがわ)である。夏はここに逃げこめば涼しくていいだろう。

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 前日の八坂神社あたりからたまった疲れが出たらしく、しかもこの日も六条通りを突き抜けた直後だから、さすがにくたびれた。境内を一回り歩いてすぐに失礼する。

 工事中の御薗橋を渡ったときにはもう十二時半近く……どこかで一休みしたいところだ。

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 といったって、元来安上がりな男だから、御薗橋西詰の王将で餃子とビール。のどが乾いていたのである。

 -あの、お車ではないでしょうね?

 店員さんにそういわれて、思わず笑ってしまった。

 -歩きですよ、歩き。

 いや、このたびはほんとうによく歩いたものだ。足が棒とはけっしておおげさではない。釧路では車に頼り切りだから、健康のためいっそこちらに引っ越そうかしら。雪かきもしなくてすむしなあ(笑)。

(おわり)

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May 16, 2017

Daily Oregraph: 京都足棒日記 神社巡り編 (3)

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 3月27日。佛教大学からてくてく歩いてやって来たのは今宮神社である。

 実はこの神社、ぼくが昔住んでいた部屋からさほど遠からぬ所にあるのだが、訪れるのは今回が初めて。北野の天神さんへはよく行ったけれど、こちらにはご縁がなかった。

 門前の道の左右には名物あぶり餅のお店があり、どちらも六百年以上の歴史があるというから恐れ入る。そういえば清涼寺でも名物あぶり餅をさかんに宣伝していたが、この手の名物は道連れでもいなければ食べようという気にはなれないからパス。このままではあぶり餅を食わぬままあの世へ行くことになりそうだ。

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 小さな神社だとずっと思いこんでいたのだが、どうも雰囲気がちがう。

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 境内は予想よりもずっと広く、ちょっと驚いた。

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 おお、立派なお社ではないか。

 ここも予備知識がなかったから、あとで調べてみたところ、別名「玉の輿神社」というらしい。西陣の八百屋の娘お玉さん(1624-1705)が玉の輿に乗って徳川家光の側室となり、綱吉の生母桂昌院として権勢をふるった。その彼女が、当時寂れていた今宮神社に肩入れしたところから(どこかで聞いたような話だが……(笑))、そう呼ばれるようになったのだという。

 境内にはほかに小さなお社(摂社・末社)がいくつもあるけれど、ぼくが興味をひかれたのは玉の輿でも摂社でもなく、

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この絵馬所である。北野天満宮の絵馬所を一回り小さくしたような印象だが、こちらも相当古いものらしい。

 せっかくだから、ちょっと中をのぞいて見よう。年号のあとには、手元の日本史年表の記事をメモしておいた。

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 寛政九年(1797年)。十月、江戸の落語を禁止。十一月、対馬海上に外国船出没。

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 これも寛政九年。

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 明和九年(11月に改元して安永元年 1772年)。一月、田沼意次老中となる。二月、江戸大火。九月、南鐐二朱銀発行。十月、大阪天満宮青物市場問屋、同綿屋仲間株などを公認。

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 またしても寛政九年。どうやらこの年京都市民は競って絵馬を奉納したらしい。

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 馬がいたのでビックリ(笑)。

 絵馬のほんの一部しか写真を撮らなかったが、じっくり見る価値あり。北野天満宮の絵馬所はいつも大勢の人でにぎわっているけれど、ここは無人であった。絵馬鑑賞には最高の環境である。

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 こんな堂々たる楼門があるとは……

 あぶり餅はともかく、絵馬所には感心した。再訪する価値は十分にある。

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 この日二つ目はまるで方角ちがいの熊野神社。二年半前に訪れた若王子神社と同じく京都三熊野のひとつである。

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 三熊野のうち最も古い神社(811年~)らしいが、境内は若王子神社よりも狭い。今宮神社とは反対の意味で予想が外れてしまった。ここは応仁の乱で荒廃したのち再建されたというから、もとはもっと大規模な神社だったのかもしれない。

 今宮神社もそうだったが、ほんの数人の参拝客をみかけたのみ。もちろんお祭りでもあればかなり人は集まるにちがいないけれど、お寺にせよ神社にせよ、京都は観光客の押し寄せる所とそうでない所との差が極端である。

 経営上は大勢の観光客に来てほしいところだろうが、見物する立場からいえば、人は少ないほうがよろしい。むずかしいところである。

(つづく)

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May 14, 2017

Daily Oregraph: 京都足棒日記 神社巡り編 (2)

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 3月26日。この日最初に訪れたのは、東寺近くの六孫王神社。

 「清和源氏発祥の宮」とあるとおり、六孫王とは源経基(つねもと)を指す。経基は清和天皇の第六皇子の子、つまり孫にあたり、鎮守府将軍に任ぜられ源姓を与えられたので清和源氏といい、のちの頼朝につながる。

 「出生から出世まで」は面倒を見てくださるが、いったん出世したらあとは独立独歩ということらしい。

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 鳥居をくぐると中央には池があり、丸い石碑には神龍池という文字が刻まれている。

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 神社のサイトにある説明によれば、昔は「六ノ宮権現とも呼ばれ」今昔物語集巻十九第五話に「六の宮といふ所」とあるのがこの神社らしい(注:原文は中川@やたナビさんの労作「攷証今昔物語集(本文)」で読むことができるのでご参照いただきたい)。

 しかし行きあたりばったりで行動するぼくにそんな予備知識はなかったから、境内をブラブラしただけだったのは残念である(もっとも、一切の先入観なしに訪れるのも楽しいのだが……)。

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 この日二つ目の神社は桂川を渡ってすぐ、嵐山の少し南に位置する。

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 松尾大社。大社らしく鳥居も大きい。

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 境内の広さは、コンパクトな六孫王神社とは比較にならない。

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 ええとこのお子さんなのだろうか、着物姿の(たぶん)姉・弟のお参りするところをプロとおぼしき人々がビデオ撮影していた。

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 この大社も予備知識ゼロだから、どんな神様を祀るものやらわからず、ウロウロしていると、人だかりがしている。

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 どうやら大ベテランの方が山車(?)の組み方を指導されているらしかった。よほどおたずねしようかと思ったが、みなさん真剣そうなので遠慮しておいた。

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 「樽うらない」とは初めて見るものである。初穂料300円で矢を二本渡してくれる。それで樽を的にして射るわけだが、真ん中の黒丸に命中すれば「大吉」、その外側の赤丸だと「当り」、外れると「あまり福」(凶でないところがやさしい)、それぞれに対応するお守りをいただけるらしい。

 この場合、純然たる運任せではなく、弓道の心得の有無がおおいに関係するから、ぼくがパスしたことは申し上げるまでもない。

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 なんで樽うらないかというと、酒樽を正面に据えたお酒の資料館なるものがあったので納得。お酒に縁のある神様だということがわかった。

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 ここの神様は禁酒はされないが(笑)、禁煙主義らしい。

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 祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)だが、もともとは松尾山山頂付近の磐座(いわくら)信仰らしいから、三輪山に似たものなのかもしれない。

 この神様は酒造りがお得意で、素戔嗚尊は松尾の神様のお造りになったお酒を飲んで八岐大蛇を退治したのだそうな。なんだか頭がボーッとするほど大昔の話である。

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 こちらにはしゃもじ形の「かけ絵馬」というのがあって、どうするのかと思ったら、

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こういうことであった。

 (もう少し嵐山に近ければ、観光客がわんさと集まるのかもしれないが)この日は日曜日にもかかわらず、意外に人出は少なかった。

 帰宅後調べてみたら、見所はもっとたくさんあったようだ。インターネット環境になかったから仕方ないけれど、ある程度の予備知識はやはり必要らしい。六孫王神社もそうだが、もしまた機会があったら再訪してみたい。

(つづく)

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May 10, 2017

Daily Oregraph: 京都足棒日記 神社巡り編 (1)

 早いもので、もう五月も半ば近くになろうとするのに、これから三月の話をするのもどうかと思うが、このブログは備忘録を兼ねているから、記憶の薄れぬうちに記録しておこう。

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 3月24日。この日は隣り合った二つの神社を見物した。どちらも二度目であるが、なかなか興味深い場所である。

 まずは菅原院天満宮。

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 ここで見るべきものは道真公産湯の水である。いかにも頭がよくなりそうだが、時すでに遅し、飲んでもムダだろうから遠慮しておいた。

 -おい、本当に道真さんはこの水で産湯を使ったんだろうか?

 すると、この写真を見たぼくの大阪の友人は、バチあたりにも、

 -ウソに決まってるだろ。

 素直に信じればいいものを(笑)、どうにも困った男である。

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 境内には入れ子式に二つの社があって、右はお稲荷さん、左が梅丸大明神。梅丸さんのほうは、意外にも学問成就ではなく、癌封じ・はれものに効ありとか。

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 お隣は護王神社。こちらはかなり境内が広く、狛犬の代わりにイノシシが出迎えてくれる。

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 ここは和気清麻呂を祀る異色の神社である。この人は怪僧道鏡のたくらみを阻止しようとしていったん左遷され、のち復帰して従三位を賜っただけでなく、神様にまで昇格してしまった。なかなかのインテリであったらしい。

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 その清麻呂さんは足腰の守護神として信仰されている。インテリ官僚と足腰との関係はちょっと想像しにくいが、

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そのわけはこれを見よ。

 なるほど足腰との関係やイノシシとの縁はわかったけれど、実に不思議な話である。道案内なら一頭で間に合いそうなものなのに、なぜ三百頭ものイノシシが出現したのか? ぼくは不勉強でわからないが、昔の説話集にでもそれに関係する話が残っているのかもしれない。

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 以前もご紹介したが、この神社には喫煙コーナーが設けられている。さすがは清麻呂さんである。配慮が行き届いている。

 参拝客専用とあるからには、もちろんお礼としてお賽銭はさし上げてきた。

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 中国人観光客のものらしき絵馬もあった。

 癌封じ、足腰ご守護、身体健康……今も昔も神頼みの大目的であることに変りはない。それももっともである。縁結びや学業成就などを神様に祈るのは人生のほんの一時期、それも健康である時期にすぎないからだ。あとは健康……自分の足腰が弱りはじめると、それがよくわかる(笑)。

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 ほら、ここにもイノシシ。なかなかおもしろい神社だから、京都見物の機会があったら、ぜひお参りするようおすすめしたい。

(つづく)

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April 21, 2017

京都足棒日記 植物編

 このたびはあまり収穫はなかったけれど、一応植物編としてまとめてみた。

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  今年初めて見た桜(3月26日 洛南高校)。

 今年はソメイヨシノの開花が遅く、残念ながら満開の花見を楽しむことは出来なかった。ちょうど入学式のころにはあちこちで「サクラ サク」ことになるのだろう。

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 そのかわり市内のあちこちで見かけたのが椿である(3月24日 南区)。

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 椿にはバリエーションがあるらしく、前の写真の花とは趣が異なる(3月27日 今宮神社近く)。

 花はボトッという音とともに地面に落下する。慣れないと少々驚くかもしれない。

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 稲荷山で見た竹藪とはまるでちがい、凜然とした姿はまこと禅寺にふさわしい(3月27日 大徳寺)。

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 ユキヤナギ(3月27日 同志社大学前)。

 わが裏庭でユキヤナギが咲くのは6月の初めだから、なんと二ヶ月もの時差がある。この季節感のちがいあるがゆえに、北海道人が古典の詩歌を理解するのは困難なのである。

 花をながめただけで、とうとう同志社のキャンパスには入らなかった。あいかわらず未知の領域のままである。次回はぜひと思っているので、嫌わんと中に入れてね。

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 満開の桜のかわりといってはなんだが(笑)……ちょっとさびしいから、華やかなレンタル着物おねえさんのグループを(3月28日 八坂神社)。

 おやおや、手前右のおねえさんはキヤノンの一眼レフか。やるもんだなあ。ジジイの負けである。

 さて順番でいえば、京都神社巡り編が残っているのだが、当然のことながら、地味な内容になりそうだ。次回から数回大阪編をはさんで、最後に神頼みをすることにしよう。

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April 20, 2017

京都足棒日記 六条通突キ抜ケ編 (2)

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 前回同様略図を示しておく。おおむね左右対称という、実に美しいルート(笑)である。

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 いきなり本堂(?)というふしぎなお寺からは、盛んに太鼓の音が聞こえてくる。とても21世紀とは思われぬ雰囲気が漂っていた。

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 別にのぞき見をしたわけではなく、開けっ放しだから自然に目に入ったのである。お坊さんがドンドン太鼓を打ち鳴らしながら般若心経を唱えるそばには、ご祈祷を受けるご婦人が立っていた。ご家族の病気でお悩みなのかもしれない。

 このお寺は初めて拝見したのだが、千年以上の歴史を誇る古刹である。因幡薬師という名のとおり、ご本尊は薬師如来、それを天徳三年(西暦 959年)橘行平が因幡の国の海中より引き上げて、自宅に建てた因幡堂に安置したのだそうな。

 平等寺の名づけ親は高倉天皇。前回京都を訪れたとき、ぼくは高倉天皇陵を拝見してきたので、これもなにかの縁であろうと思った。仏縁やら高倉天皇さんのご縁やら、こう縁だらけでは、なんだかクモの巣に絡め取られたような心地がする。

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 ここには賓頭盧(びんずる)さんもチョコンと坐っており、ぼくもつい頭をなでてしまった。そうせずにはいられない、一種の引力を感じたのである。

 しかし頭がツルツルになるのは困るから(笑)、心ばかりのお賽銭を上げておいた。どんなご利益があるのやら。

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 平等寺をあとにして、ふたたび松原通へ出る。

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 平等寺のすぐ近くから右手に折れ、東洞院通りを南下する。

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 10時31分、六条通りに到着。写真は西から東を見たところで、画面左が今歩いてきた東洞院通りである。

 いかにも道路を拡幅したという形跡が残っているけれど、いかなるわけがあったのか、広いのはここだけ。

 この通りを東へ向ってもいいのだが、本日は旧六条通りを歩くのが目的のひとつだから、ふたたび左折して、もと来た道へ戻ることにした。

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 旧六条通りの入口は六条通りからすぐ、黒い車の停まっている角を右に入る。

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 旧六条通り。ここを東へ向って前進。

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 やがて見えてきたのは高倉幼稚園(高倉通六条上る)。ここもまっすぐ進む。

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 気のせいか、道幅が少し狭くなったように感じる。

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 小路を抜けると、長講堂にぶつかる。初めて目にしたのだが、元六條御所というから、なんとなく由緒がありそうだ。

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 こういう案内板は、歩いているときに読んでもどうせ頭に入らないから、ぜひ撮影しておくべきである。

 なになに……「もとは六条西洞院にあったが」とあるから、天使突抜四丁目の角、六条郵便局のすぐ近所ではないか。そこからここまでやって来たというのはおもしろい。

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 長講堂前からは、少しの間北東へ進む。

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 すると間もなく同じ並びに蓮光寺がある。

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 長宗我部盛親さんとはお付き合いがないけれど、このお寺は浄土宗だから法然さん、さっき見たばかりの長講堂は西山浄土宗で、やはり法然さんの流れを汲む。

 ぼくはバチ当たりの男だが、これは法然さんのお導きと考えるしかなさそうだ。もはや仏縁でがんじがらめである。

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 蓮光寺を過ぎてすぐ、家具屋さんの前を右に折れる。

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 だんだん終点が近づいてきた。

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 さてこのあたりの地名は本塩竃(もとしおがま)町である。なんで京都に塩竃が? という疑問に答えられるほどには、いつの間にかぼくも成長していた(笑)。

 この日の散歩コース最終目的地である六条河原院跡について以前書いた記事があるから、ぜひご一読いただきたい。疑問が解決すると思う。

 

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 やがて正面に河原町通りが見えてきた。

 「女人守護 いちひめ神社」があったのでおじゃましようとしたら、

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このとおり工事中で、仮の通路上でも工事関係者が忙しそうにしておられたから遠慮しておいた。ぼくには仏縁はあっても女縁はないらしいが、どうせもうすぐ頭が賓頭盧さんみたいになるんだろうから、もうどうでもよろしい。

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 画面右が河原町通り。このあたりを河原町正面という。ここは河原町通りを渡って東(画面では右)へ向う。

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 するとすぐに高瀬川。橋の向こうへ渡って、

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煙草屋さんの店先の灰皿をお借りして一服したのち、高瀬川沿いに北上する。

 このあたり、なかなか落ち着いて感じのいい場所である。

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 10時59分。ほら、見えてきた。河原院跡の目印となる榎である。

 散歩コースの終点としては、まことに気が利いていると自慢したくなるけれど、結局は奇人源融の魅力に引かれてやって来たのである。これまた縁なるかな。

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April 18, 2017

京都足棒日記 六条通突キ抜ケ編 (1)

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 3月29日、西本願寺前をスタート。六条通りにはじまり六条通りに終るコースである。写真が多いので、記事を二回に分けることにした。

 第一回目は地図に示したとおり、平等寺まで。できるだけ散歩気分を味わっていただきたく、説明をなるべく短かめにして、写真をいつもより多めに掲載したい。

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 09時32分、西本願寺前バス停を下車して堀川通りの東側へ。ここはなにぶん大寺だから、写真には収めにくい。

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 井筒法衣店が見える。

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 地図には記入しなかったが、井筒前を東西に走る道路は新花屋町通りである。

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 新花屋町通りからワン・ブロック北に、めざす六条通りがある。自転車のおばちゃんのあとについていくことにしよう。

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 これが六条通り。たぶん昔はもっと道幅が広かったにちがいない。

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 まもなく道路の左手(北側)に六条郵便局が見えてくる。郵便局の角を左へ曲がると、

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天使突抜(てんしつきぬけ)四丁目である。地名は風変りだが、通り自体は京都市内ではごくふつうのもの。

 天使突抜という地名のあることは知っていたが、実際に目にするのはこれが初めてである。この奇抜な地名の由来を歩いて確かめてみようというのが、本日の目的のひとつ。

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 たしかに天使突抜四丁目である。案内地図に「東中筋通」とあるので、はてな、と思ったのだが、このあと間もなく謎は解ける。

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 やがて三丁目。このあたりで今来た道をふり返って見る。やはり天使は飛んでいない。

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 三丁目の端に近づくと、大きな通りが見えてくる。五条通りである。

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 五条通りを渡って二丁目に入るが、格別変った様子はなく、どこにでもあるような通りという印象は変らない。

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 天使のくぐりそうなアーチの左側に「東中筋通五条上る 天使突抜二丁目」の住所表示板があり、この通りの名称は「東中筋通」であって、「天使突抜」というのは道路名ではなく、一種の町名であることがわかった。

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 やがて一丁目。

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 それにしても、いかなるいわれがあるにせよ、町名が天使突抜とは、古いんだか新しいんだか、京都人のセンスにはまったく驚くほかない。

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 一丁目の向こう、東西方向に別の通りが見えてきた。

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 松原通りである。これは交差点から西を見たところ。ちょっとした商店街である。

 赤い旗には「松原京極」とある。京都はいわく因縁だらけの町だから、ウサギの絵にもきっとなにかわけがあるのだろう。

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 松原通りを東へ進むと、

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道の右手に、間もなく神社の裏門(?)が現れる。これこそ天使突抜の謎を解く鍵なのである。

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 五條天神宮の表門は西洞院通りに面している。どこにでもありそうなごく小さなお社のように見えるが、実はかなりの古社であって、案内板の説明はぜひとも一読する必要があるだろう。

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 五條天神はテンジンではなくテンシンである。もともとの名称は「天使の宮」で、「社域も広く、社殿も広壮であった」という説明から、天使突抜の由来はだいたい見当がつく。

 東中筋通りはいつの頃か新しく作られた道路で、それがかつては広大だった天使社の境内を突き抜けた、ということだろう。現在では東中筋通りと五條天神との間には若干の距離があるから、この案内板を読まなければ「突抜」の意味はわかりにくいと思う。天使が西洋の angel とはちがうことも、これでわかった。

 わけはわかったが、それを地名に採用するセンスは、やっぱり凡人の理解を越えている。京都恐るべし。

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 新知識を得て少し賢くなったせいか、足取りも軽く(笑)松原通りをさらに東へ向う。

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 やがてまた大きな通りにぶつかる。

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 南北を走る烏丸通りである。したがってここは烏丸松原。

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 10時06分。烏丸通りを渡って間もなく、本日第二の目的地、平等寺に到着。別名因幡薬師である。

 次回はこのお寺で一服してから先へ進むことにしよう。

(つづく)

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April 15, 2017

京都足棒日記 仏縁散歩編

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 3月27日。千本北大路でバスを下車。

 この日は今宮神社をめざしたのだが、地図をながめると、近くに佛教大学があるので、敬意を表してキャンパスへおじゃますることにした。

 1994年佛教大学は新聞に全面広告を出した。広告といっても、さもしい宣伝ではなく、

      人間は、
     いつか
     死ぬ。


というコピーだったから驚いた。まさに真理中の真理である。これには不信心者のぼくもすっかり感心し、いつか機会があったら……と思いつづけていたのだ。

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 学生の姿が少なかったのは、まだ新学期前だからであろう。

 警備員さんに怪しまれることもなく(笑)、キャンパスに入ってウロウロしていると、

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法然上人像が目にとまった。そうか、ここは浄土宗の大学なのか。

 浄土宗はわが家の宗旨だから、これもなにかの縁であろう。法然さんの教えは、ひたすら仏教学に励めというのではなく、ただすなおにお念仏を唱えよ、というものだったと思う。たしかに信仰とはそういうものだろう。どんな宗教でも学問的に追究すればするほど、知識は深まる一方で、かえって信仰から遠ざかる恐れもある。

 一切の迷いや疑いを捨て、えらそうな理屈をこねず、思い切って湖にざんぶと身を投ずるのが信仰というものではないか。ぼくはそれができないから不信心者のままジジイになってしまったのである。法然さん、ごめんね。

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 佛教大学をあとにして、予定どおり今宮神社へ向ったのだが、それは別の記事でご紹介することにしたい。今回はめずらしく仏さんつながりの散歩としてまとめよう。

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 今宮神社へ参れば、大徳寺はすぐ近く。すばらしい散歩道でもある大徳寺の境内をブラブラする。

 清水寺や伏見稲荷のように観光客でごった返すことはないし、ここはおすすめの散歩コースのひとつだ。

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 休憩所では無料セルフサービスでお茶をいただくことができる。さすがは一休さんゆかりのお寺である。ありがたいことだ。一休み、一休み。

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 門前で大徳寺納豆をおみやげに買う……つもりはなかったのだが、写真左のお店の前を通りかかると、おばちゃんに声をかけられた。これも仏縁か?

 このおばちゃんが商売上手で、まあ納豆をつまみなさいといって、チリメンジャコといっしょに差し出してくれた。大徳寺納豆とチリメンの組合せは、最強のご飯の友なんだそうである。お茶の接待までしていただいたのに買わないわけにはまいらぬ(笑)。

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 ここまで来た以上、新大宮商店街ははずせない。その昔、たったひとりで夜中にこの商店街を駆け下って大徳寺門前で折り返すという、勝手に名づけて大徳寺マラソンを実行したとは、今のジジイからは想像もつかない驚愕の事実(笑)である。

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 法然さんから途中一休さんをはさんで、お次は親鸞さんへ。といっても仏さんに導かれたというわけではなく、どうしてもここ大谷大学を訪れたかったのである。

 学生時代バスの窓から何度もこの煉瓦建築をみかけ、一度間近に拝見したいと願っていたのだが、やっとその機会が巡ってきた。

 当時は校門から遮るものなく煉瓦の建物が見えたと記憶している。手前のコンクリート構造物はなかったはずだ。

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 期待にたがわぬすばらしい建築である。尋源館というらしい。ぼくの記憶中ではもっと古色のついた建物だったから、たぶん改修工事をしたのだろう。

 煉瓦建築というと、同志社があまりにも有名だけれど、それに一歩もひけを取らぬ堂々たる建物で、一見の価値はある。

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 ドアを開放していたので、内部もちょっとだけ拝見したが、たいへん格調の高いものであった。

 尋源館を見学して、思い残すことがひとつ減ったのはうれしい。なんだかんだとやたら学部を増やして商売にはげむ大学が多い中、文学部のみの単科大学をつらぬく本学の姿勢には好感がもてる。一層のご発展をお祈りしたい。


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 キャンパスを拝見して校門を出ると、脇に喫煙コーナーがあった。おお、これぞ慈悲の心ではないか。

 喫煙者は今や悪人である。おのれの極楽行きを信じて疑わぬ、つまりは救済を必要としない善人たちに指さされ、愚か者よ、うつけよ、と軽蔑されるままに、街中で灰皿を探してはコソコソとタバコを吸う、つまりは自覚性の悪人である。

 例の「善人なほもて……」を思い浮かべつつ、ぼくはありがたく一本のタバコを味わった。やはりこの日は仏縁による散歩だったのだろう。

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April 13, 2017

京都足棒日記 ふしぎいなり編 (3)

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 よく山道は下りに気をつけよという。膝を痛めやすいからだろう。

 若い頃はそんなバカなと鼻で笑っていたのだが、このたびは予想外に下りに時間がかかったのには愕然とした。かつてはタッタッタッと軽やかに駆け下りることができたのに(ベートーヴェンの交響曲第8番第2楽章冒頭を想起されたい)、なんということだ!

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 それでも登りよりずっと楽なことはいうまでもなく、途中店先をながめる余裕もできたのはなによりであった。

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 ところでお稲荷さんといえば、どうしてキツネなんだろうか? 少し長いけれど、『京都の旅 第1集』(松本清張・樋口清之 共著 光文社文庫)から引用してみよう。

 元明天皇の和銅四年(七一一年)に、賀茂氏の出身の賀茂の伊呂具(いろぐ)という者に秦公(はたのきみ)の姓を与えて、山城の秦氏をおさめさせた。

 この伊呂具が、あるとき、餅をつくって的にし、矢を射たところ、餅は白い鳥になって飛び立ち、それがいまの稲荷山にとどまって、そこに稲がはえたので、ここを稲成り(いねなり)と呼び、稲成りの神をここにまつらせたのが、いまの稲荷神社のはじまりと伝えている(『山城国風土記』 逸文)。

 (中略)稲荷の社は、祭神としてはウガノミタマノカミなどをまつっている。そして食物は御饌(みけ、みけつ)ともいわれた。この神は食物神、すなわちミケツの神であるが、ミケツ→ケツ→キツ→キツネと音から転じて、稲荷は狐だと思われるようになる。そこへ仏教のもってきた印度の稲の神が、頭に狐のかんむりをのせた陀枳尼天(だきにてん)であった偶然から、いよいよ稲荷は狐の姿をした神であると、つよく信じられたらしい。

 つまり最初にキツネありき、というわけではなかったらしく、キツネは神様に昇格して得をしたことになる。

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 登りとは別の道を下った証拠写真。正面がいま下ってきた道で、左手が清瀧社へ向う道である。

 この写真の登場人物はいずれもリュックを背負っている。なるほど低い山だと甘く見ず、ちゃんと準備しておくに越したことはない。先達はあらまほしきものなり、である。

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 ふたたび四ツ辻へ。登るにも下るにも、ここは格好の休憩場所である。ぼくも一服。

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 朝よりも人出が多いようだ。レンタル着物カップルはもちろんお山には登らずに戻るところであろう。それが賢明だな(笑)。

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 ちょうど12時を回ったところだったから、うまそうな焼だんごにも心ひかれたけれど、行列を見て退散した。

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 帰りの電車を待つホームから。

 踏切を渡る参拝客の数にはビックリ。しかも人種のるつぼである。

 結局この日はぐったり疲れて部屋に戻ったのだが、大体の地理さえ飲みこめば、二度目はさほど苦労せずに山頂まで登れるような気がしないでもない。

 いつ果てるともしれない石段が疲労を誘うわけで、ここまで来ればあと一息という見当さえつけば、気持に余裕ができる。握り飯とお茶の用意があればピクニック気分だろう。

 ぼくはたぶんもう二度と登らないと思うが、あなたも地図とリュックを用意してぜひ挑戦してはいかが? ただし真夏にはおすすめできない(笑)。

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