January 29, 2016

Daily Oregraph: 清和院御門

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 いささか唐突だが……清和院御門である(2014年10月16日撮影)。

 歌人太田代志朗さんの日録1月27日の記事を拝見したら、

 されば京都・広小路ーー清和院御門前、ここにも高額マンション分譲中なり。

とあったので、つい懐かしくなり、写真を探した次第である。

 昨日納戸の中から、もう処分したと思いこんでいた昭和48(1973)年発行の京都ガイドブックがみつかったのも、なにかの因縁であろう。以前にも書いたことがあるけれど、古い地図は捨てるべからず。同書中の地図がまことに貴重なのである。

 いまや絶滅危惧種と化した(?)広小路派のみなさまのために、同書から清和院御門付近の地図を転載しておこう。赤い丸印が清和院御門、直線部分が広小路である。

 マンション建設の是非はともかく、この場所は一等地であるといっていいだろう。


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 体育の時間に、御苑内でソフトボールをしたことをご記憶の方もおいでだろう……というわけで、本日はまるで一般受けしないマニアックな記事(笑)になってしまった。

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December 07, 2014

Kyotorogy 2014: しめくくり-意味を求めて

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 写真はまだたくさんあるけれど、Kyotorogy シリーズは本日をもって最終回とする。

 このたび使用したのはこのコンパクトカメラ一台のみ。粉塵舞い散る仕事場の環境では、防塵防滴のカメラでなければたちまち故障してしまうからこれを選んだのだが、ポジフィルム風味のコクのある写真が撮れるので、すっかり気に入っている。

 起動が素早いのは長所だけれど、欠点もいくつかある。第一に、レンズの位置がいかにも不適当である。慣れるまでは撮りにくくてしょうがなかった。第二に、データの書き込みに時間がかかり、イライラさせられること。第三に、背面のボタンを知らぬ間に押してしまい、誤操作が多発すること。

 それらの欠点さえなければ、もうじゃまくさい一眼レフはいらないと思う。旅先では身軽が一番だからだ。

 一年半以上も使い込んでいるうちに、角が擦れてプラスチックの地がむき出しになってしまった。操作ボタンもときどき正しく反応しないことがある。劣悪な環境にさらしたせいだろう。そろそろ買い換え時なのかもしれない。

 さて今回でシリーズもおしまいだから、いくつかヘンな写真を選んでみた。なんでこんなものを……と本人にもわからぬものも多いけれど、わざわざシャッターを切るからには、たぶんワケがあったのだろう(笑)。

 そこで本日のテーマは、意味を求めて。

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 2014年9月22日撮影。もちろんなんの意味もない。しかしみなさん何事にも意味を求めすぎる困った傾向にあるから、たまにはナンセンスにも治療的意味はある?

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 9月26日。まるで京都らしくないところに、ちっとは意味があるかもしれない(笑)。

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 9月29日。これは大いに意味がある。足の弱ったお方は、印刷してどこかに貼っておくといい。きっとご利益があるだろう。

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 9月29日。質問。花が咲くのに意味がなくてはいけませぬか?

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 10月8日。このヘタウマの少年少女は、いったいどういう役割を果たしているのだろうか?

 -バカだなあ、君は。「正面玄関にまわってください!」といっているんじゃないか。

 ほんとうにそうだろうか? 謎の一枚である。

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 10月10日。みなさんは町を歩きながら、ふと目を引きつけられる光景に出くわしたことはないだろうか。たとえば、こんな。

 どうしてなのかはいくら考えてもわからないのだが……

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 10月12日。これもそうだなあ。意味と無意味の境界線?

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 10月12日。千成食堂のマークがおもしろかったのでカメラを向けたら、偶然一人の男性が走ってきたので、カメラを少し右に振ってシャッターを切る。

 その結果、最初の意図とはまるで別の写真になってしまい、千成マークの存在感はかなり霞んでしまった。だとすれば、画面に影響を与えたわけだから、この人物にはなんらかの意味があるにちがいない。

 それをうまく説明できればあなたも立派な評論家、あとはお任せします。

 なお比較検討のために、全く同じ構図で人物の入らぬ一枚と、最初の意図に沿った一枚も撮っておくべきだったかと、今になって反省している。評論家になるせっかくのチャンスを逃してしまったのは残念である。

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 10月12日。これはもう意味に満ちた写真である。意味だらけ。

 お断りしておくが、ぼくは某政党を宣伝するつもりもけなすつもりもなく、完全にニュートラルである。京都ではこの政党のポスターは地蔵さん同様ユビキタスだということをご承知おきいただきたいと思う。

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 10月14日。どんなものでも意味をこじつけることはできる。モダンアートなんてたいていそうじゃないか、などと失礼なことはいわないけどさ(あ、いっちゃった)。

 漢字二文字にはこじつけなくともたしかに意味があるけれど、これは意味ではなく古くさい書体に目を引かれたんじゃないかと思う。してみれば、書体の選択には漢字本来の意味するところとは別の意味があるらしい。

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 10月18日。おばあさんの祈りは難題である。ぼくの踏み込めない領域といっていい。

 しかし葬式などで義理に手を合わせるのと、自ら進んで祈りをささげるのでは、まるでちがうことは間違いない。無意味だなどとは、だれがいえるだろうか。

 ふり返ってみれば、文化都市京都で哲学の道を歩き通したおかげだろうか、ぼくも少しはマジメになれたのかもしれない。ありがたや、ありがたや。

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December 04, 2014

Kyotorogy 2014: 六条河原院

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 2014年10月16日。広小路をあとにして、府立医大前からバスに乗り、河原町五条で降りるつもりが、ボンヤリ考えごとをしていたため、一つ先の河原町正面で下車。

 目的地は初めてだが、大体の見当はついていたから、高瀬川沿いの道に出て北上する。

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 河原町五条で下車していたらこの道を通らなかっただろうから、ボンヤリしていたのがかえって幸いしたようだ。歩きながら、つくづく京都は散歩するためにあるような町だと思う。

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 この巨木には驚いた。うっかり切り倒そうものならどんな災難がふりかかるかしれぬ、といった堂々たる貫禄をそなえている。ご神木というのはこういう木をいうのであろう。

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 上の写真左手にちらりと見える橋は、高瀬川に架かる榎橋。偉大なる榎の木にちなんで名づけられたのだろう。

 この榎こそ六条河原院跡の目印なのであった。

 能の『融』によれば、海辺でもないのに汐を汲む桶を担った爺さんが登場し、

 -さてここをばいづくとしろしめされて候ふぞ。

 すると東国方より出でたる物好きな男はこう答える約束になっている。

 -この所をば六条河原の院とこそ承りて候。

 その怪しい汐汲みの爺さんこそ、たれあろう、河原院の主左大臣源融(みなもとのとほる)その人の幽霊というしかけになっている。

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 六条河原に大邸宅を構えた融のおとどは、話に聞いてあこがれた奥州塩竃の景色を模した庭園をこしらえた……とまあ、そこまではわかるのだが、

 難波津敷津高津この三つの浦より潮を汲ませ、ここにて塩を焼かせられ候ふにより、汐汲の数も、浦にて汐を汲む者千人、運び行き違ふ者千人、ここにて山へ分け入り薪を取り汐を垂れて焼く者千人……

 京都盆地で製塩をするために人足都合三千人とは、酔狂も度が過ぎている。これを「風流を極めた生活」というのは、ちと的はずれではあるまいか。こんな途方もないことをするには必ず訳があったはずだ。

 ぼくは日本史はまるでダメだから自信はないけれど、案内板の説明文に「摂政藤原基経の台頭により隠棲」とあるのがヒントになるのではないかと思う。基経は策士らしいから、融はよほど鬱屈した心境にあったのかもしれない。やけっぱち、基経へのあてつけ、あるいは佯狂の疑いさえあると思う。そうでなければ、だれがそんなアホな真似をするであろうか。

 しかしこの手の阿呆はけっして嫌いではないから(笑)、ぼくはわざわざここまでやって来たのである。いやしくも大臣を名乗るなら、ケチな帳簿の小細工などはやめて、このくらい堂々たる公費の無駄づかいをしてほしいものだ。

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 これが案内板にある榎大明神らしい。建物に張りついた鳥居をくぐって入ったのだが、あまりにも暗いから、さすがにストロボを発光させた。まことに奇妙な構造の神社で、こういうのは初めて見た。

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 榎大明神の裏手へ回ってみる。

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 広大な敷地を誇ったという河原院は跡形もなく、いまに面影を伝えるのは榎の木一本だけ、ぼくがこの世を去れば、残るのはたぶんホワイトホースの空壜一本だけ、左大臣も貧乏人も死んでしまえば一緒である。

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 しみじみと人生のはかなさを感じつつ、五条大橋を渡って、対岸から河原院跡を見る。

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 最後にふたたび五条大橋西詰から河原院跡を見て、変人の左大臣に別れを告げる。真っ昼間のせいか、汐汲みの爺さんはとうとう現れなかった。

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December 03, 2014

Kyotorogy 2014: 荒神橋から広小路へ

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 河原町通りに面する荒神口(2014年10月16日撮影)。14日のミニ同窓会で荒神口のことが話題になったので、12年ぶりにやってきたのである。

 「荒神口」という標識のすぐ裏手、車が2台駐車しているスペースには、かつて「しあんくれーる」という喫茶店があって、ぼくもたまに入ったけれど、とっくに建物ごと消えてしまった。『二十歳の原点』に登場するというので有名になったお店である。

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 荒神橋のたもとにあるリバーバンクという喫茶店も古くからあるお店だと思う。
 
 のんびりした景色からは想像しにくいが、1953年にはここで荒神橋事件といういたましい事件が起こり、京大生が多数重軽傷を負っている。事件の引き金となったのは本郷新作の「わだつみ像」である。

 京大の学生たちは(写真でいえば手前方向に向かって)荒神橋を渡り、当時河原町広小路にあった立命館大学へ向かおうとしていたところを警官隊にはばまれたのである。

 この事件やわだつみ像についての私見はさし控えておくが、そんなことがあったということは知っておいてもいいと思う。いまとなっては世の中変わりすぎて、まるでウソのような話のようだけれど、未来永劫同種の事件が起こらないとはかぎらないだろう。

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 荒神橋から見た鴨川上流。

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 荒神口から河原町通りを少し北上すると広小路通りが見えてくる。写真では道路の斜め向かい、中華料理屋の赤いオーニングの見える通りである。あそこには書店があったと記憶している。

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 河原町側から見た広小路。

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 現在は京都府立医大の関連施設が建っている。かつて狭苦しいキャンパスに陰気で煤けた建物が立ち並んでいたとは、とても想像がつかない。こうまで様変わりしてしまうと、なつかしいともなんとも感じないものだ。

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 すぐ近くにはここに立命館のあったことを示す石碑があるけれど、まあ、これは一種の墓石みたいなものであろう。

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 河原町通り(東)と寺町通り(西)の間を東西に結ぶ狭い通りが広小路で、こちらが寺町側の角。この建物は当時のままである。寺町通りの向かい側に京都御苑が見える。

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 仁丹マーク入りの住所表示も昔のまま。

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 寺町側から広小路を見て別れを告げる。たぶんこれが見納めになるだろう。

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 すぐ近くの清和院御門。やはり昔の姿をとどめているものは素直になつかしいと思う。

 体育の授業では、御苑内の芝生でソフトボールをしたことを思い出す。

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 すぐ近くに停まっていたタクシーの運転手さんがカメラマン役を務めていた。

 未来のある若人はいいねえ。日本は住みにくい国になりつつあるけど、どうかしぶとく生きてほしいものだ。

 もう先のないジジイは、このあと超マイナーな観光スポット(?)へと移動したのであった。

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December 02, 2014

Kyotorogy 2014: 清水寺素通り (3)

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 五条通りを渡って、適当なところから狭い通りに入って北上する。

 道の先にちらりと見える集団は、どうやら観光客ではなさそうで、路地歩きを趣味とするおばさまたちのグループらしかった。一緒に歩くのは気恥ずかしかったから距離を置いたのである。

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 このあたりはまるで土地勘がないから、どこをどう歩いたのかはわからない。

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 間もなくやや広い道路に出る。正面奥に「五建ういろ」のお店が見えるのを手がかりに、あとで地図を調べたら、突き当たりが大和大路通りである。

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 大和大路通りを北上する。この通りも大路というからには、昔はもっと道幅があったのだろう。

 京都の町は方角さえわかれば、必ず中心街に到達するので、お上りさんでも迷子になる心配はない。安心してでたらめに角を曲がることができるのだ。

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 とはいえ、自分の位置がまるでわからぬのもおもしろくないから、ときどき地名標示を撮っておけ、と藤原愛子探偵も勧めている。

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 きょろきょろあたりを眺めながら歩く姿は、われながらまさに徘徊老人である。

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 やがて鴨川ベリの川端通りに出る。松原橋が見える。

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 上流に見える橋は団栗橋である。前日濁っていた水も、この日は澄んでいた。

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 松原橋を渡ると、四条河原町はそう遠くはない。写真はここまでとしておこう。

 ここに来て思い出したのが六条河原院跡である。ついでに足を伸ばそうかどうか迷ったけれど、翌日出直すことにした。

 なお現在の五条大橋は松原橋の下流側にある。しかし豊臣秀吉の頃までは、この松原橋こそ五条大橋なのであった。六条河原院跡が現在一条ずれた五条大橋のすぐそばにあるのはそのためである。

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November 30, 2014

Kyotorogy 2014: 清水寺素通り (2)

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 清閑寺境内はさほど広くはなく、こじんまりした印象を受ける。苔むした庭といい、全体に「清閑」というにふさわしい雰囲気で、修学旅行のガキども(失礼)が荒らすべき場所ではない。

 見物客はだれもいないと思ったら、先客のおじさんをひとりだけみかけたけれど、いつの間にか静かに去っていったようだ。

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 長い話を短くするために(笑)、まずは上の説明文をお読みいただきたい。なるほどそういういわれがあったのか。まことに気の毒な話である。

 高倉天皇の恋路をじゃました清盛は、馬に蹴られこそしなかったが、結局バチがあたって熱病にかかり、悶死してしまったわけだ。

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 これが要石である。磐座神社の親戚のようにも思われる。境内は狭くとも、ここからの眺望はすばらしい。

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 この景色を拝めるだけでも、清閑寺を訪れる価値はあると思う。こうして見ると京都も平凡な大都会と化してしまったけれど、千年の昔にはどんな町並みが見渡せたのだろうか。

 月夜の晩にでもこの場所に来て一杯やったらさぞ愉快だろうと思ったけれど、山門の掲示には「境内での食事は固く禁じます」とあるから、ぼくと同じことを考える人は多いらしい。

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 鐘撞堂前の石碑によれば、ここで西郷隆盛と月照(清水寺成就院住職)が王政復古の謀議をしたらしい。とすれば、月照さんはぼくと同じコースをたどって清閑寺までやって来たのだろう。

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 清閑寺の石段を下ると天智天皇陵参道の道標があったけれど、キリがないから逆の方向へ向かい、五条通りのアンダーパスをくぐる。

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 間もなく山王神社前へ。「村社」とあるが、村というのはかつての清閑寺村を指すらしい。

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 散歩の途中でこういう地元密着型神社に出くわすと、有名観光寺社巡りとはまたちがったおもしろさを味わうことができる。

 さてここまでは地図で自分のたどったコースを再現できたのだが、

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このあとどこをどう歩いて京都女子大の短期大学部前を通過したものか、どうしてもわからない。地図を見れば見るほど不自然なコースなのである。女子大の引力であろうか。

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 知らぬ間に東大路に出ていたので、たった今通ってきた馬町商店会方面を撮影。

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 東大路通りを北上するとすぐに東山五条。つまりいったん離れた五条通りにまた戻ってきたことになる。

 次回は東山区の裏通りを行く。

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November 28, 2014

Kyotorogy 2014: 三人同窓会 後編

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 河原町三条から丸善が姿を消した今、喫茶店六曜社は貴重な存在である。なつかしいなあ、というので入ることにした。

 ぼくは六曜社よりも、通りの向こう側の(たしか)クローバーという目立たぬ喫茶店をよく利用したのだが、そのお店はとっくに姿を消した。丸善で買ったばかりの本を広げてインクの匂いを嗅ぎながらコーヒーを飲むのは、月に一度の贅沢であった。

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 凝ったデザインのカップにコーヒーがたっぷり。これからどうしようか相談したのだが、今さら観光名所でもあるまいから、結局は無方針のまま歩こうというということになる。

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 足が三条大橋に向いたのは、まあ自然の流れだったと思う。T君だったかI君だったかは忘れたが、橋の近くで風変わりなお店を発見し、あそこはなんだろうね? という。

 竹箒や刷毛、それに亀の子ダワシらしきものが並んでいるけれど、屋号も看板も見あたらない。昭和どころか大正風の雰囲気が漂い、一種超然たる趣さえ感じたのは、さすが京都の貫禄であろうかと、三人ともむやみに感心する。

 いままでどうして気づかなかったものか、とにかく一見の価値あり。

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 三条大橋を渡る。

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 鴨川はやはり水量が多く、少し濁っているようだ。

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 三条大橋を渡ってしばらく行くと、以前ご紹介した路地がある。路地の手前の居酒屋はT君にとっては思い出のお店らしい。そんならあとでここに来ようと決めて、さらに前進。

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 路地の南側には市営住宅の建ち並ぶ地区があり、昔なにがあったのかは知らないけれど、I君はやたらこの一帯に詳しく、公衆トイレの場所まで把握していた。

 一同トイレをすませてから、祇園方面へ向かって南下。

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 めざといT君のみつけたふしぎな広告。80年前に東京大学高橋教授の開発したオパールと、110年の信頼を誇るヘチマコロンの対決である。こういう発見こそ京都市内散歩の醍醐味だろう。

 この日二度目の通訳を勤めたのはこのあたりであったか。母娘らしき白人観光客が地図とにらめっこしているのを目にした二人は、おい助けてやれよ、そうだ君の出番だ、などと無責任なことをいう。二人とも専攻は歴史だから、至って気楽な顔をしている。

 そういわれたって、ぼくにこのへんを案内できるわけがない(笑)。それでもあちこちで道をたずねながら、やっと目的の居酒屋をみつけたのは上出来であった。開店までにはまだ時間があるので、「六時まで待たなくちゃいけませんよ」というと、「パーフェクト。場所がわかったから、それまで時間をつぶすので大丈夫よ」というわけで任務終了。冷汗をかいてしまった。

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 ぼくたち三人組は六時まで待たずに、さきほど決めた居酒屋へ入店。T君はかつてバイト帰りにここによく寄ったのだという。なつかしいお店の健在だったことが、よほどうれしかったらしい。

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 -おい、これはなんの刺身だい?

 ふたりともぼくに軽蔑の視線を向けて、なんたる田舎者であろうかという顔をするのには参った。なんとか貝だと教えてくれたけれど、酔っ払っているうちに忘れてしまったのは悲しい。

 T君やぼくとはちがって、I君は最初からしまいまでサッポロビールをぐいぐいやる。彼はサッポロびいきなのである(えらい!)。ぼくもお相伴して、ひさしぶりにサッポロのラガーを味わった。

 I君とは大阪でつもる話をしたので、ここではもっぱらT君の話に耳を傾けた。人間何十年も生きるというのはそうたやすいことではない。お互いにそれなりの苦労はあったし、いまも苦労はつきないわけで、ちょっとしんみりした気分になる。

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 T君がおかみさんから撮影許可をいただいたので、ぼくも便乗して一枚。40年前にT君が通った頃、彼は美青年、おかみさんは若い娘さんだったのである。

 聞けばバイト君二人は大学の後輩とか。そうか、君たちも元気でやれよ、とえらそうなことを言い残して、酔っ払い三人はふたたび夜の町へ。

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 このあとどこへ行こうか散々迷ったあげく、

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結局四条河原町近くのビアレストランで二次会とあいなった。

 酔っ払いのくせに、このお店では文学や歴史などについて、なんだかむずかしい話をしたように記憶している。二人ともずいぶん本を読み、勉強を怠っていないのにはおおいに感心した。立派な友人を持てたことを誇りに思う一方で、一番バカなのはおれじゃないかと反省もさせられたのであった。

 そのバカを、二人は高島屋前のバス停近くまで送ってくれた。どうもありがとう、二人とも元気なうちにきっと釧路に来るんだぞ。

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November 27, 2014

Kyotorogy 2014: 三人同窓会 前編

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 2014年10月14日、京都駅に集合した三人は三重の住人T君の車に乗って、まずは上賀茂神社へと向かった。

 いわばミニ同窓会だから、さしさわりのない写真だけを並べるにとどめておいた。例によって散歩気分だけでも味わっていただければ幸いである。

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 境内を一回りしてから、「絶景 この上市内が一望できます」という文句につられ、二葉姫稲荷神社の鳥居をくぐる。上賀茂神社には何度も来たぼくだが、まだこの坂は上ったことがない。

 三重県から車を飛ばしてきたT君は、かつて目のクリクリした長髪の美青年であった。ぼくは勝手に「男爵」というあだ名をつけたことがある。たとえ落ちぶれて貧乏になっても、貴族たる気品は隠しようもなかったからである。歳月がその美青年をどう変えたかは、武士の情け(笑)、ここではいうまい。

 大阪のI君はチャンチャンコ姿。十月も半ば、京都もやっと少し涼しくなった証拠なのだが、とんとゲゲゲの鬼太郎である。

 三人のうち出世頭はT君であって、さすがは元貴族、なんと今や自治会長だというから、世が世であれば関白太政大臣、位人臣を極めるとはたいしたものだ。

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 二葉姫稲荷神社は、その場所から考えて、上賀茂神社の末社か摂社だろうと思ったら、そうではなかった。廃仏毀釈によって絶えた神宮寺というお寺の鎮守なのだという。創建年代は不明だが、かなり古い神社であるらしい。

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 こちらは二葉姫稲荷神社の末社金毘羅宮。神社というのは実に複雑怪奇で、互いの関係がどうなっているのか理解しにくい。

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 同じく末社の光善稲荷大明神。粗末なお堂(?)から判断すると、あまり大切にされていないようである。I君は「こりゃあ、しょぼいね」と失礼千万なことをいう。バチが当たらねばよいけれど。

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 -おい、これが市内一望の絶景かい?

 -この山の上に登るんだよ。ぼくは登ったことがある。

 そう答えたのは、この一帯を知りつくしたT君である。彼はみかけによらず剛胆な男で、あるときぼくたちを誘って真夜中の上賀茂神社を巡ったことがある。ぼくたちがおっかなびっくりついていくのを尻目に、T君が漆黒の闇の中をドンドン先へいくのには驚いた。 光善稲荷大明神の生れ変わりかもしれない。

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 二葉姫稲荷神社はこちら側からお参りしたほうがいいと思う。鳥居の向こうの暗がりになんともいえぬ神秘性が漂っている。

 世界遺産もいいけれど、こういうマイナーな神社にもまた味がある。京都見物の折にはぜひ。

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 上賀茂の路地。路地マニアはいつでも四方八方に目を配らねばならないのだ。

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 柿なんぞを珍しがるところは北海道の田舎者丸出しで、同行の二人はちっとも関心を示さなかった。

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 無駄話をしながら歩いているうちに、ふたたび上賀茂神社の前へ出る。このあたりはかつての散歩コースである。前日通過した台風による雨のせいで、明神川の水は濁流と化していた。

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 いったん上賀茂神社を離れ、御薗橋を渡ることにした。昔住んでいた建物を確認しようという趣向である。

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 建物は健在であった。三人のうちではぼくがもっとも長くここに住んでいたから、今でも夢に見ることがある。

 -三畳押入れなし。狭くて暑くて、とにかくひどい部屋だったよなあ。

 思わず愚痴が出たけれど、ぼくの部屋を見て独房と評した人さえいたのである。しかしいくら40年以上も昔だって、家賃五千円では文句をつけるほうがどうかしているのかもしれない。

 かの美濃国の住人麦穂亭もかつてここに住んだことがあるとはちょっと信じにくいが、ぼくは彼の残してくれた畳をもらい受けたことを覚えている。そういえば、飲み手のいなかった泡盛の一升瓶をくれたこともあったっけ(笑)。

 現在では部屋の広さは倍になったらしく、どの部屋にもエアコンの室外機が見える。どうやら今の住人は京都産業大学の学生諸君らしい。

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 このあとでランチを食べに近くのしゃれた定食屋へ寄ると、日本語の微妙に通じるような通じないような白人のおじさんが一人入ってきた。たぶんろくに通じないだろうと踏んだI君は、どうも観光客らしくないし、インテリくさいから産大の講師であろうと勝手に推理を下す。

 ライスとお茶はセルフサービスのお店だから、君がヘルプしてやれ、と二人がいうのには閉口した。やむなく元劣等生がボーイを勤めたのだが、このあと別の場所でもう一度通訳をやらされる羽目になったのは何の因果であろうか。

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 食事を終えてふたたび御薗橋を渡ると、少し青空が見えてきた。やはり賀茂川は少し増水しているようだ。

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 上賀茂をあとにして、T君の予約したホテルの駐車場へ移動し、錦市場から新京極あたりをぶらぶらと歩く。

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 新京極では八千代館跡なんぞを見物してから、三人はなおも町をさまようのであった。

 大阪ではかなり歩いたが、この日もとにかく歩いた。オヤジ三人そろって元気なのはめでたいことである。

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November 26, 2014

Kyotorogy 2014: 十三徘徊 (4)

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 通天閣前の新世界市場。名物のコロッケで観光客にアピールしているのだが……

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意外にもシャッターの閉まったお店が多く、人影もまばらである。地元密着型の地味な商店がほとんどのようだから、あまり観光客受けせぬまま、昔からの顧客が減少してしまったのであろうか。規模が小さいこともあるにせよ、十三の商店街とのちがいには驚いた。

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 しかし一歩外へ出ると、このとおり観光客であふれ返っている。

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 とにかく串かつ屋が多い。乱立といってもいいくらいである。

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 この一帯は全体に派手で活気に満ちている。かといって新世界市場が串かつ屋だらけなっては困る地域住民だっているにちがいないし、世の中むずかしいものだなあ……と、つい見物客の分際で余計な心配をした次第である。

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 サンパツ700円! 実は今朝なじみの床屋さんへ行ったので、その話をしたら、たぶん一人頭10分少々ですませるのだろうが、それでは重労働だから長く商売を続けるのは大変だし、みんながそんな料金でやり出したら、われわれは自滅ですよ、とおっしゃる。

 そりゃそうだろうなあ。職人さんの手間を考えれば、なんでも安ければいいというものではない。まったくたまげた話である。

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 たまげたといえば、この金ピカの巨大なビリケンもそうだ。よくもまあ考えついたものだと思う。

 OEDによれば、ビリケン(billiken)は 'A small, squat, smiling figure used as a mascot. ' である。語源はたぶんという前置きがついて、'billy + -kin' (ちっちゃなビリー。ビリーには、仲間、友だちの意味もあり)となっているが、これは全然 small ではなく、もはやあっぱれとしか言葉が出ない(笑)。

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 立ち飲み屋の店先。う~ん、昼間から一杯というのも悪くはない。悪くはないのだが、いくら安くたってさすがに 700円ではすむまいから、それほどの余裕があるなら散髪代もうちっと奮発したりいな、といいたい気もする。

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 やがて動物園前へ。

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 チンチン電車が来るから撮れ、撮れ、といわれたので、すなおに一枚。どうやらぼくの行動を観察していたI君は、この男ならなんでも撮るだろうと判断して教えてくれたらしい。

 どこの電車かわからなかったが、さきほど地図を確認したら、阪堺電軌阪堺線。

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 動物園前から地下鉄に乗って梅田へ。梅田駅とJR大阪駅が隣接しているのは、旅行者としてはどうも納得がいかない。一体どっちなのかハッキリしてくれ。

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 大阪駅でI君の用事をすませて十三に戻ったときには日が暮れていた。どこにもピントが合っていないけれど、大阪ではなにが起こってもふしぎではなく、なぜかもう一枚ピントの合った写真より気に入ったので掲載しておく。

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 ションベン横丁近くの焼肉屋で一杯。このたびはご馳走になりっぱなしであった。知る人ぞ知るお店らしく味は上々、元気のいい従業員のおねえさんとの話も愉快であった。

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 そのおねえさんが記念写真を撮ってくれた。シャッターを切った彼女は、ふたりとも同じ格好やからおもろないという。

 まさか意識したわけではないのだが、なるほどあとで写真を見ると、まるで同じポーズであった。おじさん二人、なんとなく顔まで似ているようだ。もちろん二人とも賢そうな顔立ちだけれど(笑)……だれがタダで見せますかいな。

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 かくして一泊二日の大阪見物は終わりを告げた。そうだなあ、一言でいえば、大阪はビックリの町というところだろうか。

 市内を十分に見物するには数週間は欲しいと思った。動物園前あたりの安いホテルなら貧乏人でも長期滞在できそうだが、たぶんそんなチャンスは来ないだろう。

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November 25, 2014

Kyotorogy 2014: 十三徘徊 (3)

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 案内人の存在は大変ありがたいけれど、どこをどう歩いているのかわからぬところが情けない。たしか地下鉄なんば駅で下車し、あちこち寄り道しながら歩いたように記憶しているが、今ごろになって地図を見てもコースを復元できないのは残念である。

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 頼りになるのは写真だけである。千日前中央通りから黒門市場……はまちがいない(笑)。

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 これは黒門市場だろう。

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 日本橋の「日」の字が見えるから、このあたりで日本橋にたどり着いたのだと思う。本なんぞ売っ払って町を散歩しろ、という文句は気が利いている。しかし散歩、昼飯、映画はともかく、恋愛はちとむずかしい。

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 たどり着いたのはいいが、日本橋はすっかり様変わりしていて、昔々のおぼろげなる記憶とはてんで一致しない。唯一覚えがあったのは高島屋別館だけであった。

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 メイド喫茶のおねえさんも立っているし、まるで別世界に来たような気分になる。

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 今やパソコン、ケータイ、そしてDVDなどが主力商品らしい。

 このあとオーディオ店も いくつか冷やかしてみたが、ラックスの真空管プリメインアンプが37万円というのにはビックリした。もちろん手頃な値段のアンプもみかけたけれど、どうもオーディオは安物と超高級品に二極分化し、かつてほどの勢いがみられないという印象を受けた。

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 この建物には記憶がないけれど、40年前にはずいぶんうろつき回ったから、たぶん目にしていたのであろう。この日は散歩が主目的だったし、音楽好きの I君はオーディオ製品以外にはあまり興味がなさそうだったから、中へは入らなかった。

 五階建てではないのに五階というのには子細があって、Wikipedia の記事を読んでも、複雑すぎてよく飲み込めない。なんでも五階百貨店というのは「地域名」なのだそうである。ようわかりまへん。

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 やはりこういう専門店を見ると日本橋という感じがする。しかし 残念ながら、昔見かけたジャンク屋や抵抗・コンデンサ専門のお店などは見つからなかったので、もう少し歩こうかとも思ったが、

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通天閣を目にした以上、せっかく大阪まで来たのだから、お上りさんらしく新世界へ向かうことにした。

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