May 10, 2016

Daily Oregraph: 相模春紀行 (最終回) 駅舎編

 最終回は駅舎編である。利用したすべての駅を網羅しているわけではないが、撮影できた駅をここにまとめて記録しておきたい。

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 4月18日、横浜駅西口(相鉄)。このように複数の路線が集中する大きな駅ビルだと、とても一枚では駅舎を収め切れないものだ。あまり面白味はないし、散々歩かされて疲れるし(笑)、魅力に欠けると思う。

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 4月18日、JR海老名駅。天下のJRの駅なのだが、この町では脇役のように見え、ホームはひっそりとしたたたずまいである。

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 4月19日、JR宮山駅。寒川神社参拝客の下車駅である。駅前のお店がいい感じを出しており、これぞ伝統的な日本の駅が平成に受け継がれた姿であろう。

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 4月21日、東急等々力駅。町中のローカル駅である。

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 4月21日、東急自由が丘駅。地名から察するに、リベラル派の拠点なのだろうが(?)、駅舎としては可もなく不可もなし。

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 4月21日、京急黄金町駅。駅舎というべきものは見あたらず、機能一点張りの地下鉄駅のような印象である。

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 4月22日、京急品川駅。画面左手はJR品川駅高輪口である。

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 4月22日、JR田町駅。駅ビルはかなりの規模だけれど、ここにはなんとなく昔風の雰囲気が残っているから合格点をさし上げたい。

 さて最後を飾るのは、もちろん……

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 JR番田駅(4月19日撮影)。どうかご贔屓に願いたいものである。

 最後にこのたびお世話になったみなさまには厚くお礼申し上げます。おかげで貴重な経験をすることができました。

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May 03, 2016

Daily Oregraph: 相模春紀行 (5) 4月18~21日 番田駅特集

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 すでに登場したJR相模線番田駅だが、本日は特集記事。たぶん空前にして絶後の企画であろう。この愛すべき駅を、ぜひ記憶にとどめておいていただきたいと思う。

 月日は一々明記しないけれど、4月18日から21日にかけて撮影したもので、写真のファイル名を見れば日付がわかる。

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 番田駅改札入口。今やどの駅に行ってもスイカ。まごまごしながら小銭を勘定しているのは、お上りさんと相場が決まっている。

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 番田駅改札出口。

 ぼくのようにスイカを持たぬ田舎のおっさんは、乗車券を右側に見える回収箱に入れる。つまり料金を踏み倒して素通りすることも可能なのだが、うるわしき日本風の信頼がいまだに生きていることはまことに喜ばしい。

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 相模線時刻表。昔よりも便数がかなり増えたらしい。

 駅周辺にアパートやマンションが増え、子供たちの姿が目立つことからも、働き盛りの通勤客をはじめとする利用客の増加したことがうかがわれる。

 駅が次々と廃止され、便数も大幅に削減される北海道のローカル線とはえらいちがいである。

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 この前ぼくが訪れたときには、改札からホームまでの連絡橋はなかった。

 それでは駅の手前に見える踏切をご紹介しよう。

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 番田第三踏切。渡るとすぐに小さなお社がある。なつかしいという形容は、こういう景色にこそふさわしい。

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 「三」の横棒二本が消えかかっているところに年輪を感じる、味わい深い踏切である。

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 朝日を浴びて番田第三踏切を通過した相模線橋本行き普通列車の英姿(?)。

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 こちらは番田第一踏切。第一と第三がある以上、第二もなければ調和が取れないけれど、いくら探しても見あたらなかった。

 第二踏切はもともと存在したものの、いつの頃か廃止されたのではないか、というAさん説に一票を投じておこう。

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 番田第一踏切を通過中の相模線茅ヶ崎行き普通列車。

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 ふたたび駅前に戻ろう。

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 線路脇にはおびただしい数の自転車やオートバイが並んでいる。列車の便数が増加したのももっともである。

 至近距離にソバ屋さんがあることにご注目いただきたい。これが普通なのだから、海老名駅前にソバ屋のないことを不思議に思ったのである。

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 このすぐ先は番田第三踏切。

 通勤客や通学する小学生たちの通るこの道は、ぼくのお気に入り。小学生の立っているところが田尻第一公園の入口である。この公園もコンパクトながら居心地のよい場所であった。

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 2016年4月21日。ホームから番田駅に別れを告げる。

 この特集をお読みになったあなたには、もう番田第三踏切の位置がおわかりになるだろう。そうだ、あなたも番田へ行こう。

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May 16, 2014

Daily Oregraph: 南小樽駅

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 四月某日。ネタ切れの日は以前撮った写真でお茶を濁すのが一番。

 駅舎の写真を掲載するのはひさしぶりである。何の変哲もない駅舎ではあるが、地面の傾斜からも、さすが小樽は坂の町であることがおわかりいただけると思う。

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 駅舎は無趣味そのものでも、ホームからの景色は純然たる昭和風で、なかなか味がある。当社としては、勝手に北海道遺産に認定することにした。

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 駅前から港へ下る坂道がまたいい。

 この日はいわばロケハンで、たいした写真は撮っていない。しかし南小樽駅から小樽駅へ向かうコースは散歩に最適であることを確認したので、いずれ日を改めてゆっくり歩き直してみたいものである。

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 途中省略して、こちらはおたる都通り。今年はじめて日傘をさしたおばさまを見かけたのでシャッターを切ったもの。

 あいかわらずしょうもない写真ばかりで申し訳ないが、目下『水滸伝』に専念しているのでご勘弁のほどを。

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June 18, 2013

Daily Oregraph: 小樽・札幌 駅舎編

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 そういえば、しばらく駅舎の写真を撮っていなかった。そこで、まずはJR小樽駅。

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 さすがに観光都市だけあって、平日だというのに、多くの観光客が訪れていた。ほんの一時間半ほどだったが、港と町をぶらついてきたので、明日にでも写真をお見せしたい。

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 小樽駅はいいとして、問題は札幌駅である。先代の駅は、それこそ「駅」であって、だれが見たって「駅」だった。

 しかし現在の駅は巨大化、いやすっかり肥大化してしまい、どこからどこまでを駅舎と呼んでいいのやら、さっぱり見当もつかない。なにも東京のマネをしなくたってよさそうなものなのに。

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 「JR 札幌駅」と明記してあるから、ここが札幌駅なのだろう。う~む、ぼくの好みは、やっぱり上厚内駅だな(笑)。
 

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July 27, 2012

Daily Oregraph: 浦幌~上厚内駅

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 今年に入ってはじめて釧路管内の外へ出て、やってきたのがここ浦幌町。目的はうらほろ森林公園である。いつも看板だけ目にして素通りしていたから、一度歩いてみたかったのだ。

 ここにはオートキャンプ場などの施設もあり、整備されすぎてつまらないのではないかと予想していたのだが、そうではなかった。もちろん隅々まで人の手は入っているにしても、敷地は驚くほど広大だし、森の中の遊歩道はなかなか魅力的である。

 ところが丘の上へ通じる急な階段や坂道に同行者が拒否反応(笑)を示したため、散歩は断念せざるをえなかった。残念ながら機会を改めて、いずれひとりで再訪することにした次第である。

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 オオウバユリは釧路でも見られるが、このようににょきにょき生えているのは、十勝管内が温暖なためであろう。植物観察の値打ちはおおいにありそうだ。

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 しょうがないので、付近をブラブラしてから道の駅へ行って、柄にもなくなんとかベリー・ソフトクリームを食べる。釧路よりも気温が高いから、こういうものを食べたくなるのである。

 しかしこのまま帰るのもつまらないので……ひさしぶりにあそこへ寄ってみようか。

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 上厚内駅前通り。しばらく来ていないけれど、この商店跡はそのままである。

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 おお、なつかしの上厚内駅。玄関の戸は、少し力を入れないと開け閉めできないほど渋くなり、いっそう風格を増したように思われる。

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 いつ訪れても、この静謐がすばらしい。駅舎に入ったとたん、外と空気のちがうことがわかる。

 ぼくのインチキ相対性理論によれば、異空間であるからには時間の流れかたがちがってもおかしくはない。きっと浦島効果だってあるはずだから、試してごらんになってはいかが?

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 ここはときどき無性に来たくなる、数少ない場所のひとつである。21世紀はこれに匹敵する建築物をたったひとつでも作り上げることができただろうか?

 以前も書いたように、駅の付近には民家がいくつかあり、おまけにアクセスも容易だし、ここを秘境駅などとおもしろ半分に呼ぶのは明らかに不当である。いわゆる都会人の軽薄さに怒りをおぼえるのはぼくだけだろうか。

【7月28日 付記】

 写真を一枚追加しておこう。

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 連絡橋上から駅前を見たところ。画面右が釧路方面、左が浦幌・帯広方面である。

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December 10, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (9)

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   2011年12月3日撮影 春採駅踏切(駅舎はこの左手)

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   2011年12月3日撮影 踏切の右に春採駅が見える

 南側の丘から踏切方面を撮影したもの。南北を丘に挟まれた地形であることがわかる。なお踏切左手に見える機関車は、青が D801、オレンジ色が D701型である。

 今回の記事は昭和26年から29年まで。


戦後の復興
(2)

 昭和26年3月28日、運輸省の地方鉄道運転規則にもとづき、釧路臨港鉄道運転取扱心得を制定。

 昭和26年6月、太平洋炭礦全面海底下採炭へ移行。

 昭和26年8月より社員の誕生祝が催され、社長の祝言と菓子折が贈られた。


 一見地味なニュースのようだが、実は大きな意味があるように思う。戦後の混乱期が一段落し、人々の気持に少し余裕ができたことをうかがわせるからだ。

 昭和26年9月8日、日米安保条約調印。

 この条約が締結されたのは昭和30年1月である。それに反対して、いわゆる60年安保闘争(立場によっては「闘争」といわず「騒動」というらしい)が展開されたことはご存じのとおり。

 昭和26年9月22日、釧路港重要港湾に指定される。

 ぼくははじめて知ったのだが、戦後釧路港は外国貿易不振を理由に、一時不開港に格下げになる危機を迎えたらしい。不開港になれば検疫や税関の入港手続きができなくなるから、これは大ピンチである。その危機を回避して重要港湾に指定されたことの意義は大きい。

 昭和26年9月、国鉄より客車1両(ナハ1号 定員110名)を譲り受けて使用を開始(この客車は昭和28年11月17日、ディーゼル動車キハ1001号に改装された)。

 昭和26年10月、埠頭3号上屋(826平米)1棟が完成。

 昭和27年1月28日、国鉄払い下げの蒸気機関車1両(10号機関車と同型)を11号機関車として導入、2月より使用開始。

 昭和27年3月4日午前10時過ぎ、十勝沖地震(M8.3)が発生、東釧路~春採間2.5km付近および春採~知人間5.4km付近の線路・道床が被害を受けた。


 当地方は地震多発地帯だが、この地震は津波をともない、

 死者8人、負傷者36人を出し、津波に襲われる恐怖感から、幣舞橋を通り高台へ避難する3万人もの市民で大混乱になった。施設損害では、特に釧路川市設魚揚場岸壁、北埠頭の港湾施設を中心とする公共施設の打撃が甚大だった。-『釧路港開港百年記念誌』(平成12年 釧路新聞社)

 特に甚大な被害を受けたのが、昭和25年12月に完成したばかりの北埠頭であった。また、

 太平洋炭砿ではズリ山が崩れ炭住二戸が一気に押しつぶされた。学校などの集合煙筒も落下した。火災が発生し、刑務所の大塀も大半くずれた。-『目で見る釧路の歴史』(平成4年 釧路市)


 なお『目で見る釧路の歴史』によれば、地震による死者は16人、負傷者30人で、『釧路港開港百年記念誌』の記述と大きく食いちがっている。20世紀の事件にしてかくのごとし。本気で歴史の勉強をするつもりなら、多くの資料を参照して確認せねばならぬことがこれからもわかる。

 余計な話だけれど、邪馬台国などはまともな文献が『魏志倭人伝』しかないのだから、画期的な考古学的発見でもないかぎり、あと百年かかっても決着はつくまいと思う。


 昭和27年9月30日、東釧路~城山間1.635kmより分岐する加藤ベニヤ工場専用側線(延長172m)新設。

 昭和27年10月25日、知人~臨港間8.260kmより分岐する東栄工業工場専用側線(延長67m)新設。


 これらの側線はのちに撤去され、現在は存在しない。

 昭和27年12月1日、知人駅本屋新築工事竣工。

 昭和28年5月1日、東釧路~春採間2.5kmに永住町停留所を新設して旅客取扱いを開始。


 いま永住町という町名はないが、地図には春採7丁目に「永住住宅」が、武佐1丁目にはくしろバスの「永住」バス停留所が記載されている。

 昭和28年5月18日、定時株主総会において、機関車増強・埠頭上屋新築等の資金に充当するため、1,000万円の増資を議決、資本金2,000万円(総株数40万株)となる。

 昭和28年6月、国鉄より無蓋貨車トム5両払い下げ。

 昭和28年11月27日、ディーゼルカー(キハ1001号)運転開始。これは昭和26年9月に国鉄より譲り受けた客車1両(ナハ1号 定員110名)に120馬力エンジンとトルクコンバーターを取り付けて改造したものである。

 昭和28年11月30日、埠頭新5号上屋(331平米)が完成。小野田セメントサイロ・包装工場敷地にするため、旧5号上屋は撤去された。

 昭和29年3月24日、沼尻踏切道保安強化のため踏切警手を配置。

 これは記憶にはないけれど、年表によると、沼尻の踏切遮断機が電動式に変更されたのは昭和41年5月11日だから、実際はぼくも手動遮断機を目にしていた可能性が高い。たぶん忘れてしまったのだろう。

 昭和29年4月30日、定時株主総会において、無蓋貨車増備・ディーゼル動車改造・社宅買取等の資金に充当するため、2,000万円の増資を議決、資本金4,000万円(総株数80万株)となる。

 昭和29年8月16日、天皇・皇后釧路市に行幸。

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      2008年1月20撮影 竹老園の蘭切りソバ

 昭和天皇皇后両陛下が蘭切りそばを召し上がり、天皇がお代わりされたというのはこのときである。ただし竹老園のサイトによれば、お食事の場所は六園荘であった。

 だからどうした、といわれればそれまでだが、国外はともかく国内に平和が到来したことを実感させるニュースではあると思う。

 さてこうして年表をざっと追ってみるだけでも、戦災にあった埠頭の再建や車両の増強など、戦後の復興がほぼ完了し、昭和30年を迎えたことがわかる。

 次回からは昭和30年代に入り、2005年1月に春採駅で撮影した写真にもいよいよ出番がやってくる。

(つづく)

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November 19, 2011

Daily Oregraph: 【特集】 臨港鉄道と石炭列車 (1)

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 釧路臨港鉄道春採駅の全景である。今日はあいにくの天気だったが、わざわざ撮影したのは、これまで石炭列車にばかり気を取られて、駅舎をまともに撮ったことがなかったからである。

 長い歴史を誇るこの鉄道は、現在釧路コールマイン株式会社の採炭した石炭を春採から知人の貯炭場まで貨車輸送している。

 かつては旅客輸送をしていた時期もあって、釧路市民には大変なじみの深い鉄道である。また石炭の黄金時代が過去の話となった今日、石炭を貨車輸送する国内唯一の路線として全国の鉄道ファンにも知られている。

 ぼくがこの春採駅を訪れて機関車を撮影したのは2005年1月14日のこと。太平洋炭礦 OB であるスコップさんにお口添えいただき、構内に立ち入って運転席の内部まで撮影し、そのあと釧路コールマインの構内を見学するという貴重な体験をすることができたのである。

 そのとき撮影した写真のほんの一部はすでに掲載ずみであるが、臨港鉄道(略称臨鉄)訪問記としてまとめるのをサボっているうちに、すでに6年以上の歳月が経過してしまった。

 そこでスコップさんのご厚意に報いるためにも、何回かに分けて特集記事を掲載する予定だが、せっかくだから郷土史の勉強も兼ねて、わが釧路の誇る臨港鉄道の歩みについても簡単に触れたいと思う。幸いなことに、これ以上は望めないという最高の参考書がぼくの手元にある。

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 もちろん本書の内容のすべてをご紹介するわけにはいかないけれど、臨鉄の歴史をざっと把握できる程度にはまとめてみたいと思っている。

 乞うご期待。

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October 25, 2011

Daily Oregraph: 鉄ちゃん未満

厚賀駅残念編

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 10月21日。いよいよこのたびのドライブ・レポート最終回である。

 -はてな、駅はどこにあるんだろう?

 「←厚賀駅」という道路標識を目にしたので、急に思い立ってハンドルを左に切り、踏切を渡ったのはいいが、駅舎はどこにも見あたらないのだ。

 写真の左手に見える道路を線路沿いに進んでも駅はありそうに思えなかったから、首をかしげながら国道に復帰したのだが……あとで詳しい地図を調べてみると、実はそのありそうもないところに厚賀駅はあったのだ。

 もうひとつ標識を設置してくれればいいのに、残念なことをした。

豊郷駅無事到着編

 いわゆる鉄ちゃんなる人種には、鉄道写真専門の撮り鉄や、もっぱら列車の旅を楽しむ乗り鉄と呼ばれる愛好家がいるようだ。

 ぼくはどちらかといえば乗り鉄の部類に属すると思うが、それも若いころの話である。昔はいくら長時間列車に乗っても一向に平気だったけれど、もはやその体力は失われ、最近ではせいぜい数時間がいいところなのである。

 それでも地方駅の雰囲気は好きだから、ときどきドライブのついでに立ち寄っては写真を撮っている。ほんとうはローカル線に乗車して、駅ごとに途中下車してホームや駅舎を鑑賞するのが正統派なのは承知しているし、ぼくもそういう旅に魅力を感じないではない。

 しかし今となってはそれは最高のゼイタクというべきだろう。山手線ならともかく、極端に便数の少ないローカル線普通列車でそんなノンキなことをしていたら、時間がいくらあっても足りないからだ。どこかで宿泊する回数も増えるだろうし、費用もかえってかさむのではないだろうか。

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 ぼくには日本国内全駅制覇などという野望はもちろんないけれど、せっかく長距離ドライブに出た以上、ローカル駅をひとつも訪れないのはどうもおもしろくない。

 厚賀駅では失敗したから、豊郷駅にねらいを定め、今度は慎重にカーナビをチェックしたおかげで、めでたくたどり着くことができた。

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 コンパクトな駅舎内はシンプルそのものである。

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 さっそくホームに出る。こちらは東の様似方面。さきほど見逃した厚賀駅はこの先二つ目の駅である。

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 こちらが西側、苫小牧方面。

 身ひとつでこういう禁欲的なホームに立ち、海からの風に吹かれながら鈍行列車の到着を待てば、旅愁切々として胸に迫ることうけあいである。

 しかしそういう旅は多感な青年にこそふさわしく、いい年をしたおじさんが真似をしたってみじめったらしいだけかもしれない。

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 この駅には意外にもトイレが完備している。左手の小さなドアがそれである。すばらしい。記憶にとどめておく価値はあると思う。

振内 D51 編

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 ところはいっぺんに変わって、平取町振内(ふれない)の鉄道記念館。ここは1986年に廃線となったJR富内線の振内駅跡らしい。

 この記念館の存在だけは以前から知っていたけれど、いつも素通りしていたから、訪れるのはこの日がはじめてであった。

 まだ10時前だったから開館前と思いこんでいたため中へは入らなかったが、あとで調べてみると開館は9時らしい。厚賀駅にひきつづき、この日二度目の失敗である。

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 記念館に向かって左手へ回ってみると、客車が2両ライダーハウスとして提供されていた。無断で客車内に立ち入るのは遠慮して、車に戻ろうとしたとき、写真左手に見える貨車らしきものに気がついた。

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 近づいてみると、貨車などではなく、撮り鉄でなくたって知っている D51 だから驚いた。いったいどうしてお尻をこちらに向けているのだろうか。

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 機関車の前に回ってみると、鉄道記念館付近はこんな感じ。なかなかいいじゃないか。これでライダーハウスの車両をクラシックな色で塗装して、機関車に連結してあれば申し分ないと思う。

 旅路の果に D51 と出会えたのだから、鉄ちゃん見習いとしてはまず満足すべき成果であろう。鉄道記念館を見物するのは来年かな。

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October 08, 2011

Daily Oregraph: 苫小牧駅前20分の旅

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 2011年10月7日早朝。ホテルが駅の近くだったので、苫小牧駅付近を20分ほど歩いてみた。

 途中手当たり次第に撮った写真から選んで掲載したい。「これのどこがおもしろいんだ!」という苦情は一切受けつけないから、そのおつもりで(笑)。

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 駅前店というからには、駅はもう間近。

 苫小牧にはかつて何度も仕事では来たけれど、たいていは車だったし、たまに鉄道を利用しても駅前を歩く機会はほとんどなかった。見物するのは今回がはじめてなのである。

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 やっと念願かなって、苫小牧駅舎を撮影することができた。しかしまだまだ道内には取り残した駅舎はたくさんある。これからいくつ撮ることができるだろうか。

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 駅からホテルへもどる途中で。この朝撮った中ではこれが一番気に入っている。どうしてかって? そんなこと、本人にもわからないのである。

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 表町5丁目……だそうである。

 取材旅行した以上、きっちりモトは取らねばならないから(笑)、苫小牧シリーズ、まだつづく。。

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September 27, 2011

Daily Oregraph: 東京 駅舎編

 今日の一日一枚は、なんとカモメの死骸の写真。それによって無常迅速の教えを説こうとしたのだが、さすがに見た目がよろしくない。

 しかもぼくみたいなバチあたりが坊さんの真似をして説教したところで、ちっとも説得力はあるまいと反省して方針を大転換し、9月14日に東京で撮影した駅舎の写真を掲載することにした。

 駅舎の写真はぼくのテーマのひとつでもあるのに、なぜ先日ボツにしてしまったのかというと、今回撮影した駅はどれもつまらなかったからだ。風情というものがまるでないのである。

 ぬくもりなどという甘ったるいことばは、会社主義リアリストの好むところではないけれど、機能一点張りというのは実に味気がないものだ。

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 京急大鳥居駅。無趣味ということばをかたちにしたらこうなる、といういい見本である。駅という看板がなければ、なんとか歯科医院と変わるところがないように思う。

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 ゆりかもめ新橋駅。京急大鳥居駅よりはだいぶマシだが、とても男女の別れや恋人との出会いの舞台にふさわしいとはいいかねる。まるで住民票を取りにやってきた区役所という感じではないか。

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 ゆりかもめ国際展示場正門駅。いかにもついでに作りましたというイヤイヤ感漂う駅である。田舎の古ぼけた木造駅舎に及ばぬこと千里、関係者には猛省をうながしたい。

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 かくなる上は工事中のJR東京駅に期待するしかないけれど、あの格調の高さがどこまで再現されるものか……なんとなく悪い予感がしないでもない。頼むよ、ほんと。

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