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September 06, 2022

Daily Oregraph: 『迷宮の神』とオカルト

 本日の最高気温は23.3度。曇り。

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 今日は写真を撮っていないので古いところを一枚。ご存じミヤマニガウリである。

 さてコリン・ウィルソンの怪作『迷宮の神』を読み終えた。いろいろ見方はあるだろうが、これオカルト風味の高級(?)ポルノ小説以外の何物でもないとぼくは思う。

 この作家が恐るべき読書家であり、広く芸術文化に通じていることはすぐにわかる。セックスは出発点にすぎず、目指すは意志力の向上や意識の拡大・深化による高次の段階への移行なのだといい(ここがポイント。どうも怪しい(笑))、頭のいい人だけに保守派からの非難を予想し、多くの高名な哲学者や作家たちの名前を持ち出したりして予防線を張っているから、ただのポルノ扱いして欲しくはないこともよくわかる。

 しかし主人公のふるまいを見ると、性的に興奮するたびにほとんど躊躇なく行為に及ぶのだから、後先考えない色情狂と事実上なんら変るところがなく、その及ぼす結果や影響は基本的に同じはずだ。それなのに、たとえ事実は同じでも両者には大きな違いがあり、哲学的な意味づけさえ与えれば、事実は事実を越えたなにものかになりうるのだというのは、ずいぶん自己中で虫のいい考えである。その考えを犯罪にも適用されてはたまったものではない。たとえば町の無頼漢にではなく頭のいい哲学者に殺されたら被害者がありがたがるというものではあるまい。

 後半ではヴィルヘルム・ライヒの流れを汲むヘンテコな学者の主催する性的抑圧解放治療(だと思う)を実践するグループや、セックス・カルト集団ともいうべき怪しげな秘密結社が登場するけれど、いかにいいつくろおうとも、これらが乱交パーティ集団と紙一重であることはだれにも想像がつく。実際主人公はそこで多くの女性を相手に、ほんとかよといいたくなるほど超人的な活躍に及ぶ。主人公は女性蔑視をはっきり否定しているけれど、結果としては男にとって有利で都合のいい話が展開されているという印象を拭えないのだ。

 秘密結社などが登場するには作者のオカルト趣味が関わっているのだろう。秘密めかしたオカルト趣味が一般に悪いとはいわないけれど、それにはそれにふさわしい舞台があるはずだし、薬味として用いるにしても適量というものがある。真夜中の墓地や昼なお暗い地下室ならともかく、真昼の銀座の雑踏に幽霊を出したって場ちがいなだけでふつうはしらけるものだ。

 この作品ではある過去の人物をめぐる謎解きが興味のひとつの中心になっており、それがコツコツと古文書を発見するたびに少しずつ明らかになってくる過程はなかなか興味深く、素直に楽しめる。ところが結末に近づくにつれてときどき主人公に憑依するその人物が、主人公の口を借りて謎の一部を語り出すのだからたちまち興味半減、これはあきらかに作品の出来を損なっている。肩すかしを食って「え、それはないだろう」といいたくなる読者も少なくないはずだし、安直といわれてもしかたがないと思う。

 全体に文体は平明で読みやすく、ストーリー展開も特に前半は非常に巧みでありおもしろい。しかし博識を駆使していろいろ理屈をこねているけれど、凡庸な日常を越えた高次の段階に至るどころか、しょせん鉛は鉛にすぎないものを金らしく見せかけようとするオカルト趣味の限界を感じないわけにはいかないのである。性的抑圧は大問題であるという考えには同意するが、それを解決しようとしてオカルトに接近すると、高次の段階とかいう錬金術的幻想に惑わされて、怪しげなカルトへ入信しかねない危険があると思う。

 世の中金だけでなく銀も銅も鉛もまた有用なのだから、ぼくはポルノがけしからんといっているわけではない。この小説はポルノとしては描写力満点だと思う。しかしカロリー過多のせいか、最後は腹がふくれてしまった(笑)。けっして退屈はしないから、毒への耐性に自信のある方にはおすすめできるが、かなり好みは分かれると思う。

 次はなにを読もうか、ちょっと考えてみたい。

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