October 29, 2021
October 24, 2021
October 21, 2021
Daily Oregraph: 金貨を囓る話
本日の最高気温は9.9度。雨。寒いし雨降りだし、とても外出する気分にはなれなかった。
ネタがないので本日は Bleak House から金貨を囓る話でも……
上の挿絵をご説明すると、右側の少年は道路清掃人(crossing-sweeper)のジョー(Jo)君、左側の顔をベールで覆った婦人は正体不明の女性である。
道路清掃人というのは道路を渡る通行人の前を箒で掃いてチップをもらったりする、浮浪児に毛の生えたような少年である。ゴミやほこりだけでなく、馬車の時代だから道路には馬糞がたくさん転がっていたにちがいない。こいつは雨が降って水たまりに混じっても厄介だが、放っておくと乾燥して風に舞うから始末に負えないのである。
謎の婦人は入り組んだロンドンの裏町のいくつかの場所を指定して、駄賃をたんまりはずむからといって、ジョー君に道案内を依頼する。上の挿絵はある墓地の閉ざされたゲートの外から、ジョー君が「その人の墓はあそこ」と指さしている場面である。わざわざこんな場所に案内させるとは怪しい女性だが、読者にはなんとなくその正体の見当がつくようなつかないような、思わせぶりな書き方をしているのは作家の手際である。
さてこの小僧、'But fen larks, you know! Stow hooking it!' てなことをいうのだが、ベールの女性には意味がまるで通じない。教育のあるエゲレス人にわからんものが日本人のぼくにわからなくても別に不名誉ではないけれど、せっかくだから調べてみた。ちっとも受験対策にはならないが(笑)、ヒマつぶしだと思っておつきあいいただきたい。
'fen larks' というのは、こどもたちの遊びの最中にだれかがなにか(たぶんルール違反を)しようとするのを「それはダメ!」と制止することば。'stow' は 'stop' で、'hook it' は「逃げる、ずらかる」という意味だから、 結局「いいかい、ズルしちゃだめだぜ。(駄賃をくれずに)逃げようなんてするなよ!」になるだろう。この中では 'hook it' は比較的よく使われるから、覚えていて損はないと思う。
案内を終えたジョー君は約束どおり駄賃をもらえたのだが、ベールのご婦人が渡したのはなんと一枚の金貨であった! 一人になった彼はまず金貨の端っこを囓って金であることを確かめ、なくさないようにそいつを口中に含んで、貧民窟に戻る。そして建物前の通りのガス燈の下で金貨を口から取り出して眺め、もう一度囓って本物であることを確かめるのであった。
金貨とはソブリン金貨(1ポンド=20 シリング=240 ペンス)だから、貧乏人にとっては大金である。ジョー君はそれから部屋代を支払ったり、就寝中に一部を盗まれたりして、その後警官に職質されたときの所持金は半クラウン貨2枚というから5シリング相当であった。
ぼくの推定では5シリングは現在の4~5千円相当だが、警官の目には貧乏人がそんなに金を持っているのは怪しいと映ったのである。事実を申し立てても作り話としてまるで相手にされないし、まったく哀れを誘う話ではないか。
そういえば金貨ではなく五輪の金メダルを囓ったどこぞの市長さんがいたっけ。人様の大事な記念の品を囓るとは下品もいいところだが、それだけではない、本物の金であるかどうか囓って確かめたとしたら(笑)二重の無礼といえよう。
ジョー君の場合は夢のような幸運がとても信じられず、心配のあまり金貨を囓ったんだから、その気持はよくわかる。しかし日本国の大都市の市長さんがあれではなあ……
October 18, 2021
Daily Oregraph: 嘆きの秋
本日の最高気温は12.1度。晴れ。今朝の最低気温は0.6度だから、いっぺんに寒くなった。
先日も書いたように、強風のため多くの葉を落とした南大通付近の街路樹はさびしい姿をさらしている。
Bleak House はやっと315頁。スローペースもいいところだが、ディケンズはときどきわかりにくい文章を書くから仕方がない。しかしストーリーは練りに練られていて感心する。
ぼくが最初に読んだ長編は Oliver Twist (1838年) であった。これはべらぼうにおもしろい小説だが、ストーリーは出たとこ勝負もいいところで、オリバー君は主人公とは名ばかり、周囲に振り回されるでく人形みたいなものである。
分冊連載ものなので読者の反応をうかがいながら書いたせいもあるのかなと思ったけれど、1853年の Bleak House だって分冊ものだから、やはり15年もたつと小説家としての腕前がよほど向上したにちがいない。さすがにえらい人物はちがうものだ。
ところが読み手の実力は何年たっても向上しないから困る。心にグサリと刺さる(笑)マザーグースの歌を29年前の拙訳でご紹介しよう。まずくても文句をいってはいけない。なにしろこちとら29年たってもさっぱり進歩の見られないアホなんだから。
When I was a boy
(餓鬼の頃から)
I had but little wit;
(おつむが鈍く)
'Tis a long time ago,
(年をとっても)
And I have no more yet;
(このとおり)
Nor ever, ever shall
(だめはだめだよ)
Until that I die,
(死ぬまでは)
For the longer I live
(長生きするほど)
The more fool am I.
(あほになる)
October 11, 2021
Daily Oregraph: 風の音にぞ
本日の最高気温は19.3度。曇り。
昨夜の強風はすさまじく、やかましいのなんの、なかなか寝つけなかった。風は早朝にはおさまったけれど道路はこのありさまで、多くの街路樹が葉を落とし、景色はいっぺんにみすぼらしくなった。
相変らずマジメに読書をつづけているが、ここ二三日はさっぱりはかどらない。知る人ぞ知る、ディケンズは手ごわいのである。読みやすくて助かるわいと思ってホクホク喜んでいると、いきなり判じ物のような文章が出現する。それが何頁もつづく。なんじゃ、これは?
二三度読み直せば少しはわかるけれど、五六ぺん読み返したからといってその倍理解できるわけではない。エゲレス人の諸君はどなたもこいつをスラスラと読めるのだろうか? しょうがないから七八ぺんまでは読み返し、大体意味が取れたところで先へ進むことにしているのは、そうしなければ死ぬまでかかっても結末にたどりつけないだろうからである。
こんな本の読み方をしたって一文の得にもならないし、いわゆる生産性やコストパフォーマンスとは無縁の世界である。ぼくみたいなバカは、とても竹中平蔵先生の弟子にはなれそうにない(死んでもなりたくないけど(笑))。
October 06, 2021
Daily Oregraph: 明窓浄机?
本日の最高気温は15.4度。晴れのち曇り。
明窓浄机という言葉には麻薬的な魅力があり、こういうすっきりした部屋(2002年9月撮影。金福寺芭蕉庵)に小さな机を置いて、塵ひとつない机の上には本と辞書が一冊ずつ、主は端然として正座し、宇治の煎茶を啜りながらゆっくり頁をめくる……というのは実に格好がよろしい。理想的である。読書人とはこういう人をいうのであろう。
しかしそううまく話が運ぶはずはない。明窓はともかく、浄机はまず無理な注文である。辞書だけで少なくとも数冊、それに参考書が何冊か加わるから、液晶ディスプレイに場所をふさがれた机にはとてもすべてを置く余裕などない。余った分はどうしたって床に転がさざるをえないではないか(しかしこれが案外便利だから困る)。
しかも日によってはさらに参照する辞書や本が増えるので、しまいには新世界の飲食店街みたいな様相を呈することになる。当然片づけるのがおっくうになってそのまま放りっぱなしにするから、まさか坂口安吾の部屋ほどではないけれど、数日もすれば雑然混沌として、とても掃除機を使うどころの状態ではなくなってしまう。
これではいけない! 第一不潔である。今朝奮然として立ち上がり、数週間ぶりに掃除をしたというのが個人的大ニュースなんだから、われながら情けない。バカじゃないかと思う。
October 01, 2021
Daily Oregraph: サンマを食う
本日の最高気温は21.0度。曇りのち雨。いやに暖かい。
たかがサンマの分際で結構なお値段だが、年にいっぺんくらいはよかろうというのでお買い上げ。さすがに一尾100円のものとは一味ちがってうまかった。
さてサンマとはなんの関係もないけれど、『バーチェスターの塔』を読了したので、ぼくの読んだテキストの解説者ハーラン・ハッチャー先生(Harlan Hatcher, 1898-1998)の文章に従って、作者についてメモしておこう。
アントニー・トロラップの母親は50歳にして文筆に手を染め、その後25年間に114冊を書き上げたという、ちょっと信じられぬ女性である。朝は家事の始まる前の4時に起き、日課として何頁と決めてコツコツ書き続けたというから驚く。アントニーはこの母の血を引いていたわけである。
経済事情が許さなかったため大学へ進学できなかったアントニーは、ロンドン郵便局にわずか年収90ポンドの職を得た(薄給である)。『バーチェスター』の主要な登場人物はオクスフォード学閥に属するから、本人はよほどオクスフォードへ行きたかったのだろう。
トロラップはあらかじめ週にこれだけ月にこれだけの語数を書くと決め、日記にその日の成果を記録した。生涯朝の5時半に起きて、コーヒーを飲んでから3時間執筆する。15分間に250語というスピードである。その後郵便局の勤めに出たわけだ。
彼は仕事柄出張が多く旅に明け暮れた。しかし汽車に乗れば車内で、船に乗れば船内で、いつもどおり執筆を続けたのである。小説を一編書き上げてまだ時間が残っていればすぐさま次の作品に取りかかったというのは、職人芸としても信じられない話だ。
自伝に創作の秘密をあまりにも正直に書いたため、機械的に文章を書く男として、当時批評家からは不評を買ったらしい。漱石が「トロロープは、汽車に乗っておって一時間に何ページとか書く」と書いたのは、たぶんトロラップの自伝を読んだのだろう。また「あまり傑作もできないようであった」と付け加えたのは、当時の批評を意識したのかもしれない。
さらに出世作となった『バーチェスター』は、調子よく万事めでたしめでたしで話が終るし、ときどき作者が表面に出すぎたり、たまに月並調が表われたりするところが漱石先生のお気に召さなかったのかも知れない。
しかし波瀾万丈の大活劇が展開するわけでもないのに、決して読者を飽きさせない手際は見事だと思う。物語は水が流れるように進行し、登場人物はそれぞれの性格に従って自然に行動する。機械的に書いたなどという印象はまったく受けない。執筆スタイルと作品の出来とはたいして関係ないという見本かも知れない。
全体に話のうまいおじさんが毎晩夕食後に語るのを、ワインを啜りながら聴いているような心地よさがあるから、いまだに熱心な読者が少なくないこともうなずける。図書館でみかけたら、だまされたと思って(笑)お読みになってみるといいだろう。
次はどうするか少し迷ったが、時代遅れの19世紀小説愛好者としては、ひさびさにディケンズに戻って『荒涼館(Bleak House)』を読むことにした。大長編だからかなり時間がかかると思う。
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