Daily Oregraph: 花見代りの捕物帖
本日の最高気温は11.0度。曇り。
-おや先生、これはおめずらしい。いえね、このとおり、まだツボミも残っているから満開じゃない。一昨日ものすごい雷雨がありましたでしょう。あれにやられたんでしょうな。
-おまけにこの空模様では、とても花見気分にはなれない。どうです、たまには捕物話でも?
-おお、久しぶりじゃありませんか。そいつは結構ですな。安酒でよけりゃ、たっぷりありますぜ。
というわけで、二人は昼だというのに薄暗い座敷へ。
-今日はね薄氷堂さん、『這う男(The Creeping Man)事件』です。もうお読みになられたかな?
-ええ、あれは最初は風変りな事件で面白いと思ったんですが、最後がいけませんや。ありゃあ説明になっちゃいませんよ。
-さよう、ちょっと無理がありますからな。サルの血清を注射するとサルみたいに身軽になるというのは、とても信じられない話です。
-いい年をした大学教授が若い娘と結婚するってんで、若返りの秘薬としてサルの血清をこっそり注射するというのは涙ぐましいが、そんなものに効き目があるわけはない。どうせ藪井竹庵のニセ薬の類いでしょう。
-天下の名門カムフォード大学のえらい生理学教授が、そんな途方もない薬に頼るというのはどうもねえ。
-カムフォード(Camford)大学なんてのは聞いたことがありませんよ、先生。
-ハハハ、ケンブリッジ(Cambridge)とオクスフォード(Oxford)を足して2で割ったんですよ。オクスブリッジ(Oxbridge)も同じで、どちらもちゃんと辞書に載っています。
-へえ、なるほどね。ともかくサルの血清を打ってスルスルと壁を上るとすりゃあ、モモンガの血清なら枝から枝へ飛ばなくちゃならない。どうにもたわけた話じゃありませんか。
-しかもホームズが薬の効能に疑問を抱いているふしはありませんな。色欲にかられた年寄りが若返ろうなどと自然に反することを考えちゃいかんのだ、などと大まじめに語っているから、拙者は吹き出しそうになりましたよ。
-ねえ先生、ホームズのシリーズもだんだん読み進めてくると、底の浅いところが透けて見えてくるような気がしてならないんですよ。
-う~む、ドイルさんの限界ですかなあ。文学部の先生がドイルさんをあまりほめないのは、そのへんに理由がありそうですぞ。
-残り9編ですが、先生、どうしなさる?
-ひとつくらい傑作が残っているかも知れませんしなあ。ここまで来たんだから、最後まで読みましょうよ。
-そんなら今日はこの酒を最後のひとしずくまでといきますか。
この日の酒はちと辛口だったようでございます。いつの間にか部屋はいっそう暗くなり、いつ降り出したのか、薄っぺらい板屋根に当たるパラパラという雨音が聞こえてまいりました。
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