Daily Oregraph: 体に毒捕物帖
本日の最高気温はマイナス0.6度。まずまずの暖かさだが、上の写真を撮った一昨日はプラスの5.7度とポカポカ陽気であった。
「え~、一杯のお運びで厚く御礼申し上げます。
「本日のお題は『悪魔の足(The Devil's Foot)事件』でございますが、下手人捜しはそうむずかしくない。なにしろ登場人物がごく少ないのですから、消去法で指を折っていけば、犯人はたちまちわかりますな。
「ですから、興味は犯行の手口にあるといってもよろしかろうと思います。まず第一の事件では被害者は三人。うち一人は死亡に至りましたが、残る二人は発狂してしまい、いずれも顔が恐怖でひきつっていた……と、いかにも舞台であるコーンウォルの荒涼たる風景にふさわしい事件でございます。
「あたくしは行ったことがないからよくは存じませぬが、いったいコーンウォルというのはなにか奇怪なことが起こってもおかしくない、ぞっとするような土地であると、ある作家が書いておりまするから、たぶん「悪魔」を持ち出すにふさわしい場所なのでありましょう。
「で、時は明治三十年春、長年の過労がたたって医師に勧められ、転地療養のためコーンウォルは岬の果てにある小さな家で過ごしていたホームズ探偵が、休養どころか結局事件に巻きこまれるというわけです。
「さて被害者には外傷がなかったといいますから、症状から判断して、素人目にもなにかの中毒であろうとは見当がつきます。三人そろって中毒したとすれば、まず疑われるのは食中毒ですが、もう一人夕食を共にした人物は無事でしたから、そうではなさそうです。とすれば、毒は呼吸器から体内に入ったと考えれば納得できます。しかしお医者様にも見当がつかぬ症状を呈する毒とはなにか、というのが興味の中心になりましょう。
「四人が夕食を共にして一人だけ無事、しかも事件の起こった邸内にはほかに実直なコック兼家政婦さんが一人いるだけとなれば、その夜は途中で帰って無事生き残った一人が怪しく、しかも彼には動機らしきものがありそうだとなれば、推理を働かせるまでもなく、犯人は明らかですな。
「ところが数日後その容疑者本人がやはり恐怖に顔を引きつらせて死亡してしまったからさあ大変。二つの事件に共通する下手人は別にいるのだろうか? と思わせるところがドイルさんの工夫です。
「実は第一の事件を知って急ぎコーンウォルに駆けつけたもう一人の人物がおりまして、長年この地とアフリカを行ったり来たりしているという、怪しさ満点の風変りな男であります。この人物は第一の殺人当時はアフリカに出発しようとコーンウォルを離れていたのが、途中で舞い戻ってきたわけですから、もちろん第一の殺人とは無関係であります。
「しかし、ほかに怪しい登場人物がいない以上、消去法を用いるまでもなく、第一の殺人の容疑者(=犯人)が死亡した第二の事件の犯人はこの人物だということになりましょう。「アフリカ」と聞いてピンときた方もおいででしょうが、「悪魔の足」というのは欧州では知られていない、西アフリカ特産の有毒植物であるという設定になっております。
「ボーッと読んでいてはわかりませんが、こうして整理してみると犯人はすぐにわかります。この作品は話が複雑ではないだけに、探偵小説を書くヒントになると思いますな。あとはもっともらしい動機をこしらえれば、「なんとかサスペンス劇場」程度のお話なら、案外簡単に書けるかも知れませんよ。最後は風吹きすさぶコーンウォルの岬に一同そろったところで種明かしをすればいいんです。
「猛毒をどのように用いたのか、下手人二人はいかなる関係にあったのか、動機はなにか……もう十分ネタばれしたかと存じますので、そのあたりを詳しく申し上げるのは控えておきましょう。
「いやどうもご退屈さまでした。どうかお足元にお気をつけて」
話を終えた薄氷堂が座布団から立ち上がろうとしますと、親分が手で制しまして、
-おっと、この前の事件に比べればずいぶん簡単な話のようだね。
-ええ、この話は駄作とまではいえませんが、筋立ても単純だし、凡作にちがいありません。過労がたたっていたのは、ホームズ探偵じゃなくて、実はドイルさんだったというのが、あたくしのカンです。
-というと?
-その証拠があります。最初に牧師さんから事件の説明を受けたホームズ探偵は、第一の事件の容疑者が事件の翌朝早く現場に行ったわけを聞いていたにもかかわらず、そのすぐあとで容疑者本人に向かって「どうしてあなたが今朝そんなに早く事件をお知りになったのかがハッキリしませんね」てなことをいっております。おかしいじゃありませんか。
-ふむ、そりゃあ妙だね。ホームズ探偵にしては注意力散漫、うかつすぎる。
-あたくしの考えでは、ドイルさんはこの作品の最初の部分を一気に書いてはいない。牧師さんの説明と容疑者本人の話との間、少なくとも数日は原稿に手をつけちゃいますまい。
すると二人の話を黙って聞いていた手習いのお師匠さん、火鉢を煙管でトンと叩いて、
-そうだとしても、ふつう読み返せばすぐに気がつきそうなものですがね。
-そこなんですがね、ドイルさんはよほど疲れていたのか、ほかのことに気を取られて半分上の空だったにちがいありません。なにがあったのかは存じませんが、どうも身が入っていない。暇人の研究家が調べればそのわけがわかるかも知れませんよ。どうです先生、ひとつお調べになってみては?
-いや、ご免こうむりましょう。そんなことをしたって、一文にもなりませんしな。
-ハハハ、まあそう腐らないでください。悪魔の足てえのはありませんが、スルメの足ならまだ残っていますから……
ここで親分、心得たりと灘の生一本を取り出しました。酒は体に毒といえぬこともありませんが、まさかこの三人が毒に当たって倒れることはありますまい。
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