Daily Oregraph: 点の辛い捕物帖
本日の最高気温はプラス5.0度。歩道の雪もあらかた消えたので、足馴らしとして米町の踏切跡まで散歩。
-おや薄氷堂さん、腕組みしていなさるが、どうしなすった?
-いえね、先生、どうもこれは納得できませんよ。
-ああ、『レディ・フランシス・カーファクス失踪(The Disappearance of Lady Carfax)事件』ですな。
-ええ、このフランシスさんという人は伯爵家直系のご令嬢だが、家屋敷は男系相続なので相続できなかったから、大金持というわけではない。しかし高価な宝石をどっさりトランクに詰めこんで、ヨーロッパをあちこち旅して回っているところをみると、金に不自由はしていないらしい。年の頃は四十にもなるがいまだに美貌を保っている独身女性なんだそうです。
-で、その宝石に目をつけた悪党が、フランシスさんをまんまとだましてバーデンで拉致し、ロンドンに監禁した挙句に始末してしまおうとするわけですな。
-捜索の依頼を受けたホームズ探偵の都合が悪かったので、単身ローザンヌへ乗り込んだワトソン先生が調査を進めていると、やはりフランシスさんを追っている謎の男が登場します。
-その男は粗暴な性格だが、実は長年彼女を慕っている純情一途な人物であることがやがてわかります。一方の誘拐犯は一見敬虔そうな宗教家風であるという皮肉な設定ですな。
-男がいくらくどいても、その粗暴ぶりに耐えられないフランシスさんはウンといわずに逃げ回る。ところがですよ、それにもかかわらずフランシスさんは男を深く愛しており、その愛ゆえに独身を守ってきたのだというんですけど、先生、そんなわけのわからない話ってありますかね?
-さあて、拙者に色恋のことはわかりませんから、広い世間にはそんなことがないとは限らないのかも知れませぬが、奇妙な関係であることはまちがいありません。これだと男は一生ストーカーのままだし、女は逃げながらも男を愛しつづけることになりますから、心理学科の格好の研究材料にはなりましょうな。
-こないだ先生がおっしゃったとおりで、あたしもね、ドイルさんはこの頃低調だったにちがいないと思うんです。
-ははあ、あなたもそうお感じになりますか。
-設定が不自然だから、フランシスさんがどんな人物なのか、今ひとつピンと来ない。だからエセ宗教家にころりとだまされて拉致監禁されても、あまり同情が湧いてこないんですね。それだけじゃない、この作品にはもうひとつわからないところがありますね。
-さよう、ホームズ探偵がとても考えられないヘマをしています。犯人のトリックとして使われる棺桶の意味を最後まで見逃していますな。
-そうなんですよ、先生。注文した棺桶の出来上りが遅いじゃないかと犯人が苦情をいうと、葬儀屋は「ふつうの品じゃありませんから時間がかかったんです」と弁明します。ワトソン先生ならともかく、ホームズ探偵がそこに注目しないはずがないじゃありませんか。
-人の身柄を捜索する事件なんですから、読者としても「ははあ、この棺桶にはなにかいわくがあるな」と考えるはずですな。
-ところがホームズは葬儀屋に出向いて聞き込みをしようともせず、見当ちがいの場所を調べ回るんですね。読者は「あれれ、どうしたの?」と首をかしげるわけです。
-最後の最後になって棺桶の謎を見破り、冷汗をかきながらやっと事件を解決したホームズ探偵は、いさぎよく自分の不手際を恥じるわけですが、この結末はどうも不自然に見えますな。
-あたしにはねえ、ドイルさんのうっかりだと思えてならないんですよ。せっかく仕込んだ手品の種なのに、使いようがいかにもまずい。
-そういえば『悪魔の足事件』でも、事件のいきさつの説明を受けたホームズ探偵が、きちんと説明されたばかりのことがはっきりしないといって、不必要な質問を重ねていましたね。ドイルさんはまた似たようなミスをやらかしたが、今回は書いているうちにハッと気づいて、なんとかごまかそうとした可能性がありますな。
-そうでなければ原稿の分量を調整するために、わざとホームズにヘマをさせたのかも知れませんね。どっちにしてもスッキリしませんよ。最後にホームズさんは「うっかり失敗するのは人間ならだれにだってあることで、失敗を認めてそれを正すことのできる人物こそがもっともすぐれた人物なのだ」てな意味のことをいってますが、先生、どうお思いになりますか。
-ハハハ、この苦しい言い訳から判断するに、ドイルさんうっかりミス説は案外当たっているかも知れませんな。
この二人にかかってはドイルさんも形無しですが、さて、次回の作品はどうなりますことやら……
Comments
だいぶ温かくなってまいりましたなあ。
大和のこのごろは20℃あちらこちら。例年よりもだいぶ暖かく、盆地では梅も終わりかけで、桜もだいぶ早くなりそうな雰囲気です。
ただし、勤め先の山間部は梅がこれからというところです。
Posted by: 三友亭主人 | March 17, 2021 22:01
>三友亭さん
家の前の雪山もすっかり消えてしまいました。日の射す窓際にいると、縁側で日なたぼっこをしている猫みたいな気分になりますね。
しかし春先はドカ雪に見舞われることがありますから、あと一ヶ月ほどは油断できません。
Posted by: 薄氷堂 | March 18, 2021 09:22