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March 31, 2021

Daily Oregraph: ソー橋の謎捕物帖 (1)

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 本日の最高気温は13.5度。コートなしで午後の岸壁を歩けるという陽気に浮かれた連中が集まって、なにやら呑気な話に興じております……

 え~、ご多忙とは無縁のみなさまにお集まりいただき、うれしいやら呆れるやら。あたくしはこのところ野暮用が多いせいかなかなか読書がはかどらず、人呼んで一龍斎低調、やっと春がめぐってまいったというのに、まことに情けないことでございます。

 さて今回の事件は『ソー橋の謎(The Problem of Thor Bridge)』でございます。しばらく低迷していたドイルさんですが、この作品はひさびさに本格探偵小説らしくなっておりまして、なかなか読みごたえがありますな。

 本作は2部構成になっておりまして、本日は第1部を扱い、解決編の第2部はあとのお楽しみということにいたします。つまり第2部にはまったく触れず、第1部で得られる情報をもとに下手人を推理しようという趣向です。

 事件のあらましはこうです。某日の午後11時頃、金鉱で大もうけした大富豪ニール・ギブソン氏夫人の射殺死体が、屋敷の近くにあるソー橋のたもとで、猟場の番人によって発見されました。

 事件後、同家の子ども二人の女性家庭教師であるミス・ダンバーが容疑者として逮捕されます。その直接の証拠は、ミス・ダンバーの衣装棚から発見された凶器の拳銃、そして被害者が握りしめていたダンバーさんからの署名入りメモでございます。

 問題の拳銃はギブソン氏所有のものなのですが、ダンバーさん本人は拳銃にはまったく覚えはないけれど、夫人と橋で会う約束をしたことは認めております。しかしソー橋でなにがあったかについては、なぜか口をつぐんで語ろうとしません。なにしろ動かぬ証拠がそろっていますから、ダンバーさんの有罪はまず免れぬところでしょうね。

 事件の背景は、いわゆる三角関係のもつれというやつでしょうな。ギブソン氏は夫人とは性格が合わず、彼女の美貌が年齢とともに衰えるにつれて、だんだん嫌気がさしてまいります。そこへ若くてとびきり美人の家庭教師がやって来たものだから、夫人に愛想をつかしていたギブソンさんは、ムラムラと浮気心を起こします。たちまちそれに気づいた夫人が嫉妬に燃え、ミス・ダンバーを憎むのは当然でございましょう。世間によくある話ですなあ。

 さてギブソン氏はもともと身勝手かつ酷薄非情な人物でして、邪魔になった奥さんを追い出そうとして、なにかと虐待いたします。ところが情熱的で嫉妬深い南国ブラジル育ちの奥方は、頑として離婚に応じようとしません。一方ギブソン氏はミス・ダンバーに結婚を持ちかけますが、彼女はそれを拒否いたします。

 主人の求婚を断った以上、ミス・ダンバーは当然居づらくなりますから、辞めることを考えますが、彼女の収入に頼る身内がいるので失業は避けたいし、自分に対するギブソン氏の好意を善用すれば、彼の財力を広く世のために活かせると考え、屋敷に残る決意をいたします。ギブソン氏のほうでも彼女が残ってくれるなら協力は惜しまないと約束します。

 まあ、とにかくそんな中で事件は起こりました。情勢はミス・ダンバーにとって圧倒的に不利でございますが、彼女のような気高い女性が人を殺すわけはない、なんとか無実を晴らしてやりたいからぜひ貴公のお力を貸していただきたいと、ギブソンさんがホームズに調査を依頼するというわけです。

 さてギブソン氏がホームズの部屋を訪れる約束をした朝、ギブソン家の地所管理人を勤めるマーロウ・ベイツが先回りしてこっそりやって参ります。殺された夫人に深く同情し、残酷な主人を憎む彼は、事件を機に辞表を提出したといい、残忍狡猾なギブソン氏の言い分を信用せぬようホームズに訴えます。

 ベイツが急いで去って間もなく、約束どおり現われたギブソン氏の俗物ぶりにホームズは不快感を抱きつつも、万一ミス・ダンバーが冤罪であれば放ってはおけぬので、この仕事を引き受けることになり、やがてワトソン先生とともに事件現場へ赴きます。

 現場で事件当夜担当した巡査に確認したところ、死体は仰向けに倒れておりましたが争った形跡はなく、右のこめかみの後ろに至近距離から銃弾を受けており、左手に「(午後)9時にソー橋に参ります。G. ダンバー」というメモを握りしめていました。現場には見あたらなかった凶器の拳銃がその後ダンバーさんの室内で発見されたことは、すでに申し上げたとおりです。

 なお石造りのソー橋を検分したホームズは、死体の位置から約4.5 mほど離れた反対側の欄干の下側にみつけた、ごく最近出来たほんのわずか欠けた部分に注目いたします。そしてこれからミス・ダンバーに会って詳しい話を聞こうというところで第1部が終るわけです。

 以上ごく大ざっぱにご説明しましたが、最後にひとつだけ余計なことを申しますと、あたしが思うに、このお話の展開には少し不自然なところがございます。

 ミス・ダンバーだってバカじゃあるまいし、夫人が自分をひどく憎んでいることはよく承知しているはずです。いくら生活のためとはいえ、問題がさらにこじれるのは明らかなのに、一つ屋根の下に同居しつづけるわけにはいきますまい。一刻も早く荷物をまとめて屋敷を去るのがふつうでしょう。それに、細君を虐待するような男が急に心を入れ替えて、世のために尽くしてくれるなどと考えるとは奇妙な話でございます。

 肝心のミス・ダンバーの証言は第2部を待たねばなりませぬが、これまでのところを元にみなさまがどうお考えになるか、次回はそれをお聞かせいただければと存じます。では本日はこれにて。

 薄氷堂が話を終えますと、八公がニヤニヤして、

 -ふ~ん、ややこしい話ですねえ。だけど薄氷堂さん、あなたもう第2部を読んで真相を知っていなさるね。

 すると薄氷堂、澄ました顔をしてキセルを吹かしながら、

 -いえ八五郎さん、とんでもございません。フェアプレイ、フェアプレイ。まだ読んではいませんから、あたくしにも謎は解けておりません。

 いよいよ次回は捜査会議(?)、どうかお楽しみに(といっても、まだなにも考えてはおりませぬが……)。

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March 24, 2021

Daily Oregraph: 丸見え捕物帖

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    窓際のホームズ人形とボーイのビリー君

 -え~、ホームズ探偵ファンとしてはまことに残念ですが、やはりドイルさんはシリーズの半ばを過ぎたあたりから息切れしてきたようですなあ。「えっ、そりゃないでしょう」といいたくなるような無理がだんだん目立ってきて、最後の短編集第一作のこの作品では弁護のしようがなくなっております。

 そういって先生が取り出したのは、『マザリンの宝玉(The Mazarin Stone)事件』でございます。

 -この事件の時期はよくわからんのですが、開業医のワトソン先生は久しぶりにホームズの部屋を訪れたとありますから、1889年の初め頃に先生が結婚を期にベーカー街を離れてから、ホームズがライヘンバッハの滝に姿を消した1891年5月までの間、たぶん1890年あたりでしょう。1894年3月末にホームズが再び姿を現わした『空家の事件』から数ヶ月後には、ワトソン先生は診療所を畳んでベーカー街に戻っていますからな。

 -大体ホームズ短編シリーズてえのは事件の起こった年代順に書かれていないから、ときどき混乱が起こるようですね。この小説に登場するボーイのビリー君にしても、どうも馴染みがありません。このボーイ君、前にどこかで登場していましたっけ?

 -いっぺん詳しい年表を作って、事件の内容や登場人物を整理してみればいいんでしょうが、拙者もそこまでやる気はござらんので(笑)、薄氷堂さん、あなたおやりになってはいかがかな。

 -ハハハ、ご冗談を。そんなことをしたら、米櫃はいつまでたっても空のままですよ。

 -さて今回は10万ポンドの宝石の盗難というとんでもない事件です。

 -10万ポンドてえのはすごいですね。有名な宝石をそのままではさばけないからでしょう、犯人は盗品をオランダで四分割しようと企んでいます。

 -さよう。で、二人組の犯人はわかっているんだが、肝心の宝石のありかがわからない。犯人のほうでもホームズの動きを察知して、通りの向い側から空気銃で狙っているという設定です。

 -なるほど。だからホームズ探偵は狙撃に備えて、自分と生き写しの等身大の蝋人形を応接間の窓際にある椅子に座らせておくわけですね。こいつは『空家の事件』で使ったのと同じ手です。

 -その窓際のスペースは厚手のカーテンで仕切られており、それを閉めておけば応接間からは見えない。一方寝室にある二つのドアのひとつからは、窓際に出入りできるということを承知しておく必要がありますな。

 -飛んで火に入る夏の虫で、そこへノコノコ偵察にやってきた主犯格の男は、窓際に置かれたホームズの蝋人形を見て驚きます。てっきり本物だと思った男はホームズ人形をなぐろうとしますが、そこへご本尊が寝室から颯爽と登場して犯人と対決するというわけですね。

 -さよう。問題は、そのすぐあとで蝋人形の前のカーテンを閉めたのか閉めなかったのかという点にあります。ここが肝心なところだからご注意願いたい。

 -そこなんですよねえ、先生。このあとの展開から考えれば、カーテンは閉めておかなくちゃならないんですが……

 -宝石のありかを白状すれば見逃すけれど、さもなければ数々の悪事の証拠と一緒にお上へ突き出すが、さあどうする、とホームズは犯人に迫るわけです。通りに控えていたもう一人の共犯者も部屋に呼び出し、どうするか二人でよく相談して決めるがよかろうといって、ホームズは寝室に引っこんでレコードをかけ、一心にバイオリンを演奏しているふりをします。

 -犯人たちはホームズには聞こえないものと安心して、宝石のありかから今後の計画まで、こんな場所では話すべきでないことまで、なぜかペラペラとしゃべってしまいます。その間にホームズは寝室からこっそり窓際へ移動して、蝋人形をどかし、自分が代りに椅子に座って、二人の話を途中からそっくり盗み聞きするという寸法ですね。

 -等身大の重い人形を動かせば、どうしたって大きな音を立てるから、ビクッとした犯人たちはもちろん室内、とりわけ音が聞こえてくる窓際を確認します。ところが「外の通りから聞こえる音だ」といってすませてしまうわけですが、部屋の外から聞こえる音かすぐ近くから聞こえる音か区別がつかないというのは、大いに疑問ですな。

 -しかもですよ、先生、そのとき犯人たちが室内を見回すと、「奇妙な人形が一体椅子に座っているだけで、室内にはだれもいなかった」てなことが書かれていますよ。

 -ほうらごらんなさい。蝋人形が見えたからにはカーテンは開けっ放しになっていたわけですよ。応接間からは丸見えなんだから、たとえ大きい音を立てなかったとしても、犯人に気づかれずに蝋人形と本物のホームズが入れ替るのは不可能だったんですよ。探偵小説としては致命的なミスで、ドイルさん一代の不覚というべきですな。

 -あたしが担当の編集者なら、ドイルさんに書き直しをお願いするところですがねえ。大きなミスなんだから、読者にしたってすぐ気がつきそうなものじゃありませんか。

 -いや薄氷堂さん、それが必ずしもそうではありませんぞ。ふつうの読者はストーリーの緻密さなんぞを求めてはいないんですよ。ホームズという魅力ある主人公の手柄話さえ読めれば、それで文句はないんです。細かいところなど読んじゃいませんよ。それに刷れば一定数は必ず売れるんだから、編集者はろくに内容をチェックしないし、たぶんドイルさん自身も多少の矛盾なんぞはたいして気にしていなかった。シリーズ後半は特にそうだったんじゃないか、というのが拙者の考えです。

 -いつもいうように、あたしだってケチはつけたくないんですがねえ……

 -まあ、次の作品に期待するとしましょうよ。

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March 23, 2021

Daily Oregraph: カモめし拝見

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 本日は晴天なり。最高気温は7.7度であった。着実に暖かくなってきているのだが、風の芯にはまだ冷たさが残っている。春風のアルデンテというところ。

 カモメのランチを拝見してつくづく思うのは、手を使わずにものを食うことの不自由さである。カラスとちがってクチバシが尖っていないから、カモメはもともと魚を食うのが不得意で、見ているとあまりの不器用さにイライラするほどだ。

 飲みこめないほど大きい魚だと、途中であきらめて放り出してしまうのを見たこともある。この魚だってちょっとあやしいものだ。もうしばらく観察していようかとも思ったけれど、バカバカしいからやめにした。

 春めいてきたせいか少しボーッとしているらしく、ここ数日捕物帖をサボって YouTube の動画ばかり見ていた。しかし動画は時間つぶしにはなるが、毎日見つづけていては廃人になりそうな気もするので、先ほど短編をやっとひとつ読み終えた。

 読んだはいいが、またしても「??」と首をひねる箇所あり。おいおい、ドイルさん、頼むよほんとに。詳細は明日。

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March 20, 2021

Daily Oregraph: スパイ退治捕物帖

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 上の写真は昨日紫雲台墓地から米町・知人(しりと)方面を撮ったもの。米町踏切跡から知人までの海岸沿いの道は、ぼくの主な散歩コースだったけれど、残念ながら現在は通行禁止になっている。だれにいえばいいのか知らないが(笑)、早くなんとかしてほしいものだ。

 さて短編集『ホームズ最後の挨拶(His Last Bow)』の最後を飾る作品は『ホームズ最後の挨拶-シャーロックホームズの戦功(His Last Bow: The War Service of Sherlock Holmes)』で、第一次大戦中の1917年9月に発表されたものである。

 世界史年表によれば、第一次大戦はオーストリアがセルビアに宣戦布告した1914年7月28日に勃発し、ドイツが休戦協定に調印した1918年11月11日に終結している。連合国側が本格的な攻勢に転じたのは1918年だから、この短編が書かれた頃、愛国者をもって任ずるドイルさんは毎日落ち着かずジリジリとしていたにちがいない。

 イギリスがドイツに宣戦布告したのは1914年8月4日で、この物語の舞台設定は8月2日午後9時だから、まさに英独開戦前夜である。ストーリーはほとんど探偵小説的要素の見られないごく単純なもので、ホームズ探偵がお国のために大活躍し、ドイツのスパイの親玉をとっちめるというものだから、内容は推して知るべしである。

 だからとても傑作と呼べる作品ではないけれど、ドイルさんの愛国心の発露にケチをつけるのはヤボというものだろう。ドイルさんはもともと筋金入りの(なつかしい言葉を使えば)保守反動派らしく、ずいぶん国威発揚には熱心だったそうである。しかしぼくの見るところでは、幸いなことにフェアプレイの精神とバランス感覚を持ち合せた人だから、危うく単なるトンデモ小説に終りそうなところをギリギリ踏みとどまっている点は認めていいと思う。

 この作品ではワトソン先生は語り手ではなく、なんとホームズ探偵の運転手を勤めている。いつの間にか馬車から自動車の時代へと移り変わっていたわけだ。この頃ホームズはすでに引退して田舎に引っこみ、養蜂と読書に専念していたのだが、首相じきじきの要請に応じてドイツ・スパイ組織の捜査に乗り出したということになっている。

 「最後の挨拶」というくらいだから、ホームズは本作品をもって完全に引退したわけだが、このあと『シャーロック・ホームズの事件簿(The Case-Book of Sherlock Holmes)』(1921年10月~1927年4月発表)という、引退前の12の事件を扱った最後の短編集がつづく。

 正直いって少々疲れてきたけれど、せっかくだから残り12作も読むことにしよう。どうか今しばらくおつきあいいただきたいと思う。

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March 16, 2021

Daily Oregraph: 幻滅捕物帖

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 本日の最高気温はプラス8.8度。上の写真を撮った昨日は8.9度と、このところずいぶん暖かくなってまいりました。

 -ねえ先生、いつの間にか姿を消したワトソン夫人ですが、やっぱりこの作品にも顔を出しませんでした。期待していたんですけどねえ。

 -ああ『瀕死の探偵(The Dying Detective)事件』ですな。

 -こいつは結婚2年目に起きた事件ですけど、奥さんはまったく姿を見せませんよ。夫婦喧嘩でもして自分の部屋に閉じこもっていたのか、それとも家を出てしまってたのか、どっちでしょうね?

 -「ワトソン夫人失踪事件」については、ホームズ専門の暇人たちがいろんな説を唱えているらしいが、結婚2年目ですとまだ家を出ちゃいますまい。今回の事件は1890年の終りか1891年あたりで、細君が影もかたちも見えなくなった『空家の事件』は1894年の春ですから、その間になにかあったのでしょうな。

 -いや、あたしが思うに、この事件の頃には二人は少なくとも別居状態だったにちがいありません。なにしろベーカー街のハドソン夫人があわててやって来るという事態ですからね、ふつうなら奥さんをちょい役で出してもおかしくはないところですよ。

 -そりゃそうなんですが、なにしろドイルさんはもともとウッカリ屋な上に、年表を作って矛盾のないように一々チェックするほどホームズ・シリーズに身を入れていなかったというのが拙者の考えです。思ったより売行きがいいから、版元が催促して次々と書かせたのかも知れませんぞ。

 -そうですかねえ。

 -それはともかく、今回はホームズが瀕死の重病人を装って犯人をおびき寄せるというだけの話ですから、たいして難事件というわけじゃありませんな。ホームズ探偵の巧みな演技力が興味の中心です。

 -でもねえ、ワトソンさんはお医者さまなんだから、早いうちに仮病を見抜きそうなものですがねえ。

 -さよう、いきなりベッドからはね起きて駆け出し、ドアの鍵をかけるなんて芸当が、瀕死の病人に出来るわけがありませんからな。どうもおかしいと、素人目にもわかります。

 -そうなんですよ。もちろん虫の息では起き上がれるはずもないし、どこぞの都知事みたいに、危険な伝染病だが「離れていれば大丈夫(Keep your distance and all is well.)」てなことをいっときながら、ドアを開けようとするワトソン先生のすぐ目の前を通って鍵をかけるってえのも妙な話ですよ。

 -でもね、考えてみれば、このシリーズはワトソン先生が間抜けだからこそ成立しているともいえますぞ。

 -それにしても損な役回りですよ。あまり間抜けだと奥さんに愛想をつかされちまいますから、どうもお気の毒でなりません。

 -ハハハ、なるほどね。ワトソン夫人失踪の原因は案外そのへんにあるのかも知れませんなあ。

 ……と、ここまで勝手なことを書いてきて思うのですが、子どもの頃あれほどワクワクしながら読んだホームズものも、落ち着いて読み直してみると、ずいぶんとおかしなところが見つかるものです。

 世にシャーロッキアンなる人種がいるとか聞きますけれど、趣味としてはわかるのですが、結局行き着く先は幻滅じゃないかと余計な心配をしてしまうのでございます。なにごともほどほどがよろしいようで。

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March 13, 2021

Daily Oregraph: 点の辛い捕物帖

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 本日の最高気温はプラス5.0度。歩道の雪もあらかた消えたので、足馴らしとして米町の踏切跡まで散歩。

 -おや薄氷堂さん、腕組みしていなさるが、どうしなすった?

 -いえね、先生、どうもこれは納得できませんよ。

 -ああ、『レディ・フランシス・カーファクス失踪(The Disappearance of Lady Carfax)事件』ですな。

 -ええ、このフランシスさんという人は伯爵家直系のご令嬢だが、家屋敷は男系相続なので相続できなかったから、大金持というわけではない。しかし高価な宝石をどっさりトランクに詰めこんで、ヨーロッパをあちこち旅して回っているところをみると、金に不自由はしていないらしい。年の頃は四十にもなるがいまだに美貌を保っている独身女性なんだそうです。

 -で、その宝石に目をつけた悪党が、フランシスさんをまんまとだましてバーデンで拉致し、ロンドンに監禁した挙句に始末してしまおうとするわけですな。

 -捜索の依頼を受けたホームズ探偵の都合が悪かったので、単身ローザンヌへ乗り込んだワトソン先生が調査を進めていると、やはりフランシスさんを追っている謎の男が登場します。

 -その男は粗暴な性格だが、実は長年彼女を慕っている純情一途な人物であることがやがてわかります。一方の誘拐犯は一見敬虔そうな宗教家風であるという皮肉な設定ですな。

 -男がいくらくどいても、その粗暴ぶりに耐えられないフランシスさんはウンといわずに逃げ回る。ところがですよ、それにもかかわらずフランシスさんは男を深く愛しており、その愛ゆえに独身を守ってきたのだというんですけど、先生、そんなわけのわからない話ってありますかね?

 -さあて、拙者に色恋のことはわかりませんから、広い世間にはそんなことがないとは限らないのかも知れませぬが、奇妙な関係であることはまちがいありません。これだと男は一生ストーカーのままだし、女は逃げながらも男を愛しつづけることになりますから、心理学科の格好の研究材料にはなりましょうな。

 -こないだ先生がおっしゃったとおりで、あたしもね、ドイルさんはこの頃低調だったにちがいないと思うんです。

 -ははあ、あなたもそうお感じになりますか。

 -設定が不自然だから、フランシスさんがどんな人物なのか、今ひとつピンと来ない。だからエセ宗教家にころりとだまされて拉致監禁されても、あまり同情が湧いてこないんですね。それだけじゃない、この作品にはもうひとつわからないところがありますね。

 -さよう、ホームズ探偵がとても考えられないヘマをしています。犯人のトリックとして使われる棺桶の意味を最後まで見逃していますな。

 -そうなんですよ、先生。注文した棺桶の出来上りが遅いじゃないかと犯人が苦情をいうと、葬儀屋は「ふつうの品じゃありませんから時間がかかったんです」と弁明します。ワトソン先生ならともかく、ホームズ探偵がそこに注目しないはずがないじゃありませんか。

 -人の身柄を捜索する事件なんですから、読者としても「ははあ、この棺桶にはなにかいわくがあるな」と考えるはずですな。

 -ところがホームズは葬儀屋に出向いて聞き込みをしようともせず、見当ちがいの場所を調べ回るんですね。読者は「あれれ、どうしたの?」と首をかしげるわけです。

 -最後の最後になって棺桶の謎を見破り、冷汗をかきながらやっと事件を解決したホームズ探偵は、いさぎよく自分の不手際を恥じるわけですが、この結末はどうも不自然に見えますな。

 -あたしにはねえ、ドイルさんのうっかりだと思えてならないんですよ。せっかく仕込んだ手品の種なのに、使いようがいかにもまずい。

 -そういえば『悪魔の足事件』でも、事件のいきさつの説明を受けたホームズ探偵が、きちんと説明されたばかりのことがはっきりしないといって、不必要な質問を重ねていましたね。ドイルさんはまた似たようなミスをやらかしたが、今回は書いているうちにハッと気づいて、なんとかごまかそうとした可能性がありますな。

 -そうでなければ原稿の分量を調整するために、わざとホームズにヘマをさせたのかも知れませんね。どっちにしてもスッキリしませんよ。最後にホームズさんは「うっかり失敗するのは人間ならだれにだってあることで、失敗を認めてそれを正すことのできる人物こそがもっともすぐれた人物なのだ」てな意味のことをいってますが、先生、どうお思いになりますか。

 -ハハハ、この苦しい言い訳から判断するに、ドイルさんうっかりミス説は案外当たっているかも知れませんな。

 この二人にかかってはドイルさんも形無しですが、さて、次回の作品はどうなりますことやら……

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March 09, 2021

Daily Oregraph: 用心が肝心捕物帖

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 本日の最高気温はプラス2.1度。だんだん日中の気温が上がってきたので、さしもの天山山脈もとうとうこんな情けない姿になりました。

 「おい、これっぱかりなんだから、さっさと全部片づけちまえよ」とおっしゃるかも知れませんが、最後まで残るにはワケがあります。見たところはただの雪ですが、実はこれ全部氷の塊でして、とてもスコップでは歯が立ちません。あとはお日さまにお任せするしかないようでございます。

 さて長屋の暇人ふたり、本日は『赤い輪(The Red Circle)事件』を相手に、勝手な批評をしているようであります。

 -最初の晩に一度外出したあとは、部屋から一歩も出ない奇妙な下宿人という着想はおもしろいですな。よく考えつくものですよ。

 -だんだん意外な真相が明らかになっていくところも、なかなか読ませますな。『悪魔の足』よりは出来がいいと思いますね。

 -ただねえ、薄氷堂さん、ひとつだけ難点がござる。

 -といいますと?

 -下宿人とその相棒が交す信号ですよ。拙者もあら探しはしたくないんだが、よくよく考えてみるとおかしすぎるんですな。

 -え~と、信号というと「1 は A、2 は B ……(one A, two B, and so on)」というやつですな。

 -さよう。それだけではすぐに意味はわからんが、要するに下宿人の部屋の向いの建物の窓から、ロウソクの光を見せたり隠したりして、相棒が信号を送るんですな。1回光れば A、2回なら B、以下26回の Z までつづくわけです。

 -暗号というほどでもない、ちと単純な信号ですね。

 -だからわかりやすいといえばわかりやすいんですがね、とても実用的とは申されませんな。

 -最初に登場する信号が ATTENTA (イタリア語で「BEWARE=用心せよ」)でしたね。

 -それを例に取って考えてみましょうか。光を見せる回数は、1+20+20+5+14+20+1=81 回になります。

 -なるほど、光を見せて隠して1回だから、1回あたり1秒はかかりますね。しかも一文字ずつ間を置かなくちゃ、A (1回)+ T (20回)なのか U (21回) なのか区別がつきません。

 -そうです。少なくとも2秒は間を置かなくてはいかんのです。だから計算してみると、最低でも 81秒+2秒×6回 = 93秒、つまり1分半以上もかかります。

 -そのうえ、連続するときは逆に長い間を置かず規則的に光を見せなくてはいけない。それを手持ちのロウソクでやるのはちと大変ですね。

 -信号を送る方も受け取る方も、勘定をまちがえるわけにはいかんから必死です。うっかり数えまちがえれば意味が通じなくなる恐れがありますでな。

 -ははあ、それで単語一つ送るのに、信号を3度も繰り返していたんですね。あたしも妙だなあと思って読んでいたんですが、これで納得です。

 -ホームズ探偵は ATTENTA が3回だから "Beware! Beware! Beware!" だといっていますが、これは単語を3度重ねて意味を強調したというより、拙者にいわせれば、綴りを確実に伝えるためと解すべきですな。

 -実際次の単語の PERICOLO(= DANGER) も、信号を繰り返そうとしていますしね。

 -さよう。途中で邪魔が入らなければ3度信号を送ったことでしょう。緊急に用件を伝えるはずの信号なのに、これではどうも手間がかかりすぎますぞ。ATTENTA を3回で5分近くもかかるから、当時広く普及していたモールス信号を使ったほうがずっと早いし確実です。

 -なるほど、たしかに面倒すぎて、実際には使えませんな。蓋を開け閉めできるカンテラでも使ってモールス信号を送ればよかったというわけですね。

 -この信号はお粗末だから、どう考えてもドイルさんの手抜きですよ。前回の『悪魔の足』もそうですが、たぶんドイルさんはこの頃ホームズものには本気を出していなかったような気がしてなりませんな。

 -しかし先生、こんな突っ込みを入れる読者がいちゃあ、戯作者も閉口するでしょうねえ。

 -ハハハ、だから「用心せよ!」ですよ。

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March 07, 2021

Daily Oregraph: 体に毒捕物帖

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 本日の最高気温はマイナス0.6度。まずまずの暖かさだが、上の写真を撮った一昨日はプラスの5.7度とポカポカ陽気であった。

 「え~、一杯のお運びで厚く御礼申し上げます。

 「本日のお題は『悪魔の足(The Devil's Foot)事件』でございますが、下手人捜しはそうむずかしくない。なにしろ登場人物がごく少ないのですから、消去法で指を折っていけば、犯人はたちまちわかりますな。

 「ですから、興味は犯行の手口にあるといってもよろしかろうと思います。まず第一の事件では被害者は三人。うち一人は死亡に至りましたが、残る二人は発狂してしまい、いずれも顔が恐怖でひきつっていた……と、いかにも舞台であるコーンウォルの荒涼たる風景にふさわしい事件でございます。

 「あたくしは行ったことがないからよくは存じませぬが、いったいコーンウォルというのはなにか奇怪なことが起こってもおかしくない、ぞっとするような土地であると、ある作家が書いておりまするから、たぶん「悪魔」を持ち出すにふさわしい場所なのでありましょう。

 「で、時は明治三十年春、長年の過労がたたって医師に勧められ、転地療養のためコーンウォルは岬の果てにある小さな家で過ごしていたホームズ探偵が、休養どころか結局事件に巻きこまれるというわけです。

 「さて被害者には外傷がなかったといいますから、症状から判断して、素人目にもなにかの中毒であろうとは見当がつきます。三人そろって中毒したとすれば、まず疑われるのは食中毒ですが、もう一人夕食を共にした人物は無事でしたから、そうではなさそうです。とすれば、毒は呼吸器から体内に入ったと考えれば納得できます。しかしお医者様にも見当がつかぬ症状を呈する毒とはなにか、というのが興味の中心になりましょう。

 「四人が夕食を共にして一人だけ無事、しかも事件の起こった邸内にはほかに実直なコック兼家政婦さんが一人いるだけとなれば、その夜は途中で帰って無事生き残った一人が怪しく、しかも彼には動機らしきものがありそうだとなれば、推理を働かせるまでもなく、犯人は明らかですな。

 「ところが数日後その容疑者本人がやはり恐怖に顔を引きつらせて死亡してしまったからさあ大変。二つの事件に共通する下手人は別にいるのだろうか? と思わせるところがドイルさんの工夫です。

 「実は第一の事件を知って急ぎコーンウォルに駆けつけたもう一人の人物がおりまして、長年この地とアフリカを行ったり来たりしているという、怪しさ満点の風変りな男であります。この人物は第一の殺人当時はアフリカに出発しようとコーンウォルを離れていたのが、途中で舞い戻ってきたわけですから、もちろん第一の殺人とは無関係であります。

 「しかし、ほかに怪しい登場人物がいない以上、消去法を用いるまでもなく、第一の殺人の容疑者(=犯人)が死亡した第二の事件の犯人はこの人物だということになりましょう。「アフリカ」と聞いてピンときた方もおいででしょうが、「悪魔の足」というのは欧州では知られていない、西アフリカ特産の有毒植物であるという設定になっております。

 「ボーッと読んでいてはわかりませんが、こうして整理してみると犯人はすぐにわかります。この作品は話が複雑ではないだけに、探偵小説を書くヒントになると思いますな。あとはもっともらしい動機をこしらえれば、「なんとかサスペンス劇場」程度のお話なら、案外簡単に書けるかも知れませんよ。最後は風吹きすさぶコーンウォルの岬に一同そろったところで種明かしをすればいいんです。

 「猛毒をどのように用いたのか、下手人二人はいかなる関係にあったのか、動機はなにか……もう十分ネタばれしたかと存じますので、そのあたりを詳しく申し上げるのは控えておきましょう。

 「いやどうもご退屈さまでした。どうかお足元にお気をつけて」

 話を終えた薄氷堂が座布団から立ち上がろうとしますと、親分が手で制しまして、

 -おっと、この前の事件に比べればずいぶん簡単な話のようだね。

 -ええ、この話は駄作とまではいえませんが、筋立ても単純だし、凡作にちがいありません。過労がたたっていたのは、ホームズ探偵じゃなくて、実はドイルさんだったというのが、あたくしのカンです。

 -というと?

 -その証拠があります。最初に牧師さんから事件の説明を受けたホームズ探偵は、第一の事件の容疑者が事件の翌朝早く現場に行ったわけを聞いていたにもかかわらず、そのすぐあとで容疑者本人に向かって「どうしてあなたが今朝そんなに早く事件をお知りになったのかがハッキリしませんね」てなことをいっております。おかしいじゃありませんか。

 -ふむ、そりゃあ妙だね。ホームズ探偵にしては注意力散漫、うかつすぎる。

 -あたくしの考えでは、ドイルさんはこの作品の最初の部分を一気に書いてはいない。牧師さんの説明と容疑者本人の話との間、少なくとも数日は原稿に手をつけちゃいますまい。

 すると二人の話を黙って聞いていた手習いのお師匠さん、火鉢を煙管でトンと叩いて、

 -そうだとしても、ふつう読み返せばすぐに気がつきそうなものですがね。

 -そこなんですがね、ドイルさんはよほど疲れていたのか、ほかのことに気を取られて半分上の空だったにちがいありません。なにがあったのかは存じませんが、どうも身が入っていない。暇人の研究家が調べればそのわけがわかるかも知れませんよ。どうです先生、ひとつお調べになってみては?

 -いや、ご免こうむりましょう。そんなことをしたって、一文にもなりませんしな。

 -ハハハ、まあそう腐らないでください。悪魔の足てえのはありませんが、スルメの足ならまだ残っていますから……

 ここで親分、心得たりと灘の生一本を取り出しました。酒は体に毒といえぬこともありませんが、まさかこの三人が毒に当たって倒れることはありますまい。

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March 03, 2021

Daily Oregraph: めでたい捕物帖

 一昨日から今朝にかけて二度雪が降ったけれど、合わせて10センチ程度の積雪ですから、雪かきは楽なものでした。予報では50センチでしたので、外れて大助かりです。

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 さて本日の最高気温はマイナス3.2度。低いじゃないかとお思いかも知れませぬが、太陽のおかげで見る見るうちに雪は融け、ツララからはひっきりなしに水滴がポタポタと落ちていたのでございます。

 -親分、なんだかんだいっても弥生のお天道様には勢いがありますね。

 そういわれた親分は、読本(よみほん)の最後の頁を丁度読み終わるところでしたが、

 -うむ、いつの間にか三月だなあ。早いもんだぜ、まったく。

 -疫病が長引くせいか、このところこそ泥も減ったようで……

 -まあ、事件がねえのはなによりだ。ところで泥棒といえば、潜水艦の設計図を盗んだ不届き者がいる。そいつが役人だから、国家機密を売り飛ばそうとは、とんでもねえ話だぜ。

 -え、潜水艦? なあんだ、そいつは『ブルース・パーティントン設計図(The Bruce-Partington Plans)事件』の話じゃありませんか。

 -うむ。なかなかおもしれえから、狂言にして中村座で上演したら大受けまちがいなしだろうぜ。

 -でもね親分、道具方が大変ですぜ。地下鉄の駅だの車両なんぞをこしらえなくちゃならねえんですから。

 -そうか。舞台が無理なら活動写真だな。

 そこへフラリと現われたのが、長屋の究極の暇人である手習いのお師匠さんです。

 -やあ、おそろいですな。ところで親分、ホームズ探偵の兄上の年収をご存じかな?

 -ハハハ、こいつは藪から棒ですね。たしか450ポンドじゃありませんか?

 -おや、どうして知っていなさる?

 親分が読み終えたばかりの読本を差し出しますと、

 -なあんだ親分、お読みになったのですか。せっかく新知識をご披露しようと思ったのに、お人が悪い。

 -このブログの読者ならとっくにおわかりのように、当時年450ポンドといえば楽に暮らせるだけの金額ですが、国家中枢の重要人物の俸給にしちゃあいかにも少ない。弟同様、欲のない変わり者のようですね。

 -その変人兄弟の活躍によって難事件が解決するわけですが、それによって国家の危機が救われるというところは『第二の血痕』に似ておりますな。

 -はじめ犯人と目された青年の死体がなぜ線路脇にあったか、という謎の推理は筋道が通って見事なものです。最後には青年の疑いが晴らされ、悪人どもが捕縛されるという勧善懲悪の筋立ても後味がいい。

 -ホームズ探偵の手柄へのほうびとして、女王陛下と思われるお方が、現金ではなくエメラルドのタイピンをくださったというのも上品でよろしいですな。

 -でもね先生、あっしなら金子のほうがありがてえ。飾り物なら質に入れる手間がかかりますからね。

 -馬鹿野郎、なんの手柄も立てねえボンクラに、どなたがほうびをくださるというのだ。

 -ハハハ、親分、まあそうお叱りなさるな。八五郎さん、拙者にはタイピンはとても上げられませぬが……

 といってお師匠さんが懐から取り出した包みを八公が開けてみますと、

 -や、鯛焼きじゃありませんか。こいつはとんだおやじギャグだ。

 -先生がお土産をくださるとは、また雪が降るかもしれませんな。

 三人が笑い合っている間にこっそり検索してみましたが、この時代に鯛焼きが存在したかどうかはとうとう確認できませんでした。このシリーズは時代考証がデタラメでありますから、どうか笑っておゆるしくださいませ。

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