Daily Oregraph: えんぴつ捕物帖
本日の最高気温は+1.5度。暖かくはなりましたが、玄関前の雪の壁を切り崩す作業は、一部が凍りついているために、あまりはかどらなかったようでございます。
さてヒマはあっても金のない連中のすることといえば、無駄話と相場が決まっております。手習いのお師匠さんが雪かき用の木鋤(こすき)を片づけておりますと、
-これは先生、ご精が出ますな。
-おや、薄氷堂さん、どうなすったね?
-お借りした『三人の学生(The Three Students)事件』をお返しにまいりました。お礼といっちゃなんですが……
といって一升徳利を差し出したものですから、先生はすっかり相好を崩して、
-おお、これはなにより。ひょっとして貯金箱を割りなすったのかな? ご無理なさらんでもよかったのに。
-なあに、割ったんじゃなくて、ひとりでに棚から落っこちて割れたんです。そういう定めだったのでしょうな。
主客薄っぺらい座布団を敷いて向き合い、『三人の学生』を肴に昼間っから茶碗酒と洒落こんだことは申し上げるまでもありません。
-先生、どこの大学の話かは伏せてありますが、どこなんでしょうね?
-うむ、それはケンブリッジかオクスフォードのどちらかにちがいありません。その証拠のひとつとして、学生の一人は「青を獲得した(got the Blue)」 と書いてありますが、ユニフォームの青が濃ければオクスフォード、淡ければケンブリッジのスポーツ代表選手に選ばれたことをいうのです。
-へえ、字引にそんなことまで出てるんですか?
-さよう。だから舞台はふたつの大学のうちのどちらかなのです。さて事件が起きたのは、問題の三人の学生を受け持つ指導教官の部屋ですが、試験用紙をこっそり書き写したのは三人のうち一人だから、そうむずかしい事件ではありませぬが、しかし……
-つまり三人を一人ずつ呼び出して問いただせば、そう苦労しなくとも犯人は割り出せますな。しかしそれでは問題が公になるも同じだから、内々ですませるわけにはいかなくなるというわけですね。
-だから真犯人を特定して、彼に試験を辞退させるしかないわけです。たいした事件でないとはいえ、そこにむずかしさがあるし、ホームズ親分の活躍する余地があるんですな。
-ねえ先生、私はこの小説はなかなかよくできていると思うんですよ。地味な事件ながら、推理のおもしろさはあるし、後味もたいへんいい。
-ホームズ親分がまず注目したのは、現場に残された鉛筆の削りかすと、あとで運動用スパイクからこぼれ落ちたものとわかる、小さな土くれの固まりですな。
-ははあ、それでわざわざ木ペン(鉛筆)をなまくらな肥後守で削ってみたんですね(笑)。削りかすに見える鉛筆の刻印の文字から、残った長さを推理するというのは、一見なんでもないようですが、凡眼の見逃すところでしょう。
-ドイルさんは鉛筆の話をもう少し引っぱるつもりだったらしく、普通サイズのものじゃないといって、わざわざホームズを文房具屋にまで連れて行ってますね。なにかの記念にもらった特別な鉛筆だったとして、それを手がかりにするつもりだったのかも知れないのだが……
-途中でだんだん鉛筆なんぞどうでもよくなっちまったから、尻切れトンボになったというわけですね。
-まあ、そこは作者の失敗だとしても、ホームズが教官の部屋の窓の高さから犯人の背丈を推定したところ、机の上に残った小さな固まりからスパイクシューズを連想したところはえらい。それだけでほぼ犯人が特定できますからな。それに、教官の従僕がある特定の椅子に座ったわけを見抜いたところなどは秀逸といえましょうな。
-ただね、先生、この小説は気に入っているんだが、机の上にスパイク靴を置いたんなら、もっと汚れていてもおかしくはないし、運動練習帰りの学生が都合よく鉛筆と紙を持っていたというのはちと納得しかねるんですよ。
-ハハハ、暇人が探偵小説を読むと、細かいところまで気がつくものです。いずれにしてもこの事件を誘発した本当の犯人は、指導教官でしょうな。問題用紙を机の上に置きっ放しにして部屋を空けるとは不注意もはなはだしく、学生ばかりを責められませんぞ。
-ごもっとも。そりゃあ置いとくほうが悪い。私だって目の前に酒があればとても辛抱できないから、つい手が出ちまいますしね。
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