Daily Oregraph: 踊る阿呆捕物帖
本日の最高気温はかろうじてプラスの0.1度。
港町の主役はカモメではなくカモの仲間であった。目のかたちのせいだろうか、カモメはちと人相が悪く、カモのほうがずっと愛嬌がある。
さて町内見回り中の親分と八公ですが、八のやつ、越後屋の前にピタリと立ち止まって一向に動こうといたしません。
-おい、八、なにをしていやがる。さっさと歩かねえか。
-いえね、親分、越後屋に貼ってあるポスターに妙ないたずら書きが……
二人が首をかしげておりますところに通りかかったのは、手習いのお師匠さんでございます。
-おや、親分に八五郎さん、見回りご苦労さまです。
-ねえ先生、このいたずら書きなんですが、どうお思いなさる。落書きにしちゃあちと手がこんでいるようです。
-どれどれ……ははあ、こいつは踊る人形という暗号ですな。
-へえ、さすがは先生だ。で、解けますかい?
-STOP AT ONCE. スグヤメロ、ですな。横浜あたりの異人が落書きしたのかもしれませぬ。
-なんだ、先生、エゲレス語ですかい。そういえば親分、 GOTO も「後藤」さんじゃなく横文字でしたっけ。
-ハハハ、八五郎さん、なんでも横文字を使ってもっともらしく見せようという、詐欺師の手口ですよ。
-それにしても先生、あっという間にお読みなすったが、前からご存じで?
-実はね親分、昨日この暗号の勉強をしたばかりなんですが、拙者の手元にある本にはまちがいがありましてな、苦労しましたよ。
そういって懐から一枚の紙を取り出して、お師匠さんは説明しはじめたのでございます。
細かいことは省きますが、ホームズの親分は「英語のアルファベットで一番使われるのは e である」として、まずこいつを「□e□e□」としました。次に前後の事情から、これはなにかの問いかけに対する返事の一語だろうと考えた。そうすると sever でも lever でもおかしいから、never にちがいない。これで4つのアルファベットがわかったことになります。
こうして新しい暗号文を見るたびに推理を重ね、人形とアルファベットとを結びつけていったのですが……私の本には誤りがあったんですよ。どうも辻褄が合わんので、薄氷堂さんの本を見せてもらったら、なんと人形の絵がちがう。
最初は作者の描いた図をそのまま刷ったのかと思っていたのですが、どうやら版元ごとに手で人形の絵を彫ったらしいのですよ。その証拠に本がちがえばどの人形も微妙に形がちがいます。さて上の図では r が実は b の人形なんですから、私と同じ本を読んだ人に暗号はなかなか解けませんよ。活字の誤植ならめずらしくはないけど、これはタチが悪い。
-な~るほど、苦労しなすったね。ところで人形が旗を持っているのは?
-単語の区切りですな。ホームズの親分は暗号の論文を書いたと自慢していますが、この人形は暗号としては寺子屋レベルですよ。ご親切にも単語の切れ目がわかるようになっているから、十分な材料と根気さえあれば、八五郎さんにも造作なく解けてしまうでしょうね。
-へへ、あっしにはそんな自信はありませんがねえ。ところで先生、「ドイルの悪い癖が出た」と薄氷堂さんがいったのはどのあたりなんで?
-下手人は短筒で人を撃ち殺して、少し離れた民宿に逃げ帰ったとお思いください。ホームズの親分は人形の暗号を使った手紙をそこに届けさせて、犯人をおびき寄せ、地元の警部さんと一緒にお縄にするのです。
-へえ……しかし下手人がのこのこやって来ますかね?
-さあ、そこですよ、八っつあん。なにしろ短筒をぶっ放して人を殺したんだから、いずれお上の手が回ることはわかりきっている。だから警部さんは「あなたが来いといったからといって犯人が来るもんですか。怪しまれて逃してしまうのがオチではありませんか」ともっともなことをいうわけです。
-そりゃそうですよねえ。第一、下手人はなぜもっと早くずらからなかったんでしょうねえ?
-ホームズの親分の言い分はこうです。逃げれば犯行を自白するようなものだから、下手人は逃げないのだ。それに下手人への手紙は人形の暗号を使って書いたので、怪しまれることはない。きっとやつはここに現われる。
-そいつは無茶ですぜ。逃げようと逃げまいと、よそ者には必ず疑いがかかるから、遅かれ早かれお取り調べはある。そんなら一刻も早くずらかるのがふつうでしょう。
-親分のおっしゃるとおりですな。それに下手人が呼び出されたのは犯行現場の屋敷なんだから、警察がうろうろしていると考えなくてはいけません。だから来るはずがないんです。ところが安心して犯人が姿を現わすというのはどうもねえ。
-そういえば『緋色の研究』でも犯人はベーカー街にやって来てお縄になりましたが、薄氷堂さんのいうドイルの悪い癖というのは……
-さよう、見せ場を作ろうとして、かえってホームズを間抜けに見せているところなんですよ。おっと、ずいぶんと長い立ち話をしてしまいましたな。拙者はこれから行くところがありますので、これにてご免。
お師匠さんの後ろ姿を見送りながら、親分がニヤニヤ笑っているのを不思議に思った八公、
-親分、なにがおかしいんですかい?
-わからねえか、八、ポスターに人形の落書きをしたのはお師匠さんにちげえねえよ。
-えっ、まさか。
-だっておめえ、たとえ異人だって、よほどの物好きでもなけりゃ、あんな妙ちきりんな暗号をたちどころに読めるわけがねえ。書いたご本人だからすらすら読めるのさ。
さっと冷たい北風が吹いて、四つ辻にさしかかったお師匠さんのクシャミをする音が聞こえてまいりました。
Comments
当記事へのコメントを
前日記事に付けました。
当然、
切腹!
Posted by: しょうちゃん | December 18, 2020 09:02
>しょうちゃんさん
責任を取ろうというお気持はご立派ですが、勝手に切腹されては困ります。親分を差し向けますから、素直にお縄について(笑)お上の裁きを受けてください。
ところで、STOP AT ONCE ですと、O が2つ、T が2つなのに(出現率 No.1 という) E は 1つしかありません。ある程度材料がそろわないと暗号は解けないという証拠ですね。
Posted by: 薄氷堂 | December 18, 2020 09:40