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December 31, 2020

Daily Oregraph: 年末ご挨拶

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 本日の最高気温は-3.8度。道路にはうっすら雪が積り、少々寒いけれど、まずは穏やかな大晦日である。

 大掃除とまではいえないがひさびさに部屋を片づけて、2020年もおしまい。すっかり弱り切った日本国が来年はちっとは元気になることを祈りつつ、一年の穢れを払うためにも今夜は音楽にひたることにしたい。捕物帖はお休みである。

 さてこのマイナーなブログにおいでくださった皆様には、心より感謝申し上げます。来年はさらに不景気が深刻になる可能性さえありますが、なにごとにも必ず底はありますので、お互いじっと耐えてしぶとく生き延びることにしましょう。

 ホームズ探偵の短編はまだ26編も残っていますから、捕物帖は当分つづきます。なにをノンキな……とおっしゃるかも知れませんが、むずかしい顔をしていても事態は少しも好転いたしません。灘の生一本がなければドブロク、ドブロクもなければ出がらしの番茶を飲みながら、つまらなき世をおもしろく過ごすのが裏長屋の知恵というものかと存じます。

 では皆様どうかよいお年をお迎えください。

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December 29, 2020

Daily Oregraph: ブラック捕物帖

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 本日の最高気温は0.6度。プラスではあったが、寒いんですよ。

 今回の短編は『ブラック・ピーター(Black Peter)』である。もと捕鯨船の船長ピーターは色浅黒く、黒ひげを生やした酒癖の悪い乱暴者だから、強いて訳すとすれば、ちょっとダサいけれど『黒鬼ピーター』あたりだろうか?

 ピーター船長は母屋とは別に小さな小屋を建て、そこで寝起きをしていたのだが、そのサイズは16フィート×10フィート(4.9 m × 3 m)だったというから、鴨長明の方丈やソローの小屋の約1.5倍はあるものの、西洋人としてはえらく狭い。

 ふだんは「厳格なピューリタン」であり、そんな質素な小屋で生活しているくせに、実は強欲で残忍、酔っ払うと手がつけられないという、矛盾を絵に描いたような男である。

 そのブラックな男が、船長室を模した室内に飾ってあった捕鯨用の銛で、昆虫標本みたいに壁に串刺しにされたというのが今回の事件である。血しぶきが飛び散った室内は凄惨を極めたと想像されるが、プライオリ・スクールのように絵図が必要なほど複雑な事件ではない。

 さて小説を熱心に読んでいた八公、チッと舌打ちして独り言をいいます。

 -なんぼなんでもこれはねえや。

 -どうしたい、八?

 -だって親分、狭い小屋の中ですぜ。下手人の回りには血が飛び散っていたと書かれている。そんなら下手人はたっぷり返り血を浴びていたにちがいありません。

 -そりゃそうだろうな。

 -ところが、下手人はそれから10マイル離れた駅までテクテク歩いて汽車に乗り、ロンドンへ行っている。途中顔を洗って服を着替える場所もなければ、そのふしもねえから、血まみれのまま歩き回ったはずで、人に怪しまれずにはすみますまい。

 -ハハハ、手習いの先生や薄氷堂さんの悪い癖がおめえにも移ったらしいな。あのお二人は暇人だから、せっせと重箱の隅をほじくるのよ。しょせんは戯作、やかましいことをいわずに読むがいいのさ。

 -いや、もう一つ気に入らねえところがありやす。ホプキンズ警部というお役人が、ひどい間抜けに書かれている。警部が下手人としてお縄にした若いもんはひょろひょろした男だから、とても銛で人を串刺しできるような力なんぞねえことは一目でわかるじゃありませんか。そこがわからねえトンチキにお役目が勤まるわけはねえ。

 -なるほど、そいつはもっともだ。

 -ところが無実の下手人を上げて得意顔だというので、ホームズの親分は警部さんを散々笑いものにするんだから、バカにしてらあ。あっしはくやしくてならねえんですよ。ドイルてえ戯作者はお上に喧嘩を売っているんでしょうかねえ。

 憤慨する八公を親分がしきりになだめているところへ、先生と薄氷堂の二人がふらりと現われて、

 -親分、酒はありますかな? 今日の肴は『ブラック・ピーター』ですぞ。

というのですから、さていかがあいなりますることやら……

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December 27, 2020

Daily Oregraph: 絵図を読む捕物帖 (2)

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 この写真は昨日 港町から撮った雌阿寒の山並みである。案外雪は少ないことがおわかりになるだろう。

 最高気温は本日が-1.0度、昨日が-0.2度だから、今日のほうが寒そうだけれど、とんでもない。昨日は港に白波が立つほど風が強く、寒いのなんの、とても長く外にはいられなかった。それにくらべれば今日はポカポカとして、ずっと過ごしやすかったのである。

 さてどぶろくを飲み過ぎて二日酔いになった一同が再び集まったのは翌々日の午後のことでございました。

 -おお、寒い。木枯しの果てはありけり裏長屋ってね。失礼ながら、先生のお宅は風通しがよすぎますな。おや、本日は親分と八五郎さんもお揃いで……

 そう憎まれ口を叩きながら、肩をすぼめて入ってきたのは、年中同じ着物を着通しの薄氷堂です。どこで手に入れたのか、スルメの束を手にしております。

 -ハハハ、これはお口が悪い。ところで、今日は親分がこいつを……

といってお師匠さんがポンと叩いて見せたのはなんと酒樽、一時に梅と桜が咲いたような景気のよさです。

 親分は照れくさそうに笑って、

 -なに、越後屋が歳暮によこしたものでしてね。だが刺身までは手が回らなかった。実はね、八のいただいてきた絵図がおもしろそうだから、今日はあたしもお話を聞きにめえりやした。

 -へへ、そうでしたか。親分のおかげで灘の生一本にありつけるとはありがたい。じゃあ先生、スルメでもかじりながらお話をおうかがいしましょうか。

 スルメをあぶる匂いがプーンと漂いはじめ、それぞれの茶碗に澄んだ酒を注ぎ終ると、一同坐り直しまして先生に注目いたします。

 -え~、では早速本題に入りましょう。いちいち前回の記事に戻るのは面倒ですから、もう一度絵図をお見せします。話がこみいっているから、どうでも絵図を見なくちゃ先へ進めません。

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 そう前置きしてお師匠さんは話を始めたのであります。

 絵図に引かれた3本の点線は、なかなかよく考えられておりましてな、じっくり見るとまことにおもしろい。さすがは曲亭馬琴かコナン・ドイルかといわれるだけのことはあります。

 さて前回申し上げたように、寄宿舎を抜け出した少年は北、つまりムアを突っ切ったと考えられます。ところがムアに少年の足跡は残っていないから、自転車か馬に乗って逃げたはずです。しかし少年が学校から自転車を持ち出した形跡はないので、だれかが手を貸したにちがいない。この点にどうかご注意願います。

 捜査開始の時点では、ハイデガー先生はあとを追ったのではなく、実は少年を自分の自転車に乗せて連れ去ったのだという可能性もありましたが、やがて彼の自転車と遺体がムアで発見されます。したがってハイデガー先生は、相当の速度で逃げる少年に追いつくために、どうしても自転車に乗る必要があったとわかります。

 さて印をごらんください。ホームズ親分はここで最初に自転車のタイヤの跡を発見します。だがこいつはおなじみのダンロップ製タイヤですから、ハイデガー先生の自転車のパーマー製タイヤとはちがいます。つまりもう一人謎の自転車乗りがいたことになる。これも注意すべき点です。

 トレッドでは前後のわからないタイヤ痕を見て自転車の進行方向がわかるものかどうかは大いに疑問ですが、ダンロップ・タイヤの自転車は南から北へ向かっているとホームズ親分は考えます。で、親分はダンロップ・タイヤ痕を逆にたどり、出発点がラグド・ショー(Ragged Shaw)であると突き止めるのです。

 ここからがちとややこしい。ホームズ親分はどうしてもパーマー・タイヤの跡をみつける必要があるから、ふたたび湿地帯に戻ります。苦労の末の場所でそいつをみつけ、跡をたどってハイデガー先生の遺体を発見しました。

 付近でピートを掘っていた男に警察への通報を依頼してから、親分とワトソン先生はふたたび印に戻り、今度はダンロップ・タイヤの跡を北へ向かってたどるのですが、湿地帯を過ぎて館が左約数マイルに見える地点で跡は途切れてしまう。

 二人はそれから闘鶏亭へ立ち寄りますが、このパブの主人は一癖も二癖もありそうな怪しい男。親分がこっそり調べて見ると、ここで飼われている2頭の馬の蹄鉄はなぜか牛のひづめの形をしています。この発見は親分の手柄ですな。

 闘鶏亭を出た二人は、前回挿絵をお目にかけたように、館までの街道の途中で自転車に乗って闘鶏亭へ向かう男をみかけます。万事徹底するホームズの親分は、ふたたび闘鶏亭に行って自転車のタイヤを確認すると、これはダンロップ製でありました。

 こうして一日の長い調べを終えた二人は、また荒れ地を突っ切ってプライオリ・スクールへ戻るのですが、ホームズ親分は疲れも見せず、そこから最寄りの駅へ行って電報を打っています。

 ……とまあ、荒れ地での調べのあらましは、これでたいていおわかりになったと存じます。

 長いお話が一段落したので、お師匠さんは灘の生一本をぐいっとやりましたが、どぶろくと違ってす~っと喉を通過いたしますから、すぐにつづけて手酌でもう一杯。

 すると薄氷堂がスルメをもぐもぐやりながら、

 -先生、こいつはどうもあきれた話じゃありませんか。ホームズの親分とワトソン先生は、一体この日何マイル歩いたんでしょうねえ。たった二人で助手もいないし、目印に旗竿を立てたわけでもないから、荒れ地で場所を確かめるのは至難の業です。行ったり来たりすれば、一里の道のりを二里歩くことにもなりかねませんぞ。ホームズさんはいいとしても、戦地でこしらえた古傷を抱えるワトソンさんは疲労困憊してバッタリ倒れかねませんぜ。

 -いや、ごもっともですが、そこを突っこむと話が進行いたしませぬゆえ、目をつぶるとしましょう。

 それまでじっと話を聞いていた親分が、ここで口をはさみます。

 -今のお話をまとめて考えると、こうなりましょう。3本の点線、A, B, C がある。つまり少年のほかに少なくとも3人の大人がからんでいますな。この絵図によると、どれもラグド・ショーのあたりが出発点です。ハイデガー先生は C の線に沿って少年を追いかけ、×印のところで殺されていたが、そこは A の線とはずいぶん離れているから、A の自転車乗りは下手人ではありません。下手人は少年を連れて B の線をたどり、のあたりで C のハイデガーさんに追いつかれたか追いつかれそうになったので、×印で犯行に及んだわけでしょうな。

 すると前回恥をかいた八公が、

 -でもね、親分、B は牛の足跡の線ですぜ。

 -いいか、八、闘鶏亭の馬の蹄鉄が牛のひづめ型だったことを忘れちゃいけねえ。子どもを連れて逃げるのにふつう牛は使わねえから、自転車の跡でないとすれば、B は牛に見せかけた馬の足跡にちがいないのさ。途中で跡は途絶えているが、馬の行方は闘鶏亭で決まりだろうな。

 -親分のおっしゃるとおりです。さて八五郎さん、今日の問題は A の行方です。これはおわかりになるでしょう。

 -あれれ、先生、また問題ですか? だが今日はまちがえっこありやせん。ホールダネスの館だね。前回の挿絵で自転車をこいでいた男でしょう。

 -ご明察。しかし A, B の正体については、ねたバレもいいところだからこれ以上申し上げるわけにはまいらぬ。丸善に行って本をお買い求めいただきたい。おや、薄氷堂さん、なにやら不満顔ですが……?

 -いえね、先生、C が学校から北へ一方通行なのはハッキリしているけど、A と B はそうじゃない。どちらも館前の街道とラグド・ショーとの間を往復していなくちゃ話が合いません。つまりタイヤの跡と牛と見せかけた馬の足跡は、どっちも一筋じゃなくて二筋だったはずじゃありませんか。

 -おお、お気づきになりましたか。万事に細かいホームズの親分ですが、現場ではタイヤの跡は学校からのものというだけで、それと反対方向の跡については触れてはいないから、オヤ? と思います。それと、牛に見せかけた足跡ですが、足跡があるとは現地でもいってるけれど、十分な説明はされていません。これも往復二筋あったんなら、南北両方を向いた足跡が入り乱れていたはずだから、東西よりは南か北が優勢だったにせよ、概してどっちという方向(general direction)を決めるのは難しかろうと思いますな。

 -たぶん馬を牛に見せかけるトリックは最初から考えていたにちがいないが、点線 B をはっきり示さないと話がうまく進行しないことに、作者はあとで気づいたのだろうとわしは思いますぞ。

 -う~む、そいつは手厳しいが、図星でしょう。というのは、現場ではほとんどタイヤ痕の話ばかりだったのに、闘鶏亭に着いたあとになって、ホームズ親分は突然思い出したように牛の足跡がどこにあって、その特徴はどうだったと詳しく話し始めている。読者に点線 B を納得させるためには、それが必要だったんでしょうな。

 -まあ、薄氷堂さんのいうとおり、突っこみどころを探せばほかにもありましょうが、絵図一枚でここまでヒマをつぶせれば御の字ですよ。なあ八、おれたちもこの話を全部読んでみようじゃねえか。

 -ぜひそうなさい、親分。たしかに多少物足りないところはあるが、大貴族のお偉いさんに向かってホームズの親分が恐れることなく堂々意見するという痛快な場面もあって、なかなかおもしろい短編だと思いますぞ。

 ここでスルメの匂いにまじって燗酒の香りがふんわりと漂って参りましたのは、八公が気を利かせたのでございます。破れ障子から吹きこむ風は冷たくとも、熱燗を酌みかわす四人の会話は、このあとも楽しげにつづくのでございました。

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December 26, 2020

Daily Oregraph: 京都通信員だより-終い弘法・終い天神

 京都通信員より、一年のしめくくりにふさわしく、21日の東寺「終い(しまい)弘法」と25日の北野天満宮「終い天神」の写真が送られてきたので、家にこもっているみなさまにご覧いただきたい。どちらもコロナ禍さえなければ、はるばる出かけて見物するだけの価値はあると思う。

 通信員によると、どちらも出店数はかなり減り、観光客は例年の十分の一程度であったという。

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 まずは弘法さんの市である。なるほど人出が少ない。ぼくは一度しか見物していないけれど、この市には恐ろしいほど人が集まる。

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 これは2002年9月21日に撮影したものだが、門前からすでにこの人出で、暑い日だったせいもあり、境内は人いきれで具合が悪くなるほどであった。

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 こちらは25日の天神さん。出店数はほぼ半減したらしい。弘法さん同様、妙な骨董品なども売りに出されており、右側に見えるのは火焔太鼓じゃないかと通信員君はいうのだが、それなら腰を抜かして坐りションベンするほどの高値がつくかもしれないんだから、買えばよかったのに。

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 これは2014年9月25日に撮影したもの。東寺ほどごった返してはいないという印象を受けたけれど、もちろん人出は多いし、驚くほど多数の露店が並んでいた。一通り見て回るだけでも結構な時間がかかる。

 神仏をも閉口させるほどの勢いがあるのだから、コロナ恐るべし。通信員君もあまりフラフラ歩き回らないほうがいいのではないだろうか。

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December 25, 2020

Daily Oregraph: 絵図を読む捕物帖 (1)

 -おや、八五郎さん、親分はどうしなすったね?

 -いえね、このところお上のご威光がめっきり衰えて、こちとらのいうことをだれも素直に聞かねえものだから、親分はどうも元気がありません。「八、おめえ、おいらの代りに先生のお話を聞いてきな」てえわけでして……

 -さようか、それは残念。先立つものがないゆえ、たとえ疫病がはやっておらんでも、旅には出られん、酒も飲めんというわけで気分がくさくさするから、浮世離れした捕物のお話でもしようと思ったのですがねえ。

 -ハハハ、先生、そう腐らない、腐らない。どぶろくでよけりゃ、ここに持ってまいりました。こいつを一杯やりながら、先生のご研究におつきあいいたしましょう。

 -おお、さすがは薄氷堂さんですな。実にかたじけない。

 というわけで、一同欠けた茶碗にどぶろくを注ぎまして口を湿らせ、いよいよ手習いのお師匠さんのお話が始まります。

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 え~、まずはお手元の絵図をごらんくだされ。これは英国の医師ワトソン先生がお描きになった、プライオリ・スクール事件の現場の略図です。この先生の文字は大変読みにくく、読み取るのに苦労しましたよ。特に Marshy Tract(湿地帯)across Moor には弱った。tract はなんとか読めましたが、Marshy は難物、なんでこんなに下手くそなのかなあ。ついでながら小文字の「e」をギリシャ文字の 「ɛ」としているところにご注目願います。これはコナン・ドイルの書き癖にちがいありません。わかりにくい文字は読めるようにしておきましたから、この絵図を詳しく見てまいりましょう。

 まずあらすじを申し上げますと、プライオリ・スクールというのは、ええとこのボンボンが入らはる寄宿制の私立学校でしてな、この学校に地図の左上に見えるホールダネス館の10歳になるお坊ちゃまが入学いたします。ところがある夜、なぜか少年は部屋を抜け出して外出する。たまたまそれを目にしたハイデガーという(どこかで聞いたような名の)ドイツ語教師が少年の後を追うわけですが、二人はそのまま行方不明になってしまう。

 事件の数日後依頼を受けたホームズの親分は、筋道を立ててこう推理いたします。まず少年の通る道として最初に考えられるのは学校前の街道(High Road)です。しかしこの晩街道の東の分れ道で立番していた警官(constable)は二人を目撃しておりません。また西側にある赤牛亭(Red Bull Inn)では病人が出たため、医師の到着を待っており、だれかかれかが店の前に立って街道を見ておりましたが、やはり二人は目撃されていないのです。

 ご参考までに申しておきますと、ここでいう inn とは、ただの旅籠ではない。求めに応じて人も泊めるという居酒屋、つまり旅籠を兼ねたパブであります。この絵図の上にもう一軒ある闘鶏亭(Fighting Cock Inn)も同じですな。

 さて二人が東西を走る街道を通らなかったとすれば、残るは南か北です。しかし街道の南側には囲い込み農地(Enclosed Country)が広がっている。世界史の時間にエゲレスのエンクロージャ(Enclosure 囲い込み)というのを習ったかと存ずるが、これは「ここの土地はおれさまのものだ」とばかり生垣や石垣なんぞで文字どおり地面を囲い込んだのです。実際本文中には「石垣で細かく区切られた」と書いてあります。

 そうなると残りは北しかないが、ここは地元でラグド・ショー(Ragged Shaw)と呼ばれている木立(shaw)より向こうには、一面ムア(moor)が広がっている。ムアというのは「囲い込まれていない」草ぼうぼうの荒れた土地のことです。絵図のとおり、半径約6マイル(≒9.7 km)もあるから、少人数で捜索するのは困難をきわめること想像に難くありませんな。その足元の悪い広い荒れ地を、ホームズの親分とワトソン先生の二人で歩き回るというんだから大変。

 絵図の中には3本の点線があり、それぞれダンロップ・タイヤ、牛の足跡、パーマー・タイヤと記されていますが、仮に A, B, C の記号をつけておきました。しかし話が長くなるので、それについては次回お話し申し上げましょう。

 ……そういってお師匠さんは茶碗に残ったどぶろくをゴクゴクとうまそうに飲み干しました。八五郎と薄氷堂は神妙な顔をして絵図を眺めております。

 -八五郎さん、この土地のあらましは大概おわかりになったと存ずるが、どうです?

 -へえ。しかし先生、学校からホールダネス館まで6マイルってんだから、ハイデガーの死体まで5マイルてえのはどうも縮尺が合わねえような気もしますがね。

 -うむ、拙者もそこはちと気になりました。もう一つ、本文中にはダンロップ・タイヤの矢印の先端から左手数マイル先に館の塔が見えたとあります。しかし湿地帯を越えてすぐにタイヤの跡は見えなくなったともあるから、館までの距離からして矢印はずっと下にこなければなりません。まあ、しょせんは略図なんですから、この辺はあまり突っこまずにおきましょう。

 すると薄氷堂が先生の茶碗にどぶろくを注ぎながら、

 -ここからは次回のお話になるんでしょうが、タイヤってのは無論自転車のものにちがいありませんね。だとすれば、草の生い茂った荒れ地を自転車で走るのはさぞ大変でしょう。走れますかな?

 -さよう、大変にちがいありません。実は拙者も蝦夷の草ぼうぼうの荒れ地を30分以上かけて踏破したことがありましてな、腰の高さまである草が密集したところはとても自転車どころじゃない、歩くのもやっとでした。しかし場所によっては草がまばらなところもあって、そこなら歩くのは少し楽でしたよ。エゲレスの現地へ行ってみなくてはわからないが、ここのムアには羊の通ったあとが無数にあると書かれているから、蝦夷地の家畜のいない草ぼうぼうとはちがって、案外自転車でもなんとか通れたんじゃないかと思います。

 -先生、いよいよ次回は謎解きですね。

 -そうそう、八五郎さん、ここでひとつ問題を差し上げよう。絵図が飲み込めたんなら、きっとわかりますぞ。この挿絵をごらんなさい。場所は闘鶏亭と館との間の街道です。この男は館から闘鶏亭へ向かって、必死に自転車をこいで、丘の下の岩陰に隠れているホームズ親分とワトソン先生の前を通過するという場面ですな。どこがおかしいか、わかりますかな?

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 -へえ、これがどうかしましたか? あっしにはよくわからねえが……

 すると薄氷堂がニヤニヤしながら、

 -八っつあん、いつもわしの物忘れがひどいとバカにしとるくせに、あんたもちと情けないではありませんか。絵図を見なさい。館は西、闘鶏亭は東、丘は北なんだから、館から自転車をこいできたはずの男は、これだと東にある闘鶏亭から走ってきたことになる。

 -あっ、なるほど。これは迂闊だった。面目次第もねえ。

 -ハハハ、シドニー・パジェット画伯もつまらないミスをしたものですな。ではお二方、捕物の話はまた明日ということにしましょう。そういえば台所に三日前の豆腐の残りがあるはずだから、そいつをつまんでどぶろくをもう一杯……

 -いや、先生、酢豆腐はご免こうむります。

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December 23, 2020

Daily Oregraph: わからないことだらけ

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 本日の最高気温は6.6度。港町の水面を見ればわかるように、多少風はあったものの、さほど寒さを感じなかった。

 例によってカモメが密集していたけれど、日によってはこの突堤に一羽も見あたらないことがあるのだから不思議だ。連中の考えることはさっぱりわからない。

 さっぱりわからないといえば……今読んでいる『プライオリ・スクール(The Priory School)』事件の作中に示されているワトソン先生作成の地図も、図があまりお上手でない上に、文字もところどころ判読困難なため泣かされている。一ヶ所どうしても読み取れないところがあるのだ。なんとしても明日中には「解読」したいと思っている。

 この作品は『孤独な自転車乗り』のすぐ後に発表されたのだが、やはり自転車が事件に関係している。地図の問題が解決したらご報告するつもりである。

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December 21, 2020

Daily Oregraph: 自転車捕物帖

 本日の最高気温はマイナス0.4度。風が冷たい。

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 これは昨日撮影した写真だが、今日もまったく同じ景色。大雪のつづく日本海側のみなさまには申し訳ないけれど、こちらは連日好天である。

 さて今回は『孤独な自転車乗り(The Solitary Cyclist)』で、依頼人はまたしても女性家庭教師である。しかも年100ポンドという標準の倍額で雇われているというのは『ブナ屋敷』事件と同じ設定であり、これはなにかあるなという印象を与える。

 依頼人がスカートをはいたまま颯爽と自転車に乗るモダンガールであるのは興味深い。この作品が発表されたのは1903年だから、もちろん変速機などはないけれど、自転車はほぼ現在と同じかたちだったであろう。イングランドの田園風景の中、スカートをひるがえして自転車を走らせる若い女性はなかなか絵になり、新鮮味があると思う。

 さて彼女の指先がヘラ状になっているのを観察したホームズは、タイピストかピアニストであろうと見当をつけた。本当に一目でわかるほど指がヘラ状になるかどうかはともかく、彼女は音楽を教えているから正解は後者だったのだが、ここでタイプライターが登場したことは見逃せない。

 つまりこの頃には、自立する女性の職業として家庭教師以外にタイピストが選択肢として存在していたことがわかるのである。タイプライターは当時まだ洗練された機械でなかったとは思うが、ここ数年間19世紀中頃の小説を多く読んできたぼくからすると、新時代の到来(笑)を感じないわけにはいかない。

 この作品で残念なのは、ちょっと考えれば犯罪の動機がわかってしまうことである。ネタばれを恐れずにいうと、わざわざ犯人たちが南アフリカから英国に移り、住まいを確保してまで計画を練るからには、投資(?)に見合う相当額の金銭が目的でなければならない。彼らの狙いは貧しい女性なのだから、彼女がいずれ相続するはずの遺産がらみだろうと見当がつく。

 なお遺産目的に結婚しようとする犯人の一人は、彼女に嫌われてもしつこく言い寄るという実に柄が悪くいやらしい人物なのだが、思い切って一見紳士風の女たらしという設定に変更し、彼女もころっとだまされてしまうという展開にすると面白かったんじゃないかと思う。しかしそれだと話が発展しすぎて、短編ではおさまらないかも知れない。

 この短編はけっして成功作とはいえないかも知れないけれど、拳闘の達人ホームズが得意の左ストレートを披露する場面もあるし、それなりに楽しめるだろう。

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December 17, 2020

Daily Oregraph: 踊る阿呆捕物帖

 本日の最高気温はかろうじてプラスの0.1度。

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 港町の主役はカモメではなくカモの仲間であった。目のかたちのせいだろうか、カモメはちと人相が悪く、カモのほうがずっと愛嬌がある。

 さて町内見回り中の親分と八公ですが、八のやつ、越後屋の前にピタリと立ち止まって一向に動こうといたしません。

 -おい、八、なにをしていやがる。さっさと歩かねえか。

 -いえね、親分、越後屋に貼ってあるポスターに妙ないたずら書きが……

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 -ふ~ん、確かに奇妙だな。なんのまじないだろう。

 二人が首をかしげておりますところに通りかかったのは、手習いのお師匠さんでございます。

 -おや、親分に八五郎さん、見回りご苦労さまです。

 -ねえ先生、このいたずら書きなんですが、どうお思いなさる。落書きにしちゃあちと手がこんでいるようです。

 -どれどれ……ははあ、こいつは踊る人形という暗号ですな。

 -へえ、さすがは先生だ。で、解けますかい?

 -STOP AT ONCE. スグヤメロ、ですな。横浜あたりの異人が落書きしたのかもしれませぬ。

 -なんだ、先生、エゲレス語ですかい。そういえば親分、 GOTO も「後藤」さんじゃなく横文字でしたっけ。

 -ハハハ、八五郎さん、なんでも横文字を使ってもっともらしく見せようという、詐欺師の手口ですよ。

 -それにしても先生、あっという間にお読みなすったが、前からご存じで?

 -実はね親分、昨日この暗号の勉強をしたばかりなんですが、拙者の手元にある本にはまちがいがありましてな、苦労しましたよ。

 そういって懐から一枚の紙を取り出して、お師匠さんは説明しはじめたのでございます。

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 細かいことは省きますが、ホームズの親分は「英語のアルファベットで一番使われるのは e である」として、まずこいつを「□e□e□」としました。次に前後の事情から、これはなにかの問いかけに対する返事の一語だろうと考えた。そうすると sever でも lever でもおかしいから、never にちがいない。これで4つのアルファベットがわかったことになります。

 こうして新しい暗号文を見るたびに推理を重ね、人形とアルファベットとを結びつけていったのですが……私の本には誤りがあったんですよ。どうも辻褄が合わんので、薄氷堂さんの本を見せてもらったら、なんと人形の絵がちがう。

 最初は作者の描いた図をそのまま刷ったのかと思っていたのですが、どうやら版元ごとに手で人形の絵を彫ったらしいのですよ。その証拠に本がちがえばどの人形も微妙に形がちがいます。さて上の図では r が実は b の人形なんですから、私と同じ本を読んだ人に暗号はなかなか解けませんよ。活字の誤植ならめずらしくはないけど、これはタチが悪い。

 -な~るほど、苦労しなすったね。ところで人形が旗を持っているのは?

 -単語の区切りですな。ホームズの親分は暗号の論文を書いたと自慢していますが、この人形は暗号としては寺子屋レベルですよ。ご親切にも単語の切れ目がわかるようになっているから、十分な材料と根気さえあれば、八五郎さんにも造作なく解けてしまうでしょうね。

 -へへ、あっしにはそんな自信はありませんがねえ。ところで先生、「ドイルの悪い癖が出た」と薄氷堂さんがいったのはどのあたりなんで?

 -下手人は短筒で人を撃ち殺して、少し離れた民宿に逃げ帰ったとお思いください。ホームズの親分は人形の暗号を使った手紙をそこに届けさせて、犯人をおびき寄せ、地元の警部さんと一緒にお縄にするのです。

 -へえ……しかし下手人がのこのこやって来ますかね?

 -さあ、そこですよ、八っつあん。なにしろ短筒をぶっ放して人を殺したんだから、いずれお上の手が回ることはわかりきっている。だから警部さんは「あなたが来いといったからといって犯人が来るもんですか。怪しまれて逃してしまうのがオチではありませんか」ともっともなことをいうわけです。

 -そりゃそうですよねえ。第一、下手人はなぜもっと早くずらからなかったんでしょうねえ?

 -ホームズの親分の言い分はこうです。逃げれば犯行を自白するようなものだから、下手人は逃げないのだ。それに下手人への手紙は人形の暗号を使って書いたので、怪しまれることはない。きっとやつはここに現われる。

 -そいつは無茶ですぜ。逃げようと逃げまいと、よそ者には必ず疑いがかかるから、遅かれ早かれお取り調べはある。そんなら一刻も早くずらかるのがふつうでしょう。

 -親分のおっしゃるとおりですな。それに下手人が呼び出されたのは犯行現場の屋敷なんだから、警察がうろうろしていると考えなくてはいけません。だから来るはずがないんです。ところが安心して犯人が姿を現わすというのはどうもねえ。

 -そういえば『緋色の研究』でも犯人はベーカー街にやって来てお縄になりましたが、薄氷堂さんのいうドイルの悪い癖というのは……

 -さよう、見せ場を作ろうとして、かえってホームズを間抜けに見せているところなんですよ。おっと、ずいぶんと長い立ち話をしてしまいましたな。拙者はこれから行くところがありますので、これにてご免。

 お師匠さんの後ろ姿を見送りながら、親分がニヤニヤ笑っているのを不思議に思った八公、

 -親分、なにがおかしいんですかい?

 -わからねえか、八、ポスターに人形の落書きをしたのはお師匠さんにちげえねえよ。

 -えっ、まさか。

 -だっておめえ、たとえ異人だって、よほどの物好きでもなけりゃ、あんな妙ちきりんな暗号をたちどころに読めるわけがねえ。書いたご本人だからすらすら読めるのさ。

 さっと冷たい北風が吹いて、四つ辻にさしかかったお師匠さんのクシャミをする音が聞こえてまいりました。

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December 16, 2020

Daily Oregraph: 冷たい街

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 本日の最高気温は-0.4度。微風とはいえ冷たいのなんの、黙って立ち止まっているとツララになりそうな心地がする。しかし雪がないのはありがたい。

 『踊る人形』を読み終えたが、ぼくの持っているテキストの誤植のおかげで余計な苦労をしたので、明日はそれについてちょっと書いてみたい。また『緋色の研究』の結末に現われたドイルの悪い癖がこの作品にも見受けられるので、ちょっと触れておく必要があるだろう。

 もう日付が変るので、あとは明日。

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December 13, 2020

Daily Oregraph: ワトソン夫人捕物帖

 本日の最高気温は2.1度。午前中は幸い風がなかったから、港町のあたりをゆっくり歩いてきた。

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 The Sign of the Four は要するに『4人の sign』ということなのだが、まさか「サイン」とするわけにはいかないし、「印」や「記号」でも落ち着かない。結局は「宝を4人で等分に分配するという誓約の印」を意味するのだから、邦題としては『4人の誓約』にするか、あるいは思い切ってまったく別の題名にするという手もあるが、本の売行きに影響を与えかねないので、今さら変更するのはむずかしいだろう。

 この事件の依頼者メアリ・モースタン嬢はこの年(1888年)27歳の女性家庭教師である。'young lady' とは書かれているけれど、失礼ながら young というにはギリギリではないかと思う。しかしそれだけに冷静で知的な美女であって、ワトソン博士は彼女に一目惚れしてしまう。

 恋愛に年齢は関係ないとはいえ、ワトソン先生は当時一体おいくつだったのだろうか? 博士号を取得したのが1878年というから、当時の英国の学制はわからないけれど、たぶん30代後半あたりではないかと思う。だとすればメアリさんのお相手としては決して年を取りすぎということはない。

 ところが昨日図面の画像を拝借したTVドラマに登場するワトソン先生は、どちらもとても30代には見えず、かなりお年を召した紳士といった風だから、非常にちぐはぐな感じがする。メアリ嬢にしても初対面からワトソン先生を憎からず思っていたふしがあるし、ぼくがドラマの監督をするとしたら、もっと若い俳優さんを起用するだろう。

 お二人の仲は捜査の進捗に伴って順調に進み、事件の解決とともに婚約にこぎつけ、ワトソン先生はベーカー街をあとにして一戸を構えることになる。その後の先生は、事件の都度自宅から出動してホームズに同行すること、みなさまご存じのとおりである。

 それなのに、先日書いたとおり、新シリーズ第1作目の『空家の事件』にはメアリさんはまったく登場することなく、ワトソン先生は医院をたたんでベーカー街へ戻るのだからビックリである。

 どうしてメアリさんが姿を消したのかは、ドイルさんにお聞きするしかないけれど、理由はなんとなく察しがつく。潔癖で金銭欲のないメアリさんは大変ほめて書かれてはいるが、その割には最初から存在感が薄いのである。なんだか事態の変化に反応するだけのお飾りのお人形さんのような感じさえするのだ。

 だから『空家の事件』より前の諸短編に登場するメアリさんには活躍する場面がなく、ますます存在感が希薄になってしまった。しかし結婚した以上は辻褄を合わせるために名前だけは出しておこうと考えたのであろう。

 ドイルが新シリーズを機にメアリさんを地上から消滅させたとすれば(まだ残りの短編を全部読み直していないからとりあえずそうしておく)、たぶん読者受けをねらって創造したであろうメアリ・モースタンという人物像には少々無理があったことを、彼自身が認めたに等しい。

 そうはいっても、せっかく登場したメアリさんである。BBC版とGRANADA版の女優さんを見くらべてみるのも一興かと思う。どちらも YouTube で見られるから、ぜひご覧になっていただきたい。

 BBC版のメアリ嬢は、まるでヒギンズ教授に習ったようなきれいな英語を話す、『マイフェアレディ』のイライザのような感じで、派手ではないがすてきな衣装をまとった美人である。GRANADA版の女優さんもおきれいだが、女家庭教師という設定にふさわしく衣装は少しだけ地味だし、BBC版よりもちょっぴりお年を召しているように見える。

 どちらのドラマでも気の毒なのはワトソン役の俳優さんで、もともと年齢設定に無理があるから、娘をくどくようなおじさまを一体どう演じたらいいのか、おおいに悩んだにちがいない。そこが見どころ……かな?

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December 11, 2020

Daily Oregraph: サインは4捕物帖

 本日の最高気温は6.0度。日が射している親分宅の座敷は、思いのほか寒くはございません。

 -え~、ここに一枚の図面があります。大きな建物の部屋や通路・廊下が描かれている部分図で、1ヶ所に小さな赤い十字が記され、その上には「左から3.37」と書かれておりますな。

 -おっと、薄氷堂さん、図面なんてねえじゃありませんか。

 -まあ、親分、説明を最後までお聞きなさい。図面はあとでお見せしましょう。

 左隅には奇妙な象形文字風の4つの十字を横棒を接して一直線に並べたものが(一つ)ある。その横には「The sign of the four-ジョナサン・スモール、マホメット・シン、アブドゥラ・カーン、ドスト・アクバール」という文字が非常にぞんざいに書かれていた。

 -え~、この図面こそ The Sign of (the) Four 問題に関して拠るべき第一級資料(?)なのでありまして、ジョナサン・スモール君はこいつを最初に人数分の4枚、のちに引き入れた仲間2人のために2枚、合計で6枚作成しているのです。

 -ちょいとお聞きしたいが、その図面に書かれた4人の名前てえのは「それぞれの署名」なんですかい?

 -さすがは親分、鋭いですなあ。後のほうを読みますと、図面を作成したジョナサン・スモール君が4人を代表して記名したとあります。いずれもスモール君の筆跡で書かれていたということでしょうな。

 -なるほど。「++++」は横棒がつながった1つの記号(印)なんだから、単数の the sign ってわけだね。つまり4人(the four)を象徴する1個の記号(sign)= the sign of the four てえことだ。こないだメリケンの字引を引いてみたが、動詞の sign なら「署名する」という意味はあるが、名詞には「署名」という意味はないから、「記号・印」にちげえねえ。

 -なんと、親分が昼寝の枕になさってたのはウェブスターの大辞書でしたか。そいつはすごい。エゲレスの字引を引いても同じことなんですが(注)、まあ、sign の意味はともかく、1つしかないのに『4つの sign』てえ解釈はありえないから『4人の sign』が正解ですな。翻訳者も存外迂闊なもんです。4人は特定されているのだし、理屈からいえば the four が正解だとは思うけれど、本文中には the four が7回登場するほか、the なしの four も2回出現しています。

 注:例外的に齋藤英和中辭典には sign 「⑥(manual)署名。(殊に)御名。」とあるが、「御名」とあることからもわかるとおり、これは sign manual=国王の親署など特別なものを指すと考えられ、日常的な署名という意味ではない。

 -てえことは、どっちでも意味が通るんだから、それほどこだわる必要はなさそうだね。

 -ええ、この作品は The Sign of the Four という題名で発表されましたが、早いうちから The Sign of Four としても刊行されており、しばらく両者併存していたが、だんだん後者が優勢になっていったようです。

 -結局は語呂の問題なのかもしれないね。

 -正直いってよくわかりませんが、まずはそんなところなのでしょう。さてそろそろ親分に問題の図面をお見せしましょう。矢印の先が問題の sign だと思います。

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 -上は主演が Peter Cushing、下は Jeremy Brett 主演のTV芝居から拝借した図面でしてな、上は four に定冠詞がない以外は原作にきわめて近く、4人の名前も同一筆跡で書かれております。下はちと改変されているようで、4人の名前はそれぞれが署名したようでもあるし、問題の記号も一部の欠けた「8」の字のように見えます。

 -役者がちがえば小道具もちがうというわけですな。

 -実は謎の記号は殺人現場からも発見され、ノートをちぎった紙片には "The sign of the four" と走り書きされていた。その場面ではBBC版は上の画像とまったく同じ図面を出しているが、Granada TV版では次のとおり、たしかにちぎれた紙に書かれております。

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 -ふうむ、ここでもまた謎の「8」が書かれていますが、これは……?

 -それなんですが、私にもまだよくわからないけれど、昔々商人が自分の品物に付けた印に関係があるらしいのです。で、その荷印に災難除けのまじないの意味をこめて、Sign of Four またの名を「マーキュリーの杖(Staff of Mercury)」というのが使われたそうで、それがこいつ(Wikipedia より拝借)。

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 -へえ、なるほど「4」だね。横になったりひっくり返ったのもある。

 -なんだかオカルトめいてきましたが、マーキュリーの杖(またはヘルメスの杖)で画像を探すと、こんなのも出てくるんですよ(Wikipedia より。これに頼るとバカにされるけれど致し方ない(笑))。

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 -薄氷堂さん、あんたは究極のヒマ人だねえ。

 -へへへ、どうも恐れ入ります。でもね、よくごらんなさい。ヘビが2匹からんでいるのを見ると、だんだん「8」が見えてくるじゃありませんか。

 -ははあ、例の Granada 版図面の印がこのヘビだというんだね。

 -そうにらみましたが、見当ちがいかもしれません。しかしいくら私がヒマ人だといっても、これ以上深入りするつもりはありませんよ(笑)。どうもキリがない。

 -それがいいよ。おや、そういえば、八の野郎、ずいぶん静かだと思ったら、鼻提灯を出して寝ていやがる。

 -ハハハ、それはしょうがありません。いい若い者が喜んで聞くような話じゃありませんでしたからね。次回はちょいと色気のある話ですから、八五郎さんも居眠りはしますまい。

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December 09, 2020

Daily Oregraph: 引きこもり大作戦

 本日の最高気温はわずか2.9度だったが、風がなかったのでまるで寒さを感じなかった。

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 最近は他の多くの神社でも同じかとは思うが、厳島神社では手水が使えない。神様も人間同様ウィルスの前には無力らしいけれど、まあ、それは致し方ないだろう。いくら道理を説いてみたって、知能のないウィルスが聞き入れるはずはないからだ。

 その聞き分けのないウィルスめがけて GO TO 万歳突撃しようというのは、かのインパール作戦以下の愚策である。知能がウィルス並みだといわれても仕方あるまい。

 家にこもりきりでは欲求不満がつのるのはよくわかるけれど、今はじっと我慢のときだ。探偵小説でも読みながら、たまに散歩で気晴らししてしのぐしかないだろう。

 といってはみたものの、まだ The Sign of (the) Four を読み終えていないのは、動画を見たり音楽を聴いたり、つまり浮気をしているからである。とてもえらそうなことをいう資格はない。

 しかし(まだ15頁ほど残ってはいるが)ワトソン医学博士の奥様については十分情報を得た。なんとこの小説はワトソン先生の恋物語でもあり、甘いもなにも、読んでいて恥ずかしくなるくらい大甘である。『失われた世界(The Lost World)』などにもハリウッド調が見受けられるのはドイルの悪い癖で、この見え見えの通俗性はたぶん文学部の先生のお気に召さないだろうと思う。

 うそだとお思いなら、(もし都合よく見つかればだが)ご近所の文学部教授に「あの、先生、コナン・ドイルはお好きですか?」とお聞きになってみるといい。教授がどうお答えになるか、ぼくも大いに興味があるので、ぜひ結果をお教えいただきたいものである。

 幸か不幸かぼくは文学部の先生ではないから、こむずかしいことはいわず、読み切ったら簡単なレポートを提出するつもりである。

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December 06, 2020

Daily Oregraph: 裏庭画報 ナナカマドとの戦い

 本日の最高気温は7.7度。上天気で風も弱かったから、外は暖かかった。

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 今年もナナカマドの枝を一本払った。写真を見ればたいした量ではないと思われるかも知れないが、切ったのは左端の太い枝「一本」だけである。撮影したのは、燃えるゴミに出すためにそれを解体する作業の途中だから、頭の中で全部を組立て直してみていただきたい。枝の先端が二階の屋根にほとんど接触していたので、やむなく苦労して小さなノコギリで切り落としたのである。ずしりと重かった。

 これ以上は手が届かないから、梯子を使わなくては枝を切れない。数年以内にはプロに依頼して、木を根元から切り倒すしかないようである。こんな目に会わぬためにも、しつこく繰り返して申し上げるが、戯れに木を植えるべからず。

 さて The Sign of (the) Four はまだ2割しか読んでいないけれど、ワトソン夫人候補と思われる女性が早くも現われた(よかった、よかった)。いずれ詳しくご紹介するつもりだが、その前に題名の (the) Four について、次回の記事で取り上げてみたいと思う。自分でいうのもなんだが、ちょっと面白い内容になりそうなので、おひまな方はどうか楽しみにお待ちいただきたい。

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December 04, 2020

Daily Oregraph: 緋色の研究捕物帖

 本日の最高気温は4.2度。

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 ここは入舟の一角。20年という歳月の重みをしみじみ味わっていただきたい。当然人間の顔だって20年もたてば相当傷むわけである。アルミサッシだけが不気味なほど新しいままに見えるのは、メガネのフレームがあなたのお顔ほど劣化しないのと同じことだろう(笑)。

 さて予感的中して、ワトソン夫人となる女性は結局『緋色の研究』には登場しなかった。しかしワトソン博士の経歴については概略が判明した。

 ワトソン先生は1878年にロンドン大学で医学博士号を取得し、軍医として第2次アフガン戦争(1878~1880年)に従軍。負傷して帰国したが「イングランド(注)には親類知己はいなかった」ため、ロンドンのストランド街にあるホテルに滞在した。

 注:これを UK と解してはまずい。ワトソン先生はたぶんスコットランドの出身ではないかとぼくは思う。

 しかしホテル住まいは高くつくため、手頃な下宿を探そうとしていたとき、偶然出会った戦友の紹介でホームズを知った。たまたまホームズはベーカー街に格好の下宿屋をみつけ、部屋代を折半してシェアルームする相手がいれば、そこへ引っ越したいと考えているところであった。ホームズとワトソンは意気投合して、おなじみベーカー街221Bの下宿に同居することになったというわけである。

 二人が一緒に捜査を行った初めての事件が本作である。ホームズの性癖や独特の推理手法について知るには必読の作品といえよう。

 せっかく読んだのだから、例によって気のついた点を指摘してみると、やはりもっとも大きな問題は、なぜ最後に犯人がのこのこホームズの部屋にやって来たのかという点である。

 ホームズはまず現場に残された指輪をエサに犯人をおびき寄せようとして、新聞の朝刊に広告を出す。「今夜8時から9時の間に、ベーカー街221B ワトソン博士まで」というのである。犯人に気づかれぬよう自分の名前は出さなかったわけだ。

 変装した謎の人物(実は犯人の協力者なのだが、その正体が不明のままというのも、この小説の弱点のひとつ)が現われて指輪(の複製)を受け取る。その人物は、追跡したホームズをまんまとまいてしまう。

 途中省略していよいよ大詰め、辻馬車の馭者を勤める犯人を捕縛するために、ホームズは客を装い、手先に命じて馬車をベーカー街221B まで呼び寄せる。やってきた犯人は、ホームズの部屋で待ち構えていたスコットランドヤードの警部に逮捕され、めでたしめでたし……となるわけだが、本当にそうトントン拍子にいくだろうか?

 逮捕された犯人は「おれはあんたの新聞広告を見て、ワナかもしれんと思った」のだが、友人が進んで代役を引受けてくれたと告白している。犯人は頭の働く、用心深い性格なのである。だから馬車を呼んだ客の名前は不明にしても、当然「ベーカー街221B」を記憶しているはずの犯人が、なんの疑いも持たずにやってくるとは不自然であり、ちょっと納得いたしかねる。あなたが犯人だとしたら、これはヤバいと察して、一目散に逃げ出すにちがいない(笑)。

 さてもう一つ、この作品の犯罪の背景にはモルモン教がからんでいる。ドイルはモルモン教をよほど嫌っていたらしく、恐るべき悪の組織のように書いているけれど、かなり誇張しているような印象を受ける(21世紀の現代こんな書き方をすると物議を醸すだろうことは、まずまちがいない)。ちょっと興味を感じないわけではないが、ぼくはこの方面についてはあまりにも無知なので、うっかりしたことはいえない。これ以上は触れないでおこう。

 次はいよいよ The Sign of Four に取りかかる予定だが、この題名については、どうして Four に定冠詞がつかないのだろうかと疑問を抱いていたところ、The Sign of the Four というバージョンもあることがわかった。これまた訳のありそうな話なので、いずれ気が向いたら調べてみたい。

 なお繰返しお断りしておくが、決してあら探ししようとして読んでいるわけではないから念のため。あくまでも探偵小説としては見逃せないミスだと思ったまでである。

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December 02, 2020

Daily Oregraph: 裏庭画報 枯草の頃

 とうとう12月になった。本日の最高気温は3.2度、そして最低気温は-9.0度。

 今は昔、草取りの翁といふものありけり。といっても、この爺さんは集めた草を「よろづのことに」使うわけではなく、せっせと袋に詰めては捨てるのである。

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 このとおり、あちこちにドライフラワーが出来ているくらいだから、草といってもほとんどは枯草である。「まったく手間をかけさせやがって」とかなんとかブツブツ文句をいいながら、それでも大きなゴミ袋を一杯にした頃には、ほんの少し汗ばんでいた。

 さて『緋色の研究』は残すところ10頁足らず……なんだが、まだワトソン夫人の手がかりはつかめない。それらしき女性は登場しないのである。いやな予感がする。

 もしこの作品でわからなければ、長編第2作目の The Sign of Four を読破する必要がある。こちらも昔読んだはずなのだが、ストーリーはまったく記憶にない。たしか邦題は『四人の署名』か『四つの署名』だったと思うが、それなら単数の sign とはおかしいし、第一、名詞の「署名」なら sign ではなく signature だから、たぶん誤訳であろう。

 まったく手間をかけさせやがって……他人の細君の経歴などに興味を持ったのがまちがいだったのかもしれない(笑)。

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