Daily Oregraph: 執事と乞食捕物帖
今日の最高気温は6.1度。寒いし、おまけに天気も悪かったので、生存証明写真はなし。その代り記事中でも触れる『唇のねじれた男』の挿絵(シドニー・パジェット画)をお目にかけよう。
プロフェッショナルの乞食とは恐れ入るが、乞食だってプロともなれば、政権が変ろうとも首相が交替しようとも、淡々と物乞いをつづけるわけで、わが国でも見かけますなあ、そんな人たちを(笑)。
さて本日の捕物帖は『マスグレイヴ家の儀式(The Musgrave Ritual)』である。これは同家に伝わる問答の秘密を解くという話で、宝探しの要素も楽しみのひとつなのだが、謎解き自体はそう難しくはないと思う。
基点を定めるまではちょっと厄介だが、そこから北へ20歩、東へ10歩、南へ4歩、西へ2歩というのはすぐにわかる。結局は北へ(20-4)歩、東へ(10-2)歩となる。あとは体格・年齢・歩調によって変化する歩幅によってどれだけ誤差が出るかだが(三角形の公式で計算してね)、多少誤差は大きくとも、実際には目標地点付近には必ずそれらしい目印があるはずだから見当はつくだろう。
宝探しはそれまでとして、本日の興味はマスグレイヴ家の執事(butler バトラー)にある。
先日ちょっと触れた失業者の身の振り方の一例が、この執事である。彼は20歳ぐらいで職を失った学校教師なのだが、マスグレイヴ家の当主に拾われ、頭のよさと持ち前の如才なさでめきめき頭角を現わして執事になり、勤続20年になるのだという。
気が利かなくては勤まらない執事といえば、使用人の筆頭、ナンバーワンである。では、またかよといわれそうだけど、一体どれほどの給料をもらっていたのだろうか?
しつこく調べたわけではないが、ググってみたら二つの記事がみつかった。ひとつは年収40~70ポンド、もうひとつは55~70ポンドとしている。40ポンドなら女性家庭教師並みだから、後者のほうが正しそうに思われる。
現代日本の生活水準から見たポンドの価値を1万7千円とした先日のぼくの推定をちょっと低めにして(そもそも単純比較は無理なのだが)、仮に1万5千円とすれば、年収80~100万円程度となる。えらそうな服を着た執事なのに安い、実に安い。経済史の先生に1万5千円をもっと下げろといわれても、あまりにも気の毒でぼくにはとてもできない。しかし彼が再び教師を目指さなかったというのは、教職の給与が相当低かったせいもあるのだろう。
なにしろ当時はそれこそ自助の世の中ゆえ、そんな給料でも老後に備えてコツコツ貯金していたことはまちがいない。運がよくて主人に気に入られれば、ほんのちょっぴりだけ遺産のおすそわけをもらえた可能性もあるけれど、そんな幸運はまったくあてにはできない。
『唇のねじれた男(The Man with the Twisted Lip)』では、変装して内緒で乞食をしていた男が登場する。この乞食の稼ぎが「2ポンドもらえないのはよほど運の悪い日」だというのだから、月20日だけ物乞いしたとしても40ポンド以上とはびっくり仰天、年収ならほぼ500ポンドである(追記:もう一度確認してみたところ、実際は年700ポンド以上とあるから1日平均ほぼ3ポンド!)。乞食をしながら郊外に家を構えて細君をもらったとはすごい。これでは低賃金でへいこらしながら執事を勤めたり、外国語から音楽や裁縫まで一通りできるのに、生意気な悪ガキを相手に家庭教師をしたりするのがバカバカしくなるはずである。
召使いたちの間で幅をきかせていた執事様にしてかような低賃金だったのだから、下働きの給金など推して知るべし。だが「ヴィクトリア朝のイギリスの庶民の暮しは大変だったんだね」などと呑気なことをいっていられるのも今のうちですぞ。
なお当時のイギリスでも乞食は違法であった。だから一応は路上にマッチを並べて、商売をするふりをしていたと書いてある。また黙って座っているだけでお金が雨あられと降ってくるわけではない。当意即妙の話術など一芸が必要である。陰気な顔をして「あなたの質問にはお答えする必要がない」などとえらそうな態度をしていてはとても商売にはならないのだから、これから乞食を志す方々には老婆心ながらご忠告しておきたい。
Comments
>プロフェッショナルの乞食
私はまた「あしたのジョー」の力石徹かと思いましたよ。
Posted by: 三友亭主人 | November 23, 2020 07:47
>三友亭さん
なるほど、そういわれれば顔が似てますね(笑)。
ひとつ疑問なのは、この乞食が冬をどう乗り切ったのか? (行ったことないけど)ロンドンの冬は寒いはずですよ。
Posted by: 薄氷堂 | November 23, 2020 09:41