Daily Oregraph: 酒の肴は筆跡鑑定捕物帖
本日の最高気温は9.6度。風もなく薄日が射していたので、30分ほど軽く散歩。
弥生中学校の跡地から紫雲台墓地を眺めると、墓石群の向こうにすごい建物が建っている。新設されたという火力発電所だろう。いつの間にか景色は変っていく。
さて今回取り上げるのは『ライギットの地主(The Reigate Squire)』事件だが、この作品はホームズ探偵の筆跡鑑定がおもしろい。被害者が手にしていたちぎれた紙片は、次のとおりごく小さいもので、残りは犯人が持ち去ったという設定である。
被害者を呼び出したメモだろうから、「12時15分前に(指定どおりにすれば)……がわかるだろう……たぶん……」というほどの意味だと見当はつくけれど、確実な内容はもちろん残りの文章を読まなければわからない。
さてホームズ探偵が注目したのは以下の点である。
(1) 単語に筆圧の強弱があって、'at, to, learn, maybe' は力強いのに対し、'quarter, twelve, what' は弱々しい。
(2) 'quarter to' が 'quarterto' になっていて、しかも 'quarter' の 't' は横棒が抜けており、それは 'twelve' と 'what' も同じ。それに対して筆圧の強い'at, to' の 't' には横棒がくっきりと引かれている。
(3) 小文字の 'e' には「ギリシャ文字の 'ε'」 が使われている(原文の 'the Greek e's' を「Greek の e」とする翻訳を見かけたが、メモ中に 'Greek' という単語が存在するかのような印象を与えるから不適切)。
(4) 'maybe' の 'y' は尻尾のかたちに大変クセがある。
……とまあ、虫眼鏡を使って熱心に捕物帖を読んでいた白髪頭の老人、ここで本を置きまして、
-なんでそんな面倒なことをしたのか、身元を隠すためだとしても、結局字のクセがバレちまうからまずいでしょうに。ほかにやりようもあるだろうから、ちと納得しかねるところはさておいて、親分はどうお考えになりますかな。
-ハハハ、薄氷堂さん、あんたもヒマだねえ。字の強さが二通りなんだから、一人が書き分けたんじゃねえとすれば二人で書いたものでしょう。
-うむ、そこまではすぐにわかりますな。では 'quarter' と 'to' がくっついちゃったのは?
-そいつは先に 'at' と 'to' の間を空けておいたが、空きが足らなかったところにむりやり 'quarter' を書き入れたせいだろうけど、それだと手の力の強い方が先に一つ置きに文章を全部書いちまって、空いたところをもう一人が埋めていったということになるだろうねえ。
-さすがは親分だ。そうだとすれば、この小さい切れはしだけじゃなんともいえないけど、同じように単語のくっついたところが他にもいくつかあってもおかしくないですな。それはともかく、単語をひとつずつ抜かして文章を書き上げるなんて器用な芸当は、そう簡単にはできまいからちと無理がある。ひとつひとつ代りばんこに書くんならまだわかりますがね。
-ふ~ん、あんたも見かけほどバカじゃないねえ。おれもそう思うよ。
-残るは「ギリシャ文字の 'ε'」と「'y' の尻尾」ですが……
-そいつはもっと材料がそろわなくちゃ、おれにもわからねえ。話のつづきを聞かせてもらおうじゃありませんか。
-へへへ、そうはいきませんよ。ネタばれさせちゃ叱られちまう。あとで、こっそり……
と、猪口を口へ運ぶ手まねをして見せたのは、もちろん酒の催促ですが、稼ぎの少ない自助老人でありますから、親分を当てにするのは仕方がございません。
-ちっ、しょうがないね、まったく。おい、八、支度をしな。
Comments
昔、シャーロックホームズの分厚い本が出版されまして、
新聞やらメモやら、ホームズが謎解きに使った資料が
付属していました。これを使って謎を解けって感じです。
もちろん、全く解くことなんてできませんでした。
マスカレード?だっけ、謎解きの絵本も買いました。
もちろん、解けません。
山の植物すらわからんのです。というわけで
あれは「マユミ」です。正円ではなく4分割の特徴が
一致しました。(感謝!)
Posted by: しょうちゃん | November 23, 2020 11:35
>しょうちゃんさん
世にシャーロッキアンと称する究極の暇人たち(失礼)が存在し、虫眼鏡を使って重箱の隅をほじくり返しているらしいです。
ぼくにはそんな趣味はまったくありませんが、ネタに困っているので(笑)、ホームズの短編をひとつひとつ読み直し、ええかげんなことを書いている次第です。
> もちろん、全く解くことなんてできませんでした。
それは作家が解けないように工夫して書いているせいですよね。ジャンジャン鉦太鼓を打ち鳴らして読者の注意をそらせば、低い音は埋もれて聞こえないのと一緒です。実際はだましのテクニックなんだから、手品使いや探偵小説家なんてのはいやな人種だと思いますよ。
Posted by: 薄氷堂 | November 23, 2020 23:08