Daily Oregraph: 塩の山
これがなんだか一目でおわかりになる方は少なかろうと思う。恐山で撮った写真ではない(笑)。実は野積みされた塩の山なのである。ちょっと不気味ではあるが、いわば偶然芸術のひとつ。
さて恐山、イタコとくればお告げである。あなた、決してお告げをバカにしてはいけませんぞ。案外当たるんだから。
西洋にはアト・ランダムに聖書を開いて、たまたま指を置いた箇所を読み、今後の指針を得る聖書占いというのがあるらしい。別に神様を信じなくても、古人の知恵を借りるという意味はあるのだから、一度お試しになってはいかがであろうか。
なにも聖書でなくても、定評ある古典ならどれでもかまわないだろう。そこで今日は方丈記をでたらめに開いてみたら、つい最近書かれたばかりといっても通用するような文章に出くわしたのでご紹介しよう。
それ、人の友とあるものは富めるを尊(たふと)み、懇(ねむごろ)なるを先とす。必ずしも、情あると、すなほなるとをば、愛せず。ただ、糸竹・花月を友とせんには、しかじ。人の奴たる者は、賞罰甚(はなはだ)しく、恩顧厚きを、先とす。(以下略)
(そもそもアベ友となる者を見れば、金持様々で、仕事や飯の世話をしてくれる人を優先している。必ずしも共感力のある人や、正直にものをいう人を愛さないのである。そんな連中を相手にするくらいなら、ギターや自然を友としたほうがよろしかろう。人にへいこらする者は、選挙資金をたんまりもらい、出世できるのをなによりとしている。)
結局現代も方丈記の時代も、たぶん聖書の時代も、人間様というのはほとんど変わらないものらしい。
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