神奈川県のAさんが、ありがたいことに、今年もどっさり落花生を送ってくださった。こいつの塩茹でをモグモグやりながら、今この記事を書いている。
さて相変らず色気のない論文と格闘して疲れたから、中川@やたナビさんのツイッターに紹介されていた『宇治拾遺物語』中の「河原院での宇多天皇と源融の幽霊とのバトル」(笑)をさっそく拝読した(どうもありがとうございます)。なにしろぼくは、河原院跡に二度も足を運んだほどの、奇人源融ファンなのである。
ちょっとだけ勝手に引用させていただくと、(融の左大臣は)「陸奥(みちのく)の塩釜(しほがま)の形(かた)を作りて、潮(うしほ)を汲み寄せて、塩を焼かせなど、さまざまのをかしきことを尽して住み給ひける」というのだが、問題は「をかしき」である。
驚くなかれ、三千人もの人足を使って塩を焼いたというから、話半分としたって、当時の人々から見ても尋常のふるまいではあるまい。まさか「趣がある」などという人がいたとは思われず、21世紀のぼくと同じく「ヘンテコな」と思ったにちがいない。一筋縄ではいかない京都人のことだから、当時どんな陰口を叩いたものか、想像するだけでおかしくなってくる。
そんな変人だから、天皇さんに向っても傍若無人のふるまいをするのかというと……二人のバトルについては、中川さんの校訂本文をぜひお読みいただきたいと思う。もうからないお仕事をコツコツとつづけておられる中川さんもまた、奇人というべきであろう……というのは、もちろんほめているのである。鴨川のほとりで塩を焼くよりは、千倍も世のためになるのだから。
【10月14日 追記】
六条河原院跡については、現地案内板の写真を掲載した2014年の記事をご参照いただきたいと思う。また案内板にも記されている「本塩竈町」については2017年の記事をごらんいただきたい。
なお京都見物の機会があったら、ぜひ河原院跡を訪れていただきたいものである。特に観光客だらけの名所にうんざりされた方にはおすすめである。
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