ある日突然空から巨大な兜が降ってきたら、たいていの人はビックリする。「一体どうして?」という疑問はさておき、その兜が下にいた人間を直撃して殺してしまったとしたら、ふつうは恐怖するにちがいない。
しかしその兜が「これまで人の作ったどの兜より百倍も大きい」といったらどうだろうか?
「アッハッハ、そんなばかな」と大笑いするに決まっている。仮に兜の長径を約30センチとすると、その百倍は30メートルにもなるから、人を圧死させるどころか、中庭はほとんど兜に占領されてしまい、建物にも相当の被害があったと考えなくてはならない。過ぎたるはなんとやら、「冗談もほどほどにしろよ」と叱られてもしかたがないだろう。
しかしそんな事件の起こるのがオトラント城(The Castle of Otranto)なのである。この城ではほかにもいろいろの怪異が見られ、もちろん幽霊も出現する。しかし……ちっとも怖くないのだからおかしい(笑)。
MDCCLXV(1765)年に出版された『オトラント城』は、舞台を十字軍時代のイタリアに設定した、いわゆるゴシック・ノベルの草分けとされる存在(異論もあるらしいが)である。作者はインテリ貴族のホレス・ウォルポールで、画像に見るとおり、初版はイタリア語からの翻訳と称し、作者の名を伏せている。
30メートルの兜が降ってくるくらいだから、ストーリーの進行にも無理が目立つ。城主の家来があまりにもバカで話が一向に先へ進まなかったり、一刻を争う場面で「さあ、早くお逃げなさい」といわれているのに、逃げるどころかくどくどと話を始めたり、読んでいてイライラすることが多い。
だからたぶんいろいろ欠点を指摘されたんだろうと思うが、作者も黙ってはいない。第二版の序文では、ヴォルテールに喧嘩を売りながら(笑)、深刻な場面に滑稽味があったっていいじゃないか、ハムレットだって墓掘り人夫が登場するじゃないか、などと自己弁護に努めている。
どう好意的に見たって、とても傑作と呼べる小説ではないと思う。ゴシック・ホラーだろうと期待して読んだら、肩すかしを食うことまちがいなしである。しかしゴシック・法螺話だと思って読めば、多少の面白味はあるかも知れない。
さてどうしてこんな古物を読んだのかというと、これまた昔読みかけて放り出したうちの一冊だというのが主な理由である。しかもこのペーパーバックは40年以上も前に買ったもので、長年本棚にしまいこんでいるうちに、すっかり乾燥してしまい、(ペーパーバックのお粗末な造本をご存じの方ならうなずいてくださると思うが)数十年後に本を開いてみると、
その刹那、バリバリという大音響とともに書物はまっ二つに裂け、ために大地は揺れ動いたのであった……つまり、本自体がゴシック・ホラーと化してしまったのである。
最初に二つに割れるだけなら木工用ボンドで補修すればいいのだが、読んでいるうちにあちこち紙がまとまってバラバラと抜けそうになる。すでに何度木工用ボンドの世話になったことだろうか。
最近の「すごいですね、ニッポン」番組にはうんざりさせられるけれど、製本技術については日本をほめてやっていいと思う。特に文庫本のレベルは高い。
写真は昭和14年9月発行の岩波文庫『草枕』である。なんと80年もたっているのに、しっかりしたもので、紙を引っぱってもビクともしない。最近は英米のペーパーバック並みに背をノリで固めただけの粗製本もあるようだが、妙なところは真似しないで欲しいものだ。
さて実はこのペンギン・ブックにはあと二篇ゴシック・ノベルが収録されている。少し気は重いけれど、最後までつき合うしかないだろう。
【付記】せっかくなので、齋藤勇先生の『イギリス文学史』から、
その(School of Terror の)鼻祖と見られるのは、The Castle of Otranto, a Gothic Story (1765) の作者 Horace Walpole (1717-97) である。彼は超自然的事物の取入れ方が幼稚粗笨であるけれども、元来空想に耽ることが好きで理性偏重に飽きたイギリス人の要求に合ったので、爾後半世紀間イギリスにおける彼の影響は大なるものである。
つまり「幼稚粗笨」ではあったけれども、後世に大きな刺激を与えたということなのだろう。しかし、齋藤先生、どんなお顔をしてこの作品をお読みになったのであろうか(笑)。
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