Daily Oregraph: 梅の思い出
今日はブログをサボろうと思っていたら、当社大阪無給通信員から写真が舞いこんできた。ぼくは不勉強で知らなかったが、豊中市にある日本民家集落博物館なのだそうな。
どんなもんだい、春が来たぜ、という勢いである。めでたく春を迎えた男に「あきらめて雪かきしろよ」といわれるんだから、実にくやしい。今度会ったら、タコ焼きとビールをおごってもらわなくては……
それにしても紅白の梅がみごとである。
梅といえば、学生時代にふらりと訪れた北野の天神さんで梅見をしたことを思い出す。今では有料らしいが、当時はタダであった(なにしろ金がなかったから、有料なら当然パスしたはず)。
釧路には梅がないから珍しそうに見物していたら、見知らぬお爺さんから「ほう、梅見ですかな」と不意に声をかけられ、ビックリした。
そうだよな、梅見なんて柄じゃない。いかにもお上りさん然として、あまりにも周囲とは不調和だし、梅よりも目立って見えたのであろう。なんだ、乞食学生の梅見かよ……
しょうがないから、力ない微笑を作って、「ええ、まあ……」と答えた悲しい記憶がある。
しかし数十年の時を経て思うに、事実はまったく逆であったのかも知れない。以下はぼくの勝手な想像である。
梅をめでながらゆっくりと歩いていたお爺さんは、人混みの中の一人の若者に目をとめた。ほほう、見かけはただの貧乏人だが、あれこそは身をやつして天神さんへやって来た風流の貴公子にちがいない。凡人はともかく、わしの目は節穴ではないぞ。
かくしてお爺さんはぼくに声をかけた……という筋書きなのだが(笑)、やはりこれはあまりにも都合のよすぎる解釈のような気がする。
京都人のことばには、ほめているんだかけなしているんだか、大いに解釈に迷うところがある(経験上、ほめることはめったにないと考えたほうがよい)。乞食学生か貴公子か、that is the question だよな。
Comments
初めまして。
三友亭主人さんのところから覗いてみました。
目下ここかしこの水の領域に薄氷が張ってる
土地から書いてます。
北野天神さんの梅は有名ですよね。
関西人ですが、行ったことあったかなあ。
貴公子の説に一票!^^
どちらにしろ、おじいちゃんが話しかけたくなったのは
カリスマを放ってたからでしょうねえ(笑)
カテゴリーから文学を選んで読んみたら、何と「怒りの葡萄」や
「嵐が丘」のことが書かれてあって嬉しくなりましたよ。
どちらも子供の頃から特別に感じ入って好きな作品だったものですから。
「怒りの葡萄」は映画しか見てませんが、「嵐が丘」は子供の頃に
先に映画を見て、後で少年少女向けに簡略された本を読んでましたが、
原作はドイツにやってきてからドイツ語訳で読みました。
「嵐が丘」について書かれた記事にアップされてるお父さんが撮影された
紙芝居に見入る子供達の写真が実にいいですね!
お父さんの他の写真も見たくなります。
Posted by: sternenlied | March 07, 2018 04:10
>sternenliedさん
いらっしゃいませ。極東のマイナー・ブログへようこそ。
いずれ貴ブログをゆっくり拝見させていただきます。
> 貴公子の説に一票!^^
お世辞でもそういっていただけると素直にうれしいですが、正直いいますと、乞食学生説に軍配が上がると思います。
あの頃は不思議と見知らぬ人に声をかけられることがありました。特急列車の中で本を読んでいたら、こどもを抱いた奥様に駅弁をいただいたこともありました。やっぱり乞食学生に見え、憐れに思われたからでしょう(笑)。
『嵐が丘』をドイツ語でお読みになるとは、森鴎外の再来とお見受けいたします。とにかく「異彩を放つ」という表現は、この小説のためにあるようなものですね。ジョウゼフ爺さんのすさまじい方言には閉口しましたが、いずれ読み直ししようと思っています。
『怒りの葡萄』もアメリカの方言で苦労しました(いまだに不明の点少なからず)。でも小説というのは100点満点を取らなくてもエッセンスはわかりますから、大意はつかめたと思います。一番最後の部分などは、乳房をあらわにした女性の背中から後光が射しているような印象を受けましたよ。
> お父さんの他の写真も見たくなります。
どうもありがとうございます。いずれまたお目にかけたいと存じます。
Posted by: 薄氷堂 | March 07, 2018 21:10
森鴎外がベルリンで暮らしてたアパートを数年前に訪れたことがありますよ。記念館になってるのですが、中には森鴎外関係の資料が展示されてるだけです。森鴎外の本の中でよくベルリンの目抜き通りのウンター・デン・リンデンについて書かれてるのですよね。彼はこの大通りが好きだったようです。彼の描写を読んでいて、私も是非ウンター・デン・リンデンに行ってみたいものだと思っていたのですが、当時はこの大通りは東ドイツ側にあって、易々と行けなかったのです。東西ドイツの統一後行けるようになったのですが、初めてウンター・デン・リンデンに足を踏み入れた時はとても感慨深かったです。
「嵐が丘」でのジョウゼフ爺さんの方言は読み取るのは難しいでしょうね。ドイツ語訳でも、その部分はドイツの方言っぽく訳してありましたが、どこの方言をとってるのだろう(笑)ドイツ南西部のバーデン・ヴュルテンベルク州の方言が特に難解と言われてますが、こちらのテレビのルポ番組かなんかでこの地方の人が強い訛りで話してた時、ドイツの標準語のテロップがついてましたよ(笑)
そうですよね。外国語の本を読む時、分からない言葉があっても、脈絡の前後関係でエッセンスはつかめますよね。私も時々英語の本を読みますが、分からない単語が出てきても、いちいち辞書で確認しなくても、意味は大体分かります。
お父さんが撮影された紙芝居に見入る子供達の写真、なぜか見覚えがあるような気がしてならないのですが、数年前に札幌でお暮らしのブロガーさんの記事で見かけなかったかなあ。彼も父親が写真家だったそうですが。もしかしてお兄さんか弟さんがいらっしゃいますか?(笑)それかお父さんは名の知れた写真家だったのでしょうか。そのブロガーさんが感じ入った写真家のその写真をアップしてたのかも。それとも見たような気はするけど、私の記憶違いかも知れないし。
Posted by: sternenlied | March 08, 2018 15:01
>sternenliedさん
現在流布している『嵐が丘』は、たいてい姉のシャーロットが手を入れた版だろうと思います。どうやら「方言がひどすぎて読みにくいったらありゃしない」という親切心から、特に方言の綴りを改めたらしいです。
ぼくのはペンギンブックス版なのでほとんど初版に近いらしく、方言不親切版(笑)。それでもインターネットの威力は絶大で、イギリスの方言サイトのおかげで、だいたい意味が取れるようになりました。
しかしそれは文字で読むからのことで、耳で聞いたらまるで理解できないと思います。日本には外国語より難解な方言がありますが、エゲレスも同じなんだと悟った次第です。
ドイツ語は……標準語でもまったくわかりません。通じるのはグーテン・タークくらいかな(笑)。
> 紙芝居に見入る子供達の写真、なぜか見覚えがあるような気がしてならない
実は当時紙芝居とこどもというのは、アマチュア写真家得意の題材でして、多くの人が撮影しています。ごらんになった写真は、たぶん父とは関係のない方の作品だろうと思います。
亡父は知る人ぞ知る存在のアマチュアだったといっていいと思います。老後はコンテストには見向きもせず、野生植物写真専門に転向しましたが。
Posted by: 薄氷堂 | March 08, 2018 20:59