Daily Oregraph: 裏庭画報 雪の降りたるは
予報どおり雪は降りつづき、今朝もまた雪かきとあいなった。ご近所のおばさまもせっせとスコップをふるっている。
ふと例の「冬はつとめて雪のふりたるはいふべきにもあらず」を連想し、ひょっとしたら彼女の前世は清少納言ではないかと思った(笑)。
「香炉峰の雪は……」などと洒落たまねをしたばかりに、「あの子、生意気ね」と同僚から総スカンを食い、雪かきを押しつけられた清少納言は、モンペを着用してミツウマ印のゴム長靴をはき、ブツブツいいながら木鋤をふるうはめになる。
-なんで秀才のあたしがこんなことしなくちゃならないのよ、まったく。
庭の松の枝に積もった雪がバサリと落ちて彼女の首筋を直撃すると、遠くからクスクス笑う声が聞こえてきた。女のいじめは残酷である。
日本文学科に喧嘩を売るわけではないが、「冬はつとめて……」の従来の解釈には問題があると思う。
京都の冬は冷える。だれだって朝早く蒲団から出たがりはしない。「火など急ぎおこして、炭持て渡るも」石炭や薪のストーブほど火力があるわけでなし、とても体は温まらない。いやだ、いやだ、冬の早朝はほんとうにいやだ。
その上雪でも降ろうものなら、いっそう寒々しくて、気のめいることといったら、あらためていうまでもない。おまけに雪かきと来た日には泣きたくなる。
これが常識に従ったぼくの解釈である。どうも文学の先生には唯美主義的な解釈をしたがる傾向があるからいけない(てなことをいえるのも、いまさら単位を取得する必要がないからなのだが……)。
朝っぱらから古典に思いをはせつつ久々に裏庭へ回ってみると、これまでに降り積もった雪は25センチほどの深さだったから、やはり今年は少雪である。植物はしっかり生きて、春を待っている。
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