Daily Oregraph: 大町カモメ通り
夕方は寒いから昼前に家を出て、今日は相生坂を下る。天気はいいけれど、本日の最高気温は2.9度。西風が冷たい。
南大通のコンビニで買物をして、一本裏手の道へ回ると、そこは大町。
へえ、こんな看板があるとは、うかつにも今日まで気がつかなかった。洲崎通りというのが正式な名称なのかどうかは知らないけれど、かつてこのあたりに洲崎町という地名があったことは知っている。といっても、啄木がほろ酔いで歩いていた頃の話である。
いや、カモメ通りがいいだろう……ぼくは勝手にそう決めた。看板に敬意を表したのである。
カモメ通りを過ぎてしばらく歩くと、港町岸壁付近に出る。
この小屋(物置?)はずいぶん以前にも撮影してご紹介した記憶があるけれど、カモメ通り→寝入りかねたるカモメ→芭蕉のおじさんという連想の流れによって、ぼくの目にはいつの間にかトタン張りの芭蕉庵に見えるのであった。
-おっと、親分、そいつはなんぼなんでも無理というもんだ。ボロ家にもほどというものがありますぜ。
-だからおめえの目は節穴だというのだ。案外世を忍ぶ俳人が住んでいるかも知れねえじゃないか。
-冗談じゃねえ。こないだ見回ったときは、一升徳利抱えた汚ねえ親爺が土間にひっくり返っていびきをかいてましたぜ。
-だからよ、中途半端に呑んだんじゃ「いとど寝られぬ」から、憂さ晴らしに大酒食らったにちげえねえ。俳諧の名人にだってつれえことはあるものさ。
-へえ、あの親爺が名人ねえ……
-そうよ。人は見かけによらぬものだ。第一あそこならカモメの鳴き声も始終聞こえるし、「かもめかな」の句ができたって不思議はねえ。そろそろ夜の雪も降るころだから、おめえ今夜あたりひとっ走りして見てくるがいい。
八五郎、まだ納得のゆかぬ顔をしております。親分が勝手に名づけた港町芭蕉庵、はたして史跡に認定されますや否や?
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