Daily Oregraph: いとゞ寝られぬ
いったん枯れた花がもう一度枯れて、水気がまったく失せてしまった。触れたとたんにバラバラになりそうである。
夏の間猛威をふるった丈の長い雑草が、ばさりと脱ぎ捨てた鬘のように、あっちにもこっちにもまとまって横たわっている。雪に埋もれる前に片づけたほうがよさそうだ。また余計な仕事が増えてしまったらしい。
さて元起和尚からもらった酒を、芭蕉は曾良といっしょに一杯やったにちがいないなどと無責任なことを書いた手前、『芭蕉俳句集』(岩波文庫)をもう一頁めくってみたら、「きみ火をたけ」につづいてあったのが、同じく貞享三年の句、
深川雪夜
酒のめばいとゞ寝られぬ夜の雪
である。
えっ、ほんとかよ。これはどう見たって一人酒の句である。酒の相手がいて話がはずんでいるときの句とはとても思われない。
念のため調べてみたところ、「閑居の箴」には、
物をもいはず、ひとり酒のみて心にとひ心にかたる。庵の戸おしあけて、雪をながめ、又は盃をとりて、筆をそめ筆をすつ。
とあるから、まちがいない。無学なくせに余計な想像をするから、こんな恥をかくのだ(笑)。
芭蕉このとき四十三歳、なにを考えていたのかは知るよしもない。しかし雪の夜におじさんが一人酒、しかも(たぶん)肴もなしに冷酒を飲んでいたとすれば、軽みもおかしみもあったものではなく、「一人住まいの寂寥感」(山本健吉氏)ではすまない深刻味が漂っているように思う。
例によって勝手な想像だが、たぶん内縁の妻とされる寿貞の暮し向きや、二人の間にできたといわれる子どもたちの将来、さらには自分の境遇などが、おじさんの胸中に去来していたのではないだろうか。なにしろ四十三歳だからなあ。
みなさんは芭蕉を俳聖などといって崇めるけれど、彼も人の子、だれもが抱える苦労や悩みがなかったはずはない。しかも世知辛き世を俳諧一本で渡ろうなどというのは、はっきりいって堅気の道ではない。妻子をまともに養えるのか、愚かなやつよと陰で笑う者もいたと考えるのがふつうだろう。
風雅だの俳諧だのといっても、人間霞を食って生きていけるはずはなく、他人の援助にすがる身の上だから、ときには高級幇間めいたこともせざるをえなかっただろう。
そんなことを考えながら酒を飲んでも心地よく酔えるはずがない。しかもますます目が冴えたところに、庵の戸を押し開けて雪をながめたんだから、部屋の中にはどっと冷気が流れ込んで、そりゃあ寝られないに決まっている。
先生、地獄のような孤独感に襲われたはずだが、下五の「夜の雪」が魔法のような働きをして、同じ雪降る夜空の下、あちこちで一人わびしい酒を飲む、たとえばあなたやぼく(?)のような人の姿がぼうっと浮かび上がってくるのである。
またしてもいいかげんな想像をしてしまった。どうせ無学者のほら話、笑っておゆるしくだされたい。
Comments
いやあ~楽しく読ませていただきました。
芭蕉先生は43の年にてかようなる境地・・・それに引き換え小生、数年もすれば還暦という年にいたっても何も考えずに酒を飲み・・・心にとひ心にかたる・・・なんてことはまずなく、冷蔵庫に朝の鮭の切れ端が残ってたっけとか、イカの塩辛がなかったかしらなんて思いが胸中を行きすぎるのみ・・・
Posted by: 三友亭主人 | November 25, 2017 07:11
>三友亭さん
いやいや、口にはされなくとも、つらいことはおありとお察しいたします。
あれこれ考えると胸が痛むから、心にとひ心にかたる間もなく、ぐいぐいとお飲みになるのでしょう。
> 朝の鮭の切れ端が残ってたっけ
塩鮭もいいですね。一切れあれば五合は飲めそう(笑)。
Posted by: 薄氷堂 | November 25, 2017 21:06