Daily Oregraph: 京都足棒日記 神社巡り編 (3)
3月27日。佛教大学からてくてく歩いてやって来たのは今宮神社である。
実はこの神社、ぼくが昔住んでいた部屋からさほど遠からぬ所にあるのだが、訪れるのは今回が初めて。北野の天神さんへはよく行ったけれど、こちらにはご縁がなかった。
門前の道の左右には名物あぶり餅のお店があり、どちらも六百年以上の歴史があるというから恐れ入る。そういえば清涼寺でも名物あぶり餅をさかんに宣伝していたが、この手の名物は道連れでもいなければ食べようという気にはなれないからパス。このままではあぶり餅を食わぬままあの世へ行くことになりそうだ。
小さな神社だとずっと思いこんでいたのだが、どうも雰囲気がちがう。
境内は予想よりもずっと広く、ちょっと驚いた。
おお、立派なお社ではないか。
ここも予備知識がなかったから、あとで調べてみたところ、別名「玉の輿神社」というらしい。西陣の八百屋の娘お玉さん(1624-1705)が玉の輿に乗って徳川家光の側室となり、綱吉の生母桂昌院として権勢をふるった。その彼女が、当時寂れていた今宮神社に肩入れしたところから(どこかで聞いたような話だが……(笑))、そう呼ばれるようになったのだという。
境内にはほかに小さなお社(摂社・末社)がいくつもあるけれど、ぼくが興味をひかれたのは玉の輿でも摂社でもなく、
この絵馬所である。北野天満宮の絵馬所を一回り小さくしたような印象だが、こちらも相当古いものらしい。
せっかくだから、ちょっと中をのぞいて見よう。年号のあとには、手元の日本史年表の記事をメモしておいた。
寛政九年(1797年)。十月、江戸の落語を禁止。十一月、対馬海上に外国船出没。
これも寛政九年。
明和九年(11月に改元して安永元年 1772年)。一月、田沼意次老中となる。二月、江戸大火。九月、南鐐二朱銀発行。十月、大阪天満宮青物市場問屋、同綿屋仲間株などを公認。
またしても寛政九年。どうやらこの年京都市民は競って絵馬を奉納したらしい。
馬がいたのでビックリ(笑)。
絵馬のほんの一部しか写真を撮らなかったが、じっくり見る価値あり。北野天満宮の絵馬所はいつも大勢の人でにぎわっているけれど、ここは無人であった。絵馬鑑賞には最高の環境である。
こんな堂々たる楼門があるとは……
あぶり餅はともかく、絵馬所には感心した。再訪する価値は十分にある。
この日二つ目はまるで方角ちがいの熊野神社。二年半前に訪れた若王子神社と同じく京都三熊野のひとつである。
三熊野のうち最も古い神社(811年~)らしいが、境内は若王子神社よりも狭い。今宮神社とは反対の意味で予想が外れてしまった。ここは応仁の乱で荒廃したのち再建されたというから、もとはもっと大規模な神社だったのかもしれない。
今宮神社もそうだったが、ほんの数人の参拝客をみかけたのみ。もちろんお祭りでもあればかなり人は集まるにちがいないけれど、お寺にせよ神社にせよ、京都は観光客の押し寄せる所とそうでない所との差が極端である。
経営上は大勢の観光客に来てほしいところだろうが、見物する立場からいえば、人は少ないほうがよろしい。むずかしいところである。
(つづく)
Comments
仕事の都合で一度この近辺を歩いたことがあり、職務中ですがちょいと休憩ということで、このあぶり餅というのを食べる機会がありました。
酒のみがいける甘さでした。
確か・・・あの酒飲みの池波正太郎も好意的に書いていたような・・・そんな甘いお餅でした。
Posted by: 三友亭主人 | May 16, 2017 23:01
>三友亭さん
あぶり餅屋さんのうち一軒が六百年、もう一軒が千年だそうなので、訂正しておきました。
京都では百年程度では老舗とはいえないようですが、餅をあぶって六百年以上とはねえ……
> 酒のみがいける甘さでした。
そうですか。機会があったら、絵馬見物を兼ねてご一緒したいですね。あぶり餅、一本でいいから(笑)味見させてください。
Posted by: 薄氷堂 | May 16, 2017 23:12