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December 31, 2016

Daily Oregraph: 大つごもりの神頼み

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 結局外出先では一枚もシャッターを切らず、仕方がないから雪をこいで裏庭へ行ってみると、あたりまえの話だが、枯草と枯枝しか見あたらない。あとはツギハギだらけの板塀が黙然として立っているだけである。とても写真なんぞ撮りようがない(笑)。

 しかしまるでいいことのない2016年最後の日を迎えた日本国には、このわびしい景色がぴったりなのかもしれない。八百万もの神々には、出雲でノンキに縁組の取り持ちをするだけではなく、来年こそ粉骨砕身のご活躍を願いたいものである。

 庶民を苦しめる地震・台風・洪水などは願い下げだが、利権に群がる腐敗政治家や悪徳官僚どもの頭上に雷を落とすとか、不景気をもたらした消費税を撤廃するとか、サービスの低下した社会保障を充実するとか、哀れな薄氷堂に宝くじの当選をもたらすとか……ほら、いろいろお仕事はあるじゃないですか。

 これだけお願いしておけば、今夜あたりお地蔵さんがヨイショヨイショと雪道を行進し、玄関前にどっさり米俵や宝物を置いていってくださるにちがいない。はあ、どっとはらい。

 どうかみなさまもそんな景気のいい夢を見ながら、おだやかに新しい年をお迎えください。

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December 28, 2016

Daily Oregraph: 歳末の港町

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 路面状態は最悪で、恐ろしく滑る。特に上り坂は冷汗が出る。できれば車の運転などしたくはないけれど、天から雑用が降ってくるのだからしかたがない。

 せっかく外出したついでである。ひさしぶりに港町岸壁に立ち寄ると、まったく氷が浮かんでいないのには拍子抜けした。

 カモメとカモが仲良く並んで泳ぐ姿は美しき哉。

 もし鳥に神がいるとすれば、神は必ずや鳥の姿をしているはずだと喝破したのは(記憶ちがいでなければ)フォイエルバッハだが、もちろん連中に宗教などはない。カモメはカモメ教、カモはカモ教というふうに、それぞれ神を奉ったが最後、神に選ばれし鳥の間に醜い争いがはじまるにちがいない。

 カモメにしてみればおのれこそ正義、カモは悪魔の手先だから、十字軍を編成して聖地港町岸壁の水面を奪回しようとする。カモだって黙っちゃいない。忌わしい異教徒であるカモメに体当たりして撃墜しようとするだろう。まったく困ったものよのう……

 とまあ、柄にもなく哲学的なこと(?)を考えつつ、岸壁をあとにした。今夜は世界平和を祈りつつ一杯やることにしよう。

 今年はこれを最後の記事にしようかとも考えたが、31日にどうしても外出せねばならぬ用事がある。なんでもいいから写真を一枚撮って(笑)、2016年の最後を飾ることにしよう。

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December 27, 2016

Daily Oregraph: 散歩挫折の弁

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 雪かきばかりでは足がなまりそうだから、勇んで散歩に出たまではいいけれど……

 道路はカチカチに凍っている。風は冷たい。鼻水が垂れてくる。

 晴天ならまだしも、今日の天気ではちょっと軽装に過ぎたかもしれない。冬靴にスパイクのついた滑り止めを取り付けたので、転倒する恐れはほとんどないのだが、凹凸のある氷の上は歩きにくくて閉口する。

 結局わずか十分ほどで撤退を決意し、早々に逃げ帰ったというお粗末であった。気がくさくさするから、勤労者諸君にはまことに申し訳ないけれど、これから熱燗でも一杯やろうかと考えている。

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December 24, 2016

Daily Oregraph: 雪につきあう

 昨日は朝までに二十数センチの積雪があった。

 そこで途中休憩を取りながら、午前中一杯かかって雪かきを楽しんだ(?)。二軒分ともなれば、それくらい時間がかかるのである。しかしその約三倍も雪の積もった札幌市民の苦労を思えば、愚痴をいうわけにはいかないだろう。

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 やれやれと思ったら午後からまた雪がちらつきはじめ、今朝までにさらに数センチ雪が積もっていた。

 窓を開けて車の屋根に積もった雪を見ると、ところどころ穴が開いている。もちろんカラスの足跡ではなく、

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屋根からハラハラと落ちてくる雪が犯人である。昨日の朝もそうだったが、大雪のあとだとハラハラではすまない。ド、ド、ド、ド……という轟音とともにかたまりで落ちてくる。

 その量がまたバカにならず、雪かきの順序を誤ると二度手間になるから、孫子の兵法に従って、屋根の雪が一通り落下したあとで作業を開始するのが上策である。まだそのときが来ないのに、むやみにスコップをふるうのは下策だから、たとえ君命といえども従ってはならない(孫子 除雪篇より)。

 昨日にくらべればはるかに楽ではあったが、わずか数センチの積雪でも、案外手間はかかるものだ。しかも毎度のこととはいえ、雪かき作業にはまるで達成感というものがない。ただただバカバカしいのである。

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 雪とのつきあいは夜になっても終らない。大垣の住人麦穂亭の送ってくれたシュトーレンには、一面に白砂糖の雪が降り積もっていた。

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December 22, 2016

Daily Oregraph: 雪かき前夜

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 -あら、寒いの、おじいちゃん? 震えているわよ。

 -ばかもの。これは武者震いだ。明日の朝は雪かきが待っている。

 -な~んだ、おおげさねえ。

 少し前に窓を開けて外を見たら、細かい雪が降りつづいている。今日の昼から降りはじめ、明日の夜まで止まないというから、

 -おおげさじゃないぞ。明日は老骨に鞭打って、二回は雪かきせにゃならん。

 -せいぜいがんばってね。お燗つけてあげようか?

 -酒だ、酒だ、酒持ってこい!

 おじいちゃんが荒れ気味なのも無理はない。一杯ひっかけなくちゃね。

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December 20, 2016

Daily Oregraph: 『怒りの葡萄』読了

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 『怒りの葡萄』を読み終えた。最後はほとんど一気読みだが、そうさせるのが作家の力量というものだろう。

 この小説を翻訳された某氏のブログを拝見したところ、「この時代の弱者への理解なくしては、『怒りの葡萄』のような作品は理解できない」という意味のことをお書きになっているのには驚いた。

 それでは「しょせん無知な君たちにはわかるまい」というに等しく、いかにも優等生的な発言だと思う。なにもそう一般市民をおどかすことはないのに(笑)。

 もちろん歴史の勉強はしたほうがいいに決まっているけれど、そもそも勉強して予備知識を得なければ理解できないような作品など、広く読まれる古典と呼ぶに値しないと思う。

 むしろ話は全く逆であって、『怒りの葡萄』を読むと、凡庸な歴史書にあたるよりも、当時の弱者の境遇がはるかに身に沁みて理解できるにちがいない。それが文学の力というものだろう。

 しかもこの作品は1939年に発表されたものだから、いささか古いとはいっても、ぼくたちに内容が理解できないことはない。さすがに現在では貧乏も底上げ(?)されたとはいえ、世の中の基本的な構造は変らないからだ。

 収穫を終えたらたちまちお払い箱になる農民の姿は、不安定な身分の非正規低賃金労働者のそれと重なるし、暴力的に農民を追放しようとする保安官代理の姿は、沖縄県民を土人呼ばわりしたヤクザまがいの警察官のそれとぴったり重なる。カリフォルニアに流れてきた農民のこどもが学校で差別され、いじめられる姿にも、やはり重なるものをみつけることができるだろう。

 ぼくはアカデミックな勉強はほとんどしていないし、行き当たりばったりに本を読んできたから、スタインベックはこれがまだ二作目で、最初に読んだのは(いま手元にはないが)『コルテス海航海記』(1941年)である。

 『航海記』は無類におもしろい本だけれど、海洋生物学に造詣が深い作家だけに、やたらむずかしい生物の名前が登場し、辞書を引く手間の多さには泣かされた。そしてこのたびは俗語と方言に泣かされたのだから、まことに困った小説家である。

 そんな極東の一読者に最後まで読ませたのは、なによりも作家の腕前の証明である。ジジイが読んでも沸々と怒りが湧き上がってくる作者渾身の傑作を、若いみなさんにも、この時代だからこそぜひお読みいただきたいと願っている。

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December 18, 2016

Daily Oregraph: 冬ごもり

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 12月16日。

 日中の気温が上がらないせいか、道路の雪はなかなか融けない。雪道を気にしながら歩くのはいやだから、たいていは部屋にこもっている。

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 12月18日。

 とはいえ生命を維持するためには食料が必要だから、週に一二度は車を出してスーパーへ行く。

 帰り道に北大通を通過すると、くしろデパートの跡地に巡らしてあった塀が撤去され、またしても景色が一変していたので、生存証明写真としてシャッターを切った。今日はこれ一枚きり。

 冬ごもりのジジイにはほかに書くべきこともないけれど、ひとつだけ。『怒りの葡萄』では、もちろんオクラホマあたりの方言なんだろうが、会話文中で something が somepin と表記されている。

 これがなぜか気に入ったのである(笑)。サムピン、サムピン……いい、実にいいなあ。自分でもときどき意味もなくサムピンとつぶやいてみるのだが、胸がほっこりと温かくなるようだ。

 試験の答案に、わざと somepin と書いてやろうかしら……なんてね。

  サムピンが狂へる國の年の瀬に金を出しても島は還らず

 お粗末でした。

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December 15, 2016

Daily Oregraph: 青くなる話

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 現在市内の道路はこんなぐあいである。路面にはさらっとした雪が残っているから、ツルツル滑るというほどではない。

 札幌あたりに比べれば上等のコンディションなのだろうが、積極的に歩こうという気にはなれない。しかし二日も家にこもっていたので、さすがに体がこわばり、天気がよく風もないのを幸いに、散歩がてらコンビニまで買い物に出かけた。

 『怒りの葡萄』はやっとエンジンがかかり、流れに乗ってきた。テーマは重苦しいけれど、ユーモアと詩情に溢れているところが救いである。本日読んだところにおもしろい場面があったから、ほかにネタもなし(笑)、ご紹介することにしよう。

 生まれてはじめて水洗トイレに入った子供がふたり。うっかりレバーを動かすと、ザーッと水が流れて止まらない。しばらくすると自動的に止まることを知らないから、トイレを壊したと思いこみ、青くなって逃げ出してしまう。

 「なんだ、そんなこと。くだらない」と一笑に付すようでは、高等文官試験には受かるかもしれないが(笑)、想像力にちと欠陥があるんじゃないかと思う。ここは田舎から出てきた子供たちに大いに同情すべきところなんだから。そりゃあ青くなりますよ。

 それで思い出したが、船のトイレに入ると、フラッシュ・レバーが壊れて機能しないことがある。う~ん、どうしようと悩んであたりを見回すと、たいてい手洗いの蛇口にホースが取り付けてある。ホースの長さが十分だと便器に届くから、蛇口をひねって直接水を流す。ホースが短い場合はバケツが備えてあるので、そいつに水を貯めては流し、貯めては流しするのである。

 しかし(めったにないけれど)中にはどこをどう探しても、水を流すレバーも紐もボタンもみつからないトイレがある。手洗いにホースも取り付けていなければ、バケツも備えていない。そうかといって、いまさら大声で人を呼ぶのも体裁が悪い。

 さあ、どうしよう? そりゃあ顔が真っ青になりますよ。

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December 12, 2016

Daily Oregraph: 我慢が大切

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 検査のため市立病院に来ると、例によって第一・第二駐車場ともに満車。誘導されて初めて立体駐車場に車を駐めた。

 今日は月曜日だから特に多いのかもしれないが、自分もその一人のくせに、よくもまあこんなに患者がいるものだと呆れる。

 病院でもっともつらいのは、検査でも注射でもなく、もちろん待たされることである。ぼくみたいに検査の時間を予約していても、すべて終るまでにはかなり時間がかかる。予約なしだとほぼ半日仕事だろう。

 何時間も待たされる患者というのは実に我慢強いものだ……と思ったところで気がついた。英語では患者をペイシャント( patient)というが、我慢強いという形容詞もまたペイシャントである。発音も綴りも同じなら、「苦しむ、苦痛に耐える」という語源も同じだ。出来すぎた話のようだが(笑)、ウソではない(めずらしく受験に役立つ話になった)。

 人間病気で苦しんだって、そう簡単にあきらめるわけにはいかないから、じっと我慢する。その結果我慢強くなる。診察まで多少待たされるくらいなんだというのだ。

 もっとも考えようによっては、自力で病院にたどりつける人は、まだ元気であるといってもいい。待合室で顔見知り同士の話を聞くともなしに聞いていると、病院は一種の社交場でもあるということがわかる。

 -どう、調子は?

 -まあまあだね。

 -だけどあんたもおれも、こうして元気に病院へ通えるんだから幸せだよ。

 -ほんとだなあ。健康とはありがたいもんだ。

 あれ?

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December 10, 2016

Daily Oregraph: とうとう降られた

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 「ユキにふられた」といえばちょいと色っぽい話に聞こえるかもしれないが、雪に降られたんじゃしょうがない。

 幸い大雪にならずにすんだけれど、それでも雪かきは雪かきである。朝っぱらから肉体労働というのは、ふだん鉛筆より重いものを持ったことのない男にはこたえる。

 さて今日は nimsy-mimsy という単語に引っかかった。辞書を引いたって、そのままではみつからない。ネット検索してもヒットしない。結局意味を突き止めるまでに一時間以上もの時間を要したので、これから『怒りの葡萄』を読もうという奇特な方のためにメモしておこう。

 ずいぶん発音はちがうけれど、niminy-piminy(または miminy-piminy)の崩れたかたち(訛り?)にちがいない。「気取った、上品ぶった」という意味と、「めめしい、元気・気力がない」という二系統の意味がある(さらにしつこく調べてみた結果については……ややこしいから省略しておく(笑))。

 ニムジ・ミムジにしてもニミニ・ピミニにしても、韻を踏んでいるから、わが国のシッチャカメッチャカなどと同類なのだろう。

 ご参考までに原文は、That Rosasharn is gettin' awful scary an' nimsy-mimsy. というのだが、おどおどして元気がない、というほどの意味だろう。

 未解決の単語はほかにもまだいくつか残っている。ネット上には『怒りの葡萄』のボキャブラリを解説するサイトがいくつかあるけれど、どれもまるで役に立たない。ふつうの辞書を引けばすぐにわかる単語しか載っていないのである。

 その理由として考えられるのは、(1) 外国人とではことばのむずかしさに対する感覚がちがう (2) 自分たちにもよくわからない語がある、というところだが、これまで出くわした難語(?)から推測するに、たぶんその両方がまじっているのではないかと思う。

 たぶん高校生あたりを対象としたと思われるサイトで解説される語を見ると、ちょっと古いことばや日常会話であまり使われないことばが多い。そっちのほうはむしろ辞書を引きまくる外国人の得意分野である(笑)。

 しかしニムジ・ミムジなんてのは、初めて目にしても、何度か口にすれば、連中にはなんとなく意味がわかってしまうのかもしれない。そういうのこそぜひ解説してほしいのだが……

 それにしてもこう時間がかかるのでは、小説を読んでいるんだか、解体新書を読んでいるんだか、よくわからない。いやになるね、まったく。

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December 07, 2016

Daily Oregraph: 驚きの炭鉱展示館

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 昨日(12月6日)桜ヶ岡の炭鉱展示館を見学してきた。ごらんのとおりこじんまりした建物だから、一見あまり期待できそうにないようだが……どうして、どうして、開けてビックリ、相当の資金を投入したにちがいない立派な施設なのである。

 係の方が常時受付にいらっしゃるわけではないから、あらかじめ予約しておいたほうがいい。

 電話・FAX: 0154-91-5117
 開館時間 : 平日・日曜の10:00~16:00
 定 休 日 :  毎週水曜日
 入 館 料  : 大人 300円・こども 200円

 この日は係の方がつきっきりで懇切丁寧な解説をしてくださった(どうもありがとうございます)。
 

 写真撮影の許可をいただいたので、内部をざっとご紹介したい。 

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 入口にでんと置かれた巨大な石炭塊(日本一のサイズだという)を横目に中へ入ると、太平洋炭砿の歴史に関する資料や各種石炭の見本をはじめ、さまざまのものが展示されている。

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 神社マニア(?)のぼくが目をつけたのはこのコーナー。いまは姿を消した神社の額や行事の記念写真が飾られている。

 右上の額は写真では読みにくいが、興津坑神社のものである。関係者の方々の並々ならぬ愛着が感じられた。

 さて一通りご説明をうかがってから、いよいよ地階の模擬坑道へ。 

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 あっと驚くこと請合いである。よくもまあ、これほどの施設を作り上げたものだと感心する。

 まずは坑内電気機関車。これこそ鉄道マニア垂涎の的であろう(笑)。 

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 これが運転席。Toshiba のマークが見える。

 鉄道マニアでなくとも、男ならたいていカッコいいと思うはずだ。これを見物できるだけでも入館する価値はあるけれど、やはり目玉は坑道の掘進機だろう。 

 間近で見ると大きすぎてわかりにくいから、一階展示室にある模型を見ると、

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こちらのほうが理解しやすいと思う。 

 コンティニュアスマイナー(連続式掘進機とでもいえばいいのか)でガリガリ掘った石炭や岩石を運んで、後方のベルトホッパーとの間を行ったり来たりするのがシャトルカー。

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 米国製コンティニュアスマイナーの運転席。

 ひしゃげた鉄板のような座席にご注目いただきたい。おそらく座り心地は最悪のはずで、実用一点張り。アメリカ人のセンスのよさ(?)には呆れるが、展示されているのはもちろん旧型だから、新型では改善されているのかもしれない(?)。

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 これがマイナーの先端。いい面構えである。

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 こちらはシャトルカーの運転席。

 鉄板を曲げただけの座席がやはり米国のセンスか? 二つ向かい合っているのは、往復で進行方向が変るからで、男女の見合い用ではない。 

 さてコンティニュアスマイナーとシャトルカーのコンビも目玉にはちがいないのだが、実はSD採炭切羽方式(自走枠とドラムカッターのコンビ)というのが真打ちで、その現物もここに展示されている。

 ここにその写真を掲載しないのにはワケがある。写真を見てもすぐには理屈を飲み込みにくいのだ。図解が必要だろうと思う。展示館で専門家に説明していただくことをおすすめしたい。

 -まあ、おじいちゃん、説明していただいたんでしょう? 聞かせてよ。

 -それがうまく説明し切れたら、炭鉱の技師が勤まるわい。ではちょっとだけだぞ。

 -そうこなくちゃ。

 -え~、ここに虎屋の羊羹があるな。それはそれは大きい四角の塊だと思ってほしい。

 -?

 -それを一箇所だけかじるのではなく、ひとつの面を端から端まで一定の幅ずつ食おうという寸法だ。ある幅だけ食い進んだら、前進してまた一定の幅を食うのさ。つまり点で食わずに面で食う。これを面食いというな。

 -なんだか、わかったような、わからないような……

 だから展示館へ行くことをおすすめしているのである(笑)。

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December 06, 2016

Daily Oregraph: 夜橋を渡る

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 昨夜のこと……

 鞭声粛々夜橋を渡って合戦に赴くわけではなく、出席者五名の忘年会に向う。気温3度だから、そう寒くはない。

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 ブログのネタがないと困るから、生ガキを一枚だけ証拠写真として撮り、あとはカメラをしまってひたすら芋焼酎を飲みつつ、みなさまと歓談。例によって仕事の話から駄洒落まで。

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 では来年もよろしく(ほんとにそう願いたい)と散会したあと、三人で二次会。ひさびさの赤ちょうちん横丁である。

 某店でにぎやかなおしゃべりを楽しんで帰り際、路上にうずくまって動けぬ酔っ払いのおじさんを介抱し、やっとのことで住所を聞き出して、タクシーに乗せるという騒動があった。

 情けは人のためならず、いや、明日はわが身(笑)、これからの季節、うっかり道路脇に倒れて寝込んでしまえば死が待っている。そのときはどうかお見捨てなく。

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December 04, 2016

Daily Oregraph: 橋を渡って

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 一夜にして悟りを開くのはお釈迦さまくらいなもので、凡人はいくら反省したってたいして変化があるものではない。せいぜい散歩のコースを変えるのが関の山である。

 ひさしぶりに幣舞橋を歩いて渡ると……おお、このカモメをごらんあれ。釧路のカモメがでかいことは以前にもお話ししたけれど、実際おねえさんの顔よりも大きいのである。

 でかいのは図体だけではなく、ときどき脱糞して芸術作品を汚すこともあるのだから態度もまたでかい。困ったやつである。

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 うわさには聞いていたけれど、旧くしろデパートが取り壊されて、景色は一変していた。

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 方向は逆だが、この写真は2002年4月27日に撮影したもの。この一ブロックがそっくり消滅したのである。これからどうなるのか注目したい。

 なお写真右手、丘の上に見える白い塔は、たしか釧路気象台の施設だったと思うが、気象台も今は合同庁舎に移転している。14年も立てばずいぶん変るものだ。

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 このあとは歓楽街のあたりを行ったり来たり、でたらめなコースで歩き回った。それはそれでおもしろいのだが、人影の少ないのはちょっとさびしい。大都会の雑踏が恋しくなるのはこういうときである。

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 知らぬ間にこんなお店ができていた。入口の上にでんと飾られているブタがおもしろい。

 横文字で Porker というお店なのだが、食用に太らせた若いブタ、あるいは一般に食用ブタのことをいう。で、そのブタの顔がポーカー・フェイス……これはウソだから信用しないように。

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 全国的に定員に満たない私立大学が増えているらしいけれど、こちらの大学は健在であった。

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 この一角はほとんど変っていなかった。何度来ても、ついみとれてしまう(笑)。

 こういう景色にモダニズムを感じるぼくは、センスが半世紀以上ずれているのかもしれない。

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 ほかにもいくつか写真を撮ったのだが、軽蔑されそうだから(笑)割愛するとして、しめくくりはいつものマネキンのおねえさん。

 おねえさんの服装に季節感がよく表れているので、町にくるたびに拝見しているのだ。ちゃんと冬支度をしているので一安心(それにつけても気の毒なのは、幣舞橋の裸体像である)。

 ……とまあ、こんな呑気な駄文を書いていると、おまえちっとも改心していないじゃないか、とお叱りを受けそうだが、けっしてそうではない。

 ある別の作業(いずれふれるつもりだが)と並行して、少しずつ読んでいる『怒りの葡萄』もやっとエンジンがかかりはじめ、今日はちょいとはかどった。

 日銀の短観ではないが、ぼくの錆びついた頭脳もゆるやかな回復基調にあるのだ……てなことをいうと、ますます信用されないか(笑)。

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December 03, 2016

Daily Oregraph: 反省の月

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 海がギラギラ光っている。どれほどの明るさか知らないが、とても写真にはうまく収りそうにない。

 12月に入って今日で三日。初日は一日中雨、二日目は強風が吹き荒れて、とても散歩どころではなかった。

 三日目の今日、やっと風もおさまったようだし、それ! という勢いでいつものコースを歩きはじめたのだが、海岸沿いの線路脇にはまだ少々強い風が吹いていた。気温が高めだからよかったものの、そうでなければさっさと撤退していただろう。

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 おや、なんたること! 数日前はピカピカ光っていた左の線路が、雨と潮風のせいであろうか、もうすっかり錆びているではないか。

 レールにしてこうなんだから、二三日も学問を怠れば、人間の頭が錆びつくのはあたりまえだ。

 12月は反省の月でもある。そうではない、おれはこの一年間奮闘努力してきたから悔いはないぞ、という幸福な人も広い世間にはいるにはちがいないけれど、少なくとも凡人にとってはそうだ。

 いかん、これではいかん。レールはピカールで磨けばたちまち輝きを取り戻すが、人間はそうはいかない。深刻に反省する必要がある。

 さっそくウィスキーを飲みつつ今後の方針について考えることにしたから(笑)、明日からはきっとぼくも生まれ変わるにちがいない。いまに見ておれ。

 それで思い出したのが、例の「精神一到何事不成」……これを昔ぼくのいとこは、「精神一到何事も成らず」と読み下した(笑)。もちろんそれは冗談なのだが、ウィスキーがだんだん回ってくると、なんとなく正解に思えてくるからふしぎである。

 まあ、精神一到なんて一種の狂信的ないやらしさもあるし、こうしておのれの無学ぶりを反省するだけでも立派じゃないか……ということにしておこう。

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