Daily Oregraph: 何用あって駅裏へ (1)
いらっしゃいませ。お客様、すぐに一本おつけしますから、まずは今年4月4日の記事をお読みになっておくんなさいまし。失礼とは存じますが、一からお話しするのは面倒でいけません。
この日、八五郎はめずらしく釧路の停車場にやってまいりました。どうやら親分に叱られたと見えまして、浮かぬ顔をしております。なにやら独り言をつぶやいているのを、こっそり聞きますと、
-ちっ、朝っぱらから小言を食らってちゃしかたがねえや……
その日の朝のことでございます。依存症の親分がメザシで一杯やっているところへ八五郎が顔を出しますと、
-おい、八、なにを呑気な顔をしていやがる。お上の御用はボンヤリしていちゃ勤まるめえに。
-へえ? なにかありましたんで。
-あったどころの騒ぎじゃねえ。停車場裏の道具屋が店仕舞いして、あとが更地になっちまったてえ投げ文があったのを知らねえか、この間抜けめ。
-えっ、まさか!
-しかもだ、投げ文の主が九州の住人だてえから、こちとらの面目は丸つぶれよ。おめえ、早速出かけて調べてきな。
-へい、合点だ。
-それにしても、おいらの知らねえことを、なんで九州のお人が嗅ぎつけたかねえ。
ブツブツいいながら停車場裏へ通ずる地下道を渡る八五郎の帯には、厚手の布でこしらえた袋がくくりつけてありまして、そいつが歩くたびにジャラジャラ音を立てております。
実は袋の中には、親分直伝、投げ銭用の寛永通宝が入っているでありますが、こう申せば親分の正体はもうおわかりになりましたろう。親分が蝦夷地に流れてきたのには、きっと複雑な事情があったのでございましょう。
今にも泣き出しそうな空の下、道具屋の建物はいつもどおりそこに立っていましたから、八五郎は狐につままれたような顔をして、しばらく突っ立っておりました。
しかし朝も十時を回ったというのに、店は閉まったままでございます。見れば「買取」の看板は最近のものらしく、すっかりお店をたたんでしまったものかどうかは判断がつきかねます。
そこで八五郎、ご近所で聞き込みをしようと思ったのですが、
-あ、しまった! あわてて十手を忘れてきちまった。
最近は自由民権の思想が広まったせいでございましょうか、長期政権による腐敗によりお上のご威光も地に落ちて、たとえ十手をちらつかせても、庶民はなかなか口を開いてはくれません。まして身分を証明できる十手がないとなれば、詐欺師か地上げ屋同様に扱われ、どうかすると塩をまかれて追い払われるのですから、すごすごと引き上げるしかないのでした。
というわけで、このあと八五郎はもう一度親分にこっぴどく叱られたのですが、
-馬鹿野郎。おめえ、まさか手ぶらで帰ってきたんじゃあるめえな。
-へえ、ひとつネタをみつけてめえりやした……
なにしろローカル紙の名誉がかかっておりますから、転んでもただでは起きぬ、ちゃんとニュースを仕入れてまいりましたことはもちろんでございます。これも投げ文のおかげ(笑)、そうでなければ停車場裏へは当分足を運ばなかったことでしょう。感謝の心を忘れてはいけませぬ。
といっても、たいしたニュースではございませぬが、待たれよ次号。
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