Daily Oregraph: 1974年鈍行の旅 (3) 「国鉄」福知山線
列車は福知山を出てしばらくは盆地を走るが、だんだん両側に山が迫ってくる。
駅前に「まるたん食堂」の名が見える。このお店はネット検索でヒットするから、現在も営業されているようだ。
丘の上に見える「ひま」の文字はたぶん「ひまわり」だろうから、幼稚園かなにかだと思って検索したら、当時はともかく現在は「ひまわりの里」という福祉施設らしい。
福知山線普通列車車内。福知山までの車両より一世代新しく、木製の椅子はすべてスチール製に変っている。
もう40年以上前の写真だから時効は成立しているけれど、気持ちよさそうに居眠りしている女性のお顔の一部にはボカシをかけておいた。
黒井駅。駅名を特定した決め手は「きくや」という旅館。検索したところ、現在も営業中らしい。
駆け込み乗車の女学生たちも、すでに五十代後半。年を取ったのはぼくだけではない。
こういう写真を撮れるのが各駅停車のいいところだろう。とっさに撮ったので、オリジナルは縦長画面である。これはやはり横長だろう。
これまた時効成立。こちらはボカシをかけなくともお叱りを受けることはあるまい。心当たりのあるお方には、連絡をいただければ写真を差し上げるつもりである。
しょうもない写真である(笑)。申し訳ない。
鈍行だからこそ、こういう写真が撮れる。新幹線では無理な相談である。
恥をさらすようだが、ぼくは三田がミタではなくサンダだと、このとき初めて知ったのだ。へえ、そうだったのか! その驚きが素直に表現された一枚だから傑作なんだよ(笑)。
さてこの一枚だが、いったいどのあたりだろうか? 正面の橋脚(?)付近にはクレーンが見えるから、建設中の自動車道路ではないだろうか。
三田以南かつ宝塚以北はまちがいない。その区間で列車の左側(東)に川(武庫川)が迫り、高速道路とおぼしきものが見える地点といえば、生瀬(なまぜ)駅付近ではないだろうか。
調査費があればさっそく確認に行くのだが、どこかにスポンサーはいないだろうか?(笑)。
宝塚付近。山肌一面宅地造成中である。実はこの直前に撮った一枚には、丘の斜面にびっしり立ち並ぶ住宅が写っているのだが、あいにく電柱が写りこんでしまったのでボツにした。
このあたりから景色は一変し、都会の風が吹きはじめる。その落差の激しさには、まさに呆然とするものがあった。
列車が尼崎のあたりを通過したときには、あまりのゴチャゴチャ感に圧倒されて、とうとう写真を一枚も撮っていない。すっかり牧歌的になっていた頭を、すぐには切り換えられなかったのである。
地図を参照すると、列車は尼崎駅を通過して神崎川の鉄橋上を走っていたはずである。このあと大阪市内で撮ったと思われる写真も一枚あるが、あまりにもつまらないから割愛し、福知山線の旅はこれをもっておしまいとする。
沿線の風景がどれほど変化したか、ちょっと恐いような気もするけれど、いずれ京都を基地にしてもう一度たどってみたいものだ。不況の原因である消費税の税率が下がるまで待っていたら寿命が持ちそうにないから(笑)、豚の貯金箱を壊して、今年か来年にでも行こうかしら……本気でそう考えている。
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