Daily Oregraph: 1974年鈍行の旅 (2) 園部~福知山
木をふんだんに用いた格調の高い客車……なのだが、絶壁のように垂直の背もたれは、長時間坐っていると体にこたえる。
うんと空いていて迷惑にならぬときは、靴を脱いで向い側の座席に足を伸ばすというわざも使えるのだが、それも一時しのぎで、すぐに体がこわばってくるのだ。いかなる姿勢を試みても、背中と足のなす角度は約90度になるのだからたまらない。
こういう車両で「車中泊」をしようものなら、手持ちのわざをすべて駆使しても、しまいには全身がピノキオみたいにコチコチになってしまう。しかも十時間以 上乗り続けると、下車してからもしばらくの間、ガタガタンという一定のリズムで体が揺れつづけるのは驚異である。一種の苦行といえるのではないか。
このときは連続せいぜい数時間の乗車だから苦にはならなかったけれど、この写真を見てそんなことを思い出した。
なおこの日撮った写真からひとつだけといわれたら、ぼくは迷わず上の一枚を選ぶ。カメラの手柄だな(笑)。
どこを撮ったものか、ピンポイントで突き止めたのがこの一枚である。「清酒 長老」の看板が手がかりとなった。一部を切り取ってみよう。
進行方向は画面右から左へ向かって、和知駅の約 280メートル手前である。
どのあたりかわからないけれど、乗客が増えているから綾部を過ぎたあたりだろうか。
いかにもつまらない写真だが、たぶん時刻を記録するつもりだったと思う。
ここでもゴム長靴をはいたおばさんに注目しているのがおかしい。
これまたしょうもない写真だが、福知山市民の方ならなつかしいとお思いになるかもしれない。当時ビリヤードがはやっていたのだろうか。
ちょうど昼時だから、ふつうなら食堂を探して気の利いたランチを食べるところだろうが、嚢中乏しかったからそれはありえない(笑)。たぶんパンと牛乳で昼食をすませたはずである。
当時のビンボーがすっかり身についてしまい、いまだに旅に出ても、連れがいれば話は別だが、行く先々で土地の名物料理を食べることはまずないし、また食べたいとも思わないのである。よい習慣は若いうちにつけておくべし(?)。
1974年である証拠写真。横長で見ると印象がずいぶん変るから、上下をカットしてみよう。
この商店街は現在どうなっているだろうか? なんとなく再訪して確かめてみたくなった。この町に一泊して、翌日福知山線に乗るのも一興だろう。夜はともかく、昼はパンと牛乳でもよろしい(笑)。
最終回はいよいよ福知山線。どうかお楽しみに。
Comments
薄氷堂さんこんにちは。京都の嵐山からひょいと西に列車で走れは、すぐ山の中に入ってしまいますね。
園部の駅の周りは、現在鉄筋の建物は駅舎だけで、周囲の景色は、基本的に変わってないような感じです。車の車種が新しくなってるとか。
74年は私が高校の2年生になろうとしていたころで、日本のオーディオメーカーが半導体アンプの開発を盛んに競っていた時代でした。それでも田舎の車内や車窓の風景は、その前の1950年代から全然変化していないような。
家内はこの頃小学5年生で、福知山にも行ったけど、年に1回くらいだし、駅の建屋すら覚えてないとのことでした。
綾部駅は今でも緑色の古い電車が走っているようです。
ゴム長の人達を写真でみると、確かに時代とは気づかないうちに変わっているのだなと感じます。
Posted by: トニー | March 31, 2016 01:49
>トニーさん
コメント、どうもありがとうございます。
> 京都の嵐山からひょいと西に列車で走れは、すぐ山の中
あれはほんとうにビックリしますよね。もっとも、プライドの高い京都人からすれば、洛中以外は京都じゃないということなのかもしれません。
ぼくみたいにゴム長をはいて市バスに乗るなどもってのほか(笑)。
車窓の風景が案外変っていないとすればうれしいことですけれど、ローカル駅の駅舎はもう見る影もないでしょうね。
山陰本線・福知山線各駅停車の旅、もう一度チャレンジしてみたいです。
Posted by: 薄氷堂 | March 31, 2016 23:20