今日は当初の予定を変更して、前回までの記事の内容を一部訂正させていただくことにした(ただしまちがいはまちがいとして、記事はそのまま残しておく)。
まずは今朝再調査した結果作成した略図の改訂版をごらんいただきたい。
注:現在閉鎖されている旧地下道出入口はホーム間移動用地下連絡通路のものであったらしい。第2回の記事にも注記しておいたが念のためここでも訂正しておく。(2015年11月19日追記)
-おいおい、なんだよ。鉄北センターは南北の路地が二筋って書いていたけど、ひとつは鉄北ショッピングセンターじゃないか。認知症のはじまりだぜ、まったく。
-いや、どうも面目ない。いつも漫然と歩いているから、こういうみっともないことになるんだなあ。
-しかしどうしてまちがいに気づいたんだい?
さてそこだが、第2回に「鉄北ショッピングセンターという名称にはどこか記憶をくすぐるものがある」と書いたとおり、どうも引っかかるものがあった。もちろん例の古い建物は別だけれど、その名には比較的最近お目にかかったように感じたのである。
そこで一杯やりながら古い写真をチェックしていくと、
あっ、鉄北ショッピングセンターの看板があるではないか! (2006年4月29日撮影)
これでは認知症を疑われてもしかたがない。しかしどうして16日の散歩ではこの看板を見落としたものだろうか? そこで矢も盾もたまらなくなって、今朝再調査に乗り出した次第である。
まずはこれをごらんいただきたい。右側に鉄北センターの看板は見えるが……
リカー・ショップふじくらの右隣にあった鉄北ショッピングセンターの看板は、いつの間にか取り外されていたのだ。困ったことをしてくれたものであるが、これで認知症の疑いは晴れた(笑)。
さて煩雑を避けるため地図には一ヶ所しか示していないけれど、鉄北ショッピングセンターと鉄北センターを東西に連絡する路地は合計3本存在する。
16日に鉄北センターに入ったぼくは、最初の連絡路からフラフラと鉄北ショッピングセンター(写真では奥の方向)へと向かった。これが錯覚の原因となり、混乱が生じたわけである。(この写真は16日に撮影)
では両者の位置関係をはっきりさせるために、鉄北ショッピングセンター入口から入りなおしてみよう。つまり北側から釧路駅方向へ進むわけだ。
入ってすぐ。ショッピングセンターというからには、かつて食料品店や雑貨屋なども入居していたにちがいない。
中間付近。この写真にかぎらず、16日に撮影したものと重なる点はご容赦いただきたいと思う。なにしろ決定版をめざしているものだから(笑)。
おなじみのテレホンクラブが見える。正面奥の出口をくぐれば、例の風格ある壁が待っているはずだけれど、立ち入るのは遠慮しておこう。
テレホンクラブの手前にある東西連絡路。奥に見える看板が鉄北センター西口である。鉄北センター「スナックまゆみ」の看板をご記憶いただきたい。
この連絡路を通る前に、
鉄北ショッピングセンター入口(北口)方向をふり返って見る。
いよいよ連絡路を通って、
鉄北センター北口方向を見る。南側(駅方向)に「炉ばた 十六夜」があることは、16日の記事でご紹介したとおりである。
ここでいったん大通りに出て、このふしぎな路地がいったいどういう構造になっているのか把握してみたい。
ふじくらの裏手につづく(東側)側面はごらんのとおり。駅へ向かってずっとつづいているのが鉄北ショッピングセンター各店舗の裏口である(この写真は16日に撮影)。
地図上で空地とした部分は東横インの第2駐車場になっている(この写真を見直すまで、頭の中では空地ととらえていた。人間の記憶の不確かなることかくのごとし)。
今朝はこちら側から回ってみた。角を曲がれば例の壁があるはず。
JRのパーク・アンド・トレイン駐車場に出る。これでこの一角の構造が明らかになったと思う。各店舗の階上はたぶん住居になっているのだろうが、お住まいになっている方がどれほどいるのかはわからない。
念のため、鉄北センターの西側側面もごらんいただこう。
右手が旅館東荘に当たるけれど、どこまでが東荘に属するのか、またどれほど住人がいらっしゃるのかは不明。謎はまだ残るが、プライバシーに関わる部分だから、これ以上の穿鑿はよしておくことにする。
最後に昨日の記事を読む上でご参考にしていただくため、鉄北ショッピングセンターと釧路駅を東側から撮影した写真を掲載しておく。いずれこの景色を拝めなくなるときもくるだろう。
さてこれで心置きなく最終回へつなぐことができるわけだ。
-こんな一文にもならんことを確認するために、今日もわざわざ出かけたのか? バカだねえ。
-おい、認知症の次はバカ呼ばわりかい。ちっとはほめてくれよ。おれは隠れた文化財を発掘しているんだから(笑)。
Recent Comments