Daily Oregraph: 古い写真をもう一度
1999年2月6日撮影。
さてこの看板だが、一昨日掲載した知人の廃屋にあったものである(2000年撮影の写真をよく見ていただきたい)。廃屋に営繕業者の看板というおもしろさに惹かれて撮ったのだろう。
昨夜からこの頃撮影した写真を見直している。当時はやがて姿を消すであろう古い建物に関心があって、膨大な数の写真が残っているけれど、惜しいかな、記録の仕方が不徹底であった。今となっては正確な場所を特定できないものが少なくないのである。
将来利用することを考慮して記録するのが本筋なのに、むやみにシャッターを切っているだけ。今から整理しようにも情報が不足しているものが多いのだ。もうひとつ、のちに比較することを考えて、あたりの状況を含めて撮影することも大事なポイントだが、その点でも不徹底な写真が多い。
今さら反省しても撮り直しはできないのだが、遅まきながら気づいただけでも立派(?)と考えて自分を慰めることにしよう。
せっかくの機会だから、かつて港町にあった建物をふたつお目にかけたい。
2000年4月13日に撮影した旧海上保安部庁舎。実に味のある建築だったけれど、同年12月に取り壊されてしまった。文化財としてきちんと保存しておけば観光名所になったものを……
上の写真は以前にも掲載したものだが、本日撮影したものと比較してごらんいただきたい。
現在ここには釧路機船漁業協同組合の建物が立っている。変らないのは雨降りのあとの道路の水はけの悪さだけで、建物の存在感は比べるべくもない。
通船の待合所といっても、一般市民になじみはないだろうと思うが、昔はずいぶんお世話になったものである。港内や港外に錨泊する本船まで船員や船客を送り迎えするボートが通船である。
こちらが本日撮影したもの。がらんとした空間が残っているだけである。
通船事業そのものは廃止になったわけではなく、今でも小さなプレバブの待合所があるけれど、歓楽街に出かける船員相手の定期通船は事実上消滅したのではないだろうか。
しばらくは古い写真をチェックして、新旧比較できるものがあれば、いずれまた取り上げてみたい。
Comments
私の回りにも失われてもう目にする事が出来ない風景が沢山有ります。
最近の記事に書いております渓谷の道中に廃鉱となった鉱山町があって、今も多少人が住んでおられるにしてもポカンと空いた穴みたいな空気感があって、ガラにもなく切なくなったりしています。
最近は近代化遺産にも目が向けられていますが、もう少し新しいけど残しといたら良いのになぁ…という建物は壊される一方です。
なのでお乗せになってる建物の写真は皆、私の心に突き刺さりましたねぇ…。
でも写真で残してもらえるだけ幸せなのかも知れません。
Posted by: Nori | November 10, 2015 15:16
>Noriさん
古い建物が取り壊されるのは、もちろん仕方のないことなのですが、それに代る新しい建築物があまりにも無趣味だから悲しいわけです。懐古趣味として一笑に付すわけにはいかないような気がいたします。
廃鉱にはまた独特の雰囲気がありますね。大勢の人々が暮らしていた町がひとつ、忽然として消えてしまうわけですから。なんとなく人類の未来を暗示しているような……
Posted by: 薄氷堂 | November 10, 2015 17:05