
これは once upon a time 倉庫を整理したときにみつけた逸品(?)。捨てられる運命にあったのだが、なんとなく気になったので勝手に頂戴したものである。
お宝といえるのかどうか(笑)、値段がつくかどうかもあやしいものだが、今となっては珍品といえるだろう。
横浜から小樽へ向けた託送品の荷札ではないかと推定するのだが、自信はない。時期は昭和30年代と推定すべき根拠があるので、MALAY MARU(馬来丸)について調べてみた。
推定時期から見て、1956(昭和31)年7月7日竣工の八馬汽船「馬来丸」(7.513総トン)だと思う。釧路に寄港した裏付けとしては、『三ツ輪運輸五十五年史』に下記の記述がある。
川崎汽船は、北米太平洋岸・加州・ガルフ船として(昭和31年)8月に「和州丸」を、日本郵船は、北米太平洋岸・加州航路として「馬来丸」を配船した。(p. 183)
同書にはまた、本船の釧路港における積荷はインチ材 49トン、合板 755トン、11月4日に当港を出港し、揚地は Longview, San Francisco およびLos Angeles だったと記されている(p. 185)。
もしこの船にちがいなければ、日本郵船は新造船を投入したことになる。北米航路なら、たぶん釧路が国内最終港だったのだろう。
しかしやはり同書にある昭和32年の実績表に馬来丸の名はなく、
日本郵船は、31年11月に「馬来丸」で始めた北太平洋岸・加州線を35年以降中止し、36年5月よりロスアンゼルス経由の中南米西岸船を寄港させ、更に37年4月から「有田丸」を第1船として加州・ニューヨーク線を開始した。(p. 187)
残念ながら、昭和33~34年の入港船については一々明記されていないため、馬来丸が釧路港に何度寄港したのかは不明である。一度だけなら写真の荷札は昭和31年のもの、複数回なら昭和31~34年のものということになるだろう。
現在釧路港からの北米定期航路は絶えて久しい。また今どき貨物船にパーサー(事務長)が乗っているとは聞いたこともないから、まるで夢のような話である。
いずれにしても半世紀以上前の荷札であるらしい。あなたならいくらの値をつけるだろうか?
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