Daily Oregraph: 信仰薄きものなれど
ぼくは神仏を頼まぬ不信心者ではあるが、お盆という習慣の力は侮りがたく、母を連れて、朝一番でお寺に行ってきた。こんなバチあたりな男でも、敗戦の日には死者に思いをいたすものである。
ことばは飛び立っても心は地にとどまる。
心のこもらぬことばはとても天には届かぬ。
-『ハムレット』第三幕第三場より
首相談話なるものを読んでみたら、あれれ、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」のだそうだ。時代錯誤のウルトラ好戦派だと思っていたら、いったいどうしたのだろう。心にもないことをいうからには、彼自身ではなく、損得勘定をしただれかの強い意志が働いているにちがいない。
つづいて「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」といったのはえらい。日本もアメリカの属国支配から訣別し、占領軍(実質はそうだろう)の基地を取り上げて、「(美しい)日本を取りもどす」覚悟とみえる。それなら左も右もなく、沖縄県民はもとより、多くの国民が歓迎するにちがいない。え、ちがうの?
さらに「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し……」なんだそうである。よくもまあぬけぬけと歯の浮くようなことを、いや失礼、立派だなあ。
いつも申上げるように、ぼくだってあまり政治向きの話はしたくない。しかし国民の自由や人権をそこなう無茶苦茶な法案を成立させようというのだから黙視できない。主権在民の憲法のもとでは「民益」に反する行為はゆるされないからだ。まして知性も徳も欠如した一人物の愚かな「確信」になど一文の値打もない。いまは人に嫌われてもいいから態度をはっきり表明すべきときだと思うのである。
世に完璧なものなどあるはずもなく、現憲法だって完全なものとはいえないだろう。絵に描いた餅みたいな条文もないではない。しかし大日本帝国憲法よりはるかにマシであることはまちがいないし、戦争屋の策謀に対する一定の歯止めとして機能していることは否定できないと思う。
憲法の規定に従って議員になった連中が、ほかならぬ憲法自体を無視するようでは、資格なしといわれてもしょうがないだろう。最高法規をないがしろにしておきながら、次々と悪法をこしらえて、国民にそれらを守れというのは道理が通らない。
戦後最低最悪のトンデモ内閣を打倒せよという運動が、必ずしも立場を同じくしない広範な人々の間に澎湃としてわき起こったことを歓迎したい。とにかくこのまま内閣に暴走されては、国内外を問わず、先の戦争で命を奪われた多くの人々が浮かばれない……そう考えるのは人間として自然の情だと思うのである。
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