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November 21, 2014

Kyotorogy 2014: 大垣ワンダーランド (3)

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 つづいて麦穂亭が案内してくれたのはこのお寺。一見ごくふつうの寺院のようだが、さにあらず、「へえ、こんな場所に」と驚くこと請け合いである。

 非力な車では無理ではないかと疑われるほどの急な山道を上った先に金生山明星輪寺(みょうじょうりんじ)はあった。

 麦穂亭は山のふもとに車を停めて、ときどきこの急坂を歩いて登るのだという。くやしいけれど(笑)、ぼくにはそんな気力体力はとてもないから、ちょっと見直してしまった。

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 眺望絶佳、記憶ちがいでなければ、正面に見えるのは斎藤道三の居城のあった山である。

 途中「こくぞうさん」の文字が見えたので、仏教には疎いぼくにも虚空蔵菩薩のことであろうと見当がついた。

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 なるほど役小角の選びそうな修行の山である。観光客がぞろぞろ歩いて登るようなところではない。昔は食料・日用品を運ぶのも大変だったはずである。

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 奇岩の岩肌には観音像や牛・虎が刻まれていたが、この山では石灰岩の採掘が行われており、一部が無残な姿をさらしていた。つまりこのお寺がなければ、山ひとつそっくり消滅する可能性もあるわけだ。

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 金剛力士像、いわゆる仁王さん。ここでは金網を張っていないから、表情がよくわかる。とにかく寺院にしては万事開放的なことは驚くばかりだ。

 日本三大虚空蔵の一つとして知られ、かつて好景気の頃は信じられないほど多数の参拝客があったと聞く。しかし京都あたりの有名観光寺院とはちがって拝観料を取らず、しかもだれでも気軽にご本尊を拝めるのである。

 麦穂亭は顔なじみらしいお坊さんと挨拶を交わして、ご本尊の安置されている岩窟へ向かう。ぼくもそれにならってご挨拶すると、お坊さんも「こんにちは」とおっしゃる。

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 岩窟前には仏像が何体か、一見無造作に置かれていた。お坊さんのごく自然な立居振舞もそうだが、このお寺からは全体に無欲恬淡という印象を受けた。

 ご本尊の虚空蔵菩薩は目を皿のようにして見ても仏像とは見えなかった。ふしぎでならなかったが、あれこれ検索してみたところ、どうも背後の岩肌そのものがご本尊らしい。それはそれで奇妙不可思議である。

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 わずかばかりのお賽銭を上げてから山内を一回りした。町中の寺院とはちがって、ここは一種の自然保護地区といってよいだろう。あちこちにお堂やら五輪塔などが散在する小径を散歩するのは心地よかった。

 これほどのお寺にしては、麦穂亭によれば、存在を知らぬ市民が多いらしい。あるとき知人を案内したら、「あなた、こういう場所をよくご存じですなあ」と感心されたという。市民にしてそうなのだから、ぼくが感心したことは申し上げるまでもない。

 明星輪寺をあとにしたときはもう夕方に近かったから、さすがに気の毒に思い遠慮したのだが、麦穂亭はぜひとも南宮大社に案内するといってきかない。

 御首神社だけを見物してブログに将門の首の話を書くわけにはいかないでしょう、というのである。矢の発射地点、標的、落下地点の三要素がそろって、はじめてこの話は成立するというわけだ。

 そのかわり、南宮大社から米原駅まで送ってあげましょう、というから好意に甘えることにした。

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 大社というだけあって、南宮大社は堂々たる構えの神社であった。現存するのは江戸時代初期の建築で、本殿以下18棟は重要文化財に指定されているという。

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 境内を見渡すと、建物はすべて整然と配置され一分の隙もない。それだけに神社というよりも官衙に近いという印象を受けた。

 御首神社で感じた庶民性はここにはなさそうだ。首を射落とされた謀反人の側と、体制護持のために矢を放った側とのちがいであろうか。正直いって、この大社はぼくには居心地がよくなかった。ぼくがしょせん首を落とされる側の人間だからであろう。

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 米原駅へ向かう車中から夕焼けを見る。

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 一日中つきあってくれた麦穂亭に心からお礼をいって、米原駅で別れを告げる。ほんとうにありがとう。

 生きていればいいこともあるものだ。一生訪れることなどあるまいと思っていた大垣を、奇人麦穂亭に案内してもらうことができるとは、まさに人生なにがあるかわからない。

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 京都帰着19時10分。

 京都はふしぎな町だが、大垣もまた驚きに満ちていた。日本は広い。まだまだ知らないことだらけである。

 余命いくばくもないけれど、この先さらに驚きが待ち構えているかもしれない……というのは、ちょいと図々しいか?

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Comments

平将門に役行者ですか・・・
どちらも一筋縄ではいきそうもないお二人にゆかりの寺社があるとは・・・
そんな伝承があるだけでも、ミステリアス(良く言えば)な、胡散臭い(悪く言えば)・・・そんな街ですね。

京都から1140円にで行けるもなれば、奈良からはちょいと頑張れば日帰り、ゆっくりしても一泊二日・・・ううむ、射程圏内ですなあ・・・

Posted by: 三友亭主人 | November 21, 2014 at 21:22

>三友亭さん

 今回は麦穂亭がぼくの趣味に合わせてくれたものですから(笑)、一風変わった場所ばかりご紹介することになってしまいました。そのため、いささか偏った印象を与えてしまったかもしれません。

 大垣市の名誉のために付け加えますと、この町は岐阜県の産業経済における雄ともいうべき実力派の都市なのです。

 それにしても例の「関ヶ原から東は東えびす」という京都人のことばや、将門の首が美濃で射落とされたという伝説を考えるにつけ、京都の朝廷と美濃国との関係について、あらためて興味が湧いてきました。

 なお米原京都間の運賃は1,140円ですが、京都大垣間ですと1,940円です。麦穂亭は貧しい先輩のために一回分の食費を浮かせてくれたわけです(笑)。

Posted by: 薄氷堂 | November 21, 2014 at 22:31

お久しぶりです。暫くぶりにゆっくりお訪ねしてみれば、なな、なんとわが故郷を薄氷堂様がご来訪!ああ、めでたや、めでたや…
御首神社は小学校の遠足で参りました。平将門のこともよく知らないほんの子供のころでした。ずいぶん遠かったことと、帽子がいっぱいおさめてあったことは印象深く心に残っています。
虚空蔵さんもよく聞いた名前ですが、まだ詣でたことがありません。神社仏閣めぐりが大好きな近頃なら、まず一番に出かけていたことと思われます。
美濃は歴史のキーポイントとよく言われます。
倭建命は伊吹山中で猪に襲われた傷がもとで、その後南下した三重県多気で身罷ったといわれています。
天武帝は美濃の豪族の力を後ろ盾に兵を挙げたとも。
信長が美濃を制して、稲葉山城下を岐阜と名付けたことも興味深いことです。そこを起点にいくつもの道が岐(わか)れ行く阜(おか)です。
ところで「関ヶ原から東は東えびす」について、ふと思ったことですが、関ヶ原までは関西方言です。しかし、南宮大社のある垂井からは殆ど関西方言の要素がありません。また、アクセントの境はには揖斐川ラインといわれています。京の人々には馴染めない言葉を話す人々の住むところであったのは確かですね。
ところで、京都の丑寅の方角は白山だそうです。岐阜、石川、福井の県境にそびえる霊峰がそのまま、京都の鬼門の守りになっているとか。都人の安寧を岐阜が誇る白山の姫が握っていたかと思うと、ちょっと愉快な気持ちになりました。

Posted by: 聖母の鏡 | November 26, 2014 at 01:30

>聖母の鏡さん

 大垣を見物できるとは思ってもいませんでした。長生きはするものです。養老の滝で温泉につかることもできたので、憎まれっ子なんとやら、もうちょっと長生きできるかもしれません。

 御首神社と将門の首伝説には驚きました。まさに日本は広いし、まだまだ知らないことだらけだと痛感しました。

> 虚空蔵さんもよく聞いた名前ですが、まだ詣でたことがありません。

 まちがいなく一見の価値はあると思います。ただし山の上ですから、お車で行かれたほうがいいでしょう。

 ご本尊はやはり仏像ではなく岩壁だそうで、大変神秘的な感じがいたします。

> 南宮大社のある垂井からは殆ど関西方言の要素がありません

 麦穂亭君のことばがまた独特で、京都暮らしの影響もあるのか、関西風のことばがときたま混じっていながら、アクセントは関西弁ともちがい、とてもぼくにはマネできません(笑)。

 南宮大社の神様が将門の首を射落としたという伝説から考えても、美濃国は朝廷の重要な防衛拠点のひとつだったのでしょうね。

Posted by: 薄氷堂 | November 26, 2014 at 13:48

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