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November 30, 2014

Kyotorogy 2014: 清水寺素通り (2)

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 清閑寺境内はさほど広くはなく、こじんまりした印象を受ける。苔むした庭といい、全体に「清閑」というにふさわしい雰囲気で、修学旅行のガキども(失礼)が荒らすべき場所ではない。

 見物客はだれもいないと思ったら、先客のおじさんをひとりだけみかけたけれど、いつの間にか静かに去っていったようだ。

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 長い話を短くするために(笑)、まずは上の説明文をお読みいただきたい。なるほどそういういわれがあったのか。まことに気の毒な話である。

 高倉天皇の恋路をじゃました清盛は、馬に蹴られこそしなかったが、結局バチがあたって熱病にかかり、悶死してしまったわけだ。

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 これが要石である。磐座神社の親戚のようにも思われる。境内は狭くとも、ここからの眺望はすばらしい。

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 この景色を拝めるだけでも、清閑寺を訪れる価値はあると思う。こうして見ると京都も平凡な大都会と化してしまったけれど、千年の昔にはどんな町並みが見渡せたのだろうか。

 月夜の晩にでもこの場所に来て一杯やったらさぞ愉快だろうと思ったけれど、山門の掲示には「境内での食事は固く禁じます」とあるから、ぼくと同じことを考える人は多いらしい。

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 鐘撞堂前の石碑によれば、ここで西郷隆盛と月照(清水寺成就院住職)が王政復古の謀議をしたらしい。とすれば、月照さんはぼくと同じコースをたどって清閑寺までやって来たのだろう。

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 清閑寺の石段を下ると天智天皇陵参道の道標があったけれど、キリがないから逆の方向へ向かい、五条通りのアンダーパスをくぐる。

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 間もなく山王神社前へ。「村社」とあるが、村というのはかつての清閑寺村を指すらしい。

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 散歩の途中でこういう地元密着型神社に出くわすと、有名観光寺社巡りとはまたちがったおもしろさを味わうことができる。

 さてここまでは地図で自分のたどったコースを再現できたのだが、

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このあとどこをどう歩いて京都女子大の短期大学部前を通過したものか、どうしてもわからない。地図を見れば見るほど不自然なコースなのである。女子大の引力であろうか。

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 知らぬ間に東大路に出ていたので、たった今通ってきた馬町商店会方面を撮影。

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 東大路通りを北上するとすぐに東山五条。つまりいったん離れた五条通りにまた戻ってきたことになる。

 次回は東山区の裏通りを行く。

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November 29, 2014

Kyotorogy 2014: 清水寺素通り (1)

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 2014年10月15日。ミニ同窓会の翌朝、上天気に誘われて、ぼくは清水寺の参道を上っていた。

 さすがは清水寺、朝の九時半からこの人出である。

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 修学旅行生の記念写真撮影。ああ、おれにもこんなはずかしい過去があったのだ(笑)。

 もちろん観光客でごった返すお寺ではなく、道をそれて子安塔へ向かう。

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 はてな、道を間違えたかな? 一瞬そう感じたのは、ぼくのイメージしていた塔とはあまりにもちがいすぎたからである。

 念のため確認したところ、2009年から改修工事が行われたのだという。この様子から見て、工事が完了したのは最近であろう。

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 こちらが2002年9月21日撮影の写真。まるで別物である。たまげたねえ。改修後の姿は老婆がいっぺんに若返ったようなものだ。

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 実はぼくの目的は五条通方面へ抜ける山道にあった。観光客はいないし、ここはまことに気持のいい散策路なのである。しかしこのコースを取ると、山を下ってからかなりの距離を歩く覚悟が必要だから念のため。

 このたび歩いていてどうもしっくりこなかったのは、写真の右手に見える緑の金網のせいではないかと思う。12年前にはなかったように思うのだ。

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 ご参考までに高台寺山国有林散策マップの一部を掲載しておく。「現在地」に至る淡い赤線はぼくが施したものである。

 時間と気力体力に恵まれた方は山頂まで登るのも一興であろう。

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 六條天皇陵・高倉天皇陵参道とあるので、ちょっと寄り道していくことにした。

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 なかなか趣のある道であったが、この少し先で大きな蜘蛛の巣が道をふさいでいた。並の大きさではない。道ばたに落ちていた大きな枯枝を拾って何度か巣を払い、やっと通れるようになった。

 つまりしばらくだれも訪れていなかったのだ。なんだか二人の天皇が気の毒になる。

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 清閑寺陵。二人とも薄幸の天皇であったが、陵はまことにすばらしい場所にある。

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 すぐ近くにある清閑寺も天皇陵同様このたび初めて目にした。どうしようかと迷いながら山門へ向かう。

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 歌乃中山という風変わりな山号にも興味を感じたけれど、拝観料はお一人百円から、勝手に賽銭箱に入れてお入りなさいというところが、へそ曲がりの男には気に入った。境内に人影の見あたらぬところもうれしい。

 次回へつづく。

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November 28, 2014

Kyotorogy 2014: 三人同窓会 後編

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 河原町三条から丸善が姿を消した今、喫茶店六曜社は貴重な存在である。なつかしいなあ、というので入ることにした。

 ぼくは六曜社よりも、通りの向こう側の(たしか)クローバーという目立たぬ喫茶店をよく利用したのだが、そのお店はとっくに姿を消した。丸善で買ったばかりの本を広げてインクの匂いを嗅ぎながらコーヒーを飲むのは、月に一度の贅沢であった。

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 凝ったデザインのカップにコーヒーがたっぷり。これからどうしようか相談したのだが、今さら観光名所でもあるまいから、結局は無方針のまま歩こうというということになる。

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 足が三条大橋に向いたのは、まあ自然の流れだったと思う。T君だったかI君だったかは忘れたが、橋の近くで風変わりなお店を発見し、あそこはなんだろうね? という。

 竹箒や刷毛、それに亀の子ダワシらしきものが並んでいるけれど、屋号も看板も見あたらない。昭和どころか大正風の雰囲気が漂い、一種超然たる趣さえ感じたのは、さすが京都の貫禄であろうかと、三人ともむやみに感心する。

 いままでどうして気づかなかったものか、とにかく一見の価値あり。

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 三条大橋を渡る。

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 鴨川はやはり水量が多く、少し濁っているようだ。

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 三条大橋を渡ってしばらく行くと、以前ご紹介した路地がある。路地の手前の居酒屋はT君にとっては思い出のお店らしい。そんならあとでここに来ようと決めて、さらに前進。

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 路地の南側には市営住宅の建ち並ぶ地区があり、昔なにがあったのかは知らないけれど、I君はやたらこの一帯に詳しく、公衆トイレの場所まで把握していた。

 一同トイレをすませてから、祇園方面へ向かって南下。

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 めざといT君のみつけたふしぎな広告。80年前に東京大学高橋教授の開発したオパールと、110年の信頼を誇るヘチマコロンの対決である。こういう発見こそ京都市内散歩の醍醐味だろう。

 この日二度目の通訳を勤めたのはこのあたりであったか。母娘らしき白人観光客が地図とにらめっこしているのを目にした二人は、おい助けてやれよ、そうだ君の出番だ、などと無責任なことをいう。二人とも専攻は歴史だから、至って気楽な顔をしている。

 そういわれたって、ぼくにこのへんを案内できるわけがない(笑)。それでもあちこちで道をたずねながら、やっと目的の居酒屋をみつけたのは上出来であった。開店までにはまだ時間があるので、「六時まで待たなくちゃいけませんよ」というと、「パーフェクト。場所がわかったから、それまで時間をつぶすので大丈夫よ」というわけで任務終了。冷汗をかいてしまった。

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 ぼくたち三人組は六時まで待たずに、さきほど決めた居酒屋へ入店。T君はかつてバイト帰りにここによく寄ったのだという。なつかしいお店の健在だったことが、よほどうれしかったらしい。

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 -おい、これはなんの刺身だい?

 ふたりともぼくに軽蔑の視線を向けて、なんたる田舎者であろうかという顔をするのには参った。なんとか貝だと教えてくれたけれど、酔っ払っているうちに忘れてしまったのは悲しい。

 T君やぼくとはちがって、I君は最初からしまいまでサッポロビールをぐいぐいやる。彼はサッポロびいきなのである(えらい!)。ぼくもお相伴して、ひさしぶりにサッポロのラガーを味わった。

 I君とは大阪でつもる話をしたので、ここではもっぱらT君の話に耳を傾けた。人間何十年も生きるというのはそうたやすいことではない。お互いにそれなりの苦労はあったし、いまも苦労はつきないわけで、ちょっとしんみりした気分になる。

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 T君がおかみさんから撮影許可をいただいたので、ぼくも便乗して一枚。40年前にT君が通った頃、彼は美青年、おかみさんは若い娘さんだったのである。

 聞けばバイト君二人は大学の後輩とか。そうか、君たちも元気でやれよ、とえらそうなことを言い残して、酔っ払い三人はふたたび夜の町へ。

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 このあとどこへ行こうか散々迷ったあげく、

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結局四条河原町近くのビアレストランで二次会とあいなった。

 酔っ払いのくせに、このお店では文学や歴史などについて、なんだかむずかしい話をしたように記憶している。二人ともずいぶん本を読み、勉強を怠っていないのにはおおいに感心した。立派な友人を持てたことを誇りに思う一方で、一番バカなのはおれじゃないかと反省もさせられたのであった。

 そのバカを、二人は高島屋前のバス停近くまで送ってくれた。どうもありがとう、二人とも元気なうちにきっと釧路に来るんだぞ。

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November 27, 2014

Kyotorogy 2014: 三人同窓会 前編

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 2014年10月14日、京都駅に集合した三人は三重の住人T君の車に乗って、まずは上賀茂神社へと向かった。

 いわばミニ同窓会だから、さしさわりのない写真だけを並べるにとどめておいた。例によって散歩気分だけでも味わっていただければ幸いである。

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 境内を一回りしてから、「絶景 この上市内が一望できます」という文句につられ、二葉姫稲荷神社の鳥居をくぐる。上賀茂神社には何度も来たぼくだが、まだこの坂は上ったことがない。

 三重県から車を飛ばしてきたT君は、かつて目のクリクリした長髪の美青年であった。ぼくは勝手に「男爵」というあだ名をつけたことがある。たとえ落ちぶれて貧乏になっても、貴族たる気品は隠しようもなかったからである。歳月がその美青年をどう変えたかは、武士の情け(笑)、ここではいうまい。

 大阪のI君はチャンチャンコ姿。十月も半ば、京都もやっと少し涼しくなった証拠なのだが、とんとゲゲゲの鬼太郎である。

 三人のうち出世頭はT君であって、さすがは元貴族、なんと今や自治会長だというから、世が世であれば関白太政大臣、位人臣を極めるとはたいしたものだ。

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 二葉姫稲荷神社は、その場所から考えて、上賀茂神社の末社か摂社だろうと思ったら、そうではなかった。廃仏毀釈によって絶えた神宮寺というお寺の鎮守なのだという。創建年代は不明だが、かなり古い神社であるらしい。

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 こちらは二葉姫稲荷神社の末社金毘羅宮。神社というのは実に複雑怪奇で、互いの関係がどうなっているのか理解しにくい。

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 同じく末社の光善稲荷大明神。粗末なお堂(?)から判断すると、あまり大切にされていないようである。I君は「こりゃあ、しょぼいね」と失礼千万なことをいう。バチが当たらねばよいけれど。

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 -おい、これが市内一望の絶景かい?

 -この山の上に登るんだよ。ぼくは登ったことがある。

 そう答えたのは、この一帯を知りつくしたT君である。彼はみかけによらず剛胆な男で、あるときぼくたちを誘って真夜中の上賀茂神社を巡ったことがある。ぼくたちがおっかなびっくりついていくのを尻目に、T君が漆黒の闇の中をドンドン先へいくのには驚いた。 光善稲荷大明神の生れ変わりかもしれない。

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 二葉姫稲荷神社はこちら側からお参りしたほうがいいと思う。鳥居の向こうの暗がりになんともいえぬ神秘性が漂っている。

 世界遺産もいいけれど、こういうマイナーな神社にもまた味がある。京都見物の折にはぜひ。

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 上賀茂の路地。路地マニアはいつでも四方八方に目を配らねばならないのだ。

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 柿なんぞを珍しがるところは北海道の田舎者丸出しで、同行の二人はちっとも関心を示さなかった。

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 無駄話をしながら歩いているうちに、ふたたび上賀茂神社の前へ出る。このあたりはかつての散歩コースである。前日通過した台風による雨のせいで、明神川の水は濁流と化していた。

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 いったん上賀茂神社を離れ、御薗橋を渡ることにした。昔住んでいた建物を確認しようという趣向である。

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 建物は健在であった。三人のうちではぼくがもっとも長くここに住んでいたから、今でも夢に見ることがある。

 -三畳押入れなし。狭くて暑くて、とにかくひどい部屋だったよなあ。

 思わず愚痴が出たけれど、ぼくの部屋を見て独房と評した人さえいたのである。しかしいくら40年以上も昔だって、家賃五千円では文句をつけるほうがどうかしているのかもしれない。

 かの美濃国の住人麦穂亭もかつてここに住んだことがあるとはちょっと信じにくいが、ぼくは彼の残してくれた畳をもらい受けたことを覚えている。そういえば、飲み手のいなかった泡盛の一升瓶をくれたこともあったっけ(笑)。

 現在では部屋の広さは倍になったらしく、どの部屋にもエアコンの室外機が見える。どうやら今の住人は京都産業大学の学生諸君らしい。

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 このあとでランチを食べに近くのしゃれた定食屋へ寄ると、日本語の微妙に通じるような通じないような白人のおじさんが一人入ってきた。たぶんろくに通じないだろうと踏んだI君は、どうも観光客らしくないし、インテリくさいから産大の講師であろうと勝手に推理を下す。

 ライスとお茶はセルフサービスのお店だから、君がヘルプしてやれ、と二人がいうのには閉口した。やむなく元劣等生がボーイを勤めたのだが、このあと別の場所でもう一度通訳をやらされる羽目になったのは何の因果であろうか。

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 食事を終えてふたたび御薗橋を渡ると、少し青空が見えてきた。やはり賀茂川は少し増水しているようだ。

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 上賀茂をあとにして、T君の予約したホテルの駐車場へ移動し、錦市場から新京極あたりをぶらぶらと歩く。

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 新京極では八千代館跡なんぞを見物してから、三人はなおも町をさまようのであった。

 大阪ではかなり歩いたが、この日もとにかく歩いた。オヤジ三人そろって元気なのはめでたいことである。

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November 26, 2014

Kyotorogy 2014: 十三徘徊 (4)

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 通天閣前の新世界市場。名物のコロッケで観光客にアピールしているのだが……

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意外にもシャッターの閉まったお店が多く、人影もまばらである。地元密着型の地味な商店がほとんどのようだから、あまり観光客受けせぬまま、昔からの顧客が減少してしまったのであろうか。規模が小さいこともあるにせよ、十三の商店街とのちがいには驚いた。

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 しかし一歩外へ出ると、このとおり観光客であふれ返っている。

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 とにかく串かつ屋が多い。乱立といってもいいくらいである。

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 この一帯は全体に派手で活気に満ちている。かといって新世界市場が串かつ屋だらけなっては困る地域住民だっているにちがいないし、世の中むずかしいものだなあ……と、つい見物客の分際で余計な心配をした次第である。

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 サンパツ700円! 実は今朝なじみの床屋さんへ行ったので、その話をしたら、たぶん一人頭10分少々ですませるのだろうが、それでは重労働だから長く商売を続けるのは大変だし、みんながそんな料金でやり出したら、われわれは自滅ですよ、とおっしゃる。

 そりゃそうだろうなあ。職人さんの手間を考えれば、なんでも安ければいいというものではない。まったくたまげた話である。

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 たまげたといえば、この金ピカの巨大なビリケンもそうだ。よくもまあ考えついたものだと思う。

 OEDによれば、ビリケン(billiken)は 'A small, squat, smiling figure used as a mascot. ' である。語源はたぶんという前置きがついて、'billy + -kin' (ちっちゃなビリー。ビリーには、仲間、友だちの意味もあり)となっているが、これは全然 small ではなく、もはやあっぱれとしか言葉が出ない(笑)。

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 立ち飲み屋の店先。う~ん、昼間から一杯というのも悪くはない。悪くはないのだが、いくら安くたってさすがに 700円ではすむまいから、それほどの余裕があるなら散髪代もうちっと奮発したりいな、といいたい気もする。

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 やがて動物園前へ。

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 チンチン電車が来るから撮れ、撮れ、といわれたので、すなおに一枚。どうやらぼくの行動を観察していたI君は、この男ならなんでも撮るだろうと判断して教えてくれたらしい。

 どこの電車かわからなかったが、さきほど地図を確認したら、阪堺電軌阪堺線。

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 動物園前から地下鉄に乗って梅田へ。梅田駅とJR大阪駅が隣接しているのは、旅行者としてはどうも納得がいかない。一体どっちなのかハッキリしてくれ。

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 大阪駅でI君の用事をすませて十三に戻ったときには日が暮れていた。どこにもピントが合っていないけれど、大阪ではなにが起こってもふしぎではなく、なぜかもう一枚ピントの合った写真より気に入ったので掲載しておく。

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 ションベン横丁近くの焼肉屋で一杯。このたびはご馳走になりっぱなしであった。知る人ぞ知るお店らしく味は上々、元気のいい従業員のおねえさんとの話も愉快であった。

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 そのおねえさんが記念写真を撮ってくれた。シャッターを切った彼女は、ふたりとも同じ格好やからおもろないという。

 まさか意識したわけではないのだが、なるほどあとで写真を見ると、まるで同じポーズであった。おじさん二人、なんとなく顔まで似ているようだ。もちろん二人とも賢そうな顔立ちだけれど(笑)……だれがタダで見せますかいな。

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 かくして一泊二日の大阪見物は終わりを告げた。そうだなあ、一言でいえば、大阪はビックリの町というところだろうか。

 市内を十分に見物するには数週間は欲しいと思った。動物園前あたりの安いホテルなら貧乏人でも長期滞在できそうだが、たぶんそんなチャンスは来ないだろう。

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November 25, 2014

Kyotorogy 2014: 十三徘徊 (3)

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 案内人の存在は大変ありがたいけれど、どこをどう歩いているのかわからぬところが情けない。たしか地下鉄なんば駅で下車し、あちこち寄り道しながら歩いたように記憶しているが、今ごろになって地図を見てもコースを復元できないのは残念である。

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 頼りになるのは写真だけである。千日前中央通りから黒門市場……はまちがいない(笑)。

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 これは黒門市場だろう。

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 日本橋の「日」の字が見えるから、このあたりで日本橋にたどり着いたのだと思う。本なんぞ売っ払って町を散歩しろ、という文句は気が利いている。しかし散歩、昼飯、映画はともかく、恋愛はちとむずかしい。

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 たどり着いたのはいいが、日本橋はすっかり様変わりしていて、昔々のおぼろげなる記憶とはてんで一致しない。唯一覚えがあったのは高島屋別館だけであった。

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 メイド喫茶のおねえさんも立っているし、まるで別世界に来たような気分になる。

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 今やパソコン、ケータイ、そしてDVDなどが主力商品らしい。

 このあとオーディオ店も いくつか冷やかしてみたが、ラックスの真空管プリメインアンプが37万円というのにはビックリした。もちろん手頃な値段のアンプもみかけたけれど、どうもオーディオは安物と超高級品に二極分化し、かつてほどの勢いがみられないという印象を受けた。

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 この建物には記憶がないけれど、40年前にはずいぶんうろつき回ったから、たぶん目にしていたのであろう。この日は散歩が主目的だったし、音楽好きの I君はオーディオ製品以外にはあまり興味がなさそうだったから、中へは入らなかった。

 五階建てではないのに五階というのには子細があって、Wikipedia の記事を読んでも、複雑すぎてよく飲み込めない。なんでも五階百貨店というのは「地域名」なのだそうである。ようわかりまへん。

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 やはりこういう専門店を見ると日本橋という感じがする。しかし 残念ながら、昔見かけたジャンク屋や抵抗・コンデンサ専門のお店などは見つからなかったので、もう少し歩こうかとも思ったが、

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通天閣を目にした以上、せっかく大阪まで来たのだから、お上りさんらしく新世界へ向かうことにした。

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November 24, 2014

Kyotorogy 2014: 十三徘徊 (2)

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 2014年10月7日。一夜明けて、I君は二日酔いで顔色が冴えないけれど、ぼくは alive and kicking、ピンピンしている。日頃の鍛錬のたまものであろう。

 彼はコインランドリーでたまった洗濯をしてくるというから、ぼくはその間散歩をすることにした。まずはあらためてションベン横丁を見物しようと駅前へ向かう。

 へえ、十三だからトミーか(笑)。小便小僧はションベン横丁の縁であろうか?

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 ションベン横丁では今年の三月に火災があったらしく、現在もなお復興中と聞く。道理で焼け焦げた跡もあれば、あちこちに工事中のシートも目立つわけだ。

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 酒場のメニューがおもしろい。ポパイ炒めとはほうれん草の炒め物であろうか? 油はオリーブだな。

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 このあと方向を転じて淀川を見に行く。

 阪急の電車がひっきりなしに川を渡っていた。右手にちょっと見えるのは十三大橋である。橋の向こうはつまらなさそうだったから、すぐに引き返すことにした。

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 十三のフェルメール。トミータウンの小便小僧もそうだが、人目を引くことにかけては、大阪人には特別の才能があるらしい。

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 つづいては十三フレンドリー商店街。ぼくにとって旅先でのなによりの楽しみは、路地裏、神社、そして商店街なのである。

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 ここはかなりの規模の商店街で、人出も多く繁盛していた。最近の地方都市ではこうはいくまい。

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 おばちゃんたちの足はやはり自転車。

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 八百屋さんの店先の写真は50年もたてば立派な歴史資料になるから、みなさまにもぜひお撮りになるよう勧めたい。

 スイカ一切れ100円というのには感心した。値段も手頃だし、持て余さずにすむから、独り暮らしの人には助かるサービスだと思う。

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 商店街は変化に富んでいるから、超大型スーパーの店内をうろつくよりはずっと退屈せずにすむ。一円も使わずにぶらぶら歩きを楽しむとは、なんだか申し訳ないような気もする。

 さていよいよ日本橋へ出かける時間になったようだ。

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November 23, 2014

Kyotorogy 2014: 十三徘徊 (1)

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 2014年10月6日、河原町から阪急の特急に乗って十三駅に到着。この駅で下車するのは初めてである。

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 西改札口を出て、まずは駅前をうろうろ歩く。

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 ここがかの有名なションベン横丁だとは知ったのは一時間後のことである。

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 この一帯のゴチャゴチャ感がたまらない。年がら年中はごめんだが、人間たまにはコッテリしたものを食いたくなるのと一緒である。

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 駅からあまり離れて道に迷ってはいけないから、同じ通りを何度もグルグル回り、

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結局ふたたび駅の真ん前に戻って、「なにわ」という喫茶店に入り、約束した17時まで時間をつぶすことにした。

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 おお、純然たる昭和風の喫茶店ではないか。かなりの老舗らしいが、この時間客はほかにたった一人しかいなかった。

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 飾り気のないカップ・アンド・ソーサーがまたなつかしい。

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 壁に貼られたカレンダーには大阪府警のおねえさんがニッコリ。旅先の喫茶店の隅っこで一人コーヒーを啜っていると、なんだか自分が流れ者の指名手配犯であるような気がしてくる。

 まさか北海道から大阪の十三まで、風に吹かれて流れて来ようとは夢にも思わなかった。

 -なあ、あんた、よくよく事情があったんやろけど、その足で自首したほうがええわ。そのほうが身のためやで。

 おねえさんの忠告にしたがって自首するまでもなく、それから間もなく、ぼくの身柄は十三駅前で淀川署の刑事、いや友人のI君に確保されたのであった。I君との再会は35年ぶりである。

 -まさかおまえに手錠をかけるようなことになるとはなあ……

 -なあに、君の手柄になるんなら本望だよ。

 とまあ、これが映画ならなかなか感動的なシーンになるはずなのだが、男同士というのはごくあっさりしたもので、

 -やあ、しばらくだなあ。

 -すまん、待たせたな。じゃあ、行こうか。

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 途中買い物をすませて、I君は美女多数在籍のエステには目もくれず、スタスタと歩いてゆく。

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 彼の部屋は意外な場所にあった。十三も十三、駅から徒歩数分の路地裏である。こんなところにアパートがあろうとは想像もしなかった。

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 その晩 I君は駅の近くの店で鶏の刺身をごちそうしてくれた。

 さんざん酔っ払った上、部屋でまた飲み直し、夜中過ぎまで硬軟両様の話が尽きなかった。35年も会わずにいれば、いくらでも話すことはあるものだ。

 明日は休みだから、朝の内に用を足してから、日本橋までつきあってやるよ、という次第で次回へつづく。

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November 22, 2014

Kyotorogy 2014: 今どきの学食

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 2014年10月9日、12年ぶりに立命の衣笠キャンパスへ。わざわざ出かけたのにはちゃんと目的があった。いわゆる学食で提供されるうどんの値段がこの40年でどれだけ変化したか……まじめな学術的調査である。マスコミの情報なんぞではわからぬ、きびしい現実が浮かび上がってくるかもしれない。

 昼時は混むだろうから13時になるのをみはからって調査員が到着すると、芝生にはたくさんの学生らしき姿が見えた。ところが近づいてみると、大学生ではなく、みな小中学生らしき年齢のこどもたちである。めいめい弁当を食ったり、魔法瓶から飲み物を飲んだりしている。こんなところまでピクニックに来ているのだろうか?

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 食堂のある存心館地下(通称「存地下」)へ向かうと、やはり小中学生がぞろぞろと建物に入っていく。「教科書販売」って、まさかなあ……(笑)。

 そういえば、キャンパス内にはかつて林立していた立看板も一切見あたらず、小中学校とたいして変わらぬ雰囲気である。大学も去勢されてお利口さんになってしまったのだろうか、などというのはジジイの世迷言だから、どうか無視していただきたい。

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 それでは値段をチェックしてみよう。カッコ内が40年前の値段である。名称が当時と異なるものは、同等のものと比較してある。当時は消費税がなく、現在の値段は税込みだから、そのまま比べられるわけだ。

  かけうどん    172円 (25円) ・・・・・ 6.88倍
  きつねうどん   216円 (40円) ・・・・・ 5.40倍
  かき揚げうどん  259円 (50円) ・・・・・ 5.18倍
  醤油ラーメン   345円 (50円) ・・・・・ 6.90倍(注)

 時の流れとともに値上げされるのはしかたのないことだし、街の食堂よりははるかに安いのだから、まあこんなものか。(注:ラーメンについてはちょっと記憶が曖昧。ただし50円~60円の範囲であったことはまちがいない。また当時のラーメンの麺は世にも奇妙なラーメンもどきだったから、単純比較はむずかしいかもしれない) 

 一見してわかるのは、ラーメンが圧倒的に割高であること。アベノフレーションが猛威をふるっている現在、余計なお世話だけれど(笑)、貧乏人はうどんを食え、といいたい。

 かけうどんが 6.88倍というのは、どうしても納得できない。かき揚げうどんの値上げ率を適用すれば、適正価格は約 130円である。諸事情を考慮しても 150円がいいところであろう。

 学生諸君のためにも、大学生協には再考を求めたいところである。

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 支払いシステムも一変していた。まずカテゴリー別に分れたカウンターで注文の品をトレイに受け取る。ライスを追加したいときは、このあと専門のカウンターに立ち寄ってから、

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レジを通過する際に支払いをすませてテーブルへ向かうわけだ。

 レジの女性は一瞬の内にすべての品を目視して合計金額を算出する。そのすばやいことといったら、いかに熟練の結果とはいえ、まさに神業である。

 なにしろ安いから、近所のおじさんおばさんや、ごらんのとおり小中学生まで、幅広い層の人々が利用している。

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 かき揚げうどん+ライス(Mサイズ)というのが、この日のぼくの昼食。合計 361円也で、腹一杯になった。年を考えれば 825キロカロリーはちと多すぎたかもしれない。

 昼食だからライスはなくてもよかったのだが、値段を知りたくて付け加えたのだ。学術調査とはつらいものである。

 40年前、ライスは丼一杯で 50円。S, M, L というサイズの別はなかったけれど、だいたいMサイズといっていい。してみれば値段は約 2倍だから、米は物価的には優等生のようだ。

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 13時20分になってもこの混雑ぶりである。最近落ち目の外食チェーンよりはずっと繁盛しているのではないだろうか。

 さて京都滞在中のある日、ぼくの夕食は食パンとベーコンエッグにドイツビールの小壜一本で、ざっと計算して合計約280円だったから、もちろん学食よりも安く上げることは可能である(ビールを我慢すれば 100円未満(笑))。

 しかしすぐ近くに大学があれば、平日は毎日のように学食を利用しただろう。孟母の教えにならっていえば、住むべきは大学の近所である。

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 昼飯、いや調査さえすめばもう用はない(笑)。さらば、ここへ来ることはもうないかもしれない。

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November 21, 2014

Kyotorogy 2014: 大垣ワンダーランド (3)

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 つづいて麦穂亭が案内してくれたのはこのお寺。一見ごくふつうの寺院のようだが、さにあらず、「へえ、こんな場所に」と驚くこと請け合いである。

 非力な車では無理ではないかと疑われるほどの急な山道を上った先に金生山明星輪寺(みょうじょうりんじ)はあった。

 麦穂亭は山のふもとに車を停めて、ときどきこの急坂を歩いて登るのだという。くやしいけれど(笑)、ぼくにはそんな気力体力はとてもないから、ちょっと見直してしまった。

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 眺望絶佳、記憶ちがいでなければ、正面に見えるのは斎藤道三の居城のあった山である。

 途中「こくぞうさん」の文字が見えたので、仏教には疎いぼくにも虚空蔵菩薩のことであろうと見当がついた。

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 なるほど役小角の選びそうな修行の山である。観光客がぞろぞろ歩いて登るようなところではない。昔は食料・日用品を運ぶのも大変だったはずである。

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 奇岩の岩肌には観音像や牛・虎が刻まれていたが、この山では石灰岩の採掘が行われており、一部が無残な姿をさらしていた。つまりこのお寺がなければ、山ひとつそっくり消滅する可能性もあるわけだ。

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 金剛力士像、いわゆる仁王さん。ここでは金網を張っていないから、表情がよくわかる。とにかく寺院にしては万事開放的なことは驚くばかりだ。

 日本三大虚空蔵の一つとして知られ、かつて好景気の頃は信じられないほど多数の参拝客があったと聞く。しかし京都あたりの有名観光寺院とはちがって拝観料を取らず、しかもだれでも気軽にご本尊を拝めるのである。

 麦穂亭は顔なじみらしいお坊さんと挨拶を交わして、ご本尊の安置されている岩窟へ向かう。ぼくもそれにならってご挨拶すると、お坊さんも「こんにちは」とおっしゃる。

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 岩窟前には仏像が何体か、一見無造作に置かれていた。お坊さんのごく自然な立居振舞もそうだが、このお寺からは全体に無欲恬淡という印象を受けた。

 ご本尊の虚空蔵菩薩は目を皿のようにして見ても仏像とは見えなかった。ふしぎでならなかったが、あれこれ検索してみたところ、どうも背後の岩肌そのものがご本尊らしい。それはそれで奇妙不可思議である。

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 わずかばかりのお賽銭を上げてから山内を一回りした。町中の寺院とはちがって、ここは一種の自然保護地区といってよいだろう。あちこちにお堂やら五輪塔などが散在する小径を散歩するのは心地よかった。

 これほどのお寺にしては、麦穂亭によれば、存在を知らぬ市民が多いらしい。あるとき知人を案内したら、「あなた、こういう場所をよくご存じですなあ」と感心されたという。市民にしてそうなのだから、ぼくが感心したことは申し上げるまでもない。

 明星輪寺をあとにしたときはもう夕方に近かったから、さすがに気の毒に思い遠慮したのだが、麦穂亭はぜひとも南宮大社に案内するといってきかない。

 御首神社だけを見物してブログに将門の首の話を書くわけにはいかないでしょう、というのである。矢の発射地点、標的、落下地点の三要素がそろって、はじめてこの話は成立するというわけだ。

 そのかわり、南宮大社から米原駅まで送ってあげましょう、というから好意に甘えることにした。

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 大社というだけあって、南宮大社は堂々たる構えの神社であった。現存するのは江戸時代初期の建築で、本殿以下18棟は重要文化財に指定されているという。

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 境内を見渡すと、建物はすべて整然と配置され一分の隙もない。それだけに神社というよりも官衙に近いという印象を受けた。

 御首神社で感じた庶民性はここにはなさそうだ。首を射落とされた謀反人の側と、体制護持のために矢を放った側とのちがいであろうか。正直いって、この大社はぼくには居心地がよくなかった。ぼくがしょせん首を落とされる側の人間だからであろう。

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 米原駅へ向かう車中から夕焼けを見る。

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 一日中つきあってくれた麦穂亭に心からお礼をいって、米原駅で別れを告げる。ほんとうにありがとう。

 生きていればいいこともあるものだ。一生訪れることなどあるまいと思っていた大垣を、奇人麦穂亭に案内してもらうことができるとは、まさに人生なにがあるかわからない。

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 京都帰着19時10分。

 京都はふしぎな町だが、大垣もまた驚きに満ちていた。日本は広い。まだまだ知らないことだらけである。

 余命いくばくもないけれど、この先さらに驚きが待ち構えているかもしれない……というのは、ちょいと図々しいか?

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November 20, 2014

Kyotorogy 2014: 大垣ワンダーランド (2)

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 -あの看板がそうかい?

 御首(みくび)神社とはまたものすごい名である。

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 ガラガラに空いた駐車場に車を停めて鳥居をくぐる。境内は決して広大とはいえないが、そこそこの規模である。

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 拝殿はなかなかの風格で、木製の格子の落ち着いた色合いといい、全体にシンプルな美しさが漂っている。「御首」というギョッとするような名とはいささか不調和な感じさえする。

 車中麦穂亭から大体の説明は受けていたが、由来書きを読んでみよう。

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 一族の内紛に勝利した将門はやがて関東一円を支配し、新皇を名乗って下総国猿島郡を都としたため、天慶三年(940年)平貞盛・藤原秀郷の連合軍に敗れて、同地で斬首されたというのが天慶の乱のあらすじである。

 将門の首が京都から関東に向けて飛行したというのは、むろん途方もない法螺話にちがいない。しかし菅原道真にまつわる優雅な飛梅の話とはちがって、ザンバラ髪の武者の首が空を飛ぶという空想には凄みがある。

 首の飛行したのが昼夜いずれであったのかは不明だけれど、ぼくは断然夜空を選びたい。すさまじい形相をした首が火球のような光を放って、低空を高速で通過する。それを見た人々はビックリ仰天して腰を抜かしたにちがいない。

 それにしても、なぜ美濃国南宮神社(大社)の神様が「異変を知り」将門の首を射落としたのか、どうもよくわからない。だが飛行中の首に向かって矢(麦穂亭にいわせれば対空ミサイル)を放った神様が、朝廷の支配下にあって国防に従事していたことは確かである。神社の果たしてきた役割のひとつがうかがわれる好例だと思う。

 -へえ、矢の通った道だから矢道町か。話がうまく出来すぎているなあ。

 -矢道町て、ほんまにあるんやて。

 南宮大社から御首神社までは直線距離にして約5キロ。いかに大力の神様だって地上では力学の法則に従わざるをえないのだから、矢の射程距離を考えれば、いくらなんでも無茶な話だ。

 もちろん理工系出身の麦穂亭はそんな話を信じてはいないのだが、ほんまに矢道町がある以上、将門の首がこの神社の近くに落下したのは史実にちがいないといわんばかりの口ぶりである。

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 -ねえ、あれはなんだろうなあ?

 -さあ。

 この神社には何度もお参りしているはずの麦穂亭も気づかなかったらしく、首をかしげている。
 
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 これらは飛んでいるところを射落とされた人々の帽子ではなく、

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 う~む、つまり首上に関するもの一切にご利益があるらしい。だから学業成就もかなえられるというのだが、一代の英雄将門といえども、学問においてはとても天神さんにはかなうまい。

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 この神社の絵馬がまたすごい。帽子といいインパクトのある絵馬といい、なんだか大垣という町が好きになってきた(笑)。

 しかし同時に頭が混乱して、日本の神様の正体がだんだんわからなくなってくる。境内を散歩してありがたがっているうちはいいけれど、二十一世紀の市民としては、用心もまた必要であろう。

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 美濃国特産のさざれ石。これが君が代にいうさざれ石なのかどうかはぼくにはわからないけれど、とにかくさざれ石であるらしい。

 さざれ石はいいとしても、愚かな指導者のもとでの一億一心がいかに悲惨な結果を招いたか、それだけは忘れてはなるまいと思う。

 さて予想以上に強く印象に残った御首神社であったが、矢を放った神様の神社にもお参りせねばこの話は完結しないと、車に戻った麦穂亭は頑固に主張した。そこで南宮大社へ向かうことになるのだが、途中で立ち寄ったのがまた風変わりなお寺であった。

 次回へつづく。

【付記】 10月11日に京都の護王神社を訪れたぼくはアッと驚いた。

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 なんと日本一のさざれ石。やはり美濃国産である。発見者のお名前も御首神社の碑文に同じ。美濃恐るべし。

 護王神社の石碑に埋め込まれた金属板は反射して読み取りにくいので、ちょっと加工してみた。ご参考までに。

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November 19, 2014

Kyotorogy 2014: 大垣ワンダーランド (1)

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 2014年10月4日、米原行き列車の車窓より撮影。

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 米原で乗り換えて、大垣へ向かう。誇り高い京都人にいわせれば、関ヶ原より東は東えびすの土地だから、ここは昔々の文化的境界線である。

 大垣駅に到着すると、麦穂亭が出迎えてくれた。四十数年ぶりの再会なのだが、久しぶりの挨拶もそこそこに、車を停めてあるから早く乗ってくださいという。のんびり駅舎を撮るひまもあらばこそ、拉致されるように助手席に乗り込み、連行された先は意外な場所であった。

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 麦穂亭のあとについていくと、みるみる気温が下がるのには驚いた。涼しいのである。

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 涼しいのは滝の水の効果であった。これこそ養老の滝。たぶん愚かなる先輩の老いを気づかって連れてきてくれたのであろう。

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 生きているうちに本物の養老の滝を見物できるとは夢にも思わなかった。案内板の説明を読むと、実にありがたい滝である。う~む、若返りの霊水か。

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 年季の入った看板の文句どおり、

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濃尾平野を一望する高級旅館の温泉につかる(麦穂亭撮影。はずかしいから写真のサイズを一回り小さめにしておいた)。VIP 待遇(笑)にはいささかとまどった。

 麦穂亭の話によれば、ここは知る人ぞ知る旅館であって、有名人がしばしばお忍びで訪れるらしい。ふつうならなかなかこの風呂には入れないのだが、こちらの社長さんの特別のはからいで、貸切り状態で入浴させてくださったのだそうな。ぼくとちがって、麦穂亭は地元の名士なのである。

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 昼食は和食のフルコース。

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 地元名産の瓢箪をラベルにあしらった滝ビールを飲みながらいただいたのだが、次々と登場する豪華な料理に満腹し、とうとう全部食べ切れなかったことは、まことに申し訳ないと思う。麦穂亭がせっかく VIP 扱いしてくれたというのに、ぼくはふだんご馳走なれしていないから、結局にせものが馬脚を現したのだ。

 旅館の社長さんにお礼を申し上げて養老の滝をあとにし、よもやま話をしているうちに、おもしろい神社があるから行きましょうと、麦穂亭は神社マニアの心をくすぐるようなことをいう。

 -へえ、そうかい、行こう、行こう。
 
 というわけで、それからふしぎの町大垣のふしぎな神社へと向かったのである。

 次回へつづく。

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November 18, 2014

Daily Oregraph: 山は冬

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 今朝十勝港へ向う途中で見た日高の山並はすっかり冬。あとは道東の平地が雪に覆われるのを待つばかりである。

 今月こそは毎日記事を書こうとがんばったけれど、昨日は早朝から深夜まで仕事があり、しかも今朝は早出だったから、とてもブログどころではなかった。ついに一日穴が開いてしまったのは無念である。

 雪化粧した山々を見ると、暑い京都で過ごした日々がまるで遠い夢のように思えてくる。記憶が雪に埋もれてしまわぬうちに残りを片づけなくては……

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November 16, 2014

Kyotorogy 2014: よせばいいのに嵐山

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 2014年9月27日、朝からの上天気に誘われ、用事を足した先から、ついフラフラと嵐山行きの市バスに乗車。もとより計画的行動ではない。

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 市バス一日乗車券もまた、ぼくを嵐山へ呼び寄せた原因のひとつである。

 市バス均一運賃は220円から230円に値上がりしていたけれど、この一日乗車券は500円のまま。小銭を出す面倒が省けるから、どこかに一往復しただけでもたいして損にはならない。 

 しかもいつの間にか均一運賃区間が拡大されて、嵐山まで使えるようになったのはありがたい。ぼくはこのたび乗らなかったけれど、京都バスの利用も可能になっていた。バス路線の充実した京都の市内観光は、この乗車券一枚あればまず間に合うだろう。

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 京都市バスの均一運賃区間は驚くほどの長距離だから、一日乗車券を使わなくても格安感がある。嵐山は遠いので、市の中心部からはかなり乗りごたえがある。

 やっと到着。レンズを向けるのも気はずかしい景色だが、やはりこれを撮らないわけにはいくまい。

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 渡月橋には観光客がぞろぞろ歩いている。空はあくまでも晴れ渡り、日がカンカン照りつけて暑い。

 しまった、なんで観光名所中の名所に来てしまったんだろうか。しかもうっかりしていたが、この日は土曜日なのであった。

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 少々後悔の念が湧いてきたけれど、せっかくだからブラブラと歩きはじめる。

 嵐電嵐山駅はいつの間にか駅舎が立派になっていた。よほどもうかったのであろうか。

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 アジアからの観光客もむろんよく見かけたが、このたび京都市内で特に目についたのは白人観光客の多さである。円安による輸入品の物価高で庶民がひいひいいっている分だけ、外国人が得をしているわけだ。

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 おきまりの嵯峨野散策コースに入る。ここはたしかに気持のいい道なのだが、それも人が少なければの話だ。

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 野宮神社も大繁盛である。おねえさんたちがわんさと押し寄せるからには、進学祈願ではなく縁結びが目的にちがいない。神社には目のないぼくも、さすがにこの日は鳥居をくぐって女だらけの境内に入るだけの勇気はなかった。

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 ぼくはこと趣味に関しては超保守派を自認しているけれど、わからないのがこの人力車だ。

 最近京都だけではなくあちこちの観光地でみかけるが、明治の頃なら必然性も必要性もあっただろうが、なんでいまどき人力で車を引っぱって人を運ばねばならないのか理解に苦しむのである。精力の無駄づかいのような気がしてならない。

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 落柿舎前。門前に人だかりがしている。やはり土曜日に来たのは失敗だったようだ。

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 前回訪れたときは貸切りだったけれど、今回はずいぶん人が多く、この写真を撮るまでにはかなり時間がかかった。中へ入るのはやめておこう。

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 しかしせっかくここまでやってきたのだ。ぼくは芭蕉の弟子の中では去来の句が好みだから、挨拶のつもりで墓地に回ってみると、こちらは人っ子一人見あたらない。落柿舎は訪れても、肝腎の去来に関心のある人はほんの一部なのであろう。

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 ようやくホッとしてぼくがしばらく墓の前に立っている間、ここに姿を見せたのはほかに一眼レフを持ったおじさん一人だけであった。

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 清涼寺へ向かう道にそれると観光客の姿は激減し、あたりはひっそりとしていた。

 こちらはたぶん瓦屋さんであろうが、一見某政党の取次店のようにも見えるところが京都らしいといえるかもしれない。

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 やがて清涼寺の門前へ。看板のおねえさんがあぶり餅を食っていけという。

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 せっかくの誘いを振り切って角を曲がると、また別のおねえさんがあぶり餅を食えという。よほど自慢の餅なのだろう。

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 結局あぶり餅を食わぬまま清涼寺をあとにした。

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 ひっきりなしに観光バスの通る道路に停留所を見つけてバスを待つ。とにかく暑い。

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 千本丸太町で下車して部屋へ戻る途中、少し風が出てきたのはありがたかった。

 結局なにをしに嵐山嵯峨方面まで遠征したのかわからぬまま、一円も金を落とさなかったから、観光客を名乗る資格のないことだけはたしかである。

 そこで反省の歌、

  あぶり餅食はずに帰るけちの性(さが)
  日に照らされてあぶられるとは

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November 15, 2014

Kyotorogy 2014: 人と車と自転車と

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 本日は狭い道路が迷路のように入り組んだ京都の道路事情について、ちょっとだけごらんいただきたいと思う。

 この写真は2014年10月14日に北区大宮で撮影したものだが、このあたりは道路の幅にも余裕があった。以下の写真はほとんど西陣界隈で撮影したものである。

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 こんな狭い道を車が通れるものかどうか、軽四でギリギリか?(2014年10月2日撮影)

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 こういう場面で俄然機動力を発揮するのが自転車である。(2014年10月2日撮影)

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 この標示では、自転車が飛び出すから歩行者は注意せよというのか、歩行者の飛び出しに自転車は注意せよというのか、ちょっとわかりにくい。しかしわざわざ足の置き場まで指定されているからには、たぶん前者であろう。(2014年10月2日撮影)

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 大路小路を問わず、とにかく自転車が目立つ。(堀川通り。2014年10月2日撮影)

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 スーパーの前はおばちゃんたちの自転車だらけだ。北海道のライフスタイルとのちがいを痛感させられる光景である。
(2014年9月29日撮影)

 自転車の運転ぶりがまたすごい。縦横無尽、傍若無人、バス停に近づくバスの前を必死にこぐ人もいれば、一瞬の隙をうかがってすばやく大通りを斜めに渡ったり、曲芸のようなマネをする人もいる。

  ほとゝぎす平安城を筋違(すぢかひ)に  蕪村

 適切かどうかはともかく(笑)、ついそんな句を連想してしまった。

 しかも若者ばかりではなく、いい年をしたおばちゃんまでが特攻隊まがいの運転をするのだからたまげてしまった。背後からチリリンとベルを鳴らして、歩行者すれすれに通過していく人もいる。


 「おのれ無礼者め、道交法違反なるぞ!」と一喝してやりたくなるほどで、歩く身にしてみればうっとうしいことこの上もないけれど、よく考えてみれば、だれも守らないし守れもしない法律なんぞに意味はないのかもしれない。

 それでは狭苦しい路地裏における自動車の運命やいかに?

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 「×この先道路狭し」というのだが、結局車の通行は可能なりや否や。たぶん通れないことはないけれど……という掲示なのであろう。(2014年9月28日撮影)

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 「車の通り抜け困難」とは、軽四ならぎりぎり通行可能だが、3ナンバーなんかで入ってくるな、という警告であろうか。(2014年9月26日撮影)

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 ついに出た「自動車の通行不可能」。だから入るなといったじゃないの。上手にバックして戻ってね。(2014年9月26日撮影)

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 「軽四 通行止」というからには、過去に軽四で通行した猛者がいたはずである。この道幅では、あきらかに道路をふさいでしまうから、迷惑この上もないにちがいない。

 爆発した怒りは住民以外の侵入者全体にも向けられ、ただではおかぬという決意がみなぎっている。この先道路はどうなっているのかな、とおおいに興味を感じたのだが、さすがに遠慮せざるをえなかった。(2014年9月28日撮影)

 結論。こういう地域で車を走らせる度胸はぼくにはない。

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November 14, 2014

Kyotorogy 2014: 天神さんの市を歩く

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 千本中立売バス停(2014年9月25日撮影)。

 毎月25日には北野天満宮に市が立つ。ぼくは東寺の市を見物したことはあるけれど、天神さんの市ははじめてである。さほど遠くはないから歩いてもいいのだが、この日は午前中に市バス一日券を使ったので、モトを取るためにバスを利用することにした。

 やたら写真を撮ったので収拾がつかないから、いい加減に選んだものを掲載しておこう。どうせブラブラ歩きのパチパチ写真、笑っておつきあいのほどを。

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 たぶん観光客よりは地元の方のほうが多いのだろうけれど、

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続々と見物客がやってくる。
 
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 くいもんから小間物、古着、日用品、骨董品など、さまざまの露店がごった煮のように並んでいる。

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 こちらでは球根などを売っていた。お店のおやじさんとの会話も楽しみのひとつのようだ。

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 外国人の方の姿も少なくなかったが、京都市内在住者もいることだし、必ずしもすべて観光客とはかぎらない。

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 こちらは輪投げ。

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 もちろん金魚すくいもある。

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 いちいちお店を撮っていてはキリがないから楼門へ向かおう。

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 露店は門前まで。門内はいつもどおりの天神さんである。

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 つづいて重要文化財の三光門。贅をきわめた建築である。これほどの規模の神社に祭るからには、道真さんの祟りがよほど怖かったのであろう。

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 いよいよ社殿。これは国宝である。国宝に向かって銭を投げつけるのは失礼だと気づいたから、この日はお賽銭を控えることにした。

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 ふたたび楼門をくぐって門外へ。

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 これは古着なのだろうが、高価そうだからすぐに売れるとはとても思えず、たぶん看板がわりなのであろう。

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 お牛さまに手を合わせるおじさん。なんでも病気平癒のご利益があり、牛の頭をなでると IQ が上がるらしい。ぼくは……なでなかった。

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 露店が並ぶのは境内だけではなく、神社の東隣にあたる 御前(おんまえ)通りもごらんのとおり。

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 着物姿のおねえさんやカップルもみかけた。デートには格好の場所かもしれない。

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 露店は東門までつづく。この門も重要文化財である。

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 東門門前。画面右手が御前通りである。

 以上駆け足でご紹介したにとどまるが、人混みの苦手な男でも楽しめたのだから、イベント好きの方々にはおすすめである。東寺と天神さんの市には一見の価値があると思う。

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 これはおまけ。市ではいろんなものを売っているが、「根室」名産のししゃもとは、本場釧路の人間としては聞き捨てならぬ(笑)。しかもこれ、みりん干しであろうか? はじめてこんなものを目にしたぞ。

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November 13, 2014

Kyotorogy 2014: 映画館のある風景-千本日活

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 千本日活は健在であった(2014年9月27日撮影)。この映画館について Wikipedia から引用させていただくと、

 第二次世界大戦後の1961年(昭和36年)7月、京都府京都市上京区に独立館主による東宝封切館、五番街東宝として新築・開館、1963年(昭和38年)には改称した。戦前から芝居小屋・映画館でにぎわった西陣地区に現在も残る、同地区最後の映画館である。

 すでにふれたように、西陣京極にただ一館残っていたシネ・フレンズ西陣が廃業した現在、この映画館が孤塁を守っているわけだ。

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 千本通りの西側から入ればすぐ次の通り(以下特に断りのないかぎり2014年10月8日撮影)。映画館のあたりは、水上勉の『五番町夕霧楼』で知られる五番町である。五番街東宝という開館当時の名称はそれに由来するものだろう。

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 これは2002年9月18日に撮影したもの。「五番町」という文字が見える。昔の面影を伝える建物のひとつではないだろうか。

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 今どき入場料わずか 500円。よほど客が入らねばもうけはないにちがいない。

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  建物は付近の家並みにすっかり溶け込んでいる。これが貫禄というものであろう。

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 こちらは2002年9月20日に撮影したもの。建物はそのままだが、写真を見比べるかぎりでは、(単純に比較はできないにせよ)少しく客足が落ちたように見受けられる。

 トイレには鼻をつくアンモニア臭が漂い、「禁煙」の標示を無視して客の吸うタバコから立ち上る紫煙が映写機の放つ光線にユラユラゆらめく昭和の映画館が、ここにはまだ残っている。……そんなことを書くと、このご時世だから顔をしかめるお人もいようが、いいも悪いもない、それがかつての映画館という場所だったのである。その異界がぼくには無条件でなつかしい。

 もうチャンスはないかもしれないから、よほど入ってみようかと散々迷ったが、このときはピンク映画を見る気分にはなれなかったし、そんな元気もなかったから、ついに断念した。今となっては、なんだかひどく惜しいことをしたような気持である。

 いずれ西陣から映画館の灯が消える日は来るのかもしれないけれど、千本日活にはできるだけ長く営業を継続していただきたいものである。

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November 12, 2014

Kyotorogy 2014: 銀閣寺~蹴上

 奈良行きの前日、つまり9月22日、朝一番で用事をすませたぼくは、市バス一日券を活用すべく、特に行きたい場所があったわけではないけれど、たまたまやってきた銀閣寺道行きのバスに乗り込んだ。

 21日までは多忙をきわめ、やっとこの日に余裕ができたこともある。観光目的ではなかったし、またそんな気分にもなれなかったとはいえ、一日中部屋にこもっていては気が腐る。幸い天気もよし、少し歩いてやろうと思ったのである。

 たいして内容のあることを書くわけではないから、どうか散歩につきあうような気分でお読みいただければ幸いである。

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 学生時代には銀閣寺付近にまでは来たことはあるけれど、お寺には足を伸ばしていない。東京から友人が訪ねて来なければ清水寺にも行かなかったかもしれないほど、当時は資金も行動範囲もかぎられていたのである。

 その清水ほどではないけれど、銀閣寺橋まで来ると参道にはこの人の波。へえ、銀閣寺も人気があるんだなあ、とおおいに感心した。同時にお寺を見学しようという意欲は減退し、さてどないしましょと迷ったとき、橋のたもとに「哲学の道」の案内板をみつけて、この日の方針が定まった。

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 せっかくここまで来たのだから、とりあえず銀閣寺までは行って、その後哲学の道を北から南へ向かって歩こうという趣向である。

 湯豆腐屋が氷を売るほどの暑さである。しかも観光客は多い。こんな場所は早々に退散するにかぎると思ったのだ。

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 ともかく山門はくぐろう。

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 門をくぐればすぐに拝観受付がある。別にケチったわけではないが、さほど興味もなし、ここで失敬することにした。まあ、とりあえず銀閣寺に来たことはまちがいないわけだ。

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 銀閣寺橋から琵琶湖疎水分線に沿って、哲学の道をてくてく歩きはじめる。ここは上品でいい道だ。全区間ではないけれど、昔一二度ほど歩いた記憶がある。木陰が多くて涼しいこともありがたい。

 観光客も三々五々散策を楽しんでいるが、ぞろぞろ団体で押し寄せるわけではないから、京都に来て以来はじめてノンビリした気分になれた。ときどきベンチに腰かけて、持参のミネラルウォーターをちびちび飲んだのは、異郷で行き倒れになりたくなかったからである。

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 途中でみかけた白い彼岸花。やっと花に目を留める余裕ができたらしい。

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 やがて熊野若王子(にゃくおうじ)神社に到着。この神社を訪れるのははじめてである。

 「哲学の道」というのは、ふつう南はこの神社から北は銀閣寺橋まで(正確には銀閣寺バス停付近まで)の道をいうらしい。全区間を歩いて、まずはめでたい。

 「すべての苦難をナギ倒す」という看板には驚いたが、

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ご神木であるナギの木に引っかけた洒落なのであった。

 ナギというのは初めて見たが、案内板には「京都府内で最も古い梛の大木」で、「樹齢四百有余年と推測」されているとある。また下の写真に見える石橋は、「明暦二年(一六五六年)七月吉良家より寄進されたもの」とも。

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 境内は割とこじんまりして決して大社ではないが、のんびりとしてぼく好みの神社であった。

 後白河法王が永暦元年(1160)に熊野権現を勧請したのが始まりで、熊野神社・新熊野(いまくまの)神社とともに京都三熊野のひとつに数えられる。
こちらのサイトより引用)

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 神社の休憩所で一服。緑陰がありがたく、おおいに助かった。

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 若王子橋。「疎水分線」の文字が見える。

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 橋を渡って哲学の道を後にし、なおも歩く。

 このすぐ近くには永観堂や南禅寺といった名所もあるのだが、すべて無視してただ歩くだけという、まことに芸のない話である。

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 やがてふしぎなトンネルに出くわした。なんでも「ねじりまんぼ」というけったいな愛称で呼ばれているらしい。

 よほどトンネルの向こうへ行ってみようかとも思ったのだが……

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気温表示板の数字を見てヘナヘナとなってしまった。道理で暑いはずである。

 ペットボトルの水も底をつきかけたし、ただちに撤退を決意したことは申し上げるまでもない。

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 近くにバス停が見あたらなかったので、この際やむをえないから地下鉄蹴上駅に逃げ込むことにした。蹴上でお手上げというバカバカしい一席。

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 烏丸御池で地下鉄を下車し、バスに乗る。

 なにを売っているんだろうと見れば、時刻はちょうど正午、弁当が飛ぶように売れていた。弁当ひとつ250円から。この値段ならコンビニ前に店開きしても十分売れるはずだ。

 二万円の天麩羅を食う連中にはわかるまいが、みなさん毎日お店でランチを食べるような余裕などないのである。第一このぼくからして、この日の散歩に要した費用は、一日バス券を別にすれば、ミネラルウォーターと地下鉄代を合わせてわずか340円也、低予算で京都見物を楽しもうという貧乏人の意地を見せたつもりである。

 消費税増税以来、むりやり株価を維持し、いかに取りつくろおうとも、予想どおり不景気は決定的となった。さらに10%に上げようとはとんでもない話であって、瀕死の病人の息の根を止めるようなものであろう。一番の問題は、喜んで殺されたがっている病人の多いことだ。

 さらになけなしの年金を株につぎこもうなどとは天人ともに赦さざる悪行であって、若王子神社の神様には悪人ばらをなぎ倒していただきたいところである。お賽銭上げたでしょう。

 ああ、哲学の道を歩きながら、そういうことを考えるべきであったか。

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November 11, 2014

Kyotorogy 2014: 奈良へ (5)

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 いよいよわが国屈指の古社である大神神社へ。この神社のご神体は三輪山である。

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 手水は蛇身。なぜ蛇かというと、主祭神大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は蛇神と考えられているかららしい。

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 近くには蛇の好物とされる酒と卵が供えられていた。卵はわかるにしても、蛇が酒を好むものかどうか、いささか疑問もある。しかし大酒飲みをウワバミというからには、古来たびたび目撃者がいたのかもしれない。

 この供え物の行方がちと気になったけれど(笑)、まさか蛇ならぬぼくが勝手にいただくわけにもいかず、指をくわえながら三友亭さんの後について行く。

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 狭井神社は屋根の葺き替え工事中であった。この神社は三友亭さんのブログにも登場したから、名前は記憶していた。

 しかし予習復習できる環境にはなかったから、次々と神社が現れるのにはとまどった。この神社は大神神社の摂社(本社に付属し本社に縁故の深い神をまつった神社の称-広辞苑第4版)である。

 三友亭さんのご説明によれば、二本の柱の間にロープを張ったかたちは鳥居の原型と考えられているらしい。そうか、これなら家庭でも簡単に鳥居を建てられるな、などとバカなことを考えているうちに、三友亭さんはどんどん歩いていかれる。時間がかぎられているから、ノンビリしているヒマがなかったのである。

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 やはり摂社のひとつ、磐座神社。岩をご神体として祭る神社は各地にあるらしく、京都の岩倉でも見たことがある。

 山、岩、蛇といえば、要するに自然信仰のあらわれにちがいなく、ぼくみたいに素朴な太陽信仰を持つ男には、政治的意図むきだしの不自然かつ強引な国家神道とは異なり、すんなり体に入ってくる。純な感じがするのである。

 そうはいっても、神道にかぎらず、宗教一般が結局は世俗権力に荷担して民衆支配の一翼をになってきたという事実は忘れてはならないところだが……
 
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 いまとなっては記憶があいまいだけれど、写真の配列から考えれば、これこそ古代の人々が霊気を感じた三輪山にちがいないと思う。神様が自然と集まってくる土地なのだろう。

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 大神神社の末社(本社に付属する小さい神社-広辞苑第4版)、久延彦(くえひこ)神社

 ここも三友亭さんのブログで知った神社。知恵の神様である。三友亭さんのご説明によれば、猛勉強して多くの知識を獲得したわけではなく、じっと座っていながらにしてこの世に知らぬことはないという、まことにありがたい神様らしい。

 三友亭さんは日頃ここにお参りしているというのに、作法正しく拝礼したうえ、チャリンという音とともに賽銭をはずまれた。知恵はいくらあっても邪魔にならないというお考えなのだろう。ぼくも負けていられないから、お賽銭をはずんだことは申し上げるまでもない。

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 この神社も鳥居の原型。本来はこちらからお参りするのだが、かなり上りがきついから、地元民の三友亭さんは比較的楽な逆コースをお選びになったのである。なるほどそれが知恵というものであろう。

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 大神神社の駐車場へ戻る途中の家並みは、なかなか風情があった。

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 大神神社を後にして三友亭さんに近鉄八木駅まで送っていただき、ぼくの一日奈良旅行は終わりを迎えた。

 貴重な休日を犠牲にして、かぎられた時間内でできるだけ多くの場所を見学できるよう、周到な計画を練ってくださった三友亭さんには感謝の申し上げようもない。不勉強のせいで、せっかくの好機に恵まれたというのに、通りいっぺんの感想を記すにとどまったことをお詫び申し上げたいと思う。


 できれば一杯ご一緒したかったのだが日帰りではそれもかなわなかった。いつかその機会が巡ってくることを切に願っている。

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 京都に帰着したのは18時25分。さてふたたび西陣の路地裏へ戻らねばならない。

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November 10, 2014

Daily Oregraph: 虹のごとく

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 今日の十勝港は朝から天候が不安定で、雨が止みそうになるとまた激しく降り出し、車の中でボーッと待機していなければならなかった。

 やがて……あ、虹だ! しめた、やっと雨が上がったな、というのはぬか喜びで、このあと再び雨雲が広がって激しい雨。希望は虹とともにはかなく消えてしまった。結局午後二時過ぎまで待機、釧路に戻るのは明日の午後になる。

 さて久しぶりに広尾町まで車を走らせたら、途中の景色が明日香のそれとはあまりにもちがうことにあらためて驚いた。飛鳥寺のやわらかい鐘の音はやはりあの風景の中でこそ心にしみるのであって、茫漠たる原野にはまるでふさわしくない。

 九月に見物した奈良の風景が、なんだか今日の虹のように思えてくる。写真が残っていなければ、夢でも見たんじゃないかと疑いたくなるところだ。

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November 09, 2014

Kyotorogy 2014: 奈良へ (4)

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 舞台は一変して長谷寺参道である。こんな芸当ができるのも自動車ならではだろう。

 実はこの道は三友亭さんの通勤コースらしいのだが、わざわざこちらへ案内してくださったのにはわけがある。当ブログの 2012年 2月の記事にこの地が取り上げられていることを配慮してくださったのである。

  2012年2月11日掲載 京都通信員 桜井市を歩く (3)

  2012年2月12日掲載 京都通信員 桜井市を歩く (4)

 通りの右側中央付近に伊勢古道の道標の立つ「さかえや」というお店があり、「くさ餅」の看板が見える。

 詳しくは上記記事を参照していただくとして、このお店の手前を右に折れると小さな橋がかかっている。それを渡ると道は二手に分かれ、左へ行くと与喜浦集落に至り、右へ曲がるとやがて国道165号線に合流する。

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 おぼろげなる記憶でいうと、この日は矢印のコースをたどったのではないかと思う。三友亭さんが出勤されるときは、たぶん寺院受付を通過してそのまま北上するのだろう。

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 ここが寺院受付。

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 土産物屋などの立ち並ぶ狭い通りを抜けて「さかえや」へ戻り、角を左折して橋を渡り、山道を抜けて国道に出たのだが、車中からの撮影はむずかしく、写真はここで尻切れトンボになってしまった。

 写真は十分に撮れなかったけれど、もちろん車内では三友亭さんがあれこれ説明してくださった。残念だったのは、このたびは観光目的で関西を訪れたわけではなかったからガイドブックのたぐいを持参せず、またインターネット環境になかったため、十分な予備知識を仕入れられなかったことだ。

 奈良駅を出発してからずっと三友亭さんは「あれが巻向遺跡です」などと丁寧に教えてくださったのだが、地図が頭に入っていなかったため位置関係がよく飲みこめず、せっかくの情報を満足に処理し切れなかったのが悲しい。今ごろになって地図をながめているような始末である。

 その反省をこめて、最終回で取り上げる大神神社から西の方角に見える大和の山々の写真をここに掲載しておきたい。古来有名な山々の位置関係がわかるだけでも案外価値のある一枚かもしれない。

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 大神神社の大鳥居も見える。山名は展望台にある案内板に従ったのでまちがいないとは思うが、もし訂正が必要ならご指摘いただきたいと思う。

 最終回へつづく。

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November 08, 2014

Kyotorogy 2014: 奈良へ (3)

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 万葉文化館の駐車場から、歩いて次の目的地へ向かう。

 前を行くお方こそ、誰あろう、三友亭主人その人である(後ろ姿ならご迷惑はかからないであろう)。

 地元の三友亭さんが半袖だというのに、ぼくは長袖。この日の暑さには閉口したけれど、半袖の着替えというものがないのだからしかたがない。今にして思えば、どこかで一着買い求めればよかったのかもしれないが、旅行の際手荷物は一グラムたりとも増やしたくないという男にはそういう知恵が回らなかった。

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 飛鳥寺はかつては堂々たる大伽藍を誇ったらしいが、現在はむしろ全体としてこじんまりとしたお寺という感じがする。三友亭さんはぼくの好みを察してこのお寺を選んでくださったらしいが、門前に設置された灰皿もまたうれしかった(笑)。

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 門をくぐると、天女の群れ、いや修学旅行中の女子高生たちが庭に出るところであった。お寺や神社に入りたがるのはふつう爺さん婆さんだから、こういう光景は京都・奈良以外ではなかなかお目にかかれないだろう。

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 このお寺については以前三友亭さんのブログで記事を拝見していたので、お寺にしてはめずらしく撮影勝手たるべしという方針であることは承知していた。そのご住職の判断には好感が持てる。ただし、博物館などもそうだが、ストロボ発光禁止が作法だから念のため。

 ご本尊を安置するお堂にしてはさほど広さを感じなかったが、大仏さんそのものが威圧的なサイズではないし、またお坊さんの話があまりにも上手なものだから、つい床に座って聞き惚れてしまったし(笑)、かえって一種の親密さともいうべき空気が漂っているように思った。

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 大仏さん(釈迦如来像)の右は阿弥陀如来像。顔立ちが大仏さんとはずいぶんちがい、罰あたりの感想だから見当ちがいかもしれないけれど、光背を取り外してしまったら、生身の人間がちょこんと座っているように見えるのではないかと思った。

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 二体の仏像と並んで安置されている聖徳太子像。なんとなく女性的な印象を受ける。

 かつて歴史の教科書で見た太子像は実は別人であったと聞いたことがあるので、ぼくは三友亭さんに向かって、つい珍妙な質問をしてしまった。

 -これ、聖徳太子に似ているんですかね?

 -さあ、昔の人が想像して作ったものですから……

 三友亭さんが返答に窮したのも道理で、この像は室町時代の作なのであった。われながらバカじゃないかと思う(笑)。

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 観光客がついているらしい鐘の音がしきりに鳴り響くのを聞きながら寺の裏門を出ると、一面の田園風景に思わず見とれてしまった。十勝あたりで見かける風景とはまるで性格がちがうけれど、体が自然にほぐれて「ああ、いいところだなあ」といいたくなるような眺めである。

 飛鳥寺で受けた印象とこの風景とはみごとに調和する。この土地にあればこそ、お坊さんも「どうぞ写真をお撮りください」という気持になるのだろうと思った。

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 あちこちに真っ赤な彼岸花の咲く道をのんびり歩きながら、ふたたび万葉文化館へ向かう。

 日本のふるさとともいうべき風景を眺めながら、実にいいところだけれど、ここで一生を送るとなればどうだろうかと、道々考えてみた。

 大きな変化とこの風景とはどうしたって調和しそうにない。何世紀にも渡って、来る日も来る日も飛鳥寺の鐘の音を耳にしているうちに、人間がだんだん保守的になるのではないかという気もする。一方では、この貴重な景色がこれ以上変わらぬよう守らねばならないという、矛盾した気持も湧いてくる。

 結局ここで生まれ育ったのならともかく、北海道の浜育ちの男には、息がつまりそうでとても耐えられそうにないのではないか……と考えるうちに、自分がいかにも異邦人であるような気がしてきた。はっきりいえば、おれは化外の民か。

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 なにしろ暑い。万葉文化館の喫茶室で一服し、三友亭さんにお仕事の話などをうかがった。

 せっかく文化館に来たのだから、ぼくもミーハーに徹して、せんと君との記念写真を撮ってもらえばよかった。残念なことをしたものだ。

 次回へつづく。

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November 07, 2014

Kyotorogy 2014: 奈良へ (2)

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 奈良駅に到着後最初に撮ったのがこの写真。つまり奈良駅や奈良市街の写真は一枚も撮影してない。

 奈良駅の改札口まで迎えに来てくださった三友亭さんのお車で、まずは天理市の天理大学付属天理参考館に案内していただいたのである。鹿に煎餅を食わせるのではなく、最初に博物館見学というところなど、脱俗超凡の趣があっておおいに感心した。

 大男と人もいい、三友亭さんご自身もそうおっしゃっていたから、ぼくは雲つくばかりの巨漢を想像していた。想像というのは勝手にふくらむもので、まことに失礼ながら、いつの間にか Sanyutei the Giant、相撲取りかプロレスラーのようなお姿を思い描いていたのである。

 たしかにぼくよりもずっと体格のよいがっしりしたお方ではあったが、見ると聞くとは大ちがい、巨人とは明らかにいいすぎで、実はまことに温厚な紳士なのであった。


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 宗教都市として知られる天理市もまた百聞は一見にしかず、ぼくの勝手な想像とは異なり、独特の壮麗な神殿風建築にはいささか驚かされたものの、からっとして明るく清潔な都市という印象を受けた。

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 おお、これが名高い三角縁神獣鏡か! わが家の裏の畑からこれが出土すれば、歴史学会は大騒ぎになるのだが、あいにく出てくるのは茶碗のかけらぐらいなものである。

 ……とまあ、そんなことを考えながら、天理参考館内を一通り見学させていただいたが、日本はもとより広く海外から収集した多彩なコレクションには圧倒された。民俗学的興味のある展示品も多く、とにかく一度は訪れるだけの価値があると申し上げておきたい。

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 館内ではずいぶんたくさん写真を撮ったが、ここにはとてもご紹介しきれない。しいてもう一枚だけ選ぶとすれば、特に気に入ったこの馬の埴輪であろうか。これ、ワンダフルだよ。
  
 ゆっくり見学すれば時間がいくらあっても足りないから、一巡りしたのち参考館をあとにして向かった先こそ、個人的には今回のハイライトともいうべき場所であった。

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 三友亭さんの母校である天理大学のキャンパスへ。

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 ああ、これこそぼくが長年夢にまで見た天理大学付属天理図書館である。文学部出身者にしてこの図書館の名を知らぬものはモグリといっても過言でないほど有名な施設である。生きているうちにこの目で見ることができた喜びはとても言葉ではいいつくせない。

 とはいえ、石を投げれば文学部出身者に当たるご時世では、そのモグリも中にはいかねまいから、この図書館のすごさを示すほんの一例をお目にかけよう。

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 写真はぼくが京都滞在中に読んだ、加藤周一著『古典を読む 梁塵秘抄・狂雲集』(岩波 同時代ライブラリー)の一ページだが、このような例は枚挙にいとまがなく、天理図書館には貴重な文献があまた収蔵されている。

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 この重厚な木製の扉を見て胸の高鳴らない人がいるだろうか? ところが、いざ中へ入ろうとすると、意外にも三友亭さんは本当に入るんですかというようなお顔をされた。ご自分が散々通い慣れた図書館だから、たぶんありがたみが薄れていたのであろう(笑)。

 時間がかぎられているので、ともかくちょっとだけでもと駄々をこねて入館したら、クラシックなカウンターには職員の方が数名居並び、まことに厳粛な雰囲気であったから、写真を撮るのはさすがにはばかられた。しかしともかく入館し、休憩室で水分を補給できたことは一生の思い出である。長生きすれば、いつかは願いがかなうものだ。

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 三友亭さんにはさぞご迷惑であっただろうが、人生の大目的をひとつ果たして、ぼくはすっかり満足してしまった。

 ちょうどお昼時、三友亭さんの予約してくださった料理屋で昼食とあいなり、9月15日に京都に来て以来はじめてまともな食事を口にすることができた。ありがたいことである。

 毎日西陣の狭い部屋でひとりものもいわずに過ごしているうちにすっかり落ち込んでいた気分も、ひさしぶりに打てば響くように言葉の通じる方とゆっくりお話しできたおかげで晴れ晴れとし、やっと人心地がついたのはうれしかった。

 次回へつづく。

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November 06, 2014

Kyotorogy 2014: 奈良へ (1)

 京都滞在中にぼくが路地を離れ、電車に乗って出かけたのは、奈良、大垣、そして大阪である。いわば番外編だが、まずは三友亭さんにお会いした奈良を取り上げることにしたい。

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 9月20日、ぼくの姿は京都駅にあった。電車に乗るわけでもないのになぜわざわざ来たかというと、奈良線の発車時刻を知りたかったからである。

 インターネットが使えないから、時刻表を買うか、直接駅で調べるかの選択を迫られたのだが、この日は市バスの一日乗車券を使ったからバス乗り放題で、当然時刻表よりは安上がりなのであった。

 このたびつくづく思い知らされたのは、アナログの世界では行動力が要求されるということである。インターネットでちょいちょいと調べればいいなどという軟弱な甘えは許されないのだ。

 かくして列車の時刻と乗り場を確認して準備万端あい整い、三友亭さんとお約束した9月23日を迎えたわけである。

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 9月23日。京都駅10番ホームで08時33分発の快速列車を待つ。朝から上天気である。また暑くなりそうだ。

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 ぼくは学生時代に一度だけ奈良市へ行ったことがあり、そのときは近鉄を利用したせいか、なんとなく奈良=近鉄という思い込みがあった。

 三友亭さんが「JR奈良駅でお会いしましょう」と電話でおっしゃったときは一瞬とまどったけれど、考えてみればJRに奈良線のないわけがない。そりゃあ、あるよなあ。

 やがて疑い深い男の眼前に、あたりまえの顔をして快速電車が現れた。

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 祝日の朝だというのに、列車内はずいぶん空いていた。京都から奈良見物に出かけようという人は少ないのだろうか。

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 車窓からの景色はしばらくゴミゴミした家並みがつづき、がっかりするほどつまらなかったけれど、県境に近づくにつれて、次第に風景というに値する眺めが展開しはじめた。

 さきほど開いた地図によれば、写真の川はたぶん木津川ではないかと思うが、ここまで来ればもう奈良市は近い。京都からは約一時間ほどの短い旅である。

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November 05, 2014

Kyotorogy 2014: 堀川丸太町

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 そろそろ奈良遠征編を……と考えてはいるのだが、時系列でいうと、銀閣寺~哲学の道編を先に書かねばならないし、困ったものである。

 今夜は久しぶりの仕事が遅くまでかかったので、堀川丸太町を取り上げてお茶を濁したい。といっても、写真はたったの一枚。

 どうして堀川丸太町かというと、「りかわまるたまち」というアナウンスを聞くたびに、アクセントのちがいが胸にこたえ(笑)、聞き慣れるまでは全身から力の抜けるような感じがしたからである。京都のお方はけしからんとお思いかもしれないけれど、ぼくは東夷(あずまえびす)だからしかたがない。どうかおゆるしあれ。

 しかも日本語のあとに流れる英語のアナウンスがまた独特で、どうやら "The next stop is Horikawa Marutamachi, convenient for Nijo-jo Castle." といっているらしいけれど、堀川丸太町が「ホウリカウワ マルタマチー」と聞こえるから、なんとなく落ち着かないのだ。写真に発音記号を示しておいたので参考にしていただきたい。これもまた京都弁か? 

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November 04, 2014

Kyotorogy 2014: 西陣京極を歩く (3)

 シリーズ最終回は夜の西陣京極。

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  2014年9月16日撮影。夜の西陣京極千本通り側入口(ゲート A)。

 昨日の記事でも触れたように、このゲートの左手(北側)にあった喫茶店を含むビルがひとつ、そっくり消滅して駐車場になっている。

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 2014年10月14日撮影。千本通り側ゲートをくぐってすぐ。

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 2002年9月18日撮影。ほぼ同じ位置から撮ったものだが、ずいぶん印象がちがう。

 現在はパチンコ屋の看板はないはずだ。しかし「酒場 はや川」の看板が見えるから、これが西陣京極であることにちがいないことは、次の写真によって確認できる。

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 2014年10月21日、「サカタ」の手前からゲート A に向かって撮影。

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 2014年9月30日撮影。西陣京極のイーストエンド。

 この一枚にかぎらず、このたびの夜の写真は全体に露出オーバー気味だけれど、いまさら撮りなおすわけにもいかないから(笑)掲載しておく。

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 2014年10月21日撮影。一条通り側のゲート B をくぐったところから。通りの左側の画面中央付近、文字は白飛びして読めないけれど、横長の看板が京極湯である。

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 2014年9月18日撮影。夜の京極湯。

 西陣京極にはいくつもお店があるのに、ぼくはとうとう一度も入らなかった。懐がさみしかったせいもあるけれど(笑)、ふだんから連れがいなくてはとても飲み屋で一杯やる気にはなれないというのが一番の理由である。

 まして旅先の飲み屋でたった一人ちびちび酒をやれば、万感胸に迫って、寅さんではないが「落ち目だなあ」といいたくなるほど絶望的な気分になるにちがいない。ああ、いやだ、いやだ。

 しかし 9月の京都はまだまだ暑く、汗まみれになった体にとって銭湯はなによりのごちそう、京極湯はまさにオアシスであった。

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 2014年10月8日、一条通りから見た皆既月食。

 西陣京極に別れを告げ、一条通りへ。ここは貧しき町でもなければ路地でもないけれど、たぶん読者のご想像どおり、ぼくは蕪村の句「月天心……」を連想したのであった。

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November 03, 2014

Kyotorogy 2014: 西陣京極を歩く (2)

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 看板の色だけではなく、町も変わる。2002年9月に撮影した写真と現在とを比較してみよう。

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 2002年9月に撮影した西陣京極。写真左は門A(千本通りが見える)、右は門B(一条通り側から撮影)である。ゲートのデザインだけでなく、それぞれ右手の喫茶店と建物をご記憶いただきたい。

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 こちらが2014年9月に撮影したものである。ゲートのデザインがかなり地味になっている。

 千本通り側では右手の喫茶店の姿が消えて駐車場に、一条通り側ではやはり右手の建物がビルに変わっている。なお千本通り西側に写っているお店にも変化が見られる。

 ゲートを目印にしていたぼくは、最初デザイン一新した西陣京極入口に気づかず、道に迷いそうになってしまった。

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 2002年9月18日に撮影した映画館「シネ・フレンズ西陣」。

 このゲイ専門のふしぎな映画館が跡形もなく消え失せ、アパート(マンション?)が建っていたことも12年の歳月を感じさせる出来事だ。

 写真を原寸にしてよく見ると、画面右手に「がんこ」というお店があり、こちらはスナック「黄昏」の隣にいまも健在である(次の写真ご参照)。

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 2014年9月16日撮影。この路地には入ったことがないけれど、行き止まりかと思ったら、地図によると、突き当たりを北東に折れて次の通りに抜けられるらしい。このあたりが西陣京極のイースト・エンドであろう。

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 2002年9月18日、一条通り側のゲートをくぐって見た西陣京極。

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 2014年9月15日撮影。こちらが現在だが、そう大きな変化は見受けられないようだ。銭湯京極湯の看板(通りの左側中央付近)も以前のままである。

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 2014年9月27日、上の写真とは反対方向、つまり一条通側に向かって撮影したもの。

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 2002年9月18日撮影。

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 2014年9月16日に撮影した京極湯。ほとんど昔のままだが、塀に前衛的なペインティングを施しているところがおもしろい。

 このたびは京極湯には何度も通ってお世話になった。古典的な下駄箱があり、昔の脱衣かごもまだ残っている。東映の過去の映画ポスターを何枚か掲示しているところといい、浴場の構造といい、純然たる昭和の銭湯である。

 さすがにカメラは中に持ち込めないから撮れなかったが、内部を記録しておく価値のある銭湯だと思う。

 さて2002年は西陣京極がはじめてだったせいもあり、中立売通り側のゲートCを撮影していなかった。だから過去と比較はできないけれど、現在の様子をご覧いただきたい。

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 2014年10月3日、中立売通りに向かって撮影。

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 2014年10月19日、中立売通り側から撮影。

 なじみになるというのは恐ろしいもので、このところ自宅を出るとあまりの景色のちがいにとまどうことがある。なんだか物足りないのである(笑)。

 明日は西陣京極シリーズの最終回である。

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November 02, 2014

Kyotorogy 2014: 西陣京極を歩く (1)

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 これが毎日のように歩いた西陣京極の略図である。かつてはかなり繁華な商店街だったそうだが、現在はほとんど飲食店街といっていいのではないかと思う。詳細については Wikipedia の記事などをご参照いただきたい。

 門は三ヶ所にあって、かりに A(千本通り側)、B(一条通側)、C(中立売通り側)としておこう。

 地名について穿鑿すると、それこそ Kyotology の泥沼にはまってしまい、ぼくの手には余るから、ここでは青色で示した三本の通りについて、ごく簡単にご紹介するにとどめたい。

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 まずは南北に走る千本通り。写真は千本中立売(通称千中)付近である。この通りは現在でも主要道路のひとつであるが、

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かつては都のメインストリートだったらしい。道幅 84m といえば大路中の大路であった。

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 つづいては一条通り。路地に毛の生えたような狭い道路だが、ここもかつては堂々たる道幅を誇る大路だったはずである。

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 そして中立売通り。Wikipedia の記事にあるとおり、この通りを東へ進むと(この写真は西に向かって撮っているから、逆方向にあたる)、秀吉の聚楽第跡がある。

 ついでだから、ちょっと脱線して聚楽第跡をお目にかけよう。

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 といっても、ぼんやり歩いていると見逃すこと必至だ。京都はまことに油断のならぬ町で、あちこちに史跡のたぐいが転がっているのである。

 写真左手の家にご注目いただきたい。

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 ほらね(笑)。しかし脱線はここまで。次回は西陣京極の中に入ってみよう。

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November 01, 2014

Kyotorogy 2014: スモーカーの神頼み

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 最近は大学のキャンパスも全面禁煙だそうな。もはやヘビースモーカーであるシャーロック・ホームズの居場所はなくなってしまった。

 いずれホームズ・シリーズはファシストが禁書に指定し、焚火の中に放り込んで燃やしてしまうかもしれない。いやだねえ。

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 一方こちらは熊野若王子神社の境内。休憩所には大小の灰皿が完備している。

 世の中にはいろんな人がいる。たとえば酒もタバコもやらぬ品行方正で最も立派とされる人々、酒は飲むがタバコを吸わぬ二番目に立派とされる人々、そして酒とタバコという二大悪癖にどっぷり浸かった、無教養かつ不健康で、きたならしく唾棄すべきダメ人間たち。

 もちろん細かく検討すれば、酒やタバコはやらないが悪事を働くのは平気という連中もいれば、酒専門が昂じて家庭崩壊という人だっているのだから、あまり単純化するのは考えものだが……

 ついでに申し上げておくと、医薬品業界と癒着でもあるのか、病人を増やすことに熱心な(笑) WHO が次に標的にするのはアルコールであろう。タバコの吸い過ぎで一家離散という話は聞いたことがないけれど、酒による悲劇は跡を絶たないからだ。喫煙者を蛇蝎のごとく嫌っている酒飲みは、今から覚悟しておいたほうがいい。

 ぼくが神社びいきなのは信仰上の理由からではない。樹木が多いから気持がいいし、観光寺院のようにがめつくないし、なによりもまず開放的かつ寛大であることに好感が持てるからである。

 日本の神々は、一番立派な人々や、二番目に立派な人々はもちろん、どうかすると「いやねえ、まだタバコなんか吸っているんだから」と軽蔑の視線にさらされる愚者たちをも、平等無差別に受け入れる寛容さを持ち合わせているらしい。なにごとにも白黒をつけたがる一神教の窮屈な神とのちがいであろうか。

 だからぼくは休憩所で一服したあと、喜んでお賽銭を上げることにしている。

 最近いわれなき差別を受けている喫煙者のために、灰皿のある神社をいくつかご紹介しよう。

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 北野天満宮絵馬所。いつに変わらぬ憩いの場所である。

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 護王神社喫煙所。ゆっくりとくつろげる場所で、喜んでお賽銭を上げたことは申し上げるまでもない。

 たぶんここで休憩している人々のうち、喫煙者はぼくをのぞいてたった一人ではないかと思う。どなたも副流煙がどうのなどとヤボをいわないのは、「喫煙所」と明記してあるのだから当然だ。

 結局場所を定めて分煙すればいいだけの話なのだ。タバコを嫌う人には嫌う自由(権利とはいいすぎ)があり、好む人には好む自由がある。

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 平野神社。

 全面禁煙の大学構内を脱出してここへ逃げこんだら、予想どおり灰皿が設置されていた。困ったときの神頼みである。

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 上賀茂神社駐車場。

 この神社は世界遺産だから、文化財である建物群から離れた駐車場に灰皿がひとつだけ。当然の配慮であろうから、それでいいと思う。

 ついでに書き添えておくと、写真はないけれど、三友亭さんに案内していただいた大神神社には、別棟にかなり広い smoking room があって、心弱い参拝者に配慮している。人間くさい日本の神様は人の弱さをよくご存じなのである。

 なおなにごとにも例外はあり、すべての神社に喫煙スペースがあるわけではないから念のため。なかにはタバコ嫌いの神様だっていようから、それはしかたがない。

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