Kyotorogy 2014: 清水寺素通り (2)
清閑寺境内はさほど広くはなく、こじんまりした印象を受ける。苔むした庭といい、全体に「清閑」というにふさわしい雰囲気で、修学旅行のガキども(失礼)が荒らすべき場所ではない。
見物客はだれもいないと思ったら、先客のおじさんをひとりだけみかけたけれど、いつの間にか静かに去っていったようだ。
長い話を短くするために(笑)、まずは上の説明文をお読みいただきたい。なるほどそういういわれがあったのか。まことに気の毒な話である。
高倉天皇の恋路をじゃました清盛は、馬に蹴られこそしなかったが、結局バチがあたって熱病にかかり、悶死してしまったわけだ。
これが要石である。磐座神社の親戚のようにも思われる。境内は狭くとも、ここからの眺望はすばらしい。
この景色を拝めるだけでも、清閑寺を訪れる価値はあると思う。こうして見ると京都も平凡な大都会と化してしまったけれど、千年の昔にはどんな町並みが見渡せたのだろうか。
月夜の晩にでもこの場所に来て一杯やったらさぞ愉快だろうと思ったけれど、山門の掲示には「境内での食事は固く禁じます」とあるから、ぼくと同じことを考える人は多いらしい。
鐘撞堂前の石碑によれば、ここで西郷隆盛と月照(清水寺成就院住職)が王政復古の謀議をしたらしい。とすれば、月照さんはぼくと同じコースをたどって清閑寺までやって来たのだろう。
清閑寺の石段を下ると天智天皇陵参道の道標があったけれど、キリがないから逆の方向へ向かい、五条通りのアンダーパスをくぐる。
間もなく山王神社前へ。「村社」とあるが、村というのはかつての清閑寺村を指すらしい。
散歩の途中でこういう地元密着型神社に出くわすと、有名観光寺社巡りとはまたちがったおもしろさを味わうことができる。
さてここまでは地図で自分のたどったコースを再現できたのだが、
このあとどこをどう歩いて京都女子大の短期大学部前を通過したものか、どうしてもわからない。地図を見れば見るほど不自然なコースなのである。女子大の引力であろうか。
知らぬ間に東大路に出ていたので、たった今通ってきた馬町商店会方面を撮影。
東大路通りを北上するとすぐに東山五条。つまりいったん離れた五条通りにまた戻ってきたことになる。
次回は東山区の裏通りを行く。
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