Kyotorogy 2014: 路地正統派
路地 (4) 人家の間の狭い道路。(広辞苑 第4版)
本来は人がやっとすれちがえるほどの狭い道路のことなのだが、一般的には、人家密集地帯にあって、どうにか車が走れるほどの狭い道も含めて路地というようである。
京都で育った映画監督による詳しい説明をご紹介しよう。
路地のことを京都の人は「ろーじ」と引っぱっていう。これにはいろいろの種類があって、「ぬけろーじ」というのは表通りから真っ直ぐに向こうの通りへ抜けるもの、「かぎろーじ」というのは表通りと直角の横丁へ鍵形に、途中で折れて抜けられるもの、それから俗に「パッチろーじ」というのがある。
路地は向こうへ抜けない袋小路が原則で、「パッチろーじ」もその変種である。
入口を入ってまっすぐ行くとつきあたって左右に分かれ、また曲がって奥まで続く。「パッチ」(もも引き)みたいなかたちだからこの名がある。
(中略) 路地の入り口には、住人の表札がたくさん並んでおり、通路の上は倉庫みたいな部屋がある。何が入っているのか見たことはないが、路地住民が共同で使う梯子やスコップ、祭りの時の飾り物などがあるようだ。
入り口はトンネルを抜けるみたいになる。 -吉村公三郎 『京の路地裏』(岩波 同時代ライブラリー ※太字は引用者による)
つまり正統派の路地とは上の写真のごときものをいうらしい。かつては路地の奥には共同便所があったらしいけれど、もちろん現在そんなものはない。また通路の上の倉庫のような部分は、ぼくの見たかぎりではもはや存在しないようだ(すべて確認したわけではないが……)。
では正統派路地をいくつかお目にかけよう。路地はあちこちにあるけれど、写真のほとんどは西陣界隈で撮影したものである。思わぬさしさわりがないよう、明らかに名前の識別できる表札にはボカシをかけておいた。
ここは表札に名前が見当たらず、無住の路地のように見受けられた。
この路地は一軒だけ残ったらしい。
これは西陣とは遠く離れた三条大橋近くの路地。ずらりと表札は掲げられたままだが、ごらんのとおり、路地の奥は再開発の波に飲み込まれて跡形もない。なおどうでもいい話だが、この日の夕方は友人たちと写真右手に見える居酒屋で一杯やったので、いずれ写真をお目にかけることもあるだろう。
これは突き当たりを左に折れると行き止まりになる。「かぎろーじ」の一種だろうか。道の狭さといい、行き止まりになるところといい、やはり正統派路地の仲間である。
(ぼくが変人なのかもしれないが)見かけるたびに、うろんな男と疑われるのを覚悟で、ついのぞきこんでしまう魅力が路地にはある。しかしこのたびは路地の撮影が主目的ではなかったし、精力的に歩き回る気分でもなかったから、ずいぶん見落としが多いはずだ。
写真からもわかるとおり、櫛の歯が抜けるように住人の減った路地も多く、また再開発の波は容赦なく押し寄せてくるだろうし、この隠れた京都名物もいずれは消滅する可能性があるのではないか。いまのうちにできるだけ記録しておくよう、心ある人々にお願いしたいと思う。
結局京都路地本編は今回かぎり(笑)、明日からは大路小路を問わず、気の向くままシャッターを切った写真をお目にかけたい。羊頭狗肉というご批判は甘受するつもりである。
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Comments
こんにちは! お帰りなさいましたね。
路地は、大阪でも「ろーじ」といいます。
写真を拝見すると、いかにも京都らしい路地に思います。
建物と建物の間にできた生活通路なのでしょうが、
住民以外の人はほとんど通らぬ私的空間なんでしょう。
じつはそんな路地が大好きで、子供のころはよく歩きました。
ほとんど下着姿のおじいさんやおばあさん、
おじさん、おばさんが昔はいたものです。
いまでも路地を歩いてみたい気持ちはありますが、
なんだか憚られるものもありまして、
実行には及んでいません。
京都の路地らしく、建物に木部が多く残っていて、
じつに味わい深い写真に思えます。
Posted by: 只野乙山 | October 30, 2014 11:04
>只野乙山さん
どうもありがとうございます。
> なんだか憚られるものもありまして
ぼくも入口をのぞいただけで、路地の中には足を踏み入れておりません。知り合いでもいればともかく、さすがに失礼ですものね。
なおこのたびは久しぶりに大阪へ行き、日本橋界隈を歩きましたが、ずいぶん変わっていたのには驚きました。
Posted by: 薄氷堂 | October 30, 2014 20:09