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October 31, 2014

Kyotorogy 2014: また日が暮れる

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 9月20日17時53分、府庁前バス停。

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 9月26日17時44分、同上。

 旅の空の日暮れ時というのは、妙に心細い気分になるものである。まして尾崎放哉ではないが、部屋に戻れば咳をしてもひとり。見渡せばテレビもラジオもなかりけり、もちろん話し相手もいないから、本でも読みながら酒を食らって寝るしかないとなれば、わびしさこの上もない。

 さあ、もうすぐ夜だぞと宣告されるのは情けないものだ。

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 10月8日17時09分、一条通り。

 日暮れにはまだ間があるけれど、そろそろ心の準備が必要なころだ(笑)。ははあ、これが旅愁というやつですか。

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 10月11日17時24分、中立売通りの商店街。

 どんどん日が短くなっている。この頃にはだいぶこの町にもひとり暮らしにも慣れてきたせいか、日暮れ効果も次第に薄れてきたように思うが、それはそれで感受性が鈍ったようで、なんだかつまらないものだ。

 狭い部屋でじっとわびしさに耐えるというのは、案外ぜいたくな経験のような気もするのである。毎日のように歩いて粗食をつづけたおかげで腹もかなり凹んできたし、まあ、世の中悪いことばかりではない。

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October 30, 2014

Kyotorogy 2014: 看板の12年

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 2002年9月22日撮影(今出川浄福寺通り)。

 シンプルですばらしい看板だと思って撮ったものだが、年月の経過とともにどう色彩が変化するか、当時おおいに興味があった。

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 2014年10月10日。

 不心得者がイタズラ書きしたのは残念である。驚いたのは文字そのものより、木部に施された塗装の色の変化だ。特に窓や塀はわずか12年の間にまるで色が変わっている。

 最新の写真の色はなじみのあるもので、京都の町のあちこちでみかけるものである。どれも塗り立ては黒っぽい色をしていたのだろうか。門外漢なので変色(退色?)の理由はわからないけれど、通りの印象が一変するほどのちがいだと思う。

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 2002年9月19日撮影。

 かなり年季の入った看板で、もともとは横書きだったのを塗りつぶして縦書きにしたもの。「御報参上」と「下長者町浄福寺東入る」という文字がかろうじて読み取れる。

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 2014年10月5日撮影。

 表面の文字が薄れたため、「御報参上」と「下長者町……」は下地に書かれたもののほうががかえって読み取りやすくなっている。

 おもしろいのは左隣の住所表示板で、こちらは新しくなっている。京都市内でよく目にする仁丹のマーク入りのものではなく、ロータリークラブの提供によるもの。

 さて看板や塗装がこれほど変化するからには、この12年でぼくの顔も相当くたびれてしまったはずである。さらに12年ののちには……いや、そんなことは考えたくもない。第一、それまでもつかどうか……(笑)。

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October 29, 2014

Kyotorogy 2014: 路地正統派

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 路地 (4) 人家の間の狭い道路。(広辞苑 第4版)

 本来は人がやっとすれちがえるほどの狭い道路のことなのだが、一般的には、人家密集地帯にあって、どうにか車が走れるほどの狭い道も含めて路地というようである。

 京都で育った映画監督による詳しい説明をご紹介しよう。


 路地のことを京都の人は「ろーじ」と引っぱっていう。これにはいろいろの種類があって、「ぬけろーじ」というのは表通りから真っ直ぐに向こうの通りへ抜けるもの、「かぎろーじ」というのは表通りと直角の横丁へ鍵形に、途中で折れて抜けられるもの、それから俗に「パッチろーじ」というのがある。

 路地は向こうへ抜けない袋小路が原則で、「パッチろーじ」もその変種である。

 入口を入ってまっすぐ行くとつきあたって左右に分かれ、また曲がって奥まで続く。「パッチ」(もも引き)みたいなかたちだからこの名がある。
(中略) 路地の入り口には、住人の表札がたくさん並んでおり、通路の上は倉庫みたいな部屋がある。何が入っているのか見たことはないが、路地住民が共同で使う梯子やスコップ、祭りの時の飾り物などがあるようだ。

 入り口はトンネルを抜けるみたいになる。 -吉村公三郎 『京の路地裏』(岩波 同時代ライブラリー ※太字は引用者による)

 つまり正統派の路地とは上の写真のごときものをいうらしい。かつては路地の奥には共同便所があったらしいけれど、もちろん現在そんなものはない。また通路の上の倉庫のような部分は、ぼくの見たかぎりではもはや存在しないようだ(すべて確認したわけではないが……)

 では正統派路地をいくつかお目にかけよう。路地はあちこちにあるけれど、写真のほとんどは西陣界隈で撮影したものである。思わぬさしさわりがないよう、明らかに名前の識別できる表札にはボカシをかけておいた。

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 ここは表札に名前が見当たらず、無住の路地のように見受けられた。

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 この路地は一軒だけ残ったらしい。

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 これは西陣とは遠く離れた三条大橋近くの路地。ずらりと表札は掲げられたままだが、ごらんのとおり、路地の奥は再開発の波に飲み込まれて跡形もない。なおどうでもいい話だが、この日の夕方は友人たちと写真右手に見える居酒屋で一杯やったので、いずれ写真をお目にかけることもあるだろう。

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     これは突き当たりを左に折れると行き止まりになる。「かぎろーじ」の一種だろうか。道の狭さといい、行き止まりになるところといい、やはり正統派路地の仲間である。

 (ぼくが変人なのかもしれないが)見かけるたびに、うろんな男と疑われるのを覚悟で、ついのぞきこんでしまう魅力が路地にはある。しかしこのたびは路地の撮影が主目的ではなかったし、精力的に歩き回る気分でもなかったから、ずいぶん見落としが多いはずだ。

 写真からもわかるとおり、櫛の歯が抜けるように住人の減った路地も多く、また再開発の波は容赦なく押し寄せてくるだろうし、この隠れた京都名物もいずれは消滅する可能性があるのではないか。いまのうちにできるだけ記録しておくよう、心ある人々にお願いしたいと思う。

 結局京都路地本編は今回かぎり(笑)、明日からは大路小路を問わず、気の向くままシャッターを切った写真をお目にかけたい。羊頭狗肉というご批判は甘受するつもりである。

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October 28, 2014

Kyotorogy 2014: 都に降る雨

 このたびの滞在中はおおむね好天に恵まれ、雨はほんの数日しか降らなかった。好天は結構なのだが、10月の半ばまで暑いのには閉口した。28度、29度といえば、釧路では真夏でもめったに経験しない高温である。

 雨が降りそうになればなったでむしむしするし、こんな土地をかつて都にした連中の気が知れない。いよいよ釧路の時代が到来したと確信したのであった。おれは21世紀の遷都くんになろう。

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 10月22日の京都市内。小雨がぱらついていた。雨の日はたいてい部屋にこもっているのだが、この日は大阪の友人と約束があったので、河原町から阪急に乗らねばならぬ。

 時代祭による大渋滞の中、ひとつ手前のバス停で下車して歩く。この程度の雨で傘はささない。

 なぜか「都に雨の降る夜は……」という霧島昇の歌を思い出した。

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 午後四時過ぎに着いた十三も小雨。やはり傘をさすほどではなかった。

 夕食は友人のアパートでスキヤキ。上等の牛肉をどっさり用意してくれていたが、ぼくはそんなに食えやしない。その好意だけで腹一杯だよ。

 釧路ではほとんど話し相手のいない話題に花が咲き、湿った心がいつの間にかからりと晴れた。人生捨てたものではない、生きていてよかったと思った。

 -おい、おれより先に死なないでくれよ。

 友人はそういってくれたけれど、さてどうなるか、ぼくに自信はない。

 さてやっと写真の整理(といっても簡単なレタッチ程度)が完了したけれど、それをどう料理するかは別問題である。う~む、どないしましょ。

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Kyotorogy 2014: 大阪出張

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 京都の路地とは縁もゆかりもない通天閣。別にふざけているわけではなく、本日(もう日が変わったから昨日になるが)整理を終えた10月7日の写真から一枚選んでみたのである。

 念のためお断りしておくと、自分撮りしたわけではない。このおじさんは偶然写りこんだのである。失敗作として削除しようかとも思ったけれど、大阪らしい感じがしないでもないから、やはり捨てるには忍びない。

 このたびは友人の住む大阪に二度足を運んだから、京都老爺、いや京都路地の番外編として、奈良編と同様に記事を書くつもりだ。

 明日中にはなんとか写真の整理を終えたいと思っているのだが……

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October 26, 2014

Kyotorogy 2014: サウンド・オブ・サイレンス

 なかなか写真の整理がはかどらない。やっと9月26日の分を終えたばかりである。おい、路地はどうした? という声が聞こえてくるけれど、もうしばらくお待ちいただきたい。

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  9月23日。奈良へ向かう途中、JR東福寺駅にて。

 だれ一人前を見ていないとは……世も末だ、とまでいうつもりはないけれど、ぼくはふと The Sound of Silence の歌が聞こえたような気分になった。

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October 25, 2014

Kyotorogy 2014: さらば西陣

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 一ヶ月以上暮らした西陣に別れを告げて釧路に戻ってきたけれど、たまりにたまったメールの返信や写真の整理などに当分は追われそうだ。

 このたびは三友亭さんやかつての仲間たち(つまりご学友ね)には大変お世話になり、言葉では言い尽くせないほど感謝している。そのお礼の気持ちをこめて、明日以降 Kyotorogy シリーズでぼつぼつ京都滞在中の生活をご報告したいと思っている。

 Kyotology が正しいんじゃないかとおっしゃる方もいようが、それなら「京都学」になってしまう。学問とは無縁のぼくは京都の路地をうろうろしていたのだから、Kyotorogy(キョウトロジ)でまちがいはない。

 ここでは申し上げにくい事情があったから、けっして観光気分で歩き回っていたわけではないけれど、人間いつもしかめ面をしているわけにはいかないし、天から与えられた貴重な時間を無為に過ごすわけにもいかない。多少は写真を撮ったので、少しずつお目にかけたい。

 とりあえず生存証明のご挨拶まで。

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